楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)という浮世絵師の名前は、一般にはあまり馴染みがないと思います。浮世絵にある程度関心がある方でも、明治に活躍した絵師の名前を挙げて、と言われたら、月岡芳年(つきおかよしとし)や小林清親(こばやしきよちか)の名前を挙げることはあっても、周延の名前をまっさきに思い浮かべる人はそう多くないでしょう。実は、私たち浮世絵の専門家でも似たような状況だったといってもいいかもしれません。数年前にある博物館で浮世絵の講演をした後、聴衆の方からご自宅に伝わる周延の作品について勉強したいので、書店を通して入手できる周延についての書籍を教えてほしいと言われ、洋書しかご紹介できなかったことを思い出します。
しかしながら、在世当時、周延は間違いなく浮世絵界を代表する人気絵師のひとりでした。優美な美人画が本領ですが、西南戦争や日清・日露戦争を描く戦争絵、博覧会やサーカス、憲法発布式典など開化の風俗や出来事を描いた時事画題も数々描き、そうかと思えば明治中期の徳川時代回顧の風潮に合わせて、「千代田の大奥」などの江戸風俗を描いた作品も数多く手掛けています。今回の企画展の副題にあるように、まさに「明治を描き尽した浮世絵師」といっていいでしょう。
10月7日からはじまったこの企画展は、周延作品の著名なコレクターのご協力も得て、前後期合わせて300点以上という大規模なものとなりました。版画だけでなく、肉筆画の優品を多数展示しているところも注目です。国内における最大の周延展といって間違いなく、本展を契機に世の周延観が変わることも期待されます。じっくり時間をかけてご覧いただければと思います。
本展の展示図録も周延の基本文献となることと思います。そんなこと専門家じゃなければ関係ないよ、などとおっしゃらないでください。この図録の巻末には周延の作品総目録がついています。冒頭で紹介したような方がこれを参照すれば、おうちに伝わる周延作品の位位置づけがわかるというわけで、世の中、そんな展覧会図録はなかなかありません。