本展に展示されている「流行美人 浅草公園水族館」(国立歴史民俗博物館蔵)を見ているとき、水族館の大水槽を背に幼い娘たちの写真を撮ろうとして露出設定に苦労したことを思い出しました(30年近くも昔のことです)。水槽に向けてストロボ発光はタブーですから、非日常の光環境のもとで、カメラのダイアルをどこに設定していいのかわからなかったのです。
明治32年に発行されたこの版画も、ある意味、非日常の世界を映し出しています。和装美人のうしろに、鯛やフグ、エイなどいろんな魚の舞い踊りとは、いったい…。
実はこれ、この年の10月に東京浅草四区に開設された浅草公園水族館の内部を描いたものなのです。こんな時代から水族館があったのかとも思いますが、明治15年に上野の動物園に設けられた淡水魚の水槽が国内最初の水族館だとのことで、17年も遡ります。ならば、もう珍しくもなくなっていたかと思うと、さにあらず。この浅草の水族館は海水の循環濾過方式を採用して、海から離れた東京の盛り場でおよそ100種類もの海水魚を展示したことから大人気となり、わずか18坪、水槽15室の小さな館内は連日超満員の賑わいだったそうです。でも最新の循環装置の設置だけでなく、どうやって海から魚を生きたまま運んだのでしょう。
周延は、人々の耳目を集めた当時最先端の施設を3枚続の錦絵美人画に仕立てたのです。1枚に女性をひとりずつ(中央の女性は子どもの手を引いていますが)配置して3枚続の画面を構成するのは江戸時代以来の定式といえるものですが、女性たちの背後に海の魚が群れ泳ぐという光景は、江戸時代の錦絵美人画には見られなかったものです。最先端の流行を見逃さないのは錦絵ならではの制作姿勢ですが、水族館など聞いたこともない地方の人は、ここに描かれている情景を理解することはできなかったでしょう。これは、龍宮城を描いたのか?と誤解した人がいたかもしれせん。
本作は11月5日までの前期展示となります。気になる方はお早めに。
楊洲周延「流行美人 浅草公園水族館」発行:明治32年(1899)12月25日、国立歴史民俗博物館蔵
楊洲周延「流行美人 浅草公園水族館」発行:明治32年(1899)12月25日、国立歴史民俗博物館蔵