版画に特化した収集・研究・展示活動が評価されているのだと思いますが、当館は例年多くの版画作品のご寄贈のお申し出をいただいております。現在開催中の新収蔵品展は2022年度から2023年度上半期に寄贈いただいた作品の中から約100点を選び展示しています。著名作家の代表作を含む優品ぞろいで1点を選ぶのは難しいのですが、自分自身の好み(いつもそうだろう、と言われても否定はできませんが)から、ヨルク・シュマイサー(1942~2012)の「モーソン基地」(エッチング、アクアチント、ソフトグランド・エッチング)を取り上げてみましょう。
シュマイサーはドイツ出身、ハンブルク造形美術大学で美術を学びます。1968年に京都市立芸術大学大学院に留学。その後、オーストラリア国立大学の版画科の教授として後進を指導する間、京都精華大学でも教鞭をとり、退官後は京都市立芸術大学の教授を務めます。彼はオーストラリアで没しますが、日本とはたいへん関係の深い作家なのです。
「モーソン基地」は、2018年9月に当館において没後最初の本格的な回顧展を開催したご縁で、敬子夫人からご寄贈いただいた代表作を含む多くの作品中の1点です。1998年の夏にオーストラリア南極芸術フェローシップで現地を訪れたときのスケッチがもとになったものです。モーソン基地とはオーストラリアの南極観測基地のひとつですが、シュマイサーはそこに滞在しています。この極地の体験は相当に強烈なものだったようで、今回展示している「モーソン基地」や「氷山の道」など、それ以前のシュマイサーの作品とは少し違った雰囲気を持っているように感じました。暗灰青色の画面からは凍てつく南極の寒さが伝わってきます。太陽は水平線ぎりぎりの高さで、ほの暗い画面は夜の景なのでしょうか(極地なので夏は夜でも太陽が沈まない白夜です)。モノクロームに近い静謐な画面には彼が感銘を受けたとされる日本の水墨画の影響も指摘されていますが、私は浮世絵を専門としているので、横に4枚つないでワイドな画面を作るところなどから、「木曽路之山川」や「武陽金沢八勝夜景」という歌川広重の晩年の3枚続錦絵を連想しました(両図とも水墨画風に墨と濃藍だけで雪景あるいは夜の海景を表現しています)。
もっとも本作は錦絵とは違って横2m近い大画面で、眺めているうちに、すっと風景の中に吸い込まれていくような錯覚を覚えました。実際に作品の前に立たなければ、その魅力は伝わってきません。2月18日まで開催中ですので、ぜひ足をお運びください。
ヨルク・シュマイサー「モーソン基地」2001-03年 エッチング、アクアチント、ソフトグランド・エッチング