今回の企画展示は、海外の美術の影響や人的交流という文化交流によって生み出された我が国の版画を日本最古の版画「無垢浄光大陀羅尼経」から現代作品にいたるまで、1200年の時間幅の中で俯瞰しようとするものです。「国際」を館名に冠し、版画を通じて国内外の文化の交流の場であることを目指す当館にとって、集大成的な企画といってもいいかもしれません。当然、館蔵版画作品の中で優品や有名作というべきものが数多く展示されますが、今回のブログでは、一風変わった作品を取り上げてみたいと思います。
明治3年(1870)に豊原国周が描いた錦絵(市販された多色刷りの浮世絵版画)、「東京高輪風涼図」です。明治初頭、いわゆる「文明開化」の時代は、欧米の制度や文物が一気に流入し、東京の風景も目覚ましく変貌していきます。その様子を視覚的に伝えるメディアとして錦絵は大きな役割を果たすのですが、「開化」の風俗や風景を描いたものは今日、「開化絵」と呼ばれています。高輪の海岸を西洋人の乗った馬車や自転車(画中には「一人車」とあります)が行きかう光景は、まぎれもない「開化」の東京ですが、右手前の馬車に乗った人々はまるで江戸時代の錦絵から抜け出してきたような風俗をしています。実はこの人たちは、江戸末期に人気のあった絵入り長編小説『偽紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』の登場人物です。柳亭種彦の作になるこの物語の主人公である足利光氏(みつうじ)は、室町将軍足利義正の庶子で、女性遍歴を隠れ蓑にして山名宗全の陰謀を阻止すべく活躍します。源氏物語の巧みな翻案と人気浮世絵師国貞の華麗な挿絵があいまって大きな人気を博しますが、やがて光氏と女性たちを取り上げた錦絵も数多く出版されることになります。  
「源氏絵」とよばれるそうした錦絵は、作中の一場面に取材したものや、江戸や諸国の名所風景をバックに光氏と取り巻きの女性たちを描いています。「東京高輪風涼図」は後者のタイプになります。右から2番目の着飾った貴公子が光氏、側近の惟吉が馬車の手綱を執っています。馬車、自転車、沖合には洋式帆船、画面左右端には電信柱という、明らかに明治の風景と源氏絵の人物たちを組み合わせるという趣向は絵師の遊び心なのかもしれませんが、この思い切り場違いな雰囲気を、当時の人々はいったいどのように受け止めていたのでしょう。

kawaraban49
豊原国周《東京高輪風涼図》明治3年(1870)4月 [前期展示]