現在当館では、3つの展示を並行して開催しています。その中のひとつ「新収蔵作品展」から、新春(時期的にぎりぎりですが)にちなむものをご紹介します。
それは明治の引札5点です。引札とは商店の宣伝ビラのようなものですが、明治期には吉祥図柄や故事などをあしらったものに商店の名前が刷り込まれ、年末年始に得意先に配られました。簡略な暦が刷り込まれているものもしばしば見られます。いまでも年末になると取引先の会社が社名入りのカレンダーを配っていますが、その前身といってよいでしょう。絵の作者はわからないものが多いのですが、画風から浮世絵師が描いたものが多いと思われます。
こうした引札は制作会社から代理店を通して見本帖が全国に流布し、商家から印刷の注文をとっていたようです。ですから図柄が同じで店の名前が異なるものが多数存在しましたし、人気のある図柄は複数年にわたり使い回されました。
略暦には1、3、5、7、8、10、12の大の月と30日2、4、6、9、11月の小の月が大きく記され、祝日や、節句、土用などの雑節など、日常生活で必要な情報が多数添えられています。31日の大の月とそれ以外の小の月は毎年同じなのにわざわざ表示しているのは、太陰暦を使っていた時代の名残です。明治5年末に太陽暦(新暦)に変わる以前に広く用いられていた太陰暦(旧暦)では、年によって30日の大の月と29日の小の月の配列が異なりましたので、月の大小を大きく表示し、それに一年のさまざまな情報を加えた暦が生活の場で使われていました。また、江戸時代後期になると浮世絵師が描いた絵に月の大小のみを添えた摺物(「大小」と呼ばれていました)を年末・年始に知人間で配るということも流行りました。引札の中で暦を刷り込んだものは、江戸時代の大小の流れを汲むともいえるかもしれません。
掲出のものはよく知られた京の五条大橋での義経と弁慶の出会いを描いています。江戸時代の摺物では、牛若丸は名前の語呂合わせから丑年に使われることが多いのですが、これは明治33年の子年の暦になっています。そのあたりは江戸の伝統を引き継がなかったということでしょうか。

