昨年度から当館は新しい試みとして、講演会×鑑賞会「ココがすごい 版美のコレクション」と題して、館蔵作品の中からそれぞれの学芸員が専門とするジャンルを選んで、まず1時間ほどのレクチャーをおこない、そのあとで20点ほどの作品を間近でご覧いただくという企画を連続しておこなっています。もちろん、作品鑑賞タイムではお客様からのご質問にもその場でお答えしています。おかげさまで好評をいただいており、毎回多くの方々に参加いただいています。
昨年度と今年度、私も1回ずつ担当いたしました。今年度の私の担当回(4月12日)は、「広重 東海道五拾三次の魅力」と題して、歌川広重の出世作である保永堂版東海道のシリーズを取り上げました。お天気が良かったこともあり、当日先着順の定員がいっぱいになり、ご参加いただけなかった方々もおられます。そのお詫びというのもなんですが、レクチャーで取り上げ、鑑賞にも供させていただいた作品の中から私のおすすめの1点の魅力を述べさせていただこうと思います。
現在の愛知県知立市に位置する池鯉鮒(ちりゅう)宿を描いた「池鯉鮒 首夏馬市(しゅかうまいち)」です。これは毎年初夏に池鯉鮒宿のはずれの草原で催される博労たちの馬市を描いたもので、保永堂版東海道55枚の中では、それほど人気の高い図ではありません。よく指摘されるのは、後の摺りになると地平線上のなだらかな山のシルエットが省かれてしまうことで、それが摺られている当館のものは早い摺りということになります。この山、稜線の形から浮世絵関係者の間では「クジラ(鯨)」と通称されています。
ただ、私が注目するのはクジラの有無もさることながら、草原の表現です。淡い緑の上に濃い緑色を摺り重ねることによって草原に波が立っているように見えますが、これは一陣の初夏の風が吹き渡っていることを示したものです。木の枝が大きくたわんだり、木の葉や人の持ち物が吹き飛ばされたりというモチーフの動きで表現するか、あるいは風の線を描き込むことで目に見えない空気の動きを表現するのが当たり前であった時代、色の濃淡で風を描き出した手法はきわめて先進的だったといえそうです。
誰しも草原を吹き渡る風を目にしたことはあるはずですが、それをこのようなかたちで表現した同時代の例を私は他に知りませせん。この1枚は、広重が身の回りのさまざまな自然現象に対するきわめて鋭敏な感性を持っていたことを物語っているのです。
講演会×鑑賞会はまだ残り回がありますので、ぜひ!

歌川広重《東海道五拾三次ノ内 池鯉鮒 首夏馬市》天保年間(1831~45)前期、横大判錦絵
