昨今は国内外のさまざまな美術館や博物館が所蔵作品の高精細な画像データベースを公開してくれており、自宅に居ながらにして東西の名作を細部まで鑑賞することができるようになってきました。この点は集客も館の活動のひとつの目標とする美術館・博物館にとってはマイナス効果をもたらすものともとれますが、そうしたデータベースを公開している館の入館者数が減ったという話を聞いたことはありません。
企画展のようにテーマにもとづいて多くの作品を一堂に展示したものなど、足を運ばなければ全体を見ることはできませんし、落ち着いた美術館の雰囲気が好きな方も少なくないでしょう。でも、一番の理由は本物のマチエール(質感)に触れる以上の鑑賞体験はないからだと思います。
版画作品は比較的小画面のものが多いので、大画面の油彩画や屏風絵などに比べるとウェブ上で高精細画面を見ることの不利益は少ないほうかもしれません。でも、木版や銅版などさまざまな版技法が生み出すマチエールは、やはり実物でないと味わうことはできません。
現在、当館の所蔵作品を中心に、都心のパナソニック汐留美術館で「長谷川潔展―パリに生きた銅版画家の軌跡」(企画・町田市立国際版画美術館)が開催されています。マニエール・ノワール(フランス語で黒の技法)とも呼ばれるメゾチント技法を復活させたことで知られる長谷川の、初期から晩年までの活動のほぼ全体を見通すことができる企画です。
長谷川のメゾチント作品の魅力のひとつは、黒の背景にやわらかく浮き上がるモチーフの不思議な存在感にあるように思われます。黒の地と申しましても、ただの黒い面はなく、画面の奥行きを深く感じさせてくれるものです。この黒の深さは実物でなければ味わうことは難しいと思います。実は私も長谷川のメゾチントが大好きで、代表作のひとつ「狐と葡萄」の印刷複製画をリビングに飾っています。白の壁紙の上に、額入れした黒いメゾチント作品がいい味わいをつくりだしているのですが、やはり展覧会場で見る実物の黒には到底及びません。
と、同覧のチラシを横にこの原稿を書いていたら(悲しいかな拙宅には書斎がなく、いつもダイニングキッチンのテーブルで仕事をしています)、妻が壁の額と見比べて「この展覧会、あの絵の作家だよね。見に行きたい」と言ってきました。わかっているじゃない。ぜひ行きましょう。
会期は9月23日(水・祝)までですので、皆様もお見逃しなきよう。詳しくはパナソニック汐留美術館ホームページを御確認ください。
