2017年10月06日

たりないもの


※病み注意※

祈祷会で、公の場所で、もっと働いてほしい、的なことを言われた。食器をあなたに管理してほしいとか、わたしたちにはあなたの代わりはできないからとか、、むにゃむにゃ

えっと、毎週教会のゴミ出しをして、週報のチェックをして、物置を整理して、掲示物を整理して、月に集会2つを準備・リードして、聖餐式の準備をして、教会学校も、礼拝の奏楽も月に2回、掃除当番も、具合が悪くなった人がいたらその人の代わりも、、
これだけ働いても、やはり人の目に見えないことが多いからなのか、全く評価されてないことが、とても悲しかった。
自分で言うのもなんだけど、能力的にはなかなかバランスはとれていると思う。人前に出て何かするのも、裏方や事務処理も人並みにできる。与えられているものは精一杯捧げているつもりだったのになあ、、って。
「これこれがもともと出来る」→それをやる→「来てくれてよかった」と思ってもらえるもんだと思ってた。クリスチャンの世界であれ、やっぱりそういう価値観はあるじゃんね。でもここでは「いつでもなんでも頼める人」が求められている。それはきっとどこでもそうなんだろうけど。極論。
わたしは、出来ないことは、出来ないと言うスタンス。
賛美歌のキーを突然下げて弾くことはできないし、童謡を上手に歌うこともできない。でもそれを 歌がうまい とか、ピアノが弾ける、とかそういうのでまとめられて、これもできるでしょ、謙遜でしょ、とTPO関係なく頼まれても、とっても困る。もちろん必要なら出来るように努力はするけど、いきなりは出来ない。

そもそも私は、牧師夫人、という名詞がとても嫌い。何か特別な感じがするから。ここで言う特別というのは、偉いのではなくて、頼めることはなんでも頼んでもいい、という特別感。つまり他の信徒より負担が多くて当たり前、という特別感。

私にとって、牧師夫人は仕事ではない。牧師の妻。それだけ。牧師は教会の働きをして、謝儀をもらっている。それは牧師自身であり、妻もその分働かなければいけない訳ではない。もちろん献身していつも牧師と一緒にいて働く牧師夫人もいるし、それはそれで素晴らしいと思う。結婚前はわたしもそうしたいと思っていた。でも現実は違った。自分ができることは本当にわずかだった。家事をして、夫の支度を手伝って、仕事をして、それだけで簡単に手一杯になってしまう人間だった。

なんと情けない。大変なことは覚悟していた。でも想像していた大変さとは少し違った。トラブルや、争いがある訳ではない。自分の存在を尊ばれず、認めてもらえないことが1番つらい。

大学生のころから人間不信になり、結婚してからは大分まるくなっていたのが、今回の件でかなり再発してしまった。こんな小さなことで人に左右されてしまうことが、神様にしっかり目を向けられていない証拠でしょう。平安がなくて、満たされない。中学生の時のような。

誰も信じられない。最近は毎日 消えたいと思う。こんな人間なんて生きてても意味ないんじゃないかなって。こんなこと思ったことなんてないのに。そのくらい生きる目的がわからなくなっている。旦那さんと一緒にいる時は普通でいられるんだけど。
絶賛病み期なう。記録として残しておこう。

hangary at 01:46|PermalinkComments(0)

2017年06月13日

昔の記憶〜直感100%の珍しい記事になたよ〜。


高校生の頃、私はクリスチャンとして生きてる、という自覚があった。メッセージは一生懸命メモを取り、ひばっこと語り合い、必ず祈り合い、通学電車で聖書通読をし、集会は行けるだけ行き、学校の友達をhi-b.aに誘い、初めて集会に来た子には積極的に関わり、奉仕した。とても純粋で、前向きで、怖いもの知らずだった。

tcuに入って、アンチhi-b.aの人達も沢山いる事を知った。そしてここ数年、アンチtcuの人達も沢山いる事を知った。「ああ、hi-b.a行ってたんだ」「あー、tcuね」と、嘲られるような顔をされることが多かったから。いろんな考えの人がいるのは分かるけど、悔しかった。なんで?私はその場所で尊い時間を過ごしたから。

でもいろんな波にもまれ、高校生のころのあの熱量はいつのまにかなくなっていたことに気づいた。後ろ向きで、リスクを恐れるようになった。そして「高校生の私」の事を、まるで他人のように見るようになった。つまり「今の私」とはとても遠い存在として見るようになった。現実の自分の姿に失望し、停滞し、クリスチャンの生き方に対する向上心はほとんどなくなっていた。あの頃関わった人は山ほどいたのに、まだ繋がってる人はほんの数人。あれはほんとに私の人生だったのだろうかとさえ思う時がある。hi-b.aに行っていた、tcuに行っていた、とは自分からはあまり言わないようになった。

それがこの前行った結婚式で、hi-b.aのキャンプで一度しか会ったことのない女の子と再会した。印象的な名前だったので覚えていたし、共通の友人もいた。その子は私の顔を見た瞬間私の名前を呼び、「あのキャンプはhi-b.aも初めてで、キャンプも初めてだったからすごく緊張してたけど、はるこちゃんがすごい話しかけてくれて、とっても嬉しかったの!だから忘れなかった!」と言ってくれた。

「高校生の私」、やるな!と思った。と同時に、まるで他人のように思っていたあの頃の私は、紛れもなく「今の私」自身なのだということに気付かされた。高校生の私がした些細な言動が、彼女の中のhi-b.aの印象にポジティブに残っていた。そのことを思った時、神様に用いられていたんだ、と素直に感じることができた。それは純粋な心だった。でもどうせ今は、、、とはならず、ただ、感謝だった。神様を第一に生きる、とは、こういう純真な感性で、喜びながら歩むことなのかな。

hangary at 23:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年05月02日

松坂桃李くん激推し

おひさー。

最近は桃李くん熱がすごい。
本当に好きな芸能人トップ5

ガッキー
松坂桃李
戸田恵梨香
トータルテンボス
mayj

って感じだね。


2月から学習塾でチューターのお仕事を始めたんだけど、それに伴って不眠症も大分改善されてきたよーん。
なんで仕事を始めたかといいますと。一番は家にいない時間を作るため。なんかずっと家にいて、掃除して、急に人が来て、ご飯作って、片付けて、洗濯して、買い物行って、またご飯作って、を繰り返して1日が終わる。

趣味とかないしね〜 運動も嫌いだし、お金も使いたくないし、生活範囲がスーパーと家しかなかった(´;ω;`)
家にずっといるということは、急な来客も、電話も、ご主人様が応対してるところに、ずーーーーっと居合わせなきゃいけなくて、それが結構しんどかった。職業上避けられないことだから仕方ないんだけどね。

二番目は、自分が主体になって働く場所が欲しかったから。教会の平日集会は多いときに週3日あるけど、私の役割は特にない。牧師の妻ってそういうもんかもしれないけど、集会にでてもくだらない話が出来るわけでもなく、私が誰かの相談相手になれるわけでもない。あ、別にいじめられてる訳ではなくて、おばあちゃん達が一方的なマシンガントークを繰り広げているのです。これはべつに悪いことではないんだけど、いっぺんに何人も話されると頭痛くなっちゃうんです。狭い空間で大きな音が何個もあると、飽和状態に耐えられないというか。マシンガントークに対する疲労感だけが残り、なんのためにいるのかなワタシ、、となって1週間がおわる。教会の中に存在意義が見出せなくて、苦しかった。

ただ家事してるだけって、それもそれでゆったりできてよかったし、新婚生活満喫して楽しかったんだけど、やっぱりなんのためにいるのかが分からなくなってくるんだよね。ご主人様が牧会、伝道するのを支えるだけ!なーんて私には到底無理でした、、、。笑 つまり私自身が働きたいということ。ジコチューですかね。

外に出る時間が定期的にできたことで、いろんなことにメリハリがついた。家事も、教会の奉仕も、限られた時間でできるようになったし、やっぱり自分の仕事があるってとっても嬉しい。ご主人様も積極的に家事を手伝ってくれるようになりました〜ありがたい。

ところで小中学生の勉強なんて大っ嫌いだった私にとって、その年代の彼らに勉強を教えるのはそんなに簡単なことではない。。なぜなら勉強を教わる、という行為をしてこなかったから。分からなかったら自分で調べる!最悪答え丸暗記!というやり方をずっとしてきたから。。

基本的に数学全般ニガテなので、二次関数なんだっけー 平方根ってなんだっけー!。゚(゚´Д`゚)゚。みたいになっている笑 高校も大学も筆記試験しなかったし記憶もハルカカナタ。高校では高1の数Ⅰしかやらなかったし(言い訳)。当時は決しておバカな成績ではなかったの!!(試験前だけ進研ゼミで必死に頑張っていた)

教えること自体は好き。どうやったら伝わるのかな、こういう言い方したらやる気になってくれるかな、ってやってみて成果が出ると嬉しいしね。聖書のことを子供に伝えるときの思考回路に似ている。あと境界線のひき方とか、関わり方とか、キャンプでこどもたちと関わってきたことが生かされているような気がする。
やりたいことをやって、お給料までいただけるなんて、こんな嬉しいことはない。


はたして牧師の妻としてどうなのかなこのスタンス、、。という疑問ももちろんある。想定していた牧師の妻像とは大分離れてるしねー。でも教会で求められていること(csと奏楽と唱歌を歌う会と人形劇と掃除とゴミ捨て)はやってるし、こういうスタイルもあっていいかなーと。わたしたちのグループは割とそういうのユルイから助かる。笑

そんな訳で元気にやっとりますよん〜
あ、調子乗って食べ過ぎなので最近少し太ってきました。

hangary at 01:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年01月10日

暗雲




疲れてるのに寝れなくて、寝れなくてさらに疲れて、やっと寝れると思ったら誰か人が来て、対応しないとあとでチクチク言われて、それの繰り返しで眠れない。
結果いつも眠くて不機嫌になってしまう。少し働いただけで疲れてしまう。と、なんだか不調が続いている。

いよいよ不眠症かもしれないので本気で病院に行こうかと思い始めたりしてる。もともと神経質なところはあったんだけど、ここまでプライベートと教会の境界線がないとは思ってなかったので参ってしまった。

教会の人にこれを分かってもらう必要があるのかも、伝えかたも分からないので、ご主人さまを通してお世話になった先生に今日相談してもらった。現実的なアドバイスを頂けて感謝だったし、なによりもやっぱり私愛されてるんだなって本当に嬉しかった。

でも同時になんかこんな自分がとても不甲斐なくて、もう泣くしかなくて、久しぶりに涙腺崩壊している。。
そういうシーズンじゃないのにな。。

嫌な言い方されたり、トゲのある言葉をかけられたり、けなされたり、あることないこと言われたり、まあそれは今まで嫌という程あって免疫はあるんだけど、プライベートに侵食されるのが一番こたえるんだな。


hangary at 22:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年06月25日

整えられるっていうコトバが好き

新生活が始まってもう1ヶ月半。
社会人になってからおばちゃん恐怖症になったわたしにとって、教会で暮らすなんてことは結構ハードルの高いことだったりします。結婚を考えていた時や決めたはもちろん何の抵抗もなく、まあ大変なことも勿論あるけど何とかなるっしょ〜と思っていた。
でもおばちゃん恐怖症のおかげで、表面的には親切なことしてくれたり労ったりしてくれるけど、心の中ではきっと「家事もしないで何やってんのよ」とか、「こんなこともできないのかしら」とか思われてるんだろうな、、、という恐怖が常にある状態になりました。笑
まあでもその恐怖のおかげといったらなんでふが、逆に気を遣って挨拶やお世話や言葉遣いの配慮が出来るようになったので、結果的におばさまたちとは和やかに関わることができています。。
過去にどんなことがあったとしても、それを自分の強みとして習得できる能力も賜物として磨かれたということだと思っています( ´ ▽ ` )ノ

教会の奉仕については、来月からいろいろ始まります。想像していたよりも固定奉仕が多く重い。でも合唱の頃培った発声練習をはじめとする簡単な歌の指導や、hi-b.aのころ鍛えられたトラ配や路傍伝道とか、今までの経験はここに来るためにあったのかと思うほど自分に備えられていたことに驚きを隠せない。決して自分はいわゆる 出来る人 ではないのに、ここで働くために神様が整えてくださったとしか考えられない。


あとは、毎食ごはんを食べてくれる人がいるので、人のためにする料理は作りがいがあるし、毎日新しいメニューが作れるようになって楽しい〜。

それからずっとおろそかにしていたデボーションも復活。2012年から書き始めたデボーションノートがやっと使い切れたww 読み返してみるとあの頃は必死だったな〜あの頃の純粋さを忘れちゃいけないなーと思う。

それと退職してからも元職場から賛美の奉仕を依頼され、繋がりが切れないことが嬉しいようなこわいような。笑 次は9月に歌うことになったー。でも本当に上の方々には良くして頂いた(くせに2年で辞めた)手前、このくらい役に立たなきゃ申し訳ない。。という変な背徳感。変かな。

きっとあと3ヶ月経ったら違うこと思うんだろうけど、とりあえず今の私。けへっ。


hangary at 08:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)