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原文入力:2010-02-03午前10:22:38(2854字)
鬼ヶ島に連行された人々

一に高島,ニに端島,三に崎戸。日帝時、長崎県の炭鉱業界と鉱夫の間に広く知られた言葉だ。崎戸は今は橋があり長崎市中心部から車で高速道路を2時間程走れば行くことができるが、当時は荒い波で外部と隔離された島だった。鉱夫として一度足を踏み入れれば生きて出てくるのは難しいという意味で‘鬼ヶ島’という別名がついた。
九州の最大炭鉱地であった筑豊一帯で採炭作業をした熟練者でさえ、鬼が島に行くことを恐れた。順番は日本語発音の韻律上ついたもので(訳注:意味不明)、作業環境の劣悪加減は似かよっていたという。

3つの島の共通点としては、まず大規模海底炭鉱があったということを挙げられる。海の下で採掘し、端島は海底900mまで降りて行ったという。2番目は運営管理の主体が三菱財閥だった。海底炭鉱を開発しようとすれば先端採炭技術と莫大な費用が必要だったため、明治維新以後に政権と結託し常勝疾走した三菱が中小炭鉱会社から取得した。3番目は募集でも強制連行でも人里離れた島の炭鉱に連行されて苦難にあった朝鮮人が少なくなかったという点だ。その中には日帝時にサハリンの炭鉱に強制連行され、戦争末期に鬼ヶ島に来たいわゆる‘二重徴用’の被害者たちもいた。

03nagasaki2←長崎平和資料館関係者たちが無縁遺骨墓地である千人塚周辺を清掃している。石碑の下に納骨堂があったが現在は完全に密閉された。

先月22日長崎港ターミナルから約14.5km離れた高島行高速旅客船に乗った。35分程度かかり高島埠頭に到着すると観光地であることを知らせる立て札が目に映った。旅客船停泊地から20m余り離れたところに巨大な銅像がある。2004年12月に建てられた三菱財閥の創業者 岩崎弥太郎(1835〜1885)の銅像だ。三菱が高島炭鉱を取得したのは1881年3月だ。以後1986年11月の廃鉱時まで経営したので何と105年間この島のボスとして君臨したわけだ。

三菱側 歴史をあざ笑う碑文 怒った人が槌で壊す

島の中央には海抜120mの権現山がある。頂上に向かい登ってみれば中腹に神社がある。神社のそばの平地の片すみに慰霊碑がある。廃鉱の2年後、三菱石炭鉱業株式会社が建てたものだ。碑の上段右側に花模様の浮き彫りがあり、その周辺に傷が見える。同行した高實康稔(71)長崎平和資料館理事長は浮き彫りの場所に本来は碑文が彫られていたが、誰かが不満を抱いて大きな槌で壊したと話した。会社側で壊れた部分を修理した後、碑文の場所を浮き彫りで隠したという。
碑文にどんな内容が含まれていてそのように怨恨を抱いた人まで現れたのだろうか? 碑文の原文は2つの段落からなっていた。最初の段落は日本経済の発展と地域社会の振興に多大な貢献をしたが時代の流れに耐えられず100年余りにわたる輝かしい歴史の幕を下ろしたという表現だった。2番目の段落には強制連行に対する三菱の認識がよく表われている。ちょっと長いが引用してみよう。

“その間、中国と韓半島からいらっしゃった人々を含め多数の働く人、およびその家族が民族国籍を越え、心を一にして炭鉱の灯を守り苦楽を共にした日々を懐かしむと同時に、中途で殉職したりあるいはこの土地で亡くなられたすべての霊魂を慰めるためにこの碑を建設し永遠の冥福を祈るものである。”

千人塚に朝鮮人遺骨箱 寺に移し名前消える

03nagasaki3←長崎海上の鬼ヶ島

碑文の内容が知らされると日帝時に現場で酷使された同胞たちは怒りを隠せなかった。朝鮮人・中国人が自分の意志に反して連れてこられたという表現が全くない。鬼ヶ島に来た人々は重労働,殴打,リンチの対象になり、事故や栄養失調で死ぬ人が少なくなかった。日本の市民団体は苦楽を共にしたという表現などが歴史的事実に反すると抗議したが、会社側は逆に事前に民団と総連の地域本部との協議を経たものだと主張し修正を拒否した。そのような渦中に碑文が破壊される事件が発生した。

神社から10分程歩けば高島墓地が見える。島の住民たちの共同墓地だ。日本でキリスト教信仰が最もはやく入ってきた地域に属するためか、故人の洗礼名が彫られた碑が結構眼につく。内部にずっと入れば墓地が終わり薮が現れる。薮の間から出ている細い小道の沿って行けば供養塔と書かれている非常に古い石碑がある。碑の正式名称はなく、現地人たちが‘センニンヅカ’と呼ぶ場所だ。韓国語にすれば'千人塚'になる。元々は石碑の下段に納骨堂があり、炭鉱に働きに来たが異郷で亡くなった多くの人の遺骨が納められていたという。日帝時に徴用で連れてこられ高島,端島で労役をして亡くなった朝鮮人たちの遺骨もここに入った。長崎の地域放送会社<NBC>が1970年代中盤に作った番組には千人塚に安置された遺骨箱の中に朝鮮人の名前が書かれたものが見える映像がある。

海底炭鉱に連行された朝鮮人 1万人以上と推定

03nagasaki4←千人塚納骨堂にあった時には朝鮮名があったが(左側)、金松寺に移された骨壷には番号だけが移記されている。(右側)

しかし三菱が高島炭鉱を閉山し‘永久供養’をするとして千人塚の遺骨を近隣の寺に移し驚くべきことが発生した。会社側はカップ大の骨壷に遺骨を移し墓地近隣の金松寺という寺に安置し、地下にあった納骨堂は密閉した。この寺には当時千人塚から移した骨壷が約115ヶあったが、10ヶ程度は日本名が書いてあり、残りには何も書かれていない。状況から見て無縁遺骨は朝鮮人犠牲者である可能性が非常に高いが、今となっては確認するのが難しい。端島韓国人犠牲者遺族会と日本の市民団体は10余年前から三菱石炭鉱業の後継会社である三菱マテリアルに対し密閉された納骨堂の発掘を要求しているが、会社側は‘霊魂の尊厳を害することになりかねない’として頑強に拒否している。高實理事長は「悪質で卑劣なことこの上ない」と話した。常に温和な表情で話す彼は、三菱の姿勢に関しては語調が荒くなった。彼は日本政府が今からでも誠意を持って関連寺刹に過去帳等の関連文書を調査しろと要求すれば身元確認は可能だと話した。

3ヶの鬼ヶ島に連行された朝鮮人の被害については未だ正確な統計がない。日本の研究者たちは崎戸に6000人、高島・端島に4000人程度が連行されたものと推定している。‘日帝強制占領下強制動員真相究明委’が遺族たちの申告を基に調査したものでは59人が現地で死亡したことになっている。しかし実際の被害はこれよりはるかに多かったものと見られる。

高島/キム・ヒョスン論説委員 hyoskim@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/402549.html 訳J.S