原文入力:2010-02-16午前08:51:39(2010字)
軍国主義の犠牲となった青年たち 霊魂売って‘観光特需’
‘特攻平和会館’取材 難しい事項 多い

16kagosima1←鹿児島県特攻平和会館内に展示されている自殺特攻隊員を賛える‘特功勇士’銅像.

先月20日、九州南部 鹿児島県の知覧特攻平和会館(以下 会館)を訪ねた。特攻は特別攻撃隊の略語だ。日本軍部が駆使した特攻には色々な形があり、知覧の特攻は小型戦闘機に250塲弾を積んで飛んで行き、敵軍艦艇にそのまま突進する自殺攻撃をいう。知覧は現在、特攻の代名詞のようになっている。戦死者たちが残した遺書,日記,手紙など各種資料と部隊員たちの日常生活の写真,当時の戦闘機実物と復元模型などを展示する会館があるためだ。
事前に取材申請をする時から、他とは違う雰囲気があった。電子メールとファックスで取材計画を知らせたところ、取材申込書用紙を送ってくれた。取材目的と方法,取材責任者の名前などを書く項目の他に、注意事項が別にある。戦死した隊員や遺族関係者を冒とくしてはならず、館内での写真撮影は禁止するなどの内容だった。

鹿児島中央駅から南九州市知覧町にある会館まではバスで1時間20分程度かかった。案内所に用件を言うと、松本淳郎という老人が出てきて応対をした。名刺に書かれた彼の職責は参事で82才の高齢だ。自身の中学校同期生2人が自殺特攻隊として出て行き戦死したという彼は、会館の展示内容に対してはほとんど生き字引のようで兵士の如く話した。入口から入ると右側の壁に1036人の写真と絵が簡略な人的事項と共に飾られていた。戦史日誌と部隊順により配置したものという。

16kagosima2←知覧特攻平和会館入り口に1999年に建てられた朝鮮人自殺攻撃隊慰霊碑。‘アリランの歌声とほく母の国に念ひ残して散りし花花’という碑文が刻まれている。


17才で犠牲 パク・ドンフンなど朝鮮人11人 資料展示

松本は数多くの写真の中の一つを指して説明を始めた。日本名 オオカワ マサアキ,韓国名パク・ドンフン,咸鏡南道,咸州郡の出身だ。1945年3月29日に戦死した彼は少飛15期だった。少飛とは陸軍少年飛行学校をいう。こちらに展示された11人の朝鮮人の中で最もはやく犠牲となった彼は、年齢が17才,階級は少尉だ。松本が17才の年齢でどのようにして少尉になることができたのか尋ねながら自ら話を繋いでいった。少年飛行学校課程を履修すれば副士官である伍長階級が与えられた。日帝は特攻隊に出て行き戦死した人に原則的に2階級特進をさせた。だが軍国主義英雄を作ろうとするには何としても将校の地位が必要だと考えたのか少尉にした。松本は「韓国出身の場合、遺族が会館を訪ねてくるけれども、北韓出身は遺族とほとんど接触できない」と話した。3人は死んでも韓国名がわからず日本名で残っている。

小泉などが碑を建設 毎年50万人が観覧

知覧が特攻の村になった由来は、真珠湾奇襲直後の41年12月末、太刀洗陸軍飛行学校の分所が設立されたことに始まる。‘アカトンボ’と呼ばれた練習機で訓練した生徒たちは戦況が不利になるや極端な自殺攻撃に投入された。会館は45年3月末から7月初めにかけ沖縄戦に参加した陸軍特攻隊員戦死者たちを賛える施設だ。周辺には悪夢を良い夢に変えるという観音菩薩がある特攻観音堂,護国神社,生存同期生たちが期数別に建てた追悼碑などがある。碑の建立者の中には総理在任中に靖国神社参拝を強行した小泉純一郎,極右的発言を憚らない石原慎太郎東京都知事の名前も見えた。

会館内には戦死者を出身地域別に集計した大きな表が懸っている。北側の北海道から始まり鹿児島に降りてきて沖縄・カラフト(サハリン)を経て一番最後に朝鮮がある。表をつくづくと見ていたある日本人が 「オー朝鮮人もいるよ」 と同行者に話しかけた。展示物のどこにも朝鮮人がなぜ戦死者名簿に載っているのかを説明する部分がない。日本の若者たちを悲劇的な死のどん底に追い詰めた指導部の誤りを指摘する内容も見つけられない。松本に、誤った戦争を美化しているという批判をどう思うかと尋ねたところ、「一人一人が見て感じる問題」と短く答えた。全般的にとんでもない死に至ったあどけない青年たちの霊魂を売って観光特需を楽しんでいるという印象を拭えなかった。毎年、修学旅行などで50万人が訪ねてくるという。帰り道に会館の英語表記を‘Peace Museum’(平和博物館)としていたことがずっと気にかかった。

知覧/文・写真 キム・ヒョスン論説委員 hyoskim@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/404821.html 訳J.S