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原文入力:2010-03-10午後09:47:00(1791字)
日帝強制動員で犠牲となった魂
半世紀を越えて‘名もない帰郷’

キル・ユンヒョン記者,キム・テヒョン記者

←在日本大韓民国民団(民団)と在日本朝鮮人総連合会(総連)の清水支部幹部たちにより構成された‘清水朝鮮人遺骨奉還推進委’委員たちが10日午前、忠南,天安市,聖居邑(ソンコウプ)‘望郷の丘’で、日本から迎えた朝鮮人強制労務者遺骨の合葬墓前に花を捧げている。天安/キム・テヒョン記者 xogud555@hani.co.kr

1980年代 大規模返還以後
企業労務者と推定される遺骨 初奉還

"異国の地で侘しく眠っていらした皆さんを故国にむかえることができ、うれしいです。どうぞ安らかに…."

‘在日本朝鮮人無縁故遺骨合葬之墓’と書かれた小さな大理石の標石前に立ったク・ヨンソ(82)氏の声が震えた。彼は日本,静岡市清水区(旧 清水市)‘朝鮮人遺骨安置堂’に保管されていた朝鮮人遺骨94位の奉還のために、2008年3月に結成された‘清水朝鮮人遺骨奉還推進委員会’(推進委)の顧問を引き受けている。

推進委は去る8日、これらの遺骨を日本から迎え10日午前、忠南,天安市の国立‘望郷の丘’で奉還式を行った。在日本大韓民国民団(民団)と在日本朝鮮人総連合会(総連)の清水支部幹部たちで構成された推進委一行12人は、白い菊花を碑石の上に捧げ短い黙祷を捧げた。墓地は夜中に降った3月春雪に白く覆われていた。

2005年‘日帝強制占領下強制動員被害真相究明委員会’(強制動員委)がスタートした後、政府次元で日本,東京の寺刹 祐天寺に祭られた軍人・軍属の遺骨を3回に分けて奉還したことがあるが、民間で企業労務者と推定される人々の遺骨を迎えたのは1970〜80年代の大規模遺骨奉還以後初めてだ。遺骨奉還費用もわが政府の支援なしで推進委が自ら負担した。

遺骨が祀られていた静岡県の港町 清水には一時3000人に及ぶ朝鮮人労務者が造船所・荷役場などで肉体労働に従事していたと伝えられる。戦争が終わった後、清水,北矢部地域の寺刹 東海寺の住職 井上は周辺寺刹34ヶ所に分散していた朝鮮人の遺骨を集め、地域社会の朝鮮人たちにこの事実を知らせた。1956年に寺が廃寺され、総連清水支部は市当局に陳情を入れ遺骨を迎える安置所を作った。施設が古くなると清水市は1991年5月、総連と民団の請願を受け入れ安置所を新築する誠意を見せた。

当時、清水市議会議長を務めた春田光三郎(72)は「異国で亡くなった方々のために安置所を作ることに反対の声はなかった」とし「この方々を故国に迎えようと数十年間努めてきた皆の希望がかなってうれしい」と話した。
奉還過程は容易ではなかった。縁故者を探すことが事実上不可能だったためだ。この日迎えた94位の内、名前のある遺骨は3分の1程度の29位、その上に縁故者追跡の端緒となる住所が残っている遺骨は10位しかなかった。身元を追加確認するためには労務者たちが働いていた企業の協力が欠かせなかったが、日本鋼管・日本軽金属などの関連企業らは情報提供を拒否した。結局、奉還推進委は強制動員委の援助を受け、イ・マルシク(1917年生まれ)・ナ・ギョンホ(1911年生まれ)2人の遺族を確認したが、他の92位は身元追跡をあきらめなければならなかった。イ氏などの遺族は日本,京都などに住んでいて、この日の奉還式には参加できなかった。

日本の朝鮮強制併合100年を迎える今年、わが政府は5月に東京祐天寺に保管されている軍人・軍属らの遺骨219位,下半期には現在2601位が確認された民間人労務者らの遺骨返還を推進する計画だ。チョン・ヘギョン強制動員委調査2課長は 「清水の事例は民団と総連、日本の地方自治体が力を集めて遺骨奉還を成功させた意味深い事例」として「政府も恨多い一生を過ごした先祖の遺骨をはやく迎えられるよう日本政府と多角的に協議を進行している」と話した。

天安/キル・ユンヒョン記者 charisma@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/409318.html 訳J.S