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原文入力:2010-07-18午後08:51:10(1758字)

←パク・ノジャ ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

今からちょうど一世紀前、朝鮮を併合しようとした日帝は、国内‘雰囲気制圧’次元で幸徳秋水(1871〜1911)を始めとする無政府主義者と社会主義者たちを大量逮捕し、彼らに"天皇暗殺計画" という物々しい罪名を上書きした。安重根義士を強く尊敬すると公言した幸徳は、日帝の対外膨張政策に反対する側面でも邪魔な人物だったが、何よりも彼と彼の同志たちが労働者たちを導き大衆的抵抗運動を組織できるということが当局としては恐ろしかった。検事たちが幸徳に "暴力主義" と "暗殺主義" を努めて上書きしたが、彼は名文と評価される彼の<陳述書>で、彼が主張した "革命" と "暴力" とが厳格に異なるという事実を明確にした。革命の目的が社会関係の根本、例えば過剰投資と利潤率低下、恐慌を胚胎するほかはない大規模生産施設に対する私有制度を本質的に変えることであり、暴力行使ではないのであり、暴力がない革命こそが理想的だということが その論理の核心だった。もちろん幸徳が革命運動より既存体制の方がはるかに暴力的だということをいくら証明しても効果はなかった。 死刑判決はすでに予定されていたからだ。

日帝のこのような進歩人士弾圧を、私たちは通常 "蛮行" と呼ばないだろうか? しかし日帝が崩壊し65年、日帝の蛮行を批判する場で常に先頭に立ってきた大韓民国では "大逆事件" と呼ばれる幸徳とその同志たちに対する裁判と類型的に似た事態が継続して起きている。"社会主義労働者連合" (社労連)という左派団体を作ったオ・セチョル名誉教授(延世大)等、活動家 数人が "体制変乱企図" 疑惑で検察により起訴され裁判を受けているのは、"思想裁判" という日帝時代の悪習を終わらせてしまおうとはしない大韓民国の現実だ。

去る6月23日に開かれた公判では、被疑者たちと訴えられる側の証人として出た進歩学者たちが幸徳と別に違わない形で "革命" と "暴力" が全く同意語ではないという点を、資本主義の代案を模索することが大部分の "先進国" で合法的政治活動の範囲に入るという点を、そして社労連が考える民主的社会主義が北韓の首領制独裁とは関係がないという点などを説明しようと努力した。それでも検察側が引き続き「社会主義者ならば自由民主主義を暴力的に否定する活動ではないか」と反問したりした。幸徳裁判のように、暴力ではない変革を模索する人々を "暴力者" として責め立てる形態だ。まだ国内で出版さえされていない幸徳の<陳述書>を読めず、東アジア近代史をきちんと勉強できないためなのか?

この頃、国内保守人物らが最も好む単語は "先進化" だ。しかし、米国を除くどんな "先進国" を見ても、急進的社会主義者が合法的に活動して社会の一部で自らの影響力を行使するのが一般的だ。フランスでは2007年総選挙で社労連と同様な主張をする革命的共産主義者同盟と労働者闘争グループ、急進的左派党などを全て合わせて5%を越える得票率を記録したではないか? ノルウェーで大企業の社会化と米国との軍事同盟の破棄を主張する社会主義左派党が固定的に5〜7%の支持率を記録しながら今は左派連立内閣に入閣しているではないか?

 "先進性" とは結局、他人に実際的危害を加えない範囲内で完全な自由を享受することを意味するだけだ。経営者の "無労組方針" と関係なく、労組を結成する自由である事もあり、警察に弾圧を受けずに集会をする自由である事もあり、学生たちの身体と心を苦境に追い込む無意味な試験を拒否する自由である事もあり、軍に行って殺人教育を受けることを拒否する自由である事もあり、急進的思想を探求しながら活動する自由でもある。これらすべての自由が不在な国は "先進国" ではない。保守的官僚と財閥たちが運営する大きな搾取工場に過ぎない。

パク・ノジャ ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

原文: http://www.hani.co.kr/arti/SERIES/68/430894.html 訳J.S