原文入力:2009-05-14午前12:06:30
[マガジンesc] escウォーキング マップ6.ソウル城郭-北西側区間
恵化門から粛靖門,北岳山頂上を経て彰義門まで5.5km
彰義門から仁王山頂上,社稷トンネルを経て崇礼門まで6km

イ・ビョンハク記者

14seoul31←北岳山頂上周辺の粛宗の時に積んだ城郭.

三日目. 3区間(恵化門〜臥竜公園〜マルバウィ休憩所〜粛靖門〜北岳山頂上〜彰義門)
恵化門,六余門中の東小門に該当する。日帝時に撤去されたものを1992年道路そばの丘の上に移し復元した。城外の道に沿って北に歩く。住宅街の築台になった城郭は斗山マンション壁を最後に途切れる。城石を築台として使う警新中高校を過ぎてソウル科学高校右側の森の道に入る。本格的な城郭の姿が現れる。城の内側へ階段と森の道をかわるがわる歩きしばらく上がれば臥竜公園休憩所△砲弔。よく北岳山探訪路の出発点とする所だ。トラック売店の‘臥竜カフェ’があるところに運動施設と木製椅子が設置されていてコーヒー一缶飲んで少し休むと良い。

14seoul32←臥竜公園側に上がる城郭の道の内側にはあちこちに憩い場が用意されている

小さなミネラルウォーター2本必ず持って行こう

北岳山城郭の美しい姿はここから暗門を通じて外に出て行き、山道を登ることから始まる。草の香りが一層深まり風はますますさわやかだ。蔦の生い茂る外側城壁横の曲がりくねった土の道はうっそうとした森の中に入り込む。城壁は太祖・世宗・粛宗の時に積んだ城石交互に現れる。木の階段にぶつかり、城内側道を歩けばマルバウィ休憩所に達する。身分証を見せて人的事項を書いた後、通行票をもらい首にかけて粛靖門い妨かって登る。粛靖門は北門だ。‘厳粛に治める’という意味の門だ。本来、北門は出入りのための門ではなく風水地理上格式を備えるために建てられたものなので普段は閉じておいた門だ。日照りの時は門をあけて冷気を受け入れたという。

城郭に沿って松の森の道を上がればトイレを経て曲墻イ諒未賁椶砲弔。右側の道を上がって曲墻から北岳山頂上側を眺めることを薦めたい。かなり高い地点の丸い城の曲墻内から見下ろせば、北岳山頂上と仁王山の頂上に突き進み上がる城郭風景が絵のように繰り広げられる。写真撮影を遮る軍人が話した。「晴れ渡った日には光化門の人波,南山の松の枝まで一つ一つ見えます。」

曲城から降りて北岳山(白岳山)頂上である白岳マルΔ妨かって歩く。暗門を出入りした後、階段を上がれば青雲大,1・21事態の時に銃弾を受けた松を過ぎ北岳山頂上に上がる。近くには景福宮とビルの森、遠くには冠岳山までがひと目で入ってくる。刻字石はあちこちで見ることができる。青雲大そばの女墻の前の刻字石の内容を説明する案内板が立っている。頂上から彰義門まで降りて行く道は非常に険しい階段の道だ。降りて行くときも休んでから行くのが良い。上がってくる人々のためにあちこちに休憩所が用意されている。

彰義門案内所に着く。通行票を戻して降りてくれば美しい姿の彰義門(北小門・紫蝦門)Г待っている。楼に上がり座ってしばらく休む。仁祖反正の時、反正軍はこの門を開けて入ってき昌徳宮を掌握したという。出入り口のドーム上部には鳳凰紋が浮き彫りされていて、門の前後4ケ所に雨水が流れて落ちるようにした漏槽が突き出している。出入口の底石はわらじや木靴、ゴム靴、運動靴、軍靴などが出入りしてつるつるにすりへっている。彰義門内側の入口の道ばたに ‘清渓川発源地’ 標示石と1・21事態で殉職した警察追悼碑と銅像が立っている。5.5kmを歩く間に500mlのミネラルウォーター2本を飲んだ。3時間.

14seoul33←そばでみた粛靖門. ‘厳粛に治める’という意味を持った門だ。

ずば抜けた展望というのはまさにこれ!


4日目. 4区間(彰義門〜仁王山頂上〜仁王薬水汲み場〜社稷トンネル〜ウォルアム公園〜敦義門跡〜崇礼門)

彰義門を出て陸橋を過ぎ左側の道を渡り、また左に歩けば仁王山城郭の道を上がることになる。城郭はまもなく車道で途切れる。亭子を経て車道の下側にしばらく歩き道路にのぼればまもなく岩と警戒所が現れる。ここで道を渡り小さい鉄門を通じて山に上がる。登るほどに展望は良いが女墻に沿って歩く城郭内の側道なのでかなり高い城壁道を歩く醍醐味はない。石段をしばらく上がればはじめて城の外に出ることになる。太祖・世宗・粛宗の時に積んだと見られる多彩な城石を見ることができる。

一緒に歩いたソウル市文化財管理チーム キム・ヨンス主任が城壁の上の黒光りした女墻の部分を指した。「銃眼の形や覆い石などが初めて積んだ時の姿そのままです。」むした苔で黒光する城石には銃弾の跡も多数眼に触れる。しばらく後でまた城内に入り険しい階段道を上がればパッと広がる展望と共に仁王山頂上が目の前に見える。北側の稜線には丙子胡乱の後、北漢山城と繋げて新しく積んだ蕩春大城╂廚続く。頂上に上がる間、ふもとに見事な藤の花の香りをのせた風が汗を止めてくれる。仁王山頂上に立てば ‘ずば抜けた展望というのはまさにこれ’ という考えが自然に出る。編み笠岩(サッカッバウィ)周辺で東西南北左右前後にソウル都心のほとんどすべてが目に映る。北漢山・安山・南山・洛山・冠岳山と漢江の流れ,そしてその間に聳えるビルと故宮がパノラマのように繰り広げられる。

頂上から社稷トンネル側に降りて行く山の稜線の城郭の道は手がついていない様子だ。黒光する城石は蔦に覆われたまま昔の姿を大切に保存している。降りて行く道は急傾斜の岩階段の道だ。曲墻・ソンバウィ・国師堂側の城郭の女墻復元工事が今年末まで進行中なので僧侶が長衫を着た姿のソンバウィとその下の国師堂を見ることはできない点が惜しい。国師堂は南山にあったものを日帝時に移したものだ。左側の道をしばらく下って仁王薬水汲み場で喉を潤す。350m程、森の道を降りて行った後、北岳山の道につながる循環路にぶつかり道の向かい側の散策路に沿って右側に歩く。警戒所横に車道で途切れた城郭が見える。毋岳現代アパートの上側だ。ここから社稷トンネル付近まで非常に美しい城郭の道が続く。刻字石も多数見え暗門にも出会う。大きな岩に城石を積み上げた姿も見える。

城郭が切れる地点のオクギョンイ食品(スーパー)の前で、城郭右側前方の住宅街広場に降り立てば右側に小さい道がある。この道で樹齢400余年になるイチョウを見る。この地域が杏村洞だ。木の前には壬辰倭乱の時、幸州大捷を導いたクォン・ユル将軍の家跡であることを知らせる標石がある。標石前面には1923年アルバート・テイラーという米国人が作った洋式住宅が完全な姿で残っている。また出てきて城郭内側を歩く。城郭は‘常緑樹子供の家’で途切れる。右側の道を下りまた左側路地に曲がればビラが続くがビラの駐車場内の側壁が粛宗時の城郭だ。

14seoul34←粛靖門と曲墻の間の燭台岩の前でズームで撮った景福宮と光化門一帯の姿。燭台岩は最も正しい姿の景福宮を見下ろすことができる地点だ。

貞洞キルのあちこちに城郭跡が

洪蘭坡家屋を見てウォルアム近隣公園下側に歩く。旧気象庁の下の公園の端に是非とも観ておきたい旧城郭の姿が繰り広げられる。古びた住宅街だったこの地域が整備され、隠れていた昔の城郭がそっくり姿を表わした。刻字石もたくさん見える。江北三星病院内の京橋荘(16)に行く。白凡金九先生が光復の後、臨時政府執務室兼宿舎として使った所であり、アン・ドゥヒの銃弾に逝去した場所だ。2階に執務室を復元し白凡記念室を作った。無料. 日曜・公休日休館.

敦義門(西大門)跡(17)を見る。太祖の時、初めて社稷壇の側に建てた門をこちらに移し新しく建てた門だ。‘新門路(シンムンロ)’という名前はここから始まった。日帝時代に撤去された。貞洞ギルで曲がり校内のあちこちに城郭跡が残っている昌女子中・梨花女子高を過ぎる。培材学堂歴史博物館を見て下って行き、道の向かい側の中央日報社横道に入れば明知ビルディングと商工会議所の建物塀でまた城郭が続く。大通りに出てくれば城壁は途切れ崇礼門(18)も見られない。工事覆い幕に閉じ込められた国宝1号側に道路を横切り現れた城郭の絵が痛ましく近づく。彰義門からここまで6km. 4時間余りかかった。

14seoul35←地図グラフィック デザイン モッジッ(資料:緑色連合)

ウォーキング メッセージ

恵化門 4号線漢城大入口駅5番出口利用. 彰義門外 付岩洞のチャハ手作りギョーザ店(02-379-2648)は色々のギョーザを手作りする店だ。 調理餅餃子スープ・餃子スープ各1万ウォン. 崇礼門付近の旧三星本館の後側の晉州会館(02-753-5388)はコングクスで有名な店. 非常に濃い豆スープとシコシコした麺を味わい城郭の道散歩をすがすがしく終えるに値する。 8千ウォン.

文イ・ビョンハク記者leebh99@hani.co.kr・写真パク・ミヒャン記者mh@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/354852.html 訳J.S