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原文入力:2009-11-05午後08:11:35
“臨時政府の立場から朴正熙は敵軍将校”
民族問題研究所‘朴正熙の親日行跡’新聞公開

クォン・オソン記者

←朴正熙前大統領が満州軍官学校と日本陸軍士官学校を卒業した後、2ヶ月間の士官見習を終え少尉に任官する直前の1944年6月末、日本軍曹長(上士に該当)服を着た姿. <ハンギョレ>資料写真

朴正熙前大統領が1939年忠誠を誓う血書まで書き満州国軍官に志願した事実が当時の新聞報道で確認され、満州国軍であった彼の日帝末期の行跡が新たに関心を集めている。民族問題研究所は8日に出す<親日人名辞典>でA4 4枚をあてて朴前大統領の行跡を記録している。

研究所側はただし客観的事実をそのまま記録する辞典の属性を勘案し、朴前大統領の行跡に対する‘評価’は盛り込まなかった。

朴前大統領は‘血書志願’にも屈せず再び挑戦し、翌年陸軍軍官学校第2期生選抜入学試験で全体240人の中で15番の成績で合格した。この過程には大邱師範学校で縁を結んだ関東軍大佐 有川圭一らの助けがあった。

チョ・セヨル民族問題研究所事務総長は「パク前大統領が軍官に志願したという話はあったが、その過程はきちんと知らさられていなかった」とし「彼が血書まで書いたということは衝撃的な内容」と話した。

パク前大統領は1942年3月、満州国の‘最後の皇帝’溥儀が下賜する金張時計を受けとる優等生5人に入るほど優秀な成績で軍官学校を卒業した。同年10月日本陸軍士官学校本科3学年に編入し、1944年4月日本陸士を第57期で卒業した後、関東軍第23師団に配属された。同年7月には満州国軍第6軍官区歩兵第8団に移り小隊長として八路軍攻撃作戦に加担した。8団は初めは主に東北抗日英軍とソ連軍とに相対して戦った部隊だ。

チョ事務総長は「この間、朴前大統領の遺族たちは日本軍ではなく満州軍だと主張したが、日本で学校を終え予備役少尉として編入されると同時に満州軍に任官した事実が確認された」として「予備役少尉は日本軍が思いのままに動員できる事実上の日本軍の身分」と指摘した。

05pak1←‘親日人名辞典’に現れた朴正熙前大統領の‘親日行跡’

朴前大統領は1945年7月に満州国軍の中尉に進級した。1945年8月彼が属した第8団は多倫に進出しソ連軍の進撃を阻止せよとの命令を受け8月17日興隆に集結したが、そこで日本が崩壊したという消息を聞くことになる。

中国八路軍により武装解除された朴前大統領は第8団に随いて北京に行った後、そこで旧日本軍や満州軍出身朝鮮人らを中心に編成された光復軍第3支隊平津大隊の第2中隊長を引き受けた。引き続き1946年4月平津大隊が解散した後、天津港から米国輸送船に乗り釜山港を通って帰国した。 クォン・オソン記者sage5th@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/386107.html 訳J.S