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原文入力:2009-11-05午後09:31:32
‘13世紀タイムカプセル’泰安馬島 漕運船

ノ・ヒョンソク記者

←忠南泰安の馬島海底に沈没した800余年前の高麗時代漕運船から出た竹簡など。船積みした貨物の荷札に使われたもので竹簡には‘(開城の)大将軍キム・スンヨンのお宅に稲1石を奉る’という意の漢字文などが書かれている。写真国立海洋文化財研究所提供

 "高麗人たちの食べ物,税金制度のような生活像を最も赤裸々に見せるタイムカプセルです。"

ソン・ナクチュン国立海洋文化財研究所長は興奮を隠せなかった。去る4日彼と研究所調査チームが国立故宮博物館で公開した忠南泰安馬島近海海底の13世紀漕運船関連遺物らは珍しいものでいっぱいだった。出港時期,受取人,発送人の名前がぎっしりと書かれた木簡貨物票とともに多様な海産物の塩辛やメジュ(味噌玉麹)等の加工食品らが生き生きした実物で出て来て、当代の生活史研究を大幅に拡張させる機会となった。

加工食品 初の実物確認
海上輸送システムひと目で

■最も古い加工食品
穀物と共に‘末醤(メジュ)’と呼ばれた味噌玉麹の固まりや壷に入ったサバ,イワシ,カニ等の塩辛類が大量に確認された。加工食品の味噌玉麹と塩辛類遺物が大量確認されたのは初めてだ。特にイワシの塩辛は今日食べるものとほとんど同じ形態の塊りが半固体状態で確認され、塩辛用カニの甲羅やサバの骨等も発見された。豆で作られた味噌玉麹は干潟内に点点と刺さった状態で出てきた。

特に食生活史研究で高麗味噌の発見は画期的成果に挙げられる。<三国史記>新羅神文王條に味噌玉麹(豆支)と醤に関する記録が出てき、1554年に出てきた<救荒撮要>に未醤として製造法記録が出てくるが、高麗・朝鮮をあわせて数百年以上経つ味噌玉麹遺物が出てきたことは前例がない。塩辛も<三国史記>に統一新羅の時に塩辛をピウプと称する‘カニ’を幣帛(韓国結婚儀式)の食べ物に使ったし、慶州王京から出た木幹にもカニを壷に入れ保管したという文が発見されている。しかし各種海産物をどんな方法で区分して塩漬けし成分がどうだったのかはほとんど明らかにならず、今回発見された塩辛類の実物が端緒を提供するものと期待される。

研究所のムン・ファンソク学芸官は「今回の発見で高麗の時から南道(訳注:京畿道以南、即ち忠清・全羅・慶尚道を言う)の塩辛を地域特産品として好んで食べたことを知ることができた」と話した。

06taime2←上から塩辛壷などから出たイワシ塩辛の塊り、朝鮮時代漕運船推定模型、沈没船周辺干潟から発見された味噌玉麹(末醤)塊。写真国立海洋文化財研究所提供

■高麗租税制度の実状
船積みした穀物や特産品は大部分が開城の役人や実力者に送ろうとしていたものであることが明らかになった。竹簡,木簡物品票の受取人名に‘大将軍’キム・スンヨン,‘別将’クォン・グクピョン,‘校尉’ユン・バンジュン,‘奉御同正’のような肩書,名前が現れるが、開城の官庁名は見られない。

一部学者たちは船の貨物は当時、武臣政権を専横していた実力者らが自身の地方領地から個人的にかき集めた地代や供物に近いのではないかという見解を示している。崔氏武臣政権の実力者たちが南道側に相当な広さの食邑,私田などの領地を持っていたという<高麗史>などの記録もこれを裏付ける。今後の争点は船の貨物が国に捧げる租税に該当するのか、国税と私的な公納品が入り乱れていたのかという部分だ。チェ・ヨンシク木浦大史学科教授は「武臣政権時は国家が税収用農地を配分・管理した田柴科が崩れ、実力者らの私有地が増えた時期だった」として「当時の租税制度はもう少し精巧な分析が必要な部分」と話した。

ノ・ヒョンソク記者nuge@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/386176.html 訳J.S