韓国民は「戦勝国民」じゃないよ。
=====ネットの記事から======
光復記念日の15日に34万人余の特別恩赦へ
韓国法務省は12日、日本の植民地支配から解放された光復記念日の15日に34万人余の特別恩赦を実施すると発表した。恩赦には、不正資金調達事件で6月に執行猶予5年が確定したばかりの鄭夢九(チョンモング)現代自動車グループ会長ら財閥トップも含まれ、雇用創出や経済再生を促す狙いがある。
発表によると、財界関係者では、鄭会長のほか、SKグループの崔泰源(チェテウォン)会長、ハンファグループの金升淵(キムスンヨン)会長ら大企業の首脳クラス14人を含む74人を特別恩赦にする。
大企業幹部の恩赦には国民から不満も出ているが、李明博(イミョンバク)大統領は12日の閣議で「恩赦を機に攻撃的な経営に出て投資を増やし、経済再生に協力してほしい」と述べた。
また、恩赦の9割を超える32万8335人は李政権発足以前に懲戒処分を受けた公務員で、昇進で不利益を受けていた懲戒履歴が削除される。盧武鉉(ノムヒョン)前大統領も政権発足半年後の03年8月に公務員12万人余の懲戒処分の恩赦を実施しており、官僚を取り込む融和策の一環とみられる。
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読者のご意見
自分自身の罪を最後まで償わせることなく、社会復帰させる事で恩を売り李明博体制側に取り入れようとしているのでしょうか。
歴代の大統領も同様な事をやっているので特別なことではないようですが、6月に執行猶予が付いた犯罪者までも犯した罪が無になってしまいます。
この人物は反省する間もなく、何事もなかったように元の生活に戻ることになりますが、執行猶予が無くなった分だけ新たな犯罪を犯すことが出来る状況を提供してあげているのではないでしょうか。
それにしても34万人も犯罪者を世間にとき放つとは、これでは犯罪が減らないのではないでしょうか。
このシステム自体が日本で言う所の゛天下り゛的なものであるのではないかと思います。
朝鮮では大統領が変われば、大統領他側近なども逮捕される人が沢山出て来るので、光復記念日には特別恩赦で罪を無しにすることが出来ると言う事を゛談合゛的に事前に決めたのではないでしょうか。
犯罪者まで使って景気を回復させようとしても、国際的に信用を得ることが出来るのか疑問に思います。
朝鮮はやることなすことが破綻していて、朝鮮では一般の常識というものが存在していないように思います。
私の見解
光復記念日というのは、韓国に言わせれば日本と戦って勝利して、日本から解放され、独立を勝ち取った日であるということになっている。
しかし、そんなことはない。
間違っても韓国人は日本人に対して戦勝国民などとは言えないのです。
日本敗戦時のことに関しては『大東亜戦争の真実を伝える便利屋の戦史家』のブログにも書かれてあったので、紹介しておきます。
http://oncon.seesaa.net/article/17596024.html
【昭和20年8月幻の朝鮮独立工作】
日米開戦以降、日本国内の朝鮮独立運動は、東亜連盟運動に従事していた朝鮮人によって秘かに行われており、東亜連盟運動の指導者である石原莞爾や朝鮮軍司令官板垣征四郎大将は之を支援し、両者の間では、もし朝鮮人の独立運動が本物ならば、板垣大将が彼等と死生を共にする黙契があったという。しかし板垣大将は昭和20年4月第7方面軍司令官(南方)に転出し、また朝鮮人の準備が不足していた為、独立運動は目立った成果を挙げてはいなかった。
だが昭和20年8月、状況は一変する。
8月8日、ソ連が日ソ中立条約を蹂躙し対日宣戦を布告、ソ連軍が満洲国に侵攻するに及んで、朝鮮総督府は、我が国の完全敗北を悟り、連合軍に占領される前に朝鮮半島を独立させるべく、国内にいた朝鮮独立運動家たちと交渉を行った。だが、この期に及んで、独立運動の指導者呂運亨と宋鎮禹が内紛を起こしてしまったのである。
朝鮮総督府の支援を受けた独立達成に対して、間もなく進駐してくる連合軍と交渉し民衆の希望を伝えるために急速な独立政府樹立が必要不可欠と考える呂運亨は賛成したが、日本の傀儡政権と思われることを恐れる宋鎮禹は猛反対し、宋は重慶の蒋介石政権に亡命中の金九主席の「大韓民国政府」を迎えて独立国政府とすべきである、と主張した。
両者の論争は果てしなく続き、呂運亨は宋鎮禹の参加を得ないまま、朝鮮総督府の支援の下に建国準備委員会を設立した。
そして8月15日、待ちに待った「解放」の日が来たと、朝鮮全土に民族歌、「白頭山尾根に沿って半島三千里 無窮花咲くこの山河に歴史五千年」の大合唱が広がっていった。だが解放に随喜した民衆は、決起して総督府の統治機構を接収しようとも、「日帝」の犯罪を追及する裁判所を設置しようともせず、憲兵、警察、検察などの治安機構、地方行政機構、学校、交通、放送、新聞など言論機関は朝鮮総督府に掌握されていた。
韓国政府が光復記念日とする昭和20年8月15日、朝鮮は依然として我が国の統治下にあったのである。そして17日、朝鮮総督府は、呂運亨らの建国準備委員会に対して、治安権を含む幾多の統治権、学校、交通、放送、新聞など言論機関を譲渡し、国旗として太極旗の掲揚を認めた。
ここに至りようやく朝鮮は独立を回復し、朝鮮の老人は、「思わざりき、生きて再び太極旗の掲揚を見ようとは」と歓涙にむせいだ。
だが朝鮮独立を既成事実化するには時は既に遅く、朝鮮人の統治能力を全く信用していなかった連合軍は、18日、朝鮮総督府を通して独立を取消し、朝鮮半島を再び我が国の統治下に戻してしまった。
哀れ朝鮮の独立は一朝の夢に終わってしまったのである。
そして9月9日、アメリカ代表沖縄第24軍団長ホッジ中将、第57機動部隊司令長官キンケード大将、日本側代表、朝鮮総督阿部信行大将、朝鮮軍管区司令官上月良夫中将の4人は降伏文書に調印、11日、アメリカ軍は軍政を施き、かくして朝鮮半島は38度線を境界として米ソによって分断されたのであった。
親日独立派の金玉均は、「日本が東洋のイギリスになるなら朝鮮は東洋のフランスになろう」と朝鮮を近代的な独立国家に発展させ日本と提携すべく、1884年、甲申政変を起こしたものの、親清事大派と袁世凱率いる清軍に敗れ、日本に亡命した。しかし1894年3月、朝鮮政府の刺客によって上海に連れ出され、暗殺された。
清国政府は朝鮮国王に祝電を送り、金の死体は清国軍艦で朝鮮に送還され、朝鮮政府によって首、胴体、両手両足に分断され、首と両手両足は晒され、胴体は漢江に捨てられ、金の父親は処刑され、弟は獄死し、母は自殺した。
金玉均は、反日教を狂信する現代韓国人を冥土から眺めながら痛嘆しているだろう。
「朝鮮半島の悲劇は、朝鮮民族自身の内紛性格と華夷秩序(反日侮日)思想によって引き起こされたのだ」と…
参考文献
秘録板垣征四郎(板垣征四郎刊行会編/芙蓉書房、346p)
将軍石原莞爾(白土菊江著/中央公論社、325〜330p)
韓国の悲劇(小室直樹著/光文社)
大東亜戦争への道(中村粲著/展転社)
大日本帝国は朝鮮の独立運動家に統治権を譲り朝鮮の独立を認めた。しかし、それを認めなかったのは連合国である。
このことを朝鮮民族はしっかりと思い出して、この歴史の事実を受け止めるべきだろう。
そうすれば、このように光復記念日などと言って喜んでいられるはずはないのです。
何もわかっちゃいない。それが韓国人だということなのです。
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