2007年01月17日
ワークショップシリーズ 『放送作家と作ろう!“自分テレビ” 』批評 (行く前編)
自戒の意味も込めて、こんな視点でこれの第一回見てきますよ、ってことで書いていきます。P元さんとポッドキャストでも公開する予定です。
そのためにちょっと、引用します。まずはこれです。
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社会学がこれまで想定してきた自己は、社会関係の中で自分に期待される役割を取得し、それを統合する自我を育て上げる「社会化(socialization)」の働きを非常に重視してきた。しかしながら、ノンリニアなモードの個人化が進行する社会においては、他者との関係の中で必要とされる役割(me)を取得し、それを的確に演じ分けるアイデンティティを取得する、といったような「社会化」のプロセスは弱体化せざるを得ない。むしろ必要となるのは、場面場面に応じて臨機応変に「自分」を使い分け、その「自分」の間の矛盾をやりすごすことのできるような人間になること--いわば「脱社会化(De-socializtion)」なのだ。
「脱社会化」された個人が、現実の社会を生きる上で必要とするのは、現在直面している社会関係の中で期待されている役割を正しく演じるための感性であり、その感性の問合せ先としてのデータベースである。つまり、個人化によって可能になる「わたしは、わたし」と無反省に断定する振る舞いは、そのつどそのつど、データベースに対して自分が振舞うべき「キャラ」、期待されている「立ち位置」を確認するという作業によって可能になっているのである。(『カーニヴァル化する社会』鈴木謙介)
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「自分探し」とか「オンリーワン・ナンバーワン」とか触れ回るメディアはちょっと前に流行しましたが、その言説が自己矛盾に陥って、「ないものねだり」になることは見てきたと思います。この人の経歴から推測すると、多分メディアでよく見るような、紋切り型な「自分」を語るように仕向けるか、そうでなければ、たぶんこんなふうなことを言ってaだのyだのと単純化してみるんだとたかをくくっております。( ̄ー ̄)
良い意味でも悪い意味でも、どれだけ驚かせてくれるかたのしみです。
(t)
そのためにちょっと、引用します。まずはこれです。
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社会学がこれまで想定してきた自己は、社会関係の中で自分に期待される役割を取得し、それを統合する自我を育て上げる「社会化(socialization)」の働きを非常に重視してきた。しかしながら、ノンリニアなモードの個人化が進行する社会においては、他者との関係の中で必要とされる役割(me)を取得し、それを的確に演じ分けるアイデンティティを取得する、といったような「社会化」のプロセスは弱体化せざるを得ない。むしろ必要となるのは、場面場面に応じて臨機応変に「自分」を使い分け、その「自分」の間の矛盾をやりすごすことのできるような人間になること--いわば「脱社会化(De-socializtion)」なのだ。
「脱社会化」された個人が、現実の社会を生きる上で必要とするのは、現在直面している社会関係の中で期待されている役割を正しく演じるための感性であり、その感性の問合せ先としてのデータベースである。つまり、個人化によって可能になる「わたしは、わたし」と無反省に断定する振る舞いは、そのつどそのつど、データベースに対して自分が振舞うべき「キャラ」、期待されている「立ち位置」を確認するという作業によって可能になっているのである。(『カーニヴァル化する社会』鈴木謙介)
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「自分探し」とか「オンリーワン・ナンバーワン」とか触れ回るメディアはちょっと前に流行しましたが、その言説が自己矛盾に陥って、「ないものねだり」になることは見てきたと思います。この人の経歴から推測すると、多分メディアでよく見るような、紋切り型な「自分」を語るように仕向けるか、そうでなければ、たぶんこんなふうなことを言ってaだのyだのと単純化してみるんだとたかをくくっております。( ̄ー ̄)
良い意味でも悪い意味でも、どれだけ驚かせてくれるかたのしみです。
(t)

