2011年06月19日

金土日が5日ある月

以下のようなツイッターが流行っているらしいのだが。

7月には5つの金曜日と5つの土曜日、そして5つの日曜日がひと月にぜんぶ入っています!こういうことはなんと823年ごとに一度!中国の風水によればこの事実を他人に伝えればお金が自分に来ると言います!


???

普通に考えて、
1)31日からなる1ヶ月は3つの曜日が5回、4つの曜日が4回入り、どの曜日が5回出現するかは1日がどの曜日であるかに依存する。
2)ここで、1日がどの曜日であるかはそれぞれ1/7の確率であると仮定するならば、
3)概ね7年に1回金土日が3日ある7月は出現するはず。
4)また、1年には31日ある月が1、3、5、7、8、10、12の7ヶ月あるわけだから、大雑把に言って一年に1回はそういう月がありそうなものである。

この考え方のネックは2で、短いスパンで考えると、1日がどの曜日なのかは必ずしも1/7にはならない可能性があるということなんだけれども、それにしても823年というのはどこから来た数字なんだろう。と思って、金土日が5日ある月を調べてみた。

2002/3
2003/8
2004/11
2005/7
2006/12
2008/8
2009/5
2010/1
2010/10
2011/7
2013/3
2014/8
2015/5
など

「こういうこと」が「金土日が5日ある月」と「金土日が5日ある7月」のいずれを差すのか不明であるものの、いずれの意味だとしても「823年ごとに一度」というのは誤りであろう。考えてみると曜日のことについて風水が何か主張すること自体が、不思議なことであるように思える。

ところで、こうしたことを検証する行為自体は、お金とどのような関係にあるのだろうか?風水に詳しい人は教えて欲しい。見料は823年で何回「こういうこと」があるかについての情報でいかがか?  
Posted by hao9i at 09:56Comments(0)TrackBack(0)今日の一言

2011年06月14日

全面可視化

大変久々の更新になってしまった。

で、取調べ全面可視化の話。

初の全面可視化「検事が萎縮、追及できてない」

一方、DVDを見た検察幹部らは「取り調べた検事が、誘導や脅迫と受け止められることを恐れて萎縮したためか、十分な追及ができていない」と話す。徳島容疑者は容疑を認めていたが、「否認事件では自白を引き出すのは難しい」との見方が強い。


「検事やりにくそう」 初の全面可視化で被告 雑談なく、質疑に終始

中村弁護士によると、取り調べは、事件の内容に関する質疑と、調書の作成や確認に終始。検事からは「雑談もできないね」と話し掛けられたこともあった。


「雑談もできない」というのはいくらなんでも意識しすぎだろうと思う。誰もそんなつもりで全面可視化をしたのではないと思うのだが。

確かに一部分だけ取り出して誘導だ、脅迫だと主張される恐れはあって、検察幹部の懸念も分からないではないのだけど、こういうコメントを見ると、単純に見られている事を意識して取調べをすることに慣れていないだけなんじゃないかという気もするわけで。全面可視化をするかどうかはともかく、可視化を強化する方向に世の中が向かっていることは間違いなく、ぜひとも検事さんたちにはそういう状況になれていただきたいと思う。  
Posted by hao9i at 20:53Comments(0)TrackBack(0)今日の一言

2011年04月01日

デマ

「ひとつになろう」より「てんでんこ」がいい

デマに関する以下の記述が気に入った。

「デマにまどわされるなって言うけどさ、出来の良いデマっていうのは、『デマにまどわされるな』という前振り付きで広まるものなんだぜ」
 というこの男の話がデマであるのかどうかを見極めるのは、実際のところ、そんなに簡単な作業ではない。今日が4月1日であることを考えればなおのこと。


正確には、デマに関する格言に対して言及するコメントについて記述した論評というべきかも知れない。読んでいると頭がこんがらがってくるかもしれないが、むしろ言及の階層の連鎖の数のわりにかなり理解しやすい部類に入るのではないかという気がするのであった。

ちなみに、この文章に対して賞賛を加えることにより、さらに言及の階層を深める誘惑に勝てなかった、というのがこの文章がかかれた理由なのである。(前の文に書かれた2つの「この文章」が、違うものを指し示すことに注意せよ。)

以上の記述を、好奇人はぜひとも4月1日のうちにしたかった。  
Posted by hao9i at 21:01Comments(0)TrackBack(0)ことば

2011年03月21日

ゴールド ― 金と人間の文明史

ゴールド ― 金と人間の文明史

面白かった。文明史とあったので、民俗学的な研究かと思ったのだけれど、かなり経済学的な色彩の強い書籍。この本を読んで、金本位制はなぜ廃止されたのかを理解できたように思う。

非常に単純な話で、〃从兩策として貨幣の流通量を制御する必要があり、金属と貨幣の変動比率が一定に固定されている場合、その経済政策の自由度が損なわれる、ということ。多分経済学を学んだ人間には常識的なことなんだと思うのだけれど、ちゃんとした説明を聞いた事がなかった。

この本のクライマックスは金本位制の崩壊なのだけれども(好奇人はそう思う)、そこにいたるまでの道のりをギリシャの古から積み重ねていく、という記述の手法は、大変好奇人好みである。いい本。  
Posted by hao9i at 08:38Comments(0)TrackBack(0)

2011年03月14日

君が光を放つことで、友を弔うんだ

佐野元春のファンサイトに詩が掲載されている。

そうさ、君は同胞の不在を気にかけているんだろうが、

たとえば、
偶然にも生き残った君の生を讃えてみてはどうだ?
たとえば、
生き残ったことへの幸運を噛みしめてみてはどうだ?

こういう形で死を弔うというのは素敵なことだと思う。
  
Posted by hao9i at 21:09Comments(0)TrackBack(0)ことば

2011年03月13日

大震災と私という題目で作文せよ。

最近ブログを書こうかという気分になることがしばしばあって、この調子ならひょっとしたらしばらくは更新が続くかもしれないと思ったので、更新してみる。


さて本日ネットを散策したところ、大震災に対して何ができるのか、という記事をいくつか目にする。


傍観者ではなく“当事者としてできること”--東北地方太平洋沖地震
被災軽微な人が今すぐできる4つの支援
読者の皆様へ

こういう記事を読むと何かしないといけない気がするのだが、いくつかの記事を確認したところ、献血を除けば、明らかに役に立ちそうなのは寄付である。


ここでいくら寄付すべきか、という難題が我々寄付をする習性のない人々の前には立ちふさがってくるのであり。寄付をする人と寄付しない人の間の差というのは、いくら寄付すべきかという問いに答えるための基準を持ち合わせているかいないかによるのではあるまいか?と思ったりする。いくら寄付すべきかということに基準を持ち合わせていないと、なんとなく寄付しようと思ったときに金額が決まらず、そうこうしているうちに寄付するという行為自体が立ち消えてしまったりする。


そして、この基準を決める作業というのは、我々自身の人間性を問いかけてくるようなところがあり、結構重たい作業である。結果、重荷に負けて基準を決める作業自体をやめてしまうということが、往々にして起こるのではないか?これは好奇人がダメ人間であることを告白しているだけなのかもしれないが、少なくとも好奇人が寄付に関する基準を持ち合わせていないのは、そういう事情である。


しかし今回蛮勇を奮っても、基準を決めて寄付を行うべきだという気分になったので、基準を決めてみた。


一定期間※1 娯楽に使用した金額※2 に 一定の割合を掛け合わせたもの※3 を寄付するものとする。


※1 未定
※2 どれが娯楽に当たるかどうかはそのときの気分で判断する
※3 割合は今決めたけれど、好奇人の人間性がどの程度なのか内緒にしておくために秘密にしておくことにする


別に基準を公表する意味はないんだけれど、自分への誓いと、ひょっとして他の誰かの何かのきっかけになることがあるかもしれないので、書いておくことにする。  
Posted by hao9i at 20:26Comments(3)TrackBack(0)今日の一言

2009年04月27日

図書館とリュックサック

ここのところしばらく図書館から遠ざかっていたのだが、久々に本を読みたい気分がむくむくとわきあがってきたので、図書館通いをすることにした。

そこで、先日買ったリュックサックがやや小さすぎることに気付く。元々好奇人は図書館に行ったら限界の冊数まで借りる性質で(今行っている図書館は8冊)、おまけにしばしばハードカバーを借りてくるものだから、小さめのリュックサックだと容量が不足するのである。もう少し大きなものを買えばよかったよなぁ・・・。何とかギリギリ入ったのだが、手加減なしに分厚い本を借りたりすると本気で入らなさそうである。文庫本などを組み合わせて、詰め込み方を工夫する必要がありそうだ。

ちなみに先代のリュックサックは、好奇人があまりに本を詰め込みすぎるためか、肩紐を止めるプラスチックの止め具が壊れて引退した。そういう意味で新しいリュックサックにも苦労をかけることになりそうだ。  
Posted by hao9i at 21:19Comments(2)TrackBack(0)

2009年04月22日

時間の測定と位置の測定

グリニッジ・タイム―世界の時間の始点をめぐる物語という本によると、1日何回も調整しないでも時間を正確に測ることができる時計が作られたのは、経度を正確に測定する必要に駆られたからなのだそうな。緯度は北極星の高さを測定すれば求めることができるけれど、経度はそう簡単にはいかない。経度の基本的な計算方法は、基準となる地点と現在の地点との時刻の差を求めて、その差によって経度の差を求める(1時間違えば15度違う)、というものなのだけれども、正確な時計なしに基準となる地点の時刻を知るのは大層難しい。ということで、昔の人はがんばって正確な時計を作成した、という話なのである。

実際に経度を正確に測るに足りる精度の時計が開発されたのは、18世紀後半のことであるらしい。意外と最近である。メートル法の制定もその頃のことなので、これもまた時代の要請であったのかもしれない。

時間の長さと空間の長さが複雑に結びついている以上、片方の測定が片方の測定につながることも必然なのかもしれないが、航海者が持っているような懐中時計(好奇人の頭の中には、船長は懐中時計を持っているようなイメージがあるのだが、単なる思い込みだろうか?)が、そもそもの起源からして位置の測定にかかわっていたというのは、個人的には驚きの発見であった。  
Posted by hao9i at 07:37Comments(0)TrackBack(0)測定

2009年04月16日

ギターの調弦

昨日の話の続き。

完璧な長三度を三つ重ねてもオクターブにならない、とすると、ギターの調弦をする際に、どの隣り合う2弦も完璧な和音を奏でるのに、6弦を同時に奏でると不協和音が生じる場合がありうることになる。

ギターの一般的な調弦方法の場合、隣り合う2弦が奏でる5つの和音のうち、4つが長三度である。この長三度を調弦するのに、長三度の波長の比が5:4であることを利用して調弦をすると、全体としてはずれが生じることになる。好奇人の経験上、確かに上手く和音がハモらない。てっきり、好奇人の耳が悪いせいで調弦が上手く行かないのだと思っていたのだが、そもそもの調弦方法が間違っていたのだろうか?  
Posted by hao9i at 07:31Comments(0)TrackBack(0)

2009年04月15日

ピアノで弾く長三度は完璧なハーモニーを奏でない

錬金術とストラディヴァリ―歴史のなかの科学と音楽装置 (単行本) という本を最近読んでいる。先日のドレミの起源の話はこの本がネタ本であるのだが、また別の興味深い話を目にする。

長三度、というのはドの音とミの音が奏でる和音のことだが、この本によると、これが完璧なハーモニーを奏でるのは二つの音の波長の比が5:4になるときだという。ピアノでドとミの間にある鍵盤の数を数えれば分かるように、ドとミの間には4つの半音が挟まっており、ドと1オクターブ高いドの間には12の半音が挟まっている。したがって、長三度を3つ重ねれば1オクターブになるはず。つまり1オクターブ違う音の波長の比は5:4×5:4×5:4=125:64になる・・・、まて、1オクターブの波長の比は2:1=128:64ではなかったか?この差はどこに行ったのか?

昔の楽器製作者たちはこの差を何とかするために努力を重ねたらしい。何とかする努力は大きく分けて三つのパターンがある。。吋クターブの間にある音の数を増やす。∈垢鬚匹海の半音の間に押し込める。差をすべての半音で均等に按分する。

,硫鯔,任蓮⇔磴┐丱宗Ε轡磧璽廚肇蕁Ε侫薀奪箸別の音になったりする。理屈の上ではこの解法によって1オクターブの間に存在する音の数はどんどん増やすことができ、19世紀には1オクターブを36に分けるオルガンが作られたのだという。

△諒針で作られた楽器は、調によって別の印象を与えるという結果を生んだ。ニ長調は華麗で壮大、ヘ短調は大きな悲しみを表す、といった具合。バロック時代の音楽家たちは、ハ長調とかヘ短調とか言う指定を曲名に付与しているが、これはどうやらこの調による印象の違いに対応するためらしい。

現代では基本的にが採用される。すべての半音に差を按分した結果、ピアノの奏でる和音は、オクターブを除いてすべて微妙に不協和音になるのだという。ピアノでドとミを弾いても、それは完璧なハーモニーを奏でる訳ではないのだ。

合唱をやっているのに、そんなことはまったく知らなかった。シャープとフラットが別の音である場合がある、という話はかろうじて聞いたことがあったのだが。奥が深い。  
Posted by hao9i at 07:27Comments(0)TrackBack(0)