2008年10月

2008年10月27日

孤独なボウリング 読書メモ その19

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生― 読書メモ その19
ロバート・D・パットナム著 柴内康文訳(柏書房)

第21章 民主主義p413

民主主義的な自治には、一般市民の積極的な参加が必要だということは、自明のことだった。本章において検討するのは、米国民主主義の健全性には市民が公的な義務を果たすことが必要であるという伝統的な主張と、公的制度の健全性は、・・私的な自発的集団―社会関係資本を体現する市民参加のネットワーク―への広範な参加に依存しているという、主張の双方である。p413

トクヴィルの観察を繰り返す形で、民主主義について現在考察する者の多くが、「媒介的」或いは「中間的」結社のことを、活発な民主主義を維持するための基礎であるとしてきた。これまで社会関係資本と呼んできた、市民社会における自発的結社と社会的ネットワークは、二通りの仕方、政治に対する「外部効果」と参加者自身に対する「内部効果」で民主主義に貢献する。p415

市民のつながりが効果を持つためには、フォーマルな制度を必要とするわけではない。例えば、ベルリンの壁崩壊以前における東ドイツの民主化運動の研究によれば、勧誘は友人ネットワークを通じて行われ、誰がこの運動に参加したのかを判別する上で、インフォーマルな絆の方が、イデオロギー的傾向性や弾圧への恐怖、フォーマルな組織化活動より重要であった。p416

系統的研究では、労働者階級にとっては自発的結社と教会が市民的スキル構築のための最良の機会を提供しており、専門職の者にとってもそれらのグループは、市民的学習の場として職場に告ぐ二番目のものであったことが示唆されている。・・その持つ意義は、平等的民主主義に高い価値をおくものにとっては決定的に重要である。p417

組織が民主主義的習慣を教え込むように、それはまた重要な公的問題に対して熟慮に基づく討議を行うためのフォーラムとしても機能する。討議的民主主義を高める。p417

社会関係資本なしの政治は、遠くの距離からの政治である。・・対面での相互作用、直接的なフィードバック、他の市民の監視という光の下で自らの意見が評価を強いられること、そういったことがなければ、その場しのぎの解決策を触れ回り、反対するものを皆悪者扱いにすることが容易になる。匿名性は、討議において根本的に忌み嫌われるものである。p421

皮肉なことに、自分の政治的立場を中道や穏健派とする米国人が多くなっているのに、イデオロギー的に両極の極端派が、会合に出席し、投書をし、委員を務める割合を増やしている。米国の草の根市民生活において、極端な立場が次第に支配的になる一方で、穏健な声が次第に落ち込みつつある。この意味で、建国者たちの案じた「徒党」という古典的問題を悪化させる。p422

政治と民主主義について、・・スタッフの運営する、プロ化した、ワシントンに基盤をおく主張団体は満足のいくものにはならないだろう。委任型の市民権では、真実の討議はなされない。p423

大規模な「三次」集団は、個人的な形態による政治参加の代わりにはならない。・・経済学者のジェームズ・T・ハミルトンは、自家所有が多く、投票に行くような住宅地域は、借家が多く投票の少ない地域よりも有害廃棄物処理工場が建てられることが少ないことを見いだした。どこに建設するかを決定するに当たり、地域の組織的反対が最も少ないことが期待できる場所に目を向けると彼は結論づけた。市民参加の低下は地域レベルで住民のエンパワーメントを掘り崩す。p424

(以下「哲学する民主主義」の結論)
1970年以来、イタリアは強力な地方政府を全国的に成立させた。新制度は形態には全く同一であったが、社会的、経済的、文化的文脈は劇的に異なっており、前工業化から脱工業化、カトリックから共産主義、封建制から現代的なところまで幅広かった。p425

エミリヤ-ロマーニャやトスカーナでは、数多くの活動的なコミュニティ組織を有している。・・社会的、政治的ネットワークは水平的に組織されている。これらの「市民コミュニティ」は連帯、市民参加そして誠実さに価値を置く。このようなところで民主主義が機能している。p426

その対極に「非市民的」地域としては、カラブリアやシシリーがあり、公徳心の欠如という言葉がその特徴を表している。・・住民の視点から見ると、公的な事柄をすべきなのはどこかの他人―ボス・政治家―であって、彼らではない。法は、破られるためにつくられるが、他人の無法を恐れるあまり、誰もが厳しい規制を要求している。ここでの代表政府は効果的ではない。p426

軍事面では、連帯の絆と信頼感の高い場合にその能力が高くなること、強い社会的ネットワークと草の根組織を有するコミュニティでは、予期せぬ危機に直面した時に上手く対処できることを研究が見いだしている。集合的利益の実現に必要なのは、直接的な自己利害を打ち破り、個人も同様に集合的に振る舞うと想定する行為である。現代社会は、ただ乗りとご都合主義の機会に満ちあふれている。民主主義は、適度な仕方で、大半の人々が多くの瞬間において不正の誘惑に抵抗することを仮定している。社会資本は、われわれのより良い、拡張的な自己を強化する。民主的制度のパフォーマンスは、測定可能な形で、社会関係資本に依存している。p430

※ブッシュの戦争で、民主主義のありようが問われた。アメリカの民主主義が全てではない。無論、政権に固執し、審判を受けることを先延ばしにしている日本の議会制もまた同様である。また、障害者を自爆テロに追い込んでいると報道されるタリバンも非民主的である。上に引用した哲学する民主主義で触れている「集合的利益の実現に必要なのは、直接的な自己利害を打ち破り、個人も同様に集合的に振る舞うと想定する行為である」、「社会資本は、われわれのより良い、拡張的な自己を強化する。民主的制度のパフォーマンスは、測定可能な形で、社会関係資本に依存している」という指摘は、それぞれの国、地域、民族、宗教にあって、直接的なコミュニティをベースにもつ、それぞれに相応しい制度があり得ることを示唆する。市民参加と誠実さを価値に置く平等的民主主義、討議的民主主義の重要さについて、社会関係資本を背景に議論されることが、今もなお必要である。それが、自治に行き着くのだ。その二つの基礎的な民主主義のルールを保有していない日本の町会を代表とする地元組織は、住民に根ざすことを忘れており、自治から遠い。


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2008年10月20日

孤独なボウリング 読書メモ その18

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生― 読書メモ その18
ロバート・D・パットナム著 柴内康文訳(柏書房)

第19章 経済的繁栄p391

個人レベルにおいて、社会的つながりはその人間の人生上の機会に影響する。経済的な価値のある社会的つながりを持つ裕福な家庭で育った人々は経済市場において成功する可能性が高いが、それは経済水準だけでなく、そのつながりが利用可能で、実際に活用するからである。p391

社会的関係は就職、ボーナス、昇進、その他雇用上の利益に影響を与えている。社会的ネットワークが人々にアドバイスや仕事上の手がかり、戦略的情報、推薦状などを供給する。マーク・グラノベッターは求職者に関する1970年代の研究で、職探しの人間にとって、ちょっとした知り合いの方が、親友や家族よりも重要な資源となりうるという、直感に反する事実を提示した。p392

問題は、このような社会的ネットワークは最も必要とされている場所で欠如していることである。・・「貧困地区の住民は、単に社会的つながりが少ないだけでなく、そのパートナー、親兄弟、親友は、社会的価値のより低いつながりを持ちやすい。即ち彼らのもつ社会関係資本の総量が少ない」のである。・・経済的に不利な地域の住民は、二重に苦しんでいる。p395

社会評論家のフランシス・フクヤマは市民の社会的信頼レベルの高い経済が、21世紀を支配するであろうことを主張している。また、組織理論研究者によるバイオ産業の研究によれば、互酬性の規範を具体化する社会的ネットワークは、物的、人的資本と同様、技術革新や相互学習、成長的発展を「実現する鍵」であることが示されている。p399

適切な種類の社会関係資本は、経済効果を高めるという見方に希望を与える。互酬性のネットワークが深化すれば、皆が利益を得るであろうし、衰退すれば皆が多大なつけを払うのだ。p400

第20章 健康と幸福感p401

社会的なつながりの重要性が最も実証されてきたのは、健康と幸福に関する事例である。p401

コミュニティにより統合されるほど、風邪や心臓発作、脳卒中、癌、うつ病にかかりにくく、また早死にをしにくい。このような保護効果は、緊密な家族の絆、友人のネットワーク、社会的なイベントへの参加、宗教その他の市民組織への単なる加入に対してすら確認されている。p401

過去20年以上にわたって、アメリカ、スカンジナビア、日本で行われた研究が示しているのは、社会的なつながりのない人々は、家族、友人、コミュニティと密接につながりのあるものと比べたときに、あらゆる原因について2〜5倍の確率で死亡しやすいということである。p403

社会参加が全般的に減少した過去25年間に、医学診断と治療の驚異的な向上にもかかわらず、観察された健康の自己報告度は深刻な低下を見ている。平均寿命を初めとした客観的指標によると米国人は非常に健康であるが、自己報告は、人々の実感が悪化していることを示している。p407

世代間での相違の原因の一部は、金銭面での不安にある。好景気にもかかわらず、成年・中年層は経済的な不安をより感じている。この格差をもたらしているものには、社会的つながりもある。心理学者のマーティン・セリグマンによれば、落ち込みを感じる人が多いのは、近代社会が個人的コントロールや自律といった信念を、義務へのコミットメントや共同事業よりも奨励しているからであるという。・・過去には、倒れこんでいくことのできた社会関係資本―家族、教会、友人たち―は、墜落時のクッションではなくなってしまった。個人的な生活においても、この四半世紀の他者からの離脱に対して、われわれは莫大なツケを払わされている。p412

※社会的ネットワークの重要性が経済的な面でも、健康や幸福感においても指摘される。職探しのいわゆるコネの例は、私にはぴんと来ないが、同年代の知人が大学を出て、小学校の勤め口を探していた時、近所の人が口を利いてくれたという話を覚えている。富裕層という点では、天下りなどはまさにこのネットワークの例にぴったりと来る。我が社でも、アルバイトをしていた人が、近所で大学を出てぶらぶらしている若いのがいると教えられ、一人優秀な人材を確保したから、近所の目というのはありがたい。ただ膨大な非正社員が輩出されている最近の雇用状況から見て、大学に求人が来なかった就職氷河期の学生には該当しなさそうだし、就職情報そのものが商品化し、全てにおいて自己責任が声高に叫ばれている、個々人が分断されてしまった昨今の日本では、特に貧困層においてネットワーク頼みというのは遠そうである。
阪神大震災以降、被災者に対する心のケアが注目され始めた。ストレスから心の病を誘発し、心身ともに健康を害するようになる。その大元をケアすることの重要性が浸透しつつあるのだろう。高齢社会にとって、孤独死という話題は辛い。それは少子に対応するのではなく、人のつながりに対応する。その意味で、地域の高齢者のスポーツ熱もバカにはできないなと思う。高齢者相互の扶助により、10年間孤独死ゼロという団地のニュースを見る。アメリカ発の金融不安が現実になり、実体経済に影響を及ぼし始め、年金問題を含め、格差の拡大のもとで先行き不安が増大し、皆がキュウキュウになっている昨今、若い人が倒れこんでいくクッションをどう用意するかは、大きな宿題である。


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