2008年11月

2008年11月30日

久々の大都会で

DSCF2402


  ほとんど人と出会わないような生活が続いていますが、久々に大都会にでかけました。列車とバスを乗り継いでの移動も久しぶりでした。私が所属する「日本ネイチャーゲーム協会」が主催する「コーディネーター研修講座」に参加するためでした。

  ネイチャーゲームの指導者養成講座を受講するとまずは「リーダー」と呼ばれる資格が付与されます。これはいろいろな場面でネイチャーゲームを指導するということです。「コーディネーター」は、それに加えて、地域の中でのさまざまな場面でのネイチャーゲームの活用を促進するという役割を担います。そんな方々の集まりで、東北だけでなく、埼玉や新潟などからの参加もありました。


  会場が仙台駅に程近いノッポビルの28階! 高所恐怖症の私には目がくらむようなたかさでしたが、眺めはなかなかでした。

DSCF2404


  研修の目的の一つは「広報」ということでした。参加者が、地域の中でネイチャーゲームが広報された事例を持ち寄ったり、広報されるためにどんな工夫が必要か、などについて、持ち寄ったものをみんなで見ていきました。チラシを何千枚も作るというのは、費用対効果を考えると、あまり有効ではないようでした。今後の参考にしたいと思いました。

DSCF2406


  会合が終る頃、太陽が西に傾き、蔵王連峰にかかる雲間から太陽が光をなげかけていました。駅前の繁華街のあちこちにはクリスマスツリーが飾られ、人々がせわしげに歩いていました。年の瀬。もう今日は11月の最後の日。

  仙台からまた列車とバスで、長井までおよそ2時間50分。東京まで新幹線でいくのとほとんど変わりません。これでも昔に比べると、仙台は近くなりました。



happajuku at 06:40|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 葉っぱ塾からのメッセージ 

2008年11月29日

雪囲いの風景

DSCF2390

 <わが家の小さな植木は父がこんなふうに小屋がけして冬を越します>

  20日にドカッと降った里の初雪は湿っていたこともあり、あちこちで立ち木の枝を折っていました。そんな雪の被害から植物を守るために、降雪前の大仕事である「雪囲い」があります。家の庭や、市内のあちこちで、様々な雪囲いを探してみました。

DSCF2393

 <ドウダンなどは、こんなふうに板を屋根のように乗せて囲います。>

DSCF2394

 <アオキなどの生垣は、板で挟むように支えます。>

DSCF2396

 <庭先の背丈のそう高くないものは、縄でまとめるだけで雪囲いです。>

DSCF2397

 <葉っぱの落ちないマツは枝に雪が積もりやすいので、こんなふうに吊ります。>

  雪囲いの作業は、早いところでは11月中旬には終えたりしていますが、天候の悪い日はできないために、遅れることもあります。ちょっとの差で、湿った雪にやられて枝や幹が折れてしまった木もありました。

  この時期、コンビニやホームセンターの店頭にはたくさんの縄の束が置かれます。それだけ需要があるということですね。縄の結び方もちゃんと決まっているのですが、私などはまだできません。来年は自分でもやらなくてはいけないだろうなあ、と思っています。

  雪囲いがすっかり終ると、本格的な冬がやってきます。



happajuku at 05:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 葉っぱ塾からのメッセージ 

2008年11月28日

イラク派兵違憲判決を考える集い

d8d04fb4.JPG☆すっかり葉を落としたブナの森
 (記事とは関係がありませんが・・・)





  6月に長井で開催して「イラク派兵違憲判決を考える集い」においでくださった川口弁護士から、協力要請が届きました。名古屋での開催ですので、お近くの方、ぜひご参加ください。以下、川口弁護士からの転送です。

***********************************


 ■■■ 違憲判決を受け止めて下さったすべての皆様へ ■■■

名古屋の弁護士の川口創です。多くの方に転送頂きますようよろしくお願い致します。



  12月23日に名古屋で下記の集会を開きます。丁度その頃,イラクからの撤退が完了し,愛知県の小牧基地に自衛隊が戻ってきます。是非ひとりでも多くの方にご参加いただけますようよろしくお願い致します(なお,12月21日に,田母神が名古屋高裁前の桜花会館で講演をします。このような違憲判決に対する挑戦に負けるわけにはいきません)。

★ 『空自撤退! みんなで勝ちとった違憲判決全国集会』ご案内

 2004年1月の札幌を皮切りにはじまった全国11の裁判所での12の訴訟、いよいよ最終盤です。この間、2006年7月にサマワから陸自を撤兵させ、今年4月17日には、名古屋において「違憲判決」を勝ち取ることができました。そして9月11日、政府はイラク空自の年内撤収方針を表明しました。これは違憲判決の成果であるとともに、裁判を超えて、多くの皆さんが違憲判決をしっかり受け止めて頂き、イラクからの自衛隊撤退の声が大きく広がった成果に他なりません。まさに憲法と市民の力で自衛隊の撤退を勝ち取ったのです。

 イラクからの航空自衛隊の撤退(12月中に愛知の小牧基地に戻ってきます)を勝ち取った、この憲法と市民の勝利を、ひとりでも多くの皆さんとともに確認し合い、そしてさらに今後の新たな運動につなげていきたい。そんな思いで,12月23日に下記の「全国集会」を名古屋で開催します。

 訴訟に関わったか否かを問いません。この判決は平和を願うすべての皆さんの判決ですから、是非多くの方にご参加頂きたいと思っています。多くの皆さんとともにこの成果を確認し合い、そして今後の新たな運動につなげていきたいと思っています。

 年末でご多用の折、また、遠路となる方も少なくないかとは思いますが、是非全国から多くのみなさんにご参加頂きたいと思います。よろしくお願い致します。

              記

日時: 2008年12月23日(火曜・祭日) 13:30~16:30
       *集会終了後に懇親交流会開催(17:00~19:00、会費制)

場所: 愛知県勤労会館2階小ホール
     名古屋市昭和区鶴舞1−2−32
    (地下鉄鶴舞線およびJR鶴舞駅から徒歩5分)
      http://www.ailabor.or.jp/tmplaza/

主催: 自衛隊イラク派兵差止訴訟の会・名古屋
    自衛隊イラク派兵差止訴訟名古屋弁護団
    自衛隊イラク派兵差止訴訟全国弁護団連絡会議

参加者: 違憲判決を受け止めて下さったすべての皆様      

内容:(未定のところがあり、変更の可能性があります)
 13:00 開場、受付開始
 13:30 開会挨拶
      屮ぅ薀空自撤収完了と裁判勝利」宣言!
     ◆屮ぅ薀訴訟紙芝居!」の特別上演
     「リレートーク1」
     ぃ庁孱直絮任噺譴蝓屮ぅ薀最新報告!」(30分)
        西谷文和さん(イラクの子どもを救う会代表)
     〜〜20分休憩〜〜
     ァ屮螢譟璽函璽2」
     今後に向けて
 16:30 閉会 (その後17:00〜19:00、浩養園にて懇親交流会)

会費: 500円

備考: 準備の都合上、出席のご返事を「自衛隊イラク派兵差止訴訟の会」事務局(メール:info@haheisashidome.jp 又はFax:052−781−4334)へ12月15日迄にご連絡ください。

以上



happajuku at 06:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 葉っぱ塾からのメッセージ 

2008年11月27日

未来を見通せる人々〜アラスカ

☆アラスカ在住の大山卓悠(おおやま・たくはる)氏から、貴重なご意見が届けられました。大山さんは写真家・星野道夫さんの友人で、星野さんが亡くなられたヒグマによる事故の原因を究明した『星野道夫 永遠のまなざし』の共著者のおひとりでもいらっしゃいます。

 目先の「給付金」を出す出さないでゴタゴタしている日本ですが、本当に未来を見据えての政治をやってもらいたいものです。ミクシイの日記から、ご本人の承諾をいただき転載いたします。

 *********************************


■未来を見通せる人々・アラスカ      大山卓悠(おおやまたくはる)


 二〇〇八年十一月の選挙は、マスコミの既報通り、アメリカの歴史に残るものとなるだろう。

 特に大統領選挙は、選挙戦の前半は民主党のバラク・オバマとヒラリー・クリントンとの間で熾烈な指名争いが繰り広げられ、米国民のみならず、世界中の人々が固唾を飲んでその成り行きを見守った。

 選挙戦後半は、ブッシュ政権に続いて連取を目指す共和党マケインは、副大統領候補にアラスカ州の現職女性知事サラ・ペイリンを指名。付け焼刃的な選択だと非難されながらも、選挙戦を最後の最後まで大いに盛り上げた。

 そして投票結果は、周知の通り、民主党のバラク・オバマが大勝し、「米国の再建・チェンジ」を掲げ、初のアフリカ系アメリカ人として超大国の舵取りをすることになった。

 とここまではぼくが敢えて書かなくても誰もが知っていることで、マイミクのアヌーカさんも選挙終了早々、詳細を報告されている。

 ただここに、華やかなアメリカの大統領選挙の陰に隠れた、別の選挙があったことを記しておきたい。四年に一度、一部改選という形で行われる上下院議員の選挙のことだ。この改選は、連邦と州の上院下院で行われるので、この改選いかんによってはアメリカの政党勢力が大きく変わることになる。その意味では、むしろ大統領選よりも重要度の高い選挙といえるかもしれない。

 今年のアラスカの連邦改選議員は、上院で一名、下院で一名、計二名が対象となった。

 今回の注目は、議員生活四十年という大ベテランのテッド・スティーブンス上院議員の動向だった。齢八十五。ワシントンの上下院でも最長老の議員となった。これほど長きに渡って権力の中枢に君臨し続けると、その力は絶大なものになる。国の予算配分での発言力も甚大で、ここ数年、アラスカ州が受け取った国庫援助金は、高々六十万の人口しかいない州にしては気の遠くなるほどの莫大な額だった。

 いわゆるインフラ整備のために、国のお金がどんどんとアラスカに入ってきた。津波や大河ユーコンの流れに例えられるほど、次から次へ、これでもかというくらいスティーブンスはワシントンからお金を分捕ってきた。

 アラスカは住みやすさのために急速に変わっていった。特に都市部は建設ラッシュが集中し、例えばアンカレッジ市内には巨大なコンベンションセンターができた。空港の拡張工事がはじまると、間もなく空港の名前が「テッド・スティーブンス アンカレッジ国際空港」と変わった。改装に貢献した上院議員の名前を冠したのだ。

 皆はテッド・スティーブンスを賞賛した。次第に彼はアラスカの救世主として崇められるようになった。その程度は、神にも近い存在に祭り上げられた。二〇〇八年度の改選対象となったテッド・スティーブンスは、躊躇なく立候補を宣言した。上下院議員最高齢という不安材料はあるものの、再選はまず間違いないものと思われた。

 そんなとき、スキャンダルが起こった。

 スティーブンス上院議員が、石油会社から、長年にわたって賄賂をもらい続けていたというものだ。選挙期間中に裁判になり、投票前に有罪が確定した。

 スティーブンス上院議員は、しかし、選挙を降りなかった。無罪を主張し、アラスカの更なる発展を約束した。ただ、彼の主張する「アラスカの更なる発展」は、アラスカ住民、ことにアラスカに太古の昔からすむ先住民の人たちの思いとずれがあることに、彼は気づいていなかった。

 スティーブンス上院議員の対抗馬は、アンカレッジの現職市長マーク・ベギッチ。四十六歳。民主党。

 アラスカは、長く共和党が支配する州だ。スティーブンスの高齢、賄賂スキャンダルはベギッチ候補に有利に働くとしても、共和党の厚い壁までは崩せないと思われた。

 投票日即日開票作業は即座にはじまったが、接戦が続き、翌日もその翌日も勝敗が見えてこない。最後は不在者投票の開票待ちにまでもつれ込んだ。一進一退――日付はどんどんと変わる。当確を公示するには更なる時間を要した。

 そして十一月も半ばを過ぎた頃、漸く決着がついた。

 投票結果は、新人マーク・ベギッチが三五〇〇票の僅差で、現職テッド・スティーブンスを下した。正式な集票数はいまだに出ないが、ベッギジが勝利宣言をし、続いてスティーブンスが敗北宣言をしたことで決着がついた。つい先日のことだ。

 政治嫌いのぼくが、なぜこんなトピックを取り上げたかというと、今回の上院議員選挙を通して、アラスカに住む人たちの目がどこに向けられているのかが、はっきりと見えてきたからだ。ぼくはそのことで胸が一杯になり、本当に嬉しくなった。

 どういうことかというのを、これからお話したい。

 今回の上院議員選挙を振り返るアラスカの投票結果を示した地図が、当地発行の新聞に描かれていた。その地図を見て驚いた。テッド・スティーブンスに票を入れた地域は、アラスカ全体から見るとほんのわずかだったからだ。アラスカ最大の都市アンカレッジの近辺、アラスカ第二の都市フェアバンクスの一部、そして州都のあるジュノーの近辺。そんな狭い範囲の人たちだけがスティーブンスを支持した。残りの広大なアラスカのすべて、日本の国土の四倍もある大地に住む人々のほとんどは、「ノー」をスティーブンスに突きつけたのだ。

 アラスカは確かに広い。しかし、その人口はといえば、たった六十万人しかおらず、それもその半分の三十万人がアンカレッジに集中している。残りの人口も、フェアバンクスやジュノーという地方都市に集中している。だからスティーブンスが大票田を押さえることで再選は確かなものになるはずだった。ここ数年間にばら撒いたお金の力は、アンカレッジから遠く離れた僻地の町や村にも有効のはずであった。スティーブンスに反抗する者がいても、それらを押さえる鼻薬は充分効いているはずであった。

 その「――はずであった」思惑が外れたのだ。

 アラスカの都市以外に住む人々――その多くが先住民族で、エスキモーとインディアンの人々だ。彼らは、目の前にぶら下がっているニンジンには興味を示さなかった。ニンジンを見る代わりに、ニンジンのはるか先に続く未来に思いをはせ、一時的に空腹を満たす愚に走らなかったのだ。

 「今」が満ち足りる手段を耳元で甘く囁かれても、十年後の「今」、百年後の「今」が満ち足りないのであれば、彼らにとっては何の価値もない。甘い囁きは雑音にしか過ぎないのだ。

 テッド・スティーブンスは岩のように堅固な意思をもち、時として人々よりも先を見通す能力に長けていた。利に聡く、企業の重鎮たちと強固な信頼関係を築き上げていくのは、彼にとってそれほど難しいことではなかっただろう。

 ワシントンで発揮する力はカネに変わり、そのカネはアラスカに流れ込み、その恩恵を受けた者たちは彼を祭り上げ、彼の威厳と威信は存分に増し加わっていった。

 しかし、彼の根底には、いつの日からか私欲が渦巻くようになった。そして彼の周りには、その私欲に群がるコバンザメのような輩が、着きつ離れつ蠢くようになった。

 彼の経歴を見ると、決して順風漫歩の人生ではなかったことが判る。二十歳で従軍し、空軍でパイロットとして戦闘に加わっている。戦争が終わると大学に進み、苦学をしながら弁護士として社会にでる。若い頃はさぞ正義感に燃えた人物ではなかったかと思う。政治家に転身し、最初の奥さんを飛行機事故で亡くした。そのときの悲しみ、絶望感は幾ばくであったろう。しかし彼はある時点から変わった。権力を握ったものが堕ちて行く、なだらかな甘い蜜が漂う坂道に歩を進めたのだ。

 テッド・スティーブンスは、ブルックス山脈の北東に広がる北極圏野生生物保護区の油田開発を強力に推し進めようとしていた。油田を開発すれば、そのロイヤリティーが入る。金額としては莫大なもので、地域によればそこに住む一人ひとりが一晩で億万長者になれるほどのものだ。

 北極圏野生生物保護区は、写真家の故星野道夫さんに「ぼくにとって宝物のように大切な土地である」と言わしめたほどの場所だ。この地はカナダとの国境を挟んで、ポーキュパイン・ハードと呼ばれるカリブーの大群が季節移動をし、子育てをするところでもある。星野さんは十五年という歳月をかけてこの群れを追い、空撮で木村伊兵衛賞を受賞した。

 この地にはカリブーだけではなく、アラスカの他の地でも見受けられるほとんどの動物が生息する。オオカミは太古の昔から変わりなく原野を走り回り、沿岸域にはシロクマが棲息する。しかし苛酷な自然環境であるがゆえに、この地の食物連鎖は脆くて壊れやすい。ぎりぎりのバランスで保たれた危うい生態系なのだ。

 かつてアイゼンハワー大統領が、未来の世代のためにこのまま残しておこうと、野生生物保護区に指定した。しかし、その地で油田が発見されると、アメリカ最後の野生地をそのまま手付かずにしておくか、それともアメリカの経済政策に組み込んで行くか、人類が抱える環境問題のシンボル的な存在となって、四十年近くアラスカを揺るがし続けているのだ。
 
 その開発推進筆頭格がテッド・スティーブンスだった。

 今回の選挙で、スティーブンスのニンジンに喰らいついたのは、都市部に住む富裕層の連中だけだった。彼らはアメリカのグローバル・キャピタリズムの象徴のような人々で、日々利益を上げることが人生の究極の目的だと信じて疑わない種類の人々だ。

 片やニンジンに喰らいつかなかった人々は、今の世の中は何かおかしいと感じている連中だった。アラスカが大きく変わりつつあることを認めながらも、自分たちにとって何が大切で、これから何処に向かうべきなのかを真剣に模索しようとする人々だ。前者の連中と違うところは、未来に責任をもっているところではないかと思う。

 「今」のお金を手にしたい者たちは、十年後、百年後のアラスカなんか知ったことではない。自分の人生をいかに豊かにするか、そのことだけに腐心し、自分以外の人生、後世のことなどアイ・ドント・ケアなのだ。

 いや、そんなことはない、我々もアラスカの未来を長い眼で見据えてモノを言っているのだと反論する者もいるだろう。確かに、人間の社会は経済を抜きにしては考えられない。そのような社会が歴史として確立しているからだ。しかし、需要と供給を基盤とする経済と、搾取を基盤とする欲とを、混同して用いる連中がいるのが問題で、またそんな連中がこの世の中を動かしているということも事実なのだ。

 アラスカ先住民の人たちは、時代の波に翻弄されながらも、今の世のあり方にクエスチョンマークを投げかけた。もしかしたら彼らは、人類が行き着く港の所在を知っている頼もしい航海士なのかもしれない。そして、スティーブンス上院議員の落選・失脚は、新しいアラスカが希望に向かってゆっくりと動き始めた証拠なのかもしれない。

 彼らを水先案内人として未来を見つめるならば、先進国首脳会議などに出席する連中が見つめる未来とは異なったものが見えてくるのではないだろうか。                       (了)
               (参考「ノーザンライツ」星野道夫)


星野道夫 ノーザンライツ


happajuku at 04:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) アラスカからの風 

2008年11月26日

広重美術館のこと

fa62ca34.JPG☆静かな展示室にはウォン・ウィンツァン
 さんの曲が流れています。





  23日、埼玉からお越しくださったKさんと一緒に訪ねた天童市の「広重美術館」は、なかなか素敵なところです。天童温泉のど真ん中にあります。お隣の「滝の湯ホテル」という老舗の旅館で経営しておられます。
http://www.hiroshige-tendo.jp/00new/index.html#top

  前にこの美術館のチーフをしておられた方が、天童市内でウォン・ウィンツァンさんのピアノコンサートを開催されるに際して私のところを訪ねてくださったことから、この美術館の存在を知ることになりました。この日は朝から、車の中でもウォンさんのCDをかけながら移動していました。

  無知だった私は「安藤広重」というのは、一人の人物だったとずっと思っていました。皆さんはいかがですか? 実は五代目までいたのです。その広重の作品を、様々なテーマのもとにかわるがわる展示しています。今の展示のテーマは「空模様」でした。

  初めてこの美術館を訪れたときから、私は広重の版画の作品に使われている「青」にとても惹かれました。それは葉祥明さんがお使いになる青と共通の印象を受けるものだったからです。そして広重の作品の中に描かれる空や海の「水平」と、葉さんの絵の中の「水平」とに、不思議な共通点があると感じました。いつか、この美術館で、葉さんの作品と広重の作品を一緒に見られるような企画をやっていただけたらなあ、と願っています。

  現在のようなコピーの技術がなかった時代に、色彩豊かな版画の作品を完成させるということがどんなに大変な作業であったかということは、今展示されているものを眺めると伝わってきます。

  店内には、オリジナルの品物も豊富なショップもありますし、見学後にゆっくりできるような喫茶店も併設されています。また、様々な講座も開かれたりしています。いろいろな楽しみ方ができるスポットです。



  


happajuku at 05:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 葉っぱ塾行事レポート 

2008年11月25日

初冬の長井葉山へ

DSCF2380

 <雪の上のミズナラの落ち葉が色鮮やかでした>

  この連休に計画していた「初冬の長井葉山」は天候が悪くて23日は実施できず、24日も無理だと思っていたのですが、わざわざ埼玉からKさんがおいでくださっていたので、登ってみることにしました。

  24日朝は雲が多かったものの、ときおりのぞく青空が、次第に広がってゆき、風も弱く、まずますの天候でした。当初の計画では勧進代尾根を登ろうと思っていたのですが、勧進代登山口へと入る林道は雪のために入れませんでしたので、森林公園にまわりました。そこまでは何とかわだちがあって、FFの私の車でも何とか入ることができました。

  森林公園からすぐ雪の上歩きでした。ただ、複数の足跡が残っていたために、しばらくはその足跡をたどりながら歩くことができました。ずっと続いているのかと期待しましたが、2合目あたりで引き返しており、その先はスノーシューを掃くことにしました。麓からこのあたりまでは、木々にまだ紅葉した葉っぱがついており、枯れ葉だけでなく、色鮮やかな葉っぱまで雪の上に散っていました。こんな光景は珍しいと思いながら登ってゆきました。

DSCF2370

 <ヤドリギも手の届きそうな高さになっているところがありました>

  積雪はしだいに多くなり、3合目半としている「大場さんのブナ」を過ぎると、50センチ以上となっていました。ナラの木の枝先に寄生しているヤドリギに手が届きそうなところもありました。

  この程度の雪のときは極めて歩きにくいものです。潅木が登山道をふさいでいたり、完全に埋もれておらずに踏み抜いてしまったりと、体力を消耗するわりにはなかなか進めないのです。とりわけKさんは本格的に雪の上を歩くのも、スノーシューをつけるのも初めてとのことで、大汗をかいてしまいました。

DSCF2379

 <葉山の東斜面は、もう本格的な雪化粧をしていました>

  山頂をめざすことは断念し、せめて5合目からの稜線の眺望を見ていただきたいと励まし、3時間近くかかって登ったところから見上げる葉山の東斜面は、まだ雪は少ないものの、本格的な冬の様相を見せていました。

  遠方は雲がかかって見えにくかったのですが、そこにたたずんで写真を撮ったりしているうちに、少しずつ雲が上がってゆきました。東には蔵王スキー場のコースが白い帯となって現れました。西吾妻山とその中腹にある天元台スキー場も見えてきました。さらには吾妻の裏側にある会津磐梯山も何とか見ることができました。

  「葉っぱ塾」として登る長井葉山は、年内はこれで終了です。年末に、葉山元日登山に備えてのラッセル登山ができれば天候次第では登ります。物好きな方の参加は歓迎いたします。



happajuku at 05:43|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 葉っぱ塾行事レポート 

2008年11月24日

五百澤(いおざわ)智也が描くふるさとの山々

DSCF2358

 <文翔館ギャラリーで開催されている五百澤さんの個展の様子> 


  22日夜に埼玉から「葉っぱ塾」を訪れてくださったKさんと一緒に、23日は、旧山形県庁舎である「文翔館」で開催されている、五百澤智也さんの個展に行ってきました。

  五百澤さんは、山形東高から東京教育大に進み地学を専攻され、卒業後は37歳まで現在の国土地理院に勤務して、主には50000分の1地形図の製作、編集などに携わっておられた方です。 


  一般にはお名前が浸透してはいないかもしれませんが、蔵王スキー場にスキーにおいでになったことがある方でしたら、知らないうちに五百澤さんの世界に触れているはずです。というのは、現在使用されている蔵王スキー場の案内図が、五百澤さんの手になるものだからです。蔵王スキー場を上空から眺めたようなあの図面ですね。あのような図を鳥瞰図といいます。

DSCF2357

 <大朝日岳の南面方向から北を見た山岳鳥瞰図>

  五百澤さんは以前、山形新聞にコラムを連載されていましたが、その中に、「大朝日岳から平岩山に至る稜線の西斜面が氷河地形である。」と書いておられたことだけ、妙に鮮明に記憶しています。

  こうした鳥瞰図は、飛行機からの写真や、地形図をもとに、沢や谷を克明に陰影や線描写で表現したものです。このように美しい彩色が施されたものもあります。想像を絶する作業ではないでしょうか。植物画にボタニカルアートというのがあります。図鑑などに掲載される写実画ですね。あのボタニカルアートの山岳版といえばわかりやすいかもしれません。

  私たちが見学しているとき、タイミングよく五百澤さんご本人が会場にお見えになりました。隣接する売店で販売している画集を求め、サインを入れていただくことができました。

  この個展は12月14日まで開催されています。山好きの方、絵がお好きな方、ぜひ訪ねてみてください。

  なお、遠方でおいでになれない方、私が今回の個展の小さなパンフを10部ほどいただいてきました。この中にも15作品がカラーで紹介されています。お知らせいただければお送りいたします。

  また、画集が欲しい方は、下記から出版されていますので問い合わせてみてはいかがでしょうか。文翔館2階の喫茶コーナー売店でも販売されていました。

  五百澤智也『山と氷河の図譜』(ナカニシヤ出版075−723−0111)
   税込み¥2940



happajuku at 05:04|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 葉っぱ塾行事レポート 

2008年11月23日

手作りピザ付き講演&交流

DSCF2351

 <米沢市郊外のリンゴ畑。まだ収穫されないものが雪をかぶっていました>

  22日は、「米沢市青少年育成指導者研修会」という場で「葉っぱ塾」のことを紹介させていただける機会をいただいておりました。朝方湿った雪が少し降っている道を米沢の会場に向っていましたら、まだ収穫されていないリンゴの畑がありました。赤い果実と白い雪とまだ緑色を残した葉っぱが、美しい光景を作り出していました。

  今回私の話を聞いてくださったのは、市内で子ども育成会にかかわっておられる方々数名でした。人数は少なかったのですが、「葉っぱ塾」の活動内容を知ってくださる方が一人でも二人でも増えてくださるのはありがたいことです。

DSCF2355

 <ミニ講演のあと、手作りピザ作りを体験させていただきました>

  講演のあとは、屋外に設置してある石窯で、手作りピザを焼くとのこと。午後は山形市内での用事もあったのですが、ピザの誘惑に負けて、私も参加させていただきました。ピザの「タネ」をきれいに丸くひろげるのがなかなか難しかったです。ミニトマトやアスパラやキノコなどのトッピングをのせて窯で焼いてもらった「自分のピザ」はなかなかの味でした。こんな「おいしい講演会」はありがたいです。

  食べ終えるとすぐに山形市へと向いました。子どもたちの体験活動のプログラムづくりのために、県内で様々な活動をしている人たちが集まってミーティングを開いていたのです。午後だけの参加になりましたが、実に様々な方々とお会いすることができて、「葉っぱ塾」にとってはすばらしい機会をいただいたと感謝しています。

  ちょうどこの日の私の講演は、「葉っぱ塾」の活動を紹介しながら、子どもたちにとっての自然体験の大切さをうったえるものでしたが、今、このことが本当に必要とされていると思います。

  文科省、総務省、農水省が連携して、今後5年間で全国の小学校で、1週間程度の農山漁村での宿泊体験をさせようというプロジェクトが動き始めています。山形でそれをどんなふうに進めてゆくのか、ということなどを話し合ったのですが、最大のネックだと思うのはやはり「学校」です。新たなプロジェクトが「上」から下りてくる学校の教員たちにとっては、「またやっかいなものが入ってきた」と思われるのではないかと危惧します。

  「葉っぱ塾」ができることは本当にささやかなものでしかないので、あまり大きなことは言えませんが、学校が地域の人々と交流し、開かれた場になってゆく、というきっかけにはなるかもしれません。1週間程度の、「義務的」な体験が、子どもたちにどのように受け止められるのか、という曖昧さはありますが、何もしないよりはいいかもしれません。願わくば、こうしたプロジェクトへの予算措置が、思いつきのようなものでなく、何十年も続けてゆく、という覚悟の上でのものであってほしいと願うばかりです。



happajuku at 05:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 葉っぱ塾行事レポート 

2008年11月22日

朝照っかりの長井葉山

DSCF2337

 <21日朝、長井葉山は朱鷺色に輝きました>

  21日の朝は、天気図を見ると日本海に低気圧があって、西に進んでいました。天候が悪くなる前のひととき、神様がくださったような晴れ間が顔をのぞかせることがあります。昨日はそんな朝でした。

  カメラをザックに入れてのろのろとジョギングを始めると、東の空がやけに赤いのです。しだいに東の空に浮かんでいる雲が、下から赤く照らされてきます。西に目をやると雪化粧した葉山がくっきりと見えています。「葉山が赤く染まる!」と確信しました。

  フラワー長井線沿いの農道を北進している間に、山頂から少しずつ赤くなってゆきました。しばらくたたずんで待っているうちに、赤い光は麓へと下りてゆきます。ハクチョウたちが鳴き交わしながら餌場へと「出勤」してゆきます。山全体が朱鷺色に染まっている時間はそう長くはありません。ほんの数分がいいところです。太陽が昇るにつれて光は赤みを失い、白色光に変化してゆきます。

  こんな瞬間を待っているのは私だけではありませんでした。絶好の葉山展望スポットまで行くと、同級生のUさんがカメラを構えて撮影していました。写真集も出しているセミプロです。さすがにチャンスを逃しませんね。

  「朝照っかり(あさでっかり)は雨」と言われます。これは晴れの区域が東に移動して西からは雨雲が近づいているからです。朝の一時的な好天もやはりこの言葉どおりになりました。寒冷前線が近づいて9時前から雨になり、気温も下がりました。山形市へ向う国道348号線の峠道は雪でした。

  一冬に、こんな光景に出会えることは何回もありません。すばらしい光景に出会えたことに感謝です。



happajuku at 05:36|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 葉っぱ塾からのメッセージ 

2008年11月21日

雪の月山越え

DSCF2329

 <収穫されない庄内柿が雪景色に彩を添えていました>

  19日の里の初雪はほぼ昨年と同じ。その初雪が今年は一気に来たという感じで、20日朝にはこのあたりで15センチほども積もっていました。タイヤ交換は17日にやっておきましたので、あわてることなく、予定通り早朝酒田へと向いました。

  酒田は正式教員としての最初の赴任地です。7年間この地で過ごし、上二人の子どもは酒田での生活経験があります。私にとっては「わが青春の酒田」といったところです。

  初めて担任した生徒が、高校卒業後1年半後に、東京でひき逃げ事件の犠牲者となったのが11月中旬だったこともあり、もう25年にもなるのですが、毎年この時期の前後に酒田に行くのが恒例のようになりました。懐かしい友人に顔を出したり、カレンダーを買ってくださる方々に届けたりを兼ねてでかけるのです。今年は、昨年元気なお顔を拝見していた大先輩が7月に亡くなっていたとの知らせをつい先日受け取り、その先生の仏前へのご挨拶もありました。過ぎてゆく月日の中で、人の旅立ちに出会うことはさびしいことではありますが、いたしかたないことでもあります。

  国道112号線の月山道は、50センチほども雪が積もってなおも降り続いていました。この冬初めての雪道運転がいきなり月山越えというのも、なかなか緊張します。月山を越えてからは高速を使わずに下の道を行ったのですが、あちこちで路肩に滑り落ちている車を見かけました。

  旧朝日村から旧羽黒町や旧藤島町を通る県道44号線は、交通量が少なくて、私がよく利用する道です。羽黒山の裾野を通るような道で、途中からは庄内平野や日本海も眺めることができるのですが、この日はさすがに遠望はききませんでした。この道沿いには庄内柿の産地もあり、この日の雪は、収穫されずに残っている柿が、白黒写真のような風景の中でひときわ目を引きました。

  懐かしい方々にお会いし、近況を交換し合って、この日の最後は、先日「日本熊森協会山形支部」の結成準備会の様子が新聞記事になったのを読んで電話をくださった、酒田市内のTさんとお会いしてきました。猟友会にも所属され、クマや森にも詳しい方でした。私が「酒田で勤務していたことがあります」と申し上げましたら、Tさんは何とその学校の卒業生でした。支部ができることについて、協力を申し出ていただき、ほんとうにありがたいことでした。庄内の方々と、過去のつながりだけでなく、未来へのつながりもできるような気がして、ありがたい気持で帰路につきました。


happajuku at 05:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 葉っぱ塾からのメッセージ 

2008年11月19日

母校の桜の落葉

DSCF2310

 <長井高校南側にある桜並木の下の落葉>

  例年よりも紅葉が遅れていた分、長井市内ではまだ葉っぱが完全に落ちきってはいません。桜の木は、もちろん春の満開の花もよいのですが、紅葉も見事なものです。街中で時折「おや!」と思うほどの赤い木の多くは桜かもしれません。

  母校の長井高校のグラウンドの南の端に、道路に沿って桜並木があります。私たちの数年後輩にあたる方々が、グラウンド拡張が完成したときに植樹したものだといいますから、かれこれ30数年たったものでしょう。この季節に多い朝の「盆地霧」の中にかすんで見える赤い葉の並木はなかなか見事なものです。

  一昨日、ジョギングのときに通りかかったら、落葉しているものもまた見事でしたので写真を撮ってきました。落ち葉の中には落葉するとすぐに変色してしまうものもありますが、桜は落葉後の色持ちが比較的よいようです。

  こんな光景に出会うと思い出される一編の詩があります。


    落 葉
            はたち よしこ


   樹は
   
   つかわなくなったものを

   なぜ

   こんなに 美しくしてから

   手ばなすのだろう

   燃えるように かがやかせて




  単に、自然の中で繰り返されることを詠んでいるだけなのかもしれませんが、「人間もこんなふうでありたいなあ」などと思います。一人ひとりの人間が、毎日の生活の中で、美しく手ばなすということを心がけていったら、この世界はどんなふうに変わってゆくでしょうか。

happajuku at 05:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 葉っぱ塾からのメッセージ 

2008年11月18日

紅葉の季節に役立つ本

紅葉ハンドブック(表紙)

 <『紅葉ハンドブック』の表紙>

  もうこちらでは、紅葉も終りかけ、夜から雪という予報が出ています。山形市内で一人暮らしをする娘の車の冬用のタイヤを買うのを手伝い、ついでにタイヤを取り付けてきました。冬の雪道で事故にあわないように願っております。

  帰り道にあった書店に立ち寄ったら、少し前に出版されたと情報を得ていた『紅葉ハンドブック』(林 将之 著、文一総合出版 ¥1260)という本を見つけました。

  山とは限らず、落ち葉や紅葉を眺めたり拾ったりしていて、何という木だろう、と思ったことは多いはずです。名前がわかると、不思議なことに、次からはその木が目に入るようになるのですね。そんなときに、やはり図鑑があればすぐに解決するのですが、図鑑といえば「厚い」というイメージですね。その点これはお勧めです。薄いんです。新書サイズで厚さわずかに5ミリです! つまり、持ち運びしやすいということです。山に行くときも、あまりかさばらないこんな本はありがたいです。

  さらにこの本の写真がなかなか鮮明です。本物の葉っぱをスキャナーで読み込んで印刷にかけたそうですから、その鮮明さの理由がわかります。葉脈の1本1本まではっきり出ています。

  葉っぱの色から検索できる工夫もあります。「赤」「橙」「黄」と3区分されてそれぞれ見開きに一覧が載っています。「これかな?」と思ったら、その下に書いてあるページへとジャンプすればよいのです。全部で121種類が紹介されていますので、たいていこれで間に合うのではないでしょうか。

  散歩やハイキングのときに持たれてはいかがですか? 「葉っぱ塾」ではこの会社から支援をいただいているわけではありません。こちらには注文しないでください。



happajuku at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 葉っぱ塾からのメッセージ 

2008年11月17日

葉っぱ塾のリンゴの木、収穫!

DSCF2319

 <見事に色づいた「ふじ」>

  白鷹町のリンゴ名人・平井さんにお願いして実現した「葉っぱ塾リンゴの木オーナー」の初めての収穫作業を16日に行いました。見事に色づいた「ふじ」は朝方の小雨にしっとりと濡れて、枝をたわませていました。

DSCF2315

 <2本の木の収穫を終えるのに小一時間>

  6名のオーナーのうち、おいでいただけたのは米沢市のOさんご夫妻だけでしたが、私と3人で2本の木の収穫を終えるのに小一時間。今年は台風の通過が全くないという珍しい年でしたので、生育も順調だったとのこと。春先に花芽が霜で痛めつけられることもなく、また、果実が小さなときに雹が降ることもなく、吹く風に揺られて枝先で傷つけられることもなく、ずしりと重みを感ずる果実に成長していました。「蜜」の入り具合も上々でした。ただ、木の頂部がカラスにつつかれての被害が少しあったようです。

DSCF2318

 <およそ180キロの収穫!>

  収穫したリンゴは、このコンテナに11箱。重量はしめて180キロほどにもなりました。木の内側のほうの果実の中には十分色づいていないものがありましたので、そうしたものを除いて、6名のオーナーの皆さんにはそれぞれ20数キロずつ分配できることになりました。

  おいでいただいたOさんには車に積んでお持ち帰りいただき、平井さんの作業小屋をお借りして、他のオーナーの皆さんへお送りする分の箱詰め作業を行いました。遠くから2本の木のことを気にしてくださっていたオーナーのみなさんの喜ぶお顔を想像しながらの作業となりました。

  来年の募集については、今後平井さんと相談をして人数やオーナー会費の金額を決めてゆき、改めて告知したいと考えております。

  平井さんの低農薬栽培のリンゴが欲しいという方は、「葉っぱ塾」で取り次ぎいたしますので、お申し込みください。自家用(サイズや形不ぞろい)10キロで¥3000(送料は関東あたりまでは¥750が別途かかります)ほど、贈答用は10キロ箱で¥5000から¥6000ほどです。ご連絡をお待ちしています。



happajuku at 04:26|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 葉っぱ塾のリンゴの木 

2008年11月16日

山でのセルフレスキュー講習会に参加

9f9118a7.JPG☆救助のための技術を学ぶガイド
 仲間たち
 (クリックで画像拡大)




  私が所属する「東北山岳ガイド協会」主催の、山でのセルフレスキューの講習会が15日からあ16日の日程で開催されています。私は今日は別の用事があるために、昨日だけの参加でした。

  会場は天元台スキー場。今はスキーシーズン前の整備の期間でロープウエィも動いていないために、参加者は車に分乗して林道を上がしました。15日も小春日和で、穏やかな太陽の光の中での講習となりました。

  昨年に続いて講師をつとめて下さったのは、山でのレスキューの著書も多い堤信夫先生。しばらく前にはヒマラヤのイエティ探しにも同行されていたという、山のプロでもいらっしゃいます。

  私たちは、山のガイドとして安全を第一に考えているわけですが、事故が絶対に起こらないなどと考えているわけではありません。「何か」が起こったら、その場でできる最大限のことをしようという心構えでガイドをしています。そのために、年に何回かはこうした研修の場を設けて、自分の技術の向上ということを目指しているのです。

  自分一人で行くときは持たないような用具を、ガイドのときはいろいろ持ってゆきます。最近は山で事故が起こったときに、ガイドの責任を問うような裁判も多くなってきているようで、私たちは、何か起こった場合に備えているために、ゲストの皆さんよりも荷物が多くなるというわけです。

  私が同行した山で深刻な事故が起きてしまったということはないのですが、事故の例を聞くと、いかにも危なそうなところで起こることは少ないようです。そういうところはゲストもガイドも十分緊張しているからなのでしょうね。「え? あんなところで?」というような場合が多くありますので、低山だから、とか、緩やかな傾斜だからというような安心感は禁物です。

  ゲストの方々にとっても、ガイドにとっても、事故は起こらないのが一番です。雪の季節を迎えます。雪や寒さを甘くみることのないよう、気をつけて山に出かけたいものです。






  
 

happajuku at 05:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 葉っぱ塾からのメッセージ 

2008年11月15日

西蔵王から瀧山(りゅうざん)へ

DSCF2276

 <枯葉がころがるこんな道から登り始めます>

  いつも「葉っぱ塾」の行事にご参加くださるお二人のMさんと、西蔵王高原から瀧山(標高1362m)を経て、蔵王温泉に下るミニ縦走を楽しんできました。私にとっての蔵王は、スキーで訪れるところだったのですが、今年はようやく登山の対象としてみるようになりました。

DSCF2278

 <はじめはこんな牧場の中を通って歩いてゆきます>

  西蔵王高原は、山形市の東に位置し、蔵王連峰の外輪山にあたる瀧山の中腹に広がっています。山形市内から東を見上げると、テレビ塔がたくさん立っているのが見えるあたりです。山形市の中心部からは蔵王を望むことはできず、この瀧山がそびえて蔵王連山を隠しています。県立の「野草園」があるほか、市内に野菜を供給する畑が多く、近年ではペンションや牧場もみられるようになりました。一般的に言われる「蔵王」とはちょっと違った風情の地域です。

DSCF2283

 <登山道の中ほどで。これが乳母神様?>

  よく整備された登山道を登ってゆくと、Y銀行のバスタオルをかぶった石像がありました。この日登ったコースが「乳母神コース」といわれるのは、これを指してのことなのかもしれません。途中にはハシゴやロープ場もあって、なかなかきつい登りではありましたが、歩き始めて2時間半弱で山頂に着きました。

DSCF2292

 <山頂には齋藤茂吉の歌碑が>

  山頂はさほど広くはありませんが、小さな祠と、山形県が生んだ歌人、齋藤茂吉の歌碑が立っていました。ここに立って初めて、瀧山眼下に広がる蔵王スキー場を見渡すことができます。

DSCF2290

 <雁戸山の展望が素晴らしい>

  山頂からは、吾妻、飯豊、朝日の連峰や、月山、村山葉山などが一望できます。間近にある北蔵王の雁戸(がんど)山の眺望はとりわけ素晴らしいものでした。堂々としたツインピークです。左が北雁戸、右が南雁戸です。

  小春日和の中、山頂でゆっくりと昼食を楽しんで、蔵王温泉に向けて下ります。道はいくつかあるのですが、それぞれの分岐には標識が立っていますので、お好みのコースを選べばよいでしょう。私たちは、蔵王中央高原へと向って下りてみました。ここはまさに、スキーシーズンには蔵王スキー場の中心というべきところです。1時間あまりの下りの中には3回の小さな登りもありました。この登山道の途中には、ナナカマドの赤い実を食べたクマの糞がありました。真っ赤な糞なのです。冬眠を前にたくさんの木の実を食べてエネルギーを蓄えているのですね。

DSCF2301

 <カモシカと遭遇!>

  上の台(うわのだい)ゲレンデを下っているとき、草地に1頭のニホンカモシカがたたずみ、じっとことらを見ていました。冬であればゲレンデのど真ん中ですが、誰もいない草地で、草を食んでいたのでしょうか。ゆっくりゆっくり近づいて、写真を撮りましたが、まるで彫像のように動きませんでした。かれらはクマと違って冬眠をしません。冬も山を歩きまわってエサを探します。厳しい冬を無事に越して、来年また会いたいですね。

  朝、車をデポしたスカイケーブルの下駅にほぼ15時に到着。ゆっくりゆっくり歩き、昼食に小1時間かけて、およそ6時間のミニ縦走でした。ご一緒してくださった二人のMさん、ありがとうございました。



happajuku at 05:40|PermalinkComments(8)TrackBack(0) 葉っぱ塾行事レポート | 山旅の報告

2008年11月14日

吉永小百合さんの『まぼろしの邪馬台国』

a7a1abf1.jpg☆映画のひとこま





  吉永小百合さんの最新作、『まぼろしの邪馬台国』を、封切から2週間目にしてようやく見てきました。別の映画を見に行った今年のはじめ頃から予告編が出ていましたので、まさに「待望の」といったところでした。原爆詩の朗読のために吉永小百合さんに山形までおいでいただいたことがきっかけとなって、つながりができてきたことで、吉永さんを応援する気持ちは誰にも負けないほどの自負があります。

  この映画は、かつて島原鉄道の社長をしていて、一方で邪馬台国探しに生涯を賭けた宮崎康平氏をモデルとした実話がもとになっており、康平氏の奥様である宮崎和子さんはまだご存命でいらっしゃる、ということによって、フィクションでありながら、内容豊かな作品であったと思います。吉永さん演ずる宮崎和子さんの実のお孫さんでいらっしゃる宮崎香蓮(かれん)さんが、吉永さんの子役を演ずる、というのも何か不思議な縁を感じます。

  邪馬台国がどこにあったか、未だに確定してはいないわけですが、盲目の宮崎氏が、まさに執念で、和子さんと二人三脚の調査を続けながらその場所を追い求めてゆく過程は、なかなかのロマンを感じさせます。

  宮崎氏役の竹中直人さんが卑弥呼の時代を想像するシーンでは、吉永さんが卑弥呼となって現れるのですが、その姿や表情がなかなか見事で、サユリストを十分に満足させてくれました。

  男が王位にあったとき絶えることのなかった争いが、卑弥呼が王になったことで鎮まったと言います。今の世界も、女性の観点で国や世界が動いてゆくなら、ずいぶんと様変わりするのではないかと思えます。

  『島原の子守唄』という曲が、宮崎康平氏の作詞作曲になるものだった、ということを、この映画で初めて知りました。


  ※「葉っぱ塾」では現在、吉永小百合さんが「多くの方に読んでいただきたい」という思いで送ってくださった『語り継ぐあの八月を』という本を、ご希望の方に差し上げています。残りが15冊になっております。どうぞご連絡ください。
  e-mail happa-fy@dewa.or.jp



happajuku at 05:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 葉っぱ塾からのメッセージ 

2008年11月13日

冬を待つ朝日連峰〜小朝日岳まで

DSCF2233

 <古寺鉱泉付近での枯葉は霜で白くなっていました>

  12日は、天候がよいとのことでしたので、古寺鉱泉から小朝日岳まで行ってきました。この朝、里でも気温が氷点下となり、初氷や初霜を観察しました。長井市内から朝日町に入るまでは濃霧の中でしたが、山間の道に入ると霧はなく、すばらしい空が広がっていました。古寺鉱泉の駐車場には車が2台ありましたが、水溜りには氷が張って閑散としていました。

DSCF2240

 <登山道ではいたるところに霜柱>

  登山道で日の当たらないところには、霜柱が立ち、バリバリと音をたてました。古寺鉱泉付近も、すっかり紅葉が終わり、ブナの林はすっかり見通しよくなって、夏場なら緑のトンネルのような登山道も、明るくなっていました。
 
DSCF2241

 <振り返ると雲の上には月山>

  一服清水から三沢清水までの途中で振り返ると、雪をいただいた月山が雲の上にその山頂をのぞかせていました。ふもとのほうはまだ黒々していますが、冬の姿になるのももう少しです。

DSCF2255

 <小朝日からみた大朝日岳>

  標高1501mの古寺山までゆくと主稜線が見通せるのですが、どういうかげんか、大朝日岳にどんどん雲がかかって、なかなかその姿を現しません。もう一登りして小朝日岳まで行ったとき、わずかな時間、大朝日岳山頂が姿を現しました。この前の日に登った長井葉山から見るのとは反対側の北向きの斜面は、雪が多めに残っているせいでかなり白く見えています。本当は大朝日岳まで行こうと思っていたのでしたが、おにぎりを買ったコンビニで、温めてもらったおにぎりを受け取らずに店を出てしまうという「アクシデント」があり、食料なしでは心もとなく、この日は小朝日でやめにしました。

  下山してから古寺鉱泉のオーナーに聞いたのですが、この前日の11日、小屋の管理人のお一人、佐藤さんが大朝日小屋まで登ったとのことでした。きっと先月管理人が下山してから後に汚れたトイレなどを清掃してくださったのだと思います。本当に頭が下がります。

DSCF2266

 <冬を待つブナの林>

  小朝日岳から古寺山に下るところは、さらっとした雪が道に残っていて、これだけの雪でも滑りやすくなっていました。立ち止まってあたりを眺めると、ダケカンバやブナの幹や枝が、陽光に白く輝いていました。大好きなブナの林にさしかかり上を見上げると、青い空にブナの木が、グーンと背伸びするように枝を伸ばしているようでした。

DSCF2269

 <落葉したブナの森>

  古寺鉱泉が近づいて向い側の尾根を見ると、すっかり落葉した木々が、光を浴びて斜面全体が白く光っているようにも見えます。ブナの木の細やかな枝ぶりと、ホウノキの大胆な枝ぶりが対照的でした。そんな白っぽい斜面のところどころに、ヒメコマツの緑がくっきりと自己主張しているようでもありました。

  快調に下り、もうすぐ鉱泉というところで、目の前にカモシカの親子連れがいました! 思い立ったらすぐに写真を撮れるようにとカメラを手に持っていたのに、「子連れだ!」ということへの警戒心が先に立ち、見えないところまで後ずさり。母親シカは、鼻息でこちらを威嚇しながら斜面を下り、子どもも後に続きました。そろそろとカモシカが居たあたりまで下って斜面に目を凝らすと、20mほど下で、じっとこちらの様子をうかがっていました。これから来る厳しい冬を無事に乗り越えてほしいものです。

  今週末から天気が悪くなるようです。同時に気温も下がるということです。そうなれば、古寺山まで行くことさえも難しくなるかもしれません。

  なお、朝日町の立木から木川ダムを経て朝日鉱泉にいたる道は、白滝橋の手前で工事を行っており、8:00〜12:00と13:00〜17:00は通行止めになるとの表示が出ていました。朝日鉱泉方面にはこの時間帯は入れなくなります。「朝日鉱泉ナチュラリストの家」は、すでに年内の営業を終えています。また、古寺鉱泉は、今月末まで営業をするとのことでした。



happajuku at 05:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 葉っぱ塾行事レポート | 山旅の報告

2008年11月12日

「1」並び、晩秋の長井葉山へ

DSCF2223

 <長井市や米沢市のほうまで大雲海の下でした>

  11月1日に予定していた1回目の「晩秋の葉山」を、早々に中止を決めて後悔したのでしたが、第2回目の11日は、天気予報どおりの穏やかな空になりました。明け方の冷え込みで、市内の気温は2℃でした。そんな秋の朝はきまって霧に包まれる市内をあとにSさんとともに森林公園へ。寒河江から参加のNさんと合流して、この日は勧進代尾根から登りました。中ほどにある「展望台」からは、ご覧のような大雲海をみることができました。

  紅葉は登山口から中腹にかけてがちょうどよい状況でした。もう11月も中旬。例年であれば、このあたりの紅葉も終っているはずなのですが、今年はやはり10月の気温が高めだったことで、遅れたのではないかと思われます。ほとんど落葉しきった中腹より上の登山道はたくさんの落ち葉が散り敷いており、足首まで埋もれるほどでした。

DSCF2225

 <葉山からの飯豊連峰の眺め>

  稜線に出て、「追分」が近づくと、飯豊連峰が見えてきました。少し雲がかかったりはしていましたが、雪をいただいた2000m級の峰々が輝いていました。近くの鳥たちが私たちに驚いて飛び立った中に、フクロウがいました! 目の前の低木に止まっていたものが飛び立っていきました。目がしっかり合いました。こんな近くでフクロウを見たのは初めてでした。落葉した森の中はエサが探しやすくて、寝ているどころではなかったのかもしれません。

DSCF2228

 <奥の院のピークにて>

  登りには稜線の途中から昭和堰をたどるルートを歩きました。落葉した木立の間からは、大朝日岳や祝瓶山を見ながら歩くことができます。この時期でなければこうはいきません。「1」並び、ということで11時11分に「奥の院」のピークに着く予定でしたが、わずかに早く、11時09分の到着でした。祝瓶山の大展望が私たちを待っていました。

DSCF2231

 <葉山神社の祠のところからみた大朝日岳>

  葉山山荘までゆくと、神社の脇から大朝日岳を見ることができます。1日に一人できたときよりは雪が消えていましたが、こちらもなかなか見ごたえのある姿です。山荘で昼食をとりながら日誌をめくると、市内に住む見知らぬ男性が「八木さん、ブログを拝見しています。」との書き込みがありました。楽しみに読んでくださっていることが、とても嬉しく感じられました。

  山荘を出発してすぐの登山道に、白い動物の毛が散乱していました。ウサギが猛禽類に攻撃された跡だったのかもしれません。静かに見える山の中にも、生き物たちの生命の連鎖があるのです。木の実の実りが少ないこの秋の山での、クマたちのことがふと頭をかすめました。

  山燃える秋から山眠る冬へ。季節は着実に進んでいました。



happajuku at 04:20|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 葉っぱ塾行事レポート 

2008年11月11日

ダム湖の秋

957cab11.JPG☆ダム湖の中に消える道
      (クリックで画像拡大)





  しばらくぶりに母の故郷、小国町のほうまで行ってきました。この春に続いて横川ダムが満水になっているとのことでしたので、様子を見たかったのです。

  母の実家があったところはこの写真の上の方で、湖面が切れる境目のあたり。ここには荒川の支流である横川の両岸に何軒かの家があり、下叶水(しもかのみず)という集落を形成していました。子ども時代には、訪れるたびに、この川では泳いだり魚捕りをしたりして遊んだのです。

  当時の国鉄「伊佐領駅」からはバスの便があって、ブナの巨木が生い茂る中を走ってようやくたどりつく、といった感じでした。今は道路が整備されて、わが家から車で40分ほどで着いてしまいますが、昔は半日がかりでした。

  このダムもそうですし、今、長井市の野川に建設されている「長井ダム」もそうですが、経済成長右肩上がりの時代に計画されたものです。建設に着手されるあたりから経済状況は大きく変わりましたが、ダム建設は続行されました。

  こうしたダムは、洪水調節と電力供給というのが大きな目的です。しかし、その工事の様子を垣間見ると、山を削り、トンネルを掘り、橋をかけ、コンクリートを積み上げるという大工事です。同時に大きな環境破壊とも言えます。洪水調節というのなら、下流の河川沿いの堤防のかさ上げをするほうが、ずっと規模が小さくて住むはずだということは、素人目にも明らかです。したがって、「ダムが必要」なのではなく、「ダム工事が必要」なのだとわかります。

  この地域でも人口の減少は加速しており、根拠を持ち合わせてはいませんが、エネルギー需要がそれほどあるとも思えないのです。今後、石油に依存できなくなってくるかもしれないことを考えれば、必要になるのでしょうか?

  ダムができると、直接的には2つの影響があるだろうと思います。1つは上水道の水質が悪化するだろうということ。ダムによどんだ水よりも、これまでの扇状地の伏流水のほうが水質が良いに決まっています。2つ目は、水道料金が上げられるだろうということ。ダムの工事費を回収することになるはずですから。住民はおいしくない水を高く買わなければならなくなるでしょう。

  ダムの巨大さは、見る人を圧倒します。「どうだ、すごいだろう」といわれているような感じです。でも、心のどこかに寒い風が吹いているように思えるのです。この国はいつまで「土建屋政治」が続くのでしょうか。






  

happajuku at 04:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 葉っぱ塾からのメッセージ 

2008年11月10日

熊森山形支部結成に向け小さな一歩

c7f2a672.JPG☆参加者は小さな会議室いっぱいになる
 ぐらい集まってくださいました。





  「日本熊森協会の山形支部をつくりたい」と呼びかけて開催した9日の「結成準備会」は、事前に参加を表明してくださった方は数名でしたが、当日は予想もしないほどたくさんの方々にお集まりいただき、小さな会議室は、いっぱいになりました。「葉っぱ塾」で遊んでくださっている方々を含め、北は庄内の鶴岡から、南は米沢まで、本当に県内各地からお集まりいただきました。また、協会からは早朝の飛行機で山形までお二人のスタッフがおいでくださり、有意義な話し合いができたと感謝しております。

  新しい組織を立ち上げることは、実はたいへんなことです。しかも、何かの行事の「実行委員会」のようなものと違って、どこまで進めば「終点」というものではない類の市民運動の場合は、何を目標とし、どうやって進んでゆくのか、また、活動の資金の面でも、全てが「ゼロ」からのスタートです。しかし、今回多くの皆様に集まっていただけたことで、心強い思いでスタートを切ることができそうです。

  20年前、日本フィルのコンサートを県内でも開催したいと動き始めたときは、全くの一人からのスタートでした。音楽の先生方なら協力をいただけるだろう、と名簿をたよりに県内のいろいろな学校の音楽の先生宛に200通を超えるお手紙を出したのが最初でした。しかしあのときは、その手紙への反応は全くありませんでした。「全く」です。あのころは、この活動が20年も続くなどとは思わずに夢中で取り組んでいたものでした。

  それに比べてみれば、今回のスタートは本当に恵まれています。クマの問題をはじめとして、自然とどのように向き合ってゆくのかということへの関心が高まっているということなのだろうと想像します。

  来年3月あたりをめどとして、「支部結成」というところにこぎつけたいと思います。「森を残し、全生物と共存しなければ人間も生き残れない。全生物の命と全産業を支える豊かな森を、子や孫に残そう」という協会の理念を、広く県民のみなさんに伝えていきながら、草の根の活動を展開してゆければと考えております。賛同していただける皆様のご参加をお待ちいたします。下記へご連絡ください。

【連絡先】葉っぱ塾 八木文明 TEL/FAX 0238−84−1537
      e-mail happa-fy@dewa.or.jp




happajuku at 04:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日本熊森協会関連 

2008年11月08日

わが家にも精米機!

9fbdf999.JPG☆大きさはお湯をいれるポット
 ほどの精米機





  




  「葉っぱ塾田んぼオーナー」で収穫した玄米は、大切な友人数名に少しずつ分けただけで、まだ自分では、昨年産のお米を食べています。いつも玄米で届けてもらっていて、ときどきコイン精米機まででかけて精米し、たいていは玄米と白米を半々に混ぜて食しています。

  先日、田んぼのことでお手伝いくださったKさんのお宅におじゃましたときに、コイン精米機で精米している、と申しましたら、「せっかく自然乾燥させた米は、それではだめなんです。」と言われてしまいました。というのは、コイン精米機にかけたときに、米粒が加熱され、その段階で食味が落ちてしまうのだとおっしゃるのです。たしかに、精米機から出てきたばかりの白米の袋は、ほんわか温かかったのを思い出しました。収穫の段階で機械乾燥される米はその段階でも加熱されますので、2段階で食味が落ちていることになります。

  その話を聞いて、「わが家でも小さな精米機を買おう」ということになったのです。カタログ販売の雑誌『通販生活』を参考にして買ったのがこの機械です。でも、購入先はネット販売でした。『通販生活』さん、ごめんなさい。そちらのほうが安かったのです。玄米で5合まで精米でき、精米の方法が5段階で選べるようです。

  果たして、どんな新米を味わえるのか楽しみです。

 *********************************

詩を朗読する小百合さん(1)

 ☆昨日のブログでご紹介した、吉永小百合さんから送っていただいた本のことです。まとめて10冊お送りするようにと申し込んでくださった方がお二人も現れるなどして、7日現在で、手元に残っているのは15部となりました。まだ、大丈夫ですので、ご連絡をお待ちします。



happajuku at 05:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 葉っぱ塾田んぼオーナー 

2008年11月07日

吉永小百合さんから託された本、お願い再び

8193f1dc.jpg☆原爆詩を朗読する吉永さん





  




  このブログに9月11日、『語り継ぐあの八月を』という本を、吉永小百合さんからたくさん送っていただいたことを書きました。昨年150冊以上お送りくださったのに続いて今年も90冊、お届けくださいました。吉永さんを含め、原爆と何らかのかたちで向き合って生きておられる7人の方々にインタビューをしてまとめた人間ドキュメント的な本です。

  9月以降、皆様に呼びかけてきましたところ、これまでにおよそ50冊は全国各地の方々にもらっていただきました。まだ40冊近く私の手元にあります。もしお読みくださる方がおられましたら、連絡をいただければお送りいたします。

  この本は、吉永さんが買い上げてこちらに送ってくださったものですので、代金をいただくということはしてはいないのですが、多くの皆様から、「平和のために役立ててほしい」とカンパをご送金いただいております。その使途について、今年は次のように考えております。

  皆様のご記憶にまだ新しいと思いますが、アフガニスタンでボランティア活動に従事しておられた「ペシャワール会」の伊藤和也さんが、亡くなられました。ご本人の純粋なお気持とは裏腹に、紛争地での活動の厳しさ、そしてそれを乗り越えて活動しておられる多くのNGOの方々のご苦労を、私たちは胸に焼き付けました。

  その伊藤和也さんのご両親がこのたび、アフガニスタンの復興に役立てたいと、「伊藤和也菜の花基金」を設立されたことを新聞で読みました。吉永さんからは、この本に関しては「八木さんが考えたことに役立ててほしい」と伺っておりますので、今年は、この基金の口座に送金しようと考えたところです。

  できれば残っている本を年内に多くの皆様にお届けし、もしさらにカンパが集まりましたら、それを加えての送金にしたいと思います。ぜひこの本を読んでいただきたいと再度呼びかけます。

  ご連絡は happa-fy@dewa.or.jp  宛てにお願いいたします。

 ********************************

<参考> 『通販生活2008秋冬号』表紙に、伊藤さんの写真とともに掲載された一文です。


 ☆伊藤和也さん、あなたは私たちの誇りです。

   海の向こうには戦争や飢餓で苦しんでいる人たちが沢山いる。
   少しでも、その人たちのお役に立ちたい・・・
   多くの人が考えているその「お役に立ちたい」を、
   四の五の理屈をつけないで実践している数少ない一人が
   伊藤和也さんだった。

   快適で安全な日本の暮らしから離れられない私たちは、
   いま、伊藤さんの死にある種の「後ろめたさ」を
   感じているのだが、この「後ろめたさ」をこの先も
   忘れずに感じ続けることによって、
   自分にできる精一杯の「お役に立てる」の
   エネルギー源にしていきたい。

   伊藤さん、そして伊藤さんと同じように
   海外のあちこちで貧困や戦争の傷跡に取り組んでいる 
   NGOの皆さん、あなた方は
   私たちの誇る真の外交官です。





  

happajuku at 05:10|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 吉永小百合さん関連 | 本・CD・映画などのレビュー

2008年11月06日

霊山と女神山へ

  5日は天候もまずますということのようでしたので、以前から行きたいと思っていた福島県の「霊山(りょうぜん)」という山に行ってきました。福島市の東、阿武隈山地の西側に南北に1000m前後の山々の連なりがありますが、霊山はその一つです。古い時代の堆積岩でできている阿武隈山地と異なるのは、この山が「火山角礫岩」という火山噴出物の厚い層から成り立っている点です。そのため、低山であるのにゴツゴツして、クライミングでもできそうな感じなのです。

DSCF2167

 <駐車場から見上げた霊山>


  観光地にもなっていて、よく整備された道を歩いてゆくと、あちこちに「○○岩」という展望スポットがありました。そこにハシゴなどをつたって登ってみると、なかなか展望がよいことにびっくりします。西側には吾妻連峰や安達太良山が見えていました。紅葉もちょうど見ごろになっていました。

DSCF2168

 <これは安達太良山の方角>

  1時間あまりでこの山塊の最高点「東物見岩」に着きます。ここが標高825mでした。霞んでいましたが、太平洋を見ることもできました。この近くには「望洋台」というスポットもあります。

DSCF2171

 <最高点の標識>

  霊山は、9世紀に円仁によって開山されたという説明版がありました。円仁といえば、山形の山寺も確かそうだったように記憶しています。山寺の観光土産に『円仁さん』というお団子があったように記憶しています。14世紀の南北朝時代には、この山一帯にあった寺院が城として利用されていたようで、戦乱の中で焼失したとのことでした。そういえば、巨大な要塞のようでもありました。

  東北の山で「山」という字を「せん(ぜん)」と読ませるのは珍しいのではないでしょうか。有名なのは鳥取県の「大山」です。この読み方は西日本とのつながりを示すものなのでしょうか。現地の説明板によれば、インドの「霊鷲山(りょうじゅせん)」に因んで付けられた名前とありました。仏教との関係からきた名前のようです。

  駐車場に戻ってみると、私が着いた8時過ぎにはガラガラだったスペースがいっぱいで、駐車場まで登ってくる道の路肩に列をなして止められている車の多さに驚きました。紅葉シーズンということで、登山というよりは観光目的での人々が多いようでした。まだ11時にもなりませんでしたので、このまま帰るのはもったいないと、ガイドブックのページをめくりましたら、近くに「女神山」という心引かれる山がありましたので、そちらにまわってみることにしました。

  道路地図とガイドブックの地図を頼りに、一度は地元の人に道を尋ねて、ようやく登山口に着きました。わずか40分ほどで山頂に着けるほどの、標高599mの山でした。

DSCF2190

 <女神山山頂の標識。背後に霊山が見えていました>

  こんな、人もいないような山で女神様に会ったらどうしよう、などと一人でドキドキしながら登ったのですが、会ったのは年配の男性登山者一人だけでした。名前の由来になった「姫」は、飛鳥時代の崇峻天皇のお妃の「小手姫(おてひめ)」であることが、案内板に書いてありました。これまたずいぶん歴史を感じさせます。その小手姫が、この地域に養蚕を伝えたというのです。たしかに、下山してくると、途中で桑畑の中を通る部分がありました。

DSCF2189

 <女神山の登山道に咲いていたリンドウ>

  春先にはカタクリの花がたくさん咲く名所になっているようですが、この季節、リンドウの花をいくつかみつけただけでした。

  これから冬を迎えると、山形は雪になるわけですが、栗子峠を越えて福島県に入れば、晴れていることが多く、冬の晴天の中の低山歩きを楽しむことができます。そんなレパートリーを、少し増やしておきたいなあ、ということもあっての今回の山行でした。



happajuku at 05:04|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 葉っぱ塾からのメッセージ | 山旅の報告

2008年11月05日

カボチャ・ランタン&紅葉の森ハイキング(2)

DSCF2148


  カボチャ・ランタンを楽しんだ後は、コテージでにぎやかに食事をしました。山形名物の「いも煮」の鍋とかわりご飯をメインに、デザートにはヤギおじさん特製のチーズケーキ付き。その後外で「暗闇を照らせ」というネイチャーゲームも楽しみました。

  翌朝起きたときにはまだ降っていなかったのですが、朝食を食べているうち小雨となりました。合羽を着たり傘をさしたりして空気神社のほうへ歩き始めました。

DSCF2152


  落ち葉アートを作るための葉っぱを集めながら空気神社へと向いました。空気神社へと登ってゆく小道はまるで紅葉のトンネルのようで、それがしっとりと雨に濡れて一段と色の鮮やかなこと! 歩いているうちに雨も止みました。時折吹き抜けてゆく風が木の葉を散らせてゆきました。

DSCF2159


  集めた葉っぱは、部屋に戻って水分をふき取り、白い紙の上に糊付けをしてゆきます。グラデーションがあったり、葉っぱで絵を描いたり。思い思いの作品を1時間ほどかかって作りました。そのままでは翌日になれば葉っぱの色が変わってしまいますので、近くのコンビニまで私が運んで、それらの作品をカラーコピーします。そのコピーしたものをラミネートフィルムにはさんで仕上げるのです。

DSCF2162


  仕上げは山を降りたところに立っている安藤さんの工房をお借りしました。最後に安藤さんも一緒に作品を持っての記念撮影。前日の蜜ろうそくづくりやカボチャ・ランタンづくり、そしてこの日の「落ち葉アート」は、いずれも人が手を動かしながら自分の思いを作品にしてゆくという共通点があります。今の私たちの生活の中で、自分が作ったものというのはずいぶん少ないのではないでしょうか。昔の人たちは、生活に必要なものは、日用品であれ、衣類であれ、食べ物であれ、みな自分たちで作っていたわけです。そんな生活に少しだけでも近づけたらいいな、と思っています。

  心配された天候も、この2日間はそんなに良くない中ではまずますといったところでした。参加者のみなさんの心の中にはどんなともし火が灯ったのでしょうか。ささやかなこの体験が、それぞれの心の中に、いつか小さな花を咲かせることもあるかもしれません。

  参加くださったみなさん、そしてお世話になった「ハチ蜜の森キャンドル」の安藤さん、本当にありがとうございました。



happajuku at 04:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 葉っぱ塾行事レポート 

2008年11月04日

カボチャ・ランタン&紅葉の森ハイキング(1)

DSCF2115


  朝日町で「ハチ蜜の森キャンドル」を営む安藤さんの秋の行事「カボチャ・ランタン」に、今年も「葉っぱ塾」として参加してきました。埼玉からおいでくださったSさん母子と、山形のTさん母子が「葉っぱ塾」としての参加でした。Sさんを駅に出迎えて朝日町をめざす間、雨雲と青空が混在する空に、見たこともないような大きな虹がかかっていました。私たちはその虹を追いかけるように会場へと向いました。


DSCF2143


  今回は、安藤さんが「宣伝が遅れてしまって・・・」とのことで、参加者は15名ほど。こじんまりとしたワークショップとなりました。予報では雨が降るかもしれないということだったのに、蜜ろうそくやカボチャをくりぬいている間にどんどん天候が良くなり、カボチャが紅葉の森に灯る頃には何と星空になりました。晴れ男健在です。

  このカボチャ・ランタンは、まだ空に少し明るさが残っている頃に灯すのが一番です。赤く色づいたカエデの樹下にほとんどの作品を並べ、暗さが増してゆく中で際立ってゆくランタンの明かりを楽しむのです。

DSCF2131


  先月末は「ハロウウィン」でしたが、このカボチャ・ランタンはそれとは関係がなく、安藤さんは「小人が住む家を作ろう」と呼びかけておられます。ですから、窓があったりドアがあったりという作品になるわけです。しかし、一口に「小人の家」と言っても、その作品は毎年実に多様です。穴を開けるだけではなく、皮を薄く削って「すかし」を入れたりするものもあって、永久保存したくなるようなものがほとんどです。

DSCF2135


  「キノコが好きなので」とおっしゃる参加者のお一人の作品は、なかなか見事なものでした。「小人さんは飛んで窓から入るのですが、お友達が訪ねてくるときのために、窓には綱バシゴをかけてあります」というストーリーまで準備されていました。

  あたりがすっかり暗くなる頃、あたりにはカボチャが焦げる香ばしい匂いも漂い始めます。安藤さんが準備してくださったハチミツたっぷり入りのカボチャスープをすすりながら、私たちはしばし、小人の村の訪問者になりました。

  何年か前までは、この行事は会場のAsahi自然観の紅葉の盛りに合わせて、10月の下旬の開催でした。しかしここ数年、紅葉の時期が遅れるようになっています。やはり温暖化が進んでいるからでしょうか。標高600mほどの会場周辺は、今が紅葉真っ盛りでした。



happajuku at 04:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 葉っぱ塾行事レポート 

2008年11月02日

予期せぬ好天、長井葉山へ

  1日は、当初「晩秋の長井葉山」の1回目の予定でした。しかし、ずっとこの日の予報が悪かったこともあって、今回は珍しく3日前に中止を決めていました。前夜はずっと雨が降り続いており、「やっぱり中止してよかった」と思いながら床についたのですが、明るくなるころに雨がやみ、空がどんどん晴れてゆきました。「うーん、もったいない天気」とばかりに、一人で出かけたというわけです。

DSCF2076


  紅葉はすでに葉山の麓にまでおりてきており、雨上がりの空気と、太陽の光を透かしてくる紅葉のステンドグラスの山道は、静かで気持よいものでした。中腹から上ではほとんど葉っぱが落ちて、ナナカマドの赤い実が青空に映えていました。

DSCF2078


  葉山山頂から見える大朝日岳がどんな様子なのか楽しみにして登りました。前日の雨は山ではきっと雪だったろうと思っていました。見えました! 真っ白に雪化粧した姿でした。

DSCF2083


  大朝日岳の山頂の右下に見えている黒々としたピークは、標高1500mの御影森山です。前夜の雪はこの高さではみぞれや雨だったのですね。いつもなら葉山神社のすぐ脇から撮影するのですが、昨日は時間がありましたので、大朝日岳に向かう登山道を30分ほど奥に入ったところから撮影した関係で、御影森山のピークと大朝日岳のピークが少しずれています。葉山神社から写すと、この2つのピークがほぼ重なります。

  山頂一帯はもうすっかり冬支度を整えているといった風情でした。御田代(おたしろ)湿原のむこうに立っている「兄弟のブナ」も、「冬よさあ来い!」といった感じですくっと立っていました。

DSCF2096


  下山する途中、少し風が強まりました。中腹では風が取りぬけてゆくたびに、木々の葉が舞ってゆきました。朝方は湿っていた登山道の落ち葉も、午後には乾いていて、カサコソと心地よい音をたてていました。

  結果的にこの日は、「中止」にしてしまったことが悔やまれる好天となりました。今だから言うのですが、この日、そんなに悪い天候にはならないのではないか、というのが3日前の段階での天気図を見たときの私の直感でした。でも、「90%の降水確率」という気象台の「権威」に負けてしまいました。今後はもっと自分の直感や、「晴れ男伝説」を信じようと思います。

  次回の「晩秋の葉山」は、11月11日(火)です。1並びの日でもありますので、11時11分の登頂を目指します。平日ですが、ご参加をお待ちしています。保険加入の都合がありますので、9日(日)までにはご連絡をお願いいたします。



 

happajuku at 05:53|PermalinkComments(4)TrackBack(0) 葉っぱ塾行事レポート 

2008年11月01日

赤字を削って黒字にする!

 かつての国鉄時代、「長井線」と呼ばれていた路線が、現在は第三セクターの民営会社「山形鉄道」によって運営され、「フラワー長井線」として営業されています。沿線に花の名所が多いことからこのように名づけられたものです。南陽市の赤湯駅は、山形新幹線の停車駅。そこから長井を通って白鷹町の荒砥(あらと)駅まで、およそ30キロの超ローカル線です。

 全国に、こうした路線がいくつかあって、きっとどこも赤字路線だと思います。長井線も、沿線の市町が助成金を出してもなかなか好転しないほどの赤字を抱えているようです。乗客の大半が通学の高校生ですが、少子化の時代で、高校生そのものが減少しています。

 この未来もないような赤字の会社に飛び込んで、いろいろな企画を担当して集客に奔走しているA車掌は、長井高校時代の私の教え子です。観光客向けに様々な「企画列車」を走らせ、自らが地元の方言で車内放送を担当したりして人気を集め、マスコミにもたびたび紹介されています。「カキ氷列車」、「餅つき列車」、「生ビール列車」、「サンタ列車」、「お座敷列車」など、他に例を見ないような企画列車が年に何度も走って、赤字削減に奮闘しています。

 このたびは、「赤字を削って黒字にする!」というアイディア商品が発売になりました。本日の発売を前に、昨日の地元紙に大きく紹介されていました。以下の写真と記事は、その地元紙からの転載です。

***********************************

山形鉄道黒字鉛筆


 フラワー長井線を運行する山形鉄道(長井市、若狭嘉政社長)は、「早く黒字に」との願いを込めた新たなオリジナルグッズ「黒字鉛筆」をあす1日から発売する。

 「黒字鉛筆」とはいってもすべて黒ではなく、「早く赤字を削って、との意味で」(成沢栄一専務)芯の下3分の1は赤にした。六角形の鉛筆の周囲には線路と長井線の車両に加え、赤湯から荒砥まで全17駅の駅名と南陽、川西、長井、白鷹の各市町の花を印刷。地元川西町内の工場が作った。

 さらに上部には長井線のイメージカラーを意識した3色に塗り分け、大吉から凶までのおみくじと、学生がテストで迷った時(?)に使えるよう「あ」から「か」までのひらがな、「A」から「F」までのアルファベットを入れるという遊び心も。

 2本1組200円で、2160セットを準備。赤湯、長井、荒砥の有人3駅とホームページで販売するほか、団体客向けに車内販売も行う。問い合わせは山形鉄道0238(88)2002。

***********************************


 「葉っぱ塾」も少しでも応援したいという気持があって、昨年は「サンタ列車」が運行される際にいくつかの駅に灯すリサイクル・キャンドルづくりを、高校生たちと一緒に行いました。「葉っぱ塾」のイベントに参加してくださる方にもできるだけ乗っていただくように心がけています。

 もし、遠方の方で、この鉛筆が欲しい! という方がおられたら、駅はすぐ近くですので、買ってお届けいたします。「鉛筆のために手間をかけさせては・・・」などとご遠慮なさらずに、お申しつけください。少しでも赤字が削られるように。連絡をお待ちしています。






happajuku at 04:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 葉っぱ塾からのメッセージ