2016年03月03日

☆★あれから5年、今なお仮設住宅〜大防潮堤の陰で

IMG_4641

<震災前の野蒜海岸付近>


  先日東松島のみなさんに山形の啓翁桜をお届けに伺いました。

  その際、「小野駅前仮設住宅」の集会所にもお邪魔したのですが、出入口のところに2つの航空写真が並べて掲げてありました。

  一つは震災前の野蒜海岸付近のもので、もう一つはほぼ同じところの震災後のものでした。

  まず、写真で最も目立つのは、きれいに湾曲した海岸線です。

  ここが、東北では有数の海水浴場だったところです。

  「小野仮設住宅」に当初入居されたいた方々のほとんどのご自宅が、この写真に写っているそうです。

  写真右上から左中央部にかけて伸びているのは、「東名(とうな)運河」です。

  私が震災後初めてこの運河の脇を通ったのは、震災から1か月も経たない4月6日のことでした。

  水面が見えないほどに瓦礫や漂流物で埋め尽くされていました。

  この運河での行方不明者の捜索は、その後で始まりましたから、あの時の運河にはまだたくさんの方々が、発見されないままおられたはずです。


IMG_4642

<震災後の野蒜海岸付近>


  震災後に撮影された写真を見ると、人々の営みがあった場所が、ヘドロで埋め尽くされて、破壊し尽くされていることがわかります。

  先日最後に啓翁桜をお届けした「宮戸島」は、この写真の下のほうで、ここには写っていませんが、野蒜海岸沿いに宮戸島へ通ずる道路の海側には、巨大な防潮堤が築かれつつありました。

  次に来るかもしれぬ津波を防ごうということでしょうが、その内側の広い地域は、もう居住区域ではなくなりました。

  いったい何を守ろうとする防潮堤なのでしょうか?

  こうした「防潮堤」はあちこちで造られているとのことですが、そうしたことに巨額の費用がかけられる一方で、5年経ってもまだ、人々が仮設住宅で暮らさねばならないことに、ため息が出るのです。

  何か造るといっては大企業が工事を請け負い、また、壊れたといってはその撤去にも大企業、さらには新しいものの建設もまた、大企業が請け負う。

  人々は過ぎゆく時間の中で次第に歳を重ねてゆく。そして震災前の生活が「元に戻る」ことはない。

  「復興」というけれど、そこに住んでいた住民たちは、潤う大企業に翻弄されるように漂わざるを得ないということなのではないか。

  そんなことを考えた今回の東松島訪問でした。



    ☆「葉っぱ塾」・モンベルのコラボイベント

    ☆「葉っぱ塾の被災地支援活動中間報告」
           (Yamagata1)



☆このブログの History View はこちら

※コメントの書き込みは下の↓Commentsをクリックください。
  

happajuku at 05:00│Comments(0)TrackBack(0) 東日本大地震・「アウトドア義援隊」関連 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔