ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

幸四郎さんが内蔵助を演じたもう1本の名作

今日12月14日は「赤穂浪士討入りの日」です。ゆかりの泉岳寺では「義士祭」祭も行われます。昭和の映画ファンとしては「忠臣蔵」は大好物で、各社で作られた何本もある作品を見比べるのも楽しいです。基本的な話は同じなのですが、微妙な所が違ったり、ポイントが置かれている点が違ったり、これだけヴァリエーションが多いというのは、物話として魅力があるということでしょう。
11日に高麗屋の三代襲名の「お練り」が行われ、松本幸四郎さんが「松本白鷗」を襲名するわけですが、先代の白鷗さんは松本幸四郎さんを名乗っていた頃、二つの映画会社で「大石内蔵助」を演じています。最初は松竹で「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」(1954 大曾根辰夫監督)、東宝歌舞伎に移籍し「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」(1962 稲垣浩監督)です。後者は原節子さんが最後の映画出演作(大石りく役)となったことでも知られています。幸四郎さんはさすがに安定した演技で、僕の中で「内蔵助ってこういう人だったんじゃないか」と強くイメージされました。
実は、幸四郎さんはもう1本、映画で内蔵助を演じています。「琴の爪」(1957 堀川弘通監督)です。こちらはオールスター映画ではなく1時間足らずの短編ですが傑作だと思います。「元禄忠臣蔵・大石最後の日」という戯曲が原作で、討入り後、細川家に預かりの身になってお裁きを待つ浪士たちの姿を描いています。討入りから50日が経過し、なかなかお裁きが出ず、「来るときを待つだけだ」と言う義士たちもさすがに焦りや動揺が見えてきます。細川家当主(中村鴈治郎さん)が「世間では義士の皆さんは英雄と言われてますよ」と世間の評判を伝えると「若い者も多いので勘違いする者だ出るやも……そういうお話はお控えください」と言う内蔵助を演じる幸四郎さん、貫禄たっぷりの演技です。
話の中心になるのは「磯貝十郎左衛門」で、中村扇雀さん(現在、人間国宝の坂田藤十郎さん)が演じていますが、許嫁の「おみの」という娘が「一目会わせてください」とやって来ます。自分は本当に愛されていたのか、それとも義士の正体を隠すための計略に使われていたのかを聞きたいという切ない気持ちです。この「おみの」を演じるのが扇千景さんなのですが、ものすごく美しい! 小姓に扮して何とか細川家に入ろうとします。その男装姿も、今の言葉で言えば「萌える」という所でしょうか。のちの政治家となった扇さんとは別人のような(失礼)可愛さなのです! この映画がきっかけで扇雀さんは扇さんと結婚(つまり扇さんは鴈治郎さんの義理の娘となるわけです)されますが、この可愛さを見たら嫁にしたくなるのも無理ありません。  (ジャッピー!編集長)

懐かしのロッテ本拠時代の川崎球場

昨日の当ブログで、大阪球場跡に建つ「なんばパークス」を訪れた話を書きました。このときビックリしたのは、その立地です。南海電車の「なんば」駅を降りると目の前なのです。僕は地下鉄で行ったのですが、コンコースがずっと繋がっていて、そこを5分ほど歩くと到着。繁華街のど真ん中です。こんな場所に野球場があったのか!というのが衝撃です。東京に例えると渋谷の中心にドーンという感じで球場があったわけです。ああ、ここで南海のゲームが観たかったなあと強く思いました。
僕は子供の頃からパ・リーグ好みでしたが、南海、阪急、近鉄と関西にチームが集中していたし、ライオンズはさらに遠い九州ということで、行けた球場は日本ハムが本拠にしていた後楽園と、ロッテがホームにしていた川崎球場だけでした。
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ロッテ・オリオンズは南千住の「東京スタジアム」(当ブログ11月5日、6日を参照してください)が閉鎖されてからは、仙台を準本拠とし、いろいろな球場を間借りするいわゆる「ジプシー」球団となっていました。川崎球場を本拠にしていた大洋ホエールズが「老朽化」などを理由に横浜へ移転ということを決め、(たしか川崎市では移転反対の署名運動とか起きて大騒ぎだったと記憶)空いたところにロッテが移ってきたのです。「老朽化」で他球団が去った球場をホームグランドにするのですから初めから哀愁感が漂うというか、前途多難を予感させます。
僕が初めて川崎球場に行ったときの印象。階段を上がり目の前にグランドを見たとき「ここ、本当にプロ野球の試合をやる所なの?」と思いました。とにかく「狭い!」のです。後楽園も狭い球場でしたが、観客席が多いせいか、川崎は一回りも二回りも狭いように感じたのです。おまけに観客はほとんど入っていません。よく、「プロ野球ニュース」の「珍プレー好プレー特集」で、試合そっちのけで客席で麻雀している人や膝枕してイチャイチャしているカップルが映し出されていましたね。落合博満選手もよくグランドに出ると観客を数えていたというエピソードもあります。ks29

たしかに閑散としていて寂寥感はありましたが、いいところもあって、ピッチャーの球が捕手のミットにおさまった時の音、バットに球が当たる音などよく聞こえました。また、客席のヤジがよくきこえて「高代、もっと左に守っとけ~」とかお客が選手に指示する声とか面白かったなあ。今や、どこの球場も「ボールパーク」と呼ぶ方がふさわしいようなキレイな作りになり、「カープ女子」など女性のファンも増えました。パ・リーグも人気を回復して各球場、多くの観客を集めていて野球ファンとしては嬉しいですが、時々、あの川崎球場の荒涼とした風景、いかにも「昭和」というやさぐれた野球ファンの雰囲気が懐かしく思い出されます。LoHa027
1塁側の小屋みたいな所で売っていたラーメン、あれももう一度食べてみたいなあ……。   (ジャッピー!編集長)

大阪スタジアム跡、消された栄光

昨日の当ブログで野村克也さんが南海ホークスからクビになった話を書きました。23年も在籍し、選手、監督としてチームを引っ張ってきたノムさんは悔しかったと思いますが、会社の方の野村さん排除の空気は相当に強かったのだと思います。
そんな会社側の「意志」を強く実感したことがあります。かなり前のことになりますが、僕は大阪に出張したときに、時間が空いたので南海ホークスの本拠地・大阪球場があった場所に行ってみることにしました。南海のホームグランドですが、1979年には「広島カープ対近鉄バッファローズ」の日本シリーズが開催されました。たしか、近鉄の本拠地の藤井寺球場がナイター設備が十分でないといった理由で日本シリーズ開催の基準を満たしていなくて大阪球場を借りたのだと記憶しています。(その後、改修して1989年の読売ジャイアンツとの日本シリーズは開催できました)そう、あの有名な「江夏の21球」は大阪球場が舞台でした。
そういった歴史のある球場跡を巡礼するような気持ちで訪れたのですが、そこには「なんばパークス」という商業ビルがドーンと建っていました。img_garden_2f
僕が行ったとき、まだ出来たばかりで真新しく、中にはオシャレなお店が並んでいました。その何階だったか、ちょっとしたスペースに「南海ホークス歴史館」みたいなコーナーがありました。南海ホークスの創設から1989年ダイエーに身売りするまでの歩みが年表の形で紹介され、数々の写真パネルが展示されています。
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で、見て驚きました。どこにも「野村克也」の名前が出ていないのです! 例えば、年表に「1959年日本シリーズで巨人に4連勝」と杉浦忠投手を大きく讃えたりしても、1965年に野村さんが戦後初の三冠王を獲得したことなんか完全に無視。写真パネルは「名選手」列伝みたいな感じで並んでいるのですが、「盗塁王・広瀬」とか出ていてもホームラン王9回、打点王7回の野村さんのノの字も出ていないのです! スタンカ投手、皆川投手、藤原内野手、門田外野手、など往年の選手の写真が並ぶ中、ノムさんが完全に排除されているのです。それはもう見事なほどで、チームのスナップなども野村さんが写ってないものをより抜いたのでしょう。「野村克也」という人間は存在しなかったようになっていました! ジャイアンツの歴史を展示するとして、「王貞治」「長嶋茂雄」を抹消するようなものですから、誰が見ても不自然きわまりません。この展示には本当に南海の会社側の怨みの深さと冷たさを感じ、ゾッとしました。その後、行ったことがないので今でもこの展示があるかどうか不明ですが、大阪球場という「夢の跡」でこんなものを見るとは思いませんでした。
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  (ジャッピー!編集長)
北方義朗
ジャッピー!編集長
ハピイ氏橋
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