ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

追悼・土屋嘉男さん~黒澤明邸に下宿した男

土屋嘉男さんの死去のニュースが今月始めに報じられました。実は、今年の2月8日に亡くなっていたとのことで、何でここまで発表されていなかったのかと思い、ニュースが報じられた日付を見たら9月6日だったのでピンときました。この日は、黒澤明監督の命日なのです。多くの作品に出演しただけでなく、プライベートでも交流のあった黒澤さんの命日に発表するという個人の遺志、あるいは遺族の希望があったのでしょう。
土屋嘉男さんと黒澤明監督との出会いはトイレでした。土屋さんは俳優座の研究生(2期生)で、黒澤さんは「七人の侍」(1954 黒澤明監督)の出演者のオーディションに俳優座にやって来ました。オーディション希望の者は待機するように言われましたが、当時俳優座の研究生(2期生)だった土屋さんは参加しませんでした。もちろん既に巨匠となっていた黒澤監督の作品は土屋さんも観ていて、「七人の侍」もいちファンとして楽しみにしていたのです。つまり、出るなんて考えもせず、完全に観る方だったわけです。それで、オーディションが行われている間、近くのパチンコ屋で球をはじき、そろそろオーディションが終わった頃かなと戻って、トイレに入ったのです。そこに見慣れない背の高い男が入ってきて隣りで小便を始め、思わず、目が合ってしまったその人が黒澤明さんだったのです。結局、その日のオーディションでは黒澤監督のお眼鏡にかなった人がいなかったのですが、後日、黒澤監督から土屋さんに「撮影所に来てくれ」と連絡があったのですから、トイレで会ったときの印象に光るものがあったのでしょう。こうして「七人の侍」で若い農民の役がついた土屋さんは以後、黒澤作品の常連俳優になっていきます。
土屋さんは自他ともに認める朝寝坊で、黒澤さんが一緒に行けば撮影に遅れることもないということもあり、「俺の家に住めよ。旨いものも食わせるから」と誘われ、黒澤さんの家に下宿することになります。ひとつ屋根の下に住まわせるのですから、よほど黒澤さんに気に入られたのでしょう。そのうち、朝ゆっくり起きてくる土屋さんを黒澤さんが朝食を食べずに待っているようになって「いいよ、ゆっくりしろよ。どうせ俺と君が行かなきゃ撮影は始まらないんだから」と言ったそうです。庭で相撲をとったり、釣りに出かけたり、天下の黒澤明と気楽に付き合えたのは土屋さんのフレンドリーな人間性があったからですね。数々の映画で楽しませてくれた土屋嘉男さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
(ジャッピー!編集長)

プロ野球スパイ大作戦

最近、メジャーリーグで、レッドソックスがアップル・ウオッチを使ってサインを盗み、球種を打者に伝達していると、ライバルのヤンキースが告発しました。そうしたら、逆にレッドソックスがヤンキースがホームのヤンキー・スタジアムでTVカメラを使ってサイン盗みをしていると反撃しました。どっちもどっちだなあと思います。野球というのは、サッカーなど動きが連続するスポーツと違って、ピッチャーが1球ずつ投げるという「間」のある球技なので、サインを出し、それをまた盗むという行為が発達したのでしょう。ある意味、そこも野球の一部と考えていいくらいです。おそらく昔から日常的に行われていたのが、IT機器の登場でさらに巧妙になっているのでしょう。
日本のプロ野球にそういったものを持ち込んだのも、ブレイザーさん(南海)やスペンサーさん(阪急)といったメジャーから来た外国人選手でした。特に野村克也捕手がいた南海ホークスは、ブレイザーさんの理論を取り入れ、相手のスキをつく抜け目のない「シンキング・ベースボール」をすすめます。対戦データはもちろん、相手チームの主力打者のプライベートを調べ、ノムさんが「昨日、銀座の○○で飲んでただろ」とか囁いたり、島野育夫選手(のちに星野仙一監督の下、コーチで活躍)などは読唇術まで会得していたといいます。(今はマウンドに集まったとき、グラブで口元を隠すのが当たり前になりました)
また、ベンチに盗聴器が仕掛けられていたという話も多く、西宮球場の3塁側ベンチで南海の島野さんが天井に向けて「上田のアホ」と喋ったら、1塁側の上田利治監督がニヤリと笑ったというエピソードがあります。逆に南海のホームだった大阪球場を取り壊したら、ベンチから盗聴器がゾロゾロ出てきたという噂もありました。
南海を中心に「諜報戦」がパ・リーグで発達したのは、当時、観客が集まらず、スタンドもガラガラだったので、外野席から相手捕手のサインを盗んで伝達するスパイの動きがバッターに見やすかったからとも言われています。ともかく、「忍者」の巣だった南海から各チームにコーチや監督が散らばっていき、スコアラーが集めた情報が重要な位置を占めるようになり、ビデオやスピードガンの発達とともに、1990年代に「野村ID野球」という形で完成をみるのです。   (ジャッピー!編集長)

飯島秀雄選手をヒントに生まれた第3のライバル

昨日の当ブログでは、日本人初の9秒台を出した桐生祥秀選手のニュースから、飯島秀雄さんの話になりました。オリンピックに出場した陸上選手がプロ野球に入団という異色の経歴を持つ飯島さんをモデルにしたと言われるのが、「速水譲次」です。
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「巨人の星」で、星飛雄馬の第3のライバルとして登場した速水譲次はオリンピック候補にもなった陸上選手という設定。「陸上では金が稼げない」と言って、ジャイアンツの入団テストを受けるのです。青雲高校を中退した飛雄馬も同じテストを受けていて、最終関門で打席に入った速水と対決します。飯島さんと同様、野球経験のないアスリートである速水ですが、走力は文句なく合格、遠投テストでは何と「砲丸投げ」のスタイルで90メートルのラインを越えます。(←そんなバカな!) そして、最終テストとなり、飛雄馬と対しますが、甲子園準優勝投手はとても打てないと思った速水は「スパイクの紐が解けてるぞ」と飛雄馬を動揺させてセーフティバントを決めます。(←それでも素人がバットに当てられるかなあ)結局、必殺の魔送球で速水をアウトにして飛雄馬が合格。速水は伴宙太とともに補欠合格でジャイアンツに入団します。
この入団テストのときから、速水は「好かれない」キャラクターでした。
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花形満には特に嫌われ、速水が代走で一塁にいるとき、ボールを投手に返すと見せかけ真上に投げるというトリック・プレーで刺し、速水に恥をかかせます。この辺の花形の「速水いじめ」は、今思うと‟飛雄馬と俺の間に入るな”的なホモセクシャルな匂いを感じさせますね。(一方、左門豊作に対しては、その容姿から花形は嫉妬していない?) 
その後も、速水は花形を尾行して「鉄球・鉄バット特訓」を覗き見するなど、手段を選ばぬ狡猾な男として描かれますが、別の見方をすれば、プロのアスリートとして当然の「個人主義者」ともいえます。実は、モデルと言われる飯島秀雄さんは、陸上選手時代の練習中、自分を世界一のランナーと自負してスタートからトップでゴールテープを切る瞬間まで自分でブツブツ実況中継しながら走っていたといいます。一種のイメージ・トレーニングでしょうが、周囲からはかなり奇行に映ったそうです。個人の記録がすべての陸上競技の選手だった速水は、野球というチーム・スポーツ、特に当時の川上ジャイアンツのカラーには合わなかったと思います。   (ジャッピー!編集長)

北方義朗
ジャッピー!編集長
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