昨日の当ブログで誤りがありました。西城秀樹さんのシングル3枚目が「青春に賭けよう」で4枚目が「チャンスは一度」と書きましたが、逆でした。昨日書いてから、夜に喫茶店に行ってスポーツ新聞で「西城秀樹さん死去」のニュースを読んで気づきました。正しくはデビュー曲「恋する季節」(1972.3.25)、2枚目「恋の約束」(1972.7.25)、そして3枚目「チャンスは一度」(1972.11.25)、4枚目「青春に賭けよう」(1973.2.25)でした。お詫びして訂正いたします。そのスポーツ新聞の記事に、3年前、西城さんの還暦記念(ヒデキ、カンレキ!)のコンサートにサプライズで野口五郎さんが登場したというエピソードが出ていました。ステージ上で抱き合って祝福した五郎さんに秀樹さんも涙ぐんでいたということです。
ダウンロード (5)

昨日も書きましたが、秀樹さんは「ちぎれた愛」で1973年度「日本レコード大賞・歌唱賞」を受賞、その歌唱力をいち早く認められました。一方、五郎さんはヒット曲は出ても賞には無縁でした。2年遅れてようやく「私鉄沿線」で1975年「日本レコード大賞・歌唱賞」を受賞した瞬間、五郎さんは涙を流しながら「やっと、とれた」と言った場面を鮮明に覚えています。そういった良きライバルだった五郎さんが病気を乗り越えステージにあがった秀樹さんにエールを送る……素晴らしいです。ギターの得意な五郎さんと、広島時代はドラムをやっていた秀樹さんのセッションなんか見てみたかったですが叶わぬ夢となりました。残念です。
どのスポーツ新聞も「秀樹さんの死去」を一面で取り上げており、やはり「ヤングマン」(1979)を代表曲としていました。「日本歌謡大賞」も受賞しましたが、「日本レコード大賞」の方は「日本の楽曲に限る」という規定があり、ヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.M」のカヴァーであるため受賞できませんでした。ともかく秀樹さんのシングルで売り上げ枚数もナンバー1で、あの振り付け(少林寺拳法がモチーフだそうです)と共に幅広い年代に受けた曲でした。
しかし、この時代には他にも数々の良い楽曲がありました。中でも僕が好きなのは「炎」(1978)です。

♪一生一度なら ピエロも主役さ~ あなたの心を溶かしてみせる~ 恋とは戦いと知らされたならば~炎で氷を溶かしてみせる~という歌詞は、「チャンスは一度」や「激しい恋」(1974)といった初期の過剰なムードを残しながら、そこにストーリーを想像させます。作詞は阿久悠さん、さすがです。同じ1978年には同じ阿久悠さん作詞、馬飼野康二さん作曲で名曲「ブルースカイブルー」もありますので、最高に充実していた時代だと思います。そして「ヤングマン」以降は積極的に才能あるアーティストの楽曲を取り上げていきます。オフコースの小田和正さんの「眠れぬ夜」(1980)、もんたよしのりさん作詞・作曲の「ギャランドゥ」、そしてまさに拓郎メロディという感じで僕が大好きだった吉田拓郎さん作曲の「聖・少女」(1982)もありました。♪八月の波を~水鏡にして~ という作詞は松本隆さんです。本当に「歌う」ことが好きでチャレンジを続けていたんだなあと分かります。
病気に見舞われましたが
、それを受け入れ、前向きに生きることを忘れなかった秀樹さん、そんな人生を経験してさらに味わいのある大人の歌が唄えると思っていましたので、突然の訃報は本当に残念でなりません。  (ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!