ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

大神島探索記1

IMG_2406














宮古島旅行2日目。
子ども連れのため、どこに行こうか迷いに迷ったが、
妥協をすると後悔すると思い、
メジャーな観光地ではない「大神島」にした。


 

幸い、宿泊地からは、

大神島に渡るためのフェリー乗り場には近い。

そしてAIに「マニアックな観光がしたい」と

相談してみたら一番先に出てきた場所だ。

 

大神島を調べると

 

自然の神様に愛された島・大神島は、沖縄でも有数のパワースポット(聖域)が集中する島です。宮古島から4キロに位置している人口26人(2016年現在)の小さな島です。宮古島からは定期船を使って来ることが出来ますが、便数は1日たったの4〜5往復。離島の離島なので、お客さまが多くは来ない島でした。

(大神島自治会・大神島ホームページより)

 

 

私が一番気になったのは奇石だ。

私の出身地立石も石がルーツになっており、
奇石信仰が地名の由来になっている。

昔の人は石に畏敬の念を持ってきており、
それを感じられる場所を見てみたいと思ったのが動機である。

 

 

下の子2人はどれぐらい意味がわかったか
楽しめたかは定かではないが、

私はすごく楽しませてもらった。

親が心から楽しむことが大事なのだと言い聞かせる。

 

 

まずは飲料・食料調達でフェリー乗り場近くの島尻購買所へ。

奇祭パーントゥのグッズなどがあり、期待が高まる。

店主の方に大神島に行く旨を話すと、

台風のせいで流通が滞っており、食堂が空いていない可能性があるから

電話しておいた方がいいと言われた。

その場で電話すると、島に唯一ある食堂は営業中。

ほっと胸を撫でおろした。

こんなコミュニケーションをとれるのも旅の醍醐味だ。

宮古島旅行で考えたこと

IMG_2369









高校2年生、小学1年生、年中さん。

子どもたちが少しずつ大きくなった。

小さい子たちのお世話はまだ大変だけれど、

高校生も含めた子どもたち

3人と旅行をできる機会もきっと、あとわずかだ。

思い切って休みをとって旅行をしたいと切に思うようになった。

 IMG_2385













10年前はそんなこと考えたこともなかったから

よくも悪くも歳をとった。



IMG_2363

 










で、今回の夏休みの旅行は宮古島。

大学時代の友人が仕事のかたわら、

ホームステイを始めたのがきっかけだ。

 IMG_2384












子育てをしながら住む場所を選んで、

仕事や生活の仕方を変えて、生きている。

影響を受けたいと思った。

 

私に家族ができてからは初めて。

十数年ぶりの再会だったけれど、

彼女の気遣いの細やかさ、ユーモア、

意思の強さは全く変わっていなかった。

 

IMG_2383















子どもたちががやがやとしているわきで

大人たちが時々話をする。

落ち着きはしないけれど、距離感が心地よかった。

 


人生は限られている。

子どもたちと一緒にいられる時間も限られている。

プライベートではできるだけ

尊敬できる人、影響を受けられる人と会いたい。

 


私自身も人からそう思われるような生き方をしていきたい。

これから世に出ていく子どもたちにも恥ずかしくない生き方をしたい。

 

こういうことを考えられるのが、

旅の効用だ。

研修で使えたフォーラムシアターの手法

「すみません。トイレに行きたいんですけど」
「ちょっと待っていてね」

毎日どこかのケアの現場で
繰り広げられるシーンだ。

今回、倫理・法令遵守の研修の
担当になった。
この名前だけだと
すごく難しそうな研修を
どうやって面白くできるか
腕の見せどころだ。

直感として演劇だと思った。

このケア、倫理的にどうだろう、
法律的にはセーフなのか、
人や時間が限られる中、
現場はいつも効率性と
優しさのせめぎ合いだ。

だからケアワーカーの人たちに
ケアのモヤモヤするシーンを募り、
私が台本を書き、演じてもらった。

一つはトイレに行きたい利用者が
待たされた挙句、失禁をしてしまい、
職員がイヤイヤ対応する場面。

もう一つは食事の配膳中に
突然家に帰ろうとする
認知症の利用者を
職員が無理やり座らせて
食事をさせようとする場面。

どちらも実際のお芝居をして
見ている人たちは変だと思ったところで
劇を止めて意見を言ってもらう。

劇を止めなければ、
その場面はおかしくない、
見ている人は認めたということになる。

「〇〇ちゃん」と利用者をあだ名で
呼ぶやいなや、数人から手が上がった。
自分だったらどうするかを
実際にやってみる。
これがいろいろな人のケアを見られて
すごく面白かった。
みんな、それぞれのやり方で
ユニークなケアを披露してくれる。

私は利用者役の人にどう感じたか
意見をもらうことを大事に進行した。
自分のケアに対してフィードバックを
もらえる機会はなかなかないので貴重なのだ。

正しいかどうかは、
その時の環境や関係性で違う。
でももしかしたら間違っているかもしれない
もっとよいケアができるかもしれない
そう思ってするケアと
そうでないケアとでは
優しさが違うと思う。

みんなが一生懸命考えて
一生懸命演じてくれた時間が
すごく愛おしかった。

映画『急に具合が悪くなる』を見て嫉妬を感じた2

flyer_1















映画の背景にあるのが、バザーリア法である。

1978年、イタリアで世界に先立って初めて公布された精神科病院廃絶法である。

 

映画の中で
「Da vicino nessuno e normale (近づいてみれば、誰もまともな人はいない)」
というタイトルの演劇が真理の演出で上演されていた。
これは法律名のきっかけとなった精神科医のバザーリアが
精神科病院に精神障害者を隔離する社会に異を唱えたように、
真理は演劇の中でバザーリア法をテーマにしつつ、
演出で決められた枠を取り外す試みをしていた。
例えば、観客に楽器を持たせ、好きなところで演奏させたり、
自閉症の青年が突然舞台に上がって来て叫んだり。
「役者」「観客」「外国人」「障害者」の枠が曖昧になり、
全員が演劇を成立させるために参加することになる。

 

 

私も20年以上前に、ヘルパー2級の「精神障害」の研修を受けた際、
世田谷の自立支援運動の当事者であった
講師から紹介された言葉を思い出した。

「我が邦十何万余の精神病者は、

 実に病を受けたる不幸の外に、

 この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものと云うべし」

(Welbee映画レポート「この国に生まれたるの不幸」
 〜100年前、精神障害者の為に奔走した1人の男がいた〜
より)


調べてみると明治時代の精神科医呉秀三が残した言葉だそうだ。
日本で生まれた精神障害者は病気以外にも、
自宅監禁や社会からの強い偏見にさらされるという意味で、
講師から「今の日本も明治時代から構造は変わっていない」
と教えられたことをよく覚えている。
印象的な言葉だった。


介護施設の施設長マリーは
ユマニチュードを導入して改革を進めていたが、
効率を重視する現場の職員から厳しい抵抗にあい、
試練を迎えていた。
そんな折、真理と真理たちがつくる演劇に出会ったことが
「高齢者」「職員」「ボランティア」「地域の人たち」の枠を
取り外す試みに目覚めていく契機になったのだと思う。

直後に真理が介護施設の空き部屋の住人となり、
施設の中で演劇ワークショップを行っていく。
真理は癌末期で死が施設に入所している高齢者以上に身近になりながらも、
マリーとともに「悪あがき」していく様子は「希望」に見えた。

実際、真理が施設の高齢者からタバコをもらい、
「死ぬわよ」と言われ、倒れる場面も描かれる。
仕事も生活も医療的には決して勧められたことではないのだと思う。
でも、自分の人生、余命宣告があっても、
高齢や障害というハンディがあっても、
自分らしくどうやって生きていくかを考えさせる映画だった。


果たして自分らしく生きているのだろうか。

やりたいことはやれているのだろうか。

大いに嫉妬させられる映画だった。

映画『急に具合が悪くなる』を見て嫉妬を感じた1

flyer_1

 














3
時間16分。このように長い映画を夫婦で見た。

見られるようになったとも言える。

真ん中の娘が小学生になり、末っ子が年中となり、

夫婦で職場も変わり、少しの時間なら作れるようになった。

 

『急に具合が悪くなる』。

主人公は癌を患う女性演出家の真理。

そしてフランスで理想の介護を追い求める施設長のマリー。

二人が偶然出会い、対話を始めたことをきっかけに

お互いの専門を活かして、課題があった

介護施設に変化をもたらしていくという内容だ。

 

ああ、私は演劇も介護もよくわかる・・・、

いやこの監督はなぜわかるんだろう?

というぐらい細かい描写にあふれていて嫉妬してしまった。

認知症の人を穏やかにケアするユマニチュードに

高齢者の人たちとする演劇ワークショップ、

自閉症の子どもも一緒に参加して成立するお芝居、

どれもかしこも私のキャリアで体験してきたことばかりだ。

それがフランスや日本を舞台に映像におさまっている!

それも説得力がある形で。

 

濱口竜介監督、すばらしかった。

 

で、内容もすごく興味深かった。

真理は癌告知の後、主治医に「急に具合が悪くなる』と言われ、

安定していた「生」が揺らぎ出し、その揺らぎを演劇にする。

偶然、芝居を観たマリーは芝居後のアフタートークで、

その部分に共感して対話を始める。

そして終演後、対話が止まらず、若者のように話続ける。

 

癌があるなら安静にしてよう、と思うのが「普通」なのに、

生きているって、人と会うって、こういうことだよね!

具合が悪くなっても、楽しさって大事だよね!と思う。

これは私自身、ケアマネとしてたくさんの高齢者を見ていて、

ご家族や周りの心配に押されて、

ついつい安心や安全を求めてしまうけれど、

絶対に忘れてはいけない部分だ。

私が2歳の時の映画『マンハッタン』が想像以上に面白かった2

20170805014756

 



















『マンハッタン』は
ウディ・アレンのお膝元
ニューヨークを舞台に進む。

 


冒頭では高層ビル、雑踏、道端、お店、
駅、車、スラムっぽい場所・・・。

町のあちこちが紹介され、
町の中に住む人たち自身、

ひいてはその人たちの気持ちや人間関係に

焦点があたるような導入になっている。
(全編がモノクロなのも
 余計な装飾を入れない意味なのだろう。)

 

話としてはシンプルだ。

ウディ・アレン演じる42歳の中年男が
17歳の女子高生と付き合っていて、

友人が不倫をしている女性
(ダイアン・キートン)に夢中になり、

はっきりふられたことをきっかけに

元の17歳の女性の大事さに
気づくというような内容だ。

 

ここに書いていても
よくある陳腐な筋立てだけれど、

にぎやかで知的で巧みな
ウディ・アレンの作品が好きだった

20代の私が見たら物足りない部類に入っただろう。

 

しかし見栄や虚飾、偏見に満ちた
登場人物たちが恋愛をし

人を傷つけてしまう愚かさが
少しはわかる年になった。

 

あれ、これはどこかで
見たことがあると思ったら、

ロシア演劇の大家チェーホフだ。

劇の中で大きなことは起きない、

でも登場人物の中では
たくさんの物語が起きている。

 

調べれば、ウディ・アレンは
チェーホフに傾倒していたと言う。

当時はつながらなかったが、やはり!である。

 

結局、自分の欲望に
正直に行動する大人たちを見て

笑いながらも、
自分にもこんなところがあるんじゃないかと

ぐさぐさ刺さった。

 

ウディ演じる中年男が、最後に自ら薦めた

ロンドンへの演劇留学に向かおうとする
17歳の彼女から

言われた言葉が秀逸だった。

 

「6カ月はそんなに長くないわ、

みんなが堕落してしまうわけじゃない。

人をちょっとは信頼しなくちゃ」

 (参照『マンハッタン 恋愛映画のセリフと名言、ネタバレあらすじ、感想』)


ウディ・アレンの映画は

彼の乱れた私生活がたくさん反映されているというが、

このような良心的な言葉が時々入ってくるのが、

すごく好きだ。

私が2歳の時の映画『マンハッタン』が想像以上に面白かった1

656873416_1646469067480156_1445358500372891221_n














2026
年「午前10時の映画祭」のラインナップである。

 

私はウディ・アレンの映画が好きだった。
ニューヨークを舞台に小気味よい皮肉がたっぷり効いた
コメディを作れる監督だったからである。


初めて観た作品は『世界中がアイ・ラブ・ユー』。
歌がお世辞にもうまくないジュリア・ロバーツに
ミュージカルをさせてしまう演出に舌を巻いた。

次作『地球は女で回っている』は
ウディ・アレン演じる作家が
スキャンダルをネタに自虐的な物語を書いて次々発表。
実生活からは孤立して自分の物語の登場人物しか
慰めてくれる人がいなくなるラストに驚愕した。
(さらに原題が『脱構築ハリー』。
 こちらの方が秀逸で好きである。)

以来、『セレブリティ』『ギター弾きの恋』
『さよなら、さよならハリウッド』
『おいしい生活』『タロットカード殺人事件』
『ミッドナイト・イン・パリ』『ブルージャスミン』
といった大作・佳作も存分に映画館で楽しませてもらった。

 

そして過去の『アニー・ホール』や
『カイロ紫のバラ』、『カメレオンマン』
『ラジオ・デイズ』『私の中のもうひとりの私』
といった名作もレンタルビデオで借りて楽しんだ記憶がある。

 

そんな中、理解ができなかったのが
名作の一つと言われている『ハンナとその姉妹』だった。

好きなウディ・アレンとは
違う種類の映画を見ているようで、
ウトウトしながら最後にたどり着き、
あの映画はなんだったのだろう?と未だに謎である。

 

今回の『マンハッタン』も
1975年の作品でその系譜だったのではないかと思っていた。

(次回に続く)

子育てしている父として『ハムネット』は痛かった

hamnet_20260128_01

 





















話題になっていた映画『ハムネット』。

ウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇の一つ
『ハムレット』を題材にした映画です。
英米文学科出身+演劇が専門の私としては、
鼻息荒く必ず!観に行こうと思っていました。



舞台は16世紀のイギリスの小さな村。
劇作家として世に出る前の
ウィリアム・シェイクスピアは
薬草に詳しい不思議な女性アグネスと出会い
恋に落ちます。
そしてアグネスは妊娠。
周囲の反対を押し切って二人は結婚し、
長女が生まれます。


 

平和な時間もつかの間、
ウィリアムは作家としてのキャリアを積むため、
一人でロンドンへ。
直後に双子の長男ハムネットと次女が産まれ、
アグネスは一人で子育てを担います。
前半は久々に帰宅するウィリアムを前に
子どもたちがお芝居を披露するなど
幸せな家族の様子が描かれます。

 

ああ、この時点で家族構成も私の家族とほぼ一緒。

しかもウィリアムの単身赴任と
アグネスのワンオペは
現代のどこの家族にもありそうな話で、
お話にどんどん引き込まれていきます。

 

ところが、映画のトーンが
次女のペスト発症をきっかけに一変します。
アグネスは看病に孤軍奮闘しますが、
その甲斐なく長男ハムネットが
双子の次女の身代わりになるような形で
死んでしまいます。
そこへタイミング悪く、
単身赴任の夫ウィリアムが帰宅。
アグネスは長男が死ぬまで
何の力にもなれなかったウィリアムを攻め立てます。


この時点で私はハムネットの姿が
末っ子(4歳)の姿に重なって、
涙腺崩壊・・・自然と涙がこぼれ落ちていました。
ああ、わが子や家庭がピンチのときに
戻ってきたくない父親なんていないのに・・・。

 

妻に許してもらえない夫は再びロンドンに戻り、
芝居を作り続けます。
そして悲劇『ハムレット
(当時は『ハムネット』だったという説を採用)』
が生まれたのでした。
死んだ息子の名前がついたお芝居を
アグネスは半分怒りながらロンドンに観に行き、
芝居の中でウィリアムの苦悩と息子ハムネットの再生を
目撃し和解するという内容です。
言葉にすると単調ですが、
この芝居の描かれ方が見事でした。

 

特に冒頭、死んだ国王が
息子のハムネット王子に語りかける場面では、
逆に生きているウィリアムが
死んだ子どもに別れを告げているように見え、
涙を誘います。

 

そして父の敵を討とうとハムネットが決闘で死ぬ場面では、
観客全員が固唾を飲んで見守ります。
アグネスも自分の息子の死にざまを見るように
感情移入をしている様子が描かれます。

 

私がもっと若いときであれば、
ウィリアム・シェイクスピアすごい!
自分の不幸をこのような芸術作品まで昇華してすごい!
自分もそのようになりたい!
と思ったかもしれませんが、
今、子育てしている立場からすると、
ウィリアム・シェイクスピアは才能を
そのように使ってしまってずるい!
と複雑な思いを抱かざるをえないのです。

 

いずれにしてもかわいい盛りの男の子の死は
他人事ではなく、だいぶ泣かせてもらいました。

江東区と江戸川区の間に橋の数が多い理由

旧中川を下る。

 

途中から「橋が多くないか」と気づいた。

以前、ブログに江東区に橋が多い件は書いた。

江東区民が異常なまでに橋に執着するのは

橋が純粋に好きなのか、それとも自分の土地が怖いのかと考えたが、

やはり隣の江戸川区とつながっていたいからではないか。

 

隣に住んでいるけれど仲よし。

いつでもどこでも行き来がしたい。

友好度が行き来の数で測れるとしたら、

橋の数はその証左になるのではないか。

 

 

ふれあい橋

IMG_1441 

 










やはり!

名前からして仲よしの証拠となるような橋の名前だ。アーチ型が仲のよさを表現しているようだ。



中川新橋

 Kyunakagawa008_NakagawaShin0251









(撮りわすれてしまったため「東京の橋」から転載)

旧中川にかけられた新しい橋なのであれば、

「旧中川新橋」ではないかと思う。

 

 

 

亀小橋

 IMG_1452











これは亀戸と小松川を結ぶという意味だろうか。

名前のつけ方がわかりやすくてよい!

 

 



逆井橋
IMG_1453

 










奥の青い橋が逆井橋。
かつて「逆井の渡し」があったとか。

読み方は「さかい」だとばかり思っていたが、「さかさい」。

低地のため、川の流れが逆に流れるように見えたことが由来だとか。

やはり地名には意味があるなと思う。

 

 

虹の大橋
IMG_1456








 

江東区には「レインボーブリッジ」という有名な橋があるが、

こちらも英語では「レインボービッグブリッジ」になる。

名前的には勝っているのだけれど、なぜか日本語で「虹の大橋」。

虹なのでアーチ形かなと思えば、関係なく平坦だ。

橋がたくさん並んでいるところにいて、自己主張もひかえ目。

派手さもない。

「レインボーブリッジ」と違って、
ドラマにも取り上げられたことない。
淡々と江東区と江戸川区をつなぐ大橋なのだ。


もみじ大橋とさくら大橋
IMG_1458

 











さらに不思議なのは「大橋」だけが引き続き採用されて、

虹の次は「もみじ」だ。

自然現象に対して植物になってしまった。

大島小松川公園は秋になると「もみじ」の名所なのだろうか。

 

大橋は続く。植物シリーズ第二弾。

今度は「もみじ」に対応して「さくら」だ。

こちらの方が潔い。

大島小松川公園は「さくら」の名称なのだろうか。

 

 

橋を続けて眺めてきたが、

江東区や江戸川区のみなさまはどの橋がお好みなのだろうか。

一般の人たちでも橋の渡り比べができる珍しい場所である。

橋マニアの人は大島か小松川に住んでみることをお勧めする。

すごいよ!堀切名店再訪3

堀切には24時間営業のすごいお店がある。

コンビニでもファミレスでもない

町中華の名店タカノである。

ここがすごいのは時間だけではない。値段も規格外だ。

以前は普通のラーメンが350円。

物価高の今はさすがにその価格は維持できなかったようで

500円、600円とじりじりと上がっていったようだ。

 

ところが

店の前に行くと数年前は見たことのない光景があった。

外国人も含めた行列が6,7人ほど。

やはり地域に根差した名店として

インバウンド客にも認知されたのだろう。

最後の締めにしようと密かに思っていたので

当てが外れた・・・。

 

3人で町周辺を散策する。

町中華のイメージが残っていたのだろうか、

10分ほど歩いて決めたのは『独一処(とくいっしょ)餃子』。

かの『哈爾濱(ハルピン)餃子』の跡にできたお店である。

哈爾濱餃子には焼餃子はもちろん、

トマト水餃子という忘れがたい味があり、

なくなった時はしごく残念だった。


IMG_1910

 












今回のお店は二度目の来訪。

しかも今年の4月から

西安料理のビャンビャン麺(𰻞𰻞麺)づくりの達人が

働き始めたとのことで

ジャージャー麵を頼んでさっそくいただいてみた。

確かにモチモチとした幅広の麺に辛みそが絶妙にからみ

美味しい!
IMG_1906

 












青島ビールも久しぶりで最後の締めにふさわしいお店だった。

IMG_1905















合計3,500円ほど。

3軒行っても一人当たり4,000円まで届かない堀切クオリティ。

すごいよ堀切!

♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
Profile

ふっきー

Recent Comments
Archives
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ