ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

2023年をふりかえる

ついに1年間のふりかえりしか
更新していないブログになってしまった。

泣きたくなるぐらいに
自分の時間を確保するのが難しかった。

家では乳幼児たちが襲ってくる。
最大限、家事を効率的に
やっているつもりだけど、
朝夕甘えてくる
子どもたちの相手をしながらは至難の業だ。

仕事も仕事で最低限の人手で回すため、
なかなか余力がなく、
子どもたちが体調を崩すと
さらに現場やルーティンワークを
維持するだけで精一杯という
悪循環に陥る。
そして、残業はほとんどせず、
保育園のお迎えと
帰宅後の家事・寝かしつけが待ち受ける。

来年は長男が高校受験。
本格的な準備期間に入り、
体調管理や勉強のマネジメントも
関与し始めた。

以前の私から見たら
想像できないほど幸せで、
満たされている。

人をケアする仕事をしていて、
家でもケアをしている。
ケアは専門家だから全然苦ではないし、
そのせいか夫婦関係も親子関係も良好だ。

しかし仕事だけは、
以前のような力の入れ方ができず、
さらに勉強する時間も捻出できず、
人とも会えない。

せめて日々思うことや
葛藤や願望を記録して
未来の糧にしたいと考えている。

2022年をふりかえる

仕事も家事も育児もボーダレスの真っ只中。
自分の時間は子どもたちの面倒を
妻が見てくれていたり、
眠って間に挟まれたりしている時しかなく、
かく言う今も2人の寝息が聞こえる横で
スマホを打っている。

印象的な取り組みは
仕事で『地域で暮らすためのわくわくクラブ』を
立ち上げたこと。
10月から月に一度ほどだけど、
地域のシニアのみなさんが
健康のために通ってきてくれている。
通称「ちくわぶ」とつけてみたのも、
覚えられやすく、呼びやすくヒットだった。
とは言え、参加者の反応や
ニーズを見定めながら
中身を考えていかねばならず、
私自身のマーケティング能力を
改めて問われるような事業である。
来年は何とか形にしていきたい。

大変だったのは第七波の冒頭で
一家全員コロナにかかったこと。
幸い、症状は重度化せず、
みんな元気に回復したけれど、
約10日間外に出られない生活はつらかった。
職場にも多大な負担をかけたけど、
誰一人文句を言わずに頑張ってくれたのが
嬉しかった。

4年前まで独身だった私が結婚し、
小学生の男の子とも暮らし始め、
2人の子を授かった。
今は上が中1、真ん中が2歳、下が1歳。
常ににぎやかだ。
毎月、誰かしら何らかの病気や怪我をして
病院に行き、パートナーと工面して
仕事を早退けしたり休んだりする。
そして、勤め先のデイサービスも
コロナ禍と昨今の節約志向・物価高などが重なり、
利用者様も思うように増えていかない。

そんな中でも信頼できるパートナーと
公私共に協力して
考えたり相談したりしながら
仕事をして生活できるのは幸せだ。

見たこと、聞いたこと、
発見したこと、学んだこと、
おもしろいこと、悲しいこと、
全部話せて受け止めてくれる
パートナーは得難い。

そして傍らでは子どもたちが
どんどん成長していく。

タモリが「新しい戦前」と
言葉を使ったように時代は真っ暗だ。
明日が子どもたちにとって
少しでもマシな未来になるように
行動していきたい。

コロナにかかって思うこと2〜まさか自分が

長男がコロナになったため、
濃厚接触者として翌日の勤務はお休み。
というか、いつどこで誰がかかったのか。

ちなみに長男が通う中学校のクラスでは
感染者はいないらしい。
一つ怪しかったのは、
2歳の長女が先んじて鼻水が出ていたこと。
そして私自身も前日
原因不明のくしゃみがあったことであった。

当日、症状のある長女が小児科を受診し、
PCR検査を受けた。
念のため、それ以外の家族も
抗原検査キットを使う。
なんと、私のみ陽性。

翌日、長女も陽性判定。
私も抗原検査の結果のみで陽性判定。
妻と0歳児の次男が
PCR検査を受け、翌々日に陽性。
狭くて小さい子どもたちだらけの
わが家では完全な隔離などできず、
全員が陽性となったのは不幸中の幸いであった。

私はほぼ無症状。
ワクチン接種をしていない、
※続きを後で書く。

コロナにかかって思うこと1〜コロナが突然やってきた〜

6月下旬、ある日の深夜のこと。
突然、長男が寝室にやってきて「熱がある気がする」とのこと。
夫婦で飛び起きた。

検温をすると39.2℃。想定外の体温だ。
同居家族に発熱の者がいると翌日の勤務ができなくなる。
まさに顔色が真っ青になったが、
深夜にできることをしようと
パートナーと分業をして事にあたることにした。

 

1.抗原検査キットを使ってみた。

幸いだったのは、会社から支給されていた
抗原検査キットが家にあったこと。
恐る恐る使ってみると「陰性」。
インフルエンザ?それとも熱中症?

長男に聞いてみると、
寝る前に少し熱っぽいかなと思う程度だったとのこと。
鼻水も出ている。熱があるのは事実だから、辛そうである。
とりあえず、冷えピタを貼って、スポーツドリンクを飲み、
アイスノンを枕に上にして解熱を試みた。

 

2.コールドクターを使ってみた。

ネットを検索して
コールドクターという制度があるのを知った。
対象地域の子どもや高齢者なら
すぐに医師が駆けつけてくれるらしい。
もちろん、発熱・コロナ対応もある。
電話をすると、保険証・医療証の登録が済めば、
交通費も無料で来てくれるそう。
電話をしてから約1時間で来てもらった。

完全防備の体制で玄関先での往診となり、
夫婦で大袈裟と思ったが、
コロナの疑いが消えない以上、この対応は当然であった。
PCR検査をしてもらい、翌日は待機をすることになった。

 

3.関係者に連絡をした。

夜であったのが幸いだった。
翌朝までに仕事の連絡や調整をして、
万が一に備えて、必要な仕事道具を自宅に持ち帰ってきた。
当然、長男は中学校を休み、
下の子どもたちも保育園を休みにして
家族全員で結果を待つことにした。
念のため、お互いの実家にも状況を報告しておく。
その時は長男が「陽性」だった場合のことを
いろいろと考えていたが、
事がもっと大きくなるとは想像していなかった。

2つの苦情対応から学ぶこと

苦情は受けたくはないし、
したくはないけれど、
関わらずないられないことが時々ある。

今日はする側の話。

昨日、私の家族は子ども連れの
遠方へのお墓参りに行ってきた。
ほぼ一日がかりで、
夕方の帰路は一家でクタクタ。
楽をしようと某有名チェーンの
テイクアウトを利用することになった。
そして、家に帰り、
夕食の準備で買ってきたものを
開けるとビックリ!
頼んだものと全然違う
商品が出てきたのだった。
わが家から自転車で15分ほどのお店。
しかも入浴も済ませて、
後は食事だけの状態なのに
取り替えに行くのも忍びない。
また幼児も食べられるように
注文したものなのに、
代わりの商品は辛い味付けのものだ。
悩んだ末、とにかく一報だけは入れておこうと、
レシートを片手に電話をした。
若そうな男性が電話に出た。

「申し訳ございません。
こちらのオーダーミスだと思いますので、
お客様が頼んだ商品をこれから届けます。
間違った商品は召し上がってください。」
とのこと。
寒空の下、こちらは交換に行くことも
覚悟していたため、逆に恐縮してしまった。
住所を聞く前に「商品を届ける」
決断と判断をしていたのにも驚いた。
15分後、自宅のインタホンが鳴る。
出てきたのは私より若い30歳前後の人だった。

「店長ですか?」
パートナーが聞くと、
彼はマネージャー。
「不在のため、自分の判断で来ました。」
とのこと。
若いのに堂々としていた。
「こちらのミスですので、
間違った商品はみなさんで
召し上がってください」

扉を閉めた後、パートナーと
「すごく勉強になった。
大企業の経験と教育ってやっぱりすごいね」
と感じ入ってしまった。

翻って8ヶ月前。

私は地元の有名人な居酒屋が
ランチタイムに出している
お弁当とお惣菜を買って帰ってきた。
コロナ禍で思うように集客できず、
大変だろうと思い、
応援の意味合いもある買い物だった。

家では風邪をひいて寝ている
一歳の娘が喜ぶだろうと思い、
金時豆もつけてもらった。

案の定、娘は大喜び!
5粒ほど口に入れたところで、
下の豆の表面にカビっぽい
ブツブツがついているのを見てしまった。
病気の子どもに少しでも
こんなものを食べさせてしまった
ショックでへたり込んでしまった。
娘はお預けを食らったのと、
私がいつもと違う状態なので、
エンエン泣き出す始末。
落ち着いてから、お店に電話をした。
「申し訳ございません。
今から商品を持ってきてもらえれば
返品と弁償をします。」
いやいや、そういうことじゃなくて。
病気の子どもを連れて
動くこともできないでしょ。
しかも数百円の買い物で。
「では、後日、レシートを持って来てください」
・・・。

数日後。
営業終了後の店内を訪れると、
店長っぽい人がいてカビの件を話すと
「申し訳ありませんでした。」
と500円を持ってきた。
私はお金をもらいたいわけでは
なかったのだけれど。
結局、私の名前も聞かれず、
それで終わり。
このお店、好きだったけど、
それ以来行っていないし、
人に紹介しようとも思わない。


結果は苦情を通じて、
さらにファンになってしまった
某有名チェーン店と
二度と行くことがなくなってしまった
某有名居酒屋に分かれてしまった。


この体験から思うこと。

・苦情を受けた場合、
その人の名前や素性をしっかりと聞く。
・事実だけでなく、背景も聞く。
・見せられる誠意、できるだけの行動をする。
・たらい回しにしない。

備忘録として。

「確信犯」とフラットでありたい自分

今日は2月5日。
語呂合わせで「日本語検定の日」だそうです。

私の働くデイサービスでは、
毎日朝の会があり、
高齢者のみなさんの認知症予防も兼ねて、
「今日は何の日?」というコーナーがあります。

その会では、毎回調べるのは大変なので、
アンチョコの月刊デイという
雑誌を使っているのですが、
たまたまクイズ形式になっており、
「確信犯」という言葉が取り上げられていました。

実は、私はこの言葉をよく使います。

「あの人の仕事がうまくいっていないのは、
失敗に見えて確信犯だね。」
というように。

悪いことを狙ってやっている
意味で使っていました。
しかし、それは間違いで
「政治的・宗教的な価値観に基づいて
やっていること」という意味だそうです。

前置きが長くなりましたが、
別の職員から「確信犯」なんて言葉を
使ったことがないと言われました。
そして私に「なぜ使うの?」と聞かれたので、
つい出てきた答えが「人を信用していないから」
という言葉だったのです。

私は仕事柄、人をフラットに見ようとしています。
どんな人でも先入観を持たず、
当日の体調や雰囲気、言動、行動を
冷静に評価しようと思っています。
これはたぶん演劇をしているから
鍛えられた見方で、
身内であっても、
お客さんは初めて見るのだから
他人としてどう見えるか、
常に見極めようとしてしまう、
ある種、職業病的な見方なのだと思います。

その質問をされた人には、
「だってパートナーにも
寝首をかかれるかもしれないから」
と答えました。

まあ、寝首はかかれないとは思いますが、
親であっても、妻であっても、
子どもであっても、
自分の思い通りにいつもなるわけなどなく、
常にフラットでありたいと考えています。

それが自分なりのバランスのとり方であり、
相手への誠意であり、
自己の防衛本能なのだと思います。

立石BASE探訪

目的がなければ絶対に入らないような
路地を入ると、怪しげな戸建てから
若い男性の声が聞こえてきた。

「すみません。
まだ看板も出していなかったですね。」

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私がここにやってきたのは、
立石BASEの中心メンバーの若者から
1ヶ月前に「相談したい」と言われたため。

今は遠ざかっている
まちづくりの活動についてだそう。
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今は仕事と子育てで忙しいので、
地域の集まりにもすっかりご無沙汰している。
でも、私でお役に立てるのであれば、
と時間を調整して出かけてみた。

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私がお話ししたのは、
自分が立石の町に関わるようになった理由や、
これまでどんな活動をしてきたか、
またどんなことを考えてきたか。
最近、使っていない言葉や知識を
ふんだんに使わなければならないので、
いつも以上に頭を使った。

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具体的な内容を置いておいて。
今の私は若い人たちとの接点が少ない。
だから、自分の経験や知識が、
言葉を通してどう伝わるか、
棚卸しをさせてもらう気分だった。

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また人の話を聞くことで、
自分自身の学びになることも多く、
自分の仕事へのヒントをたくさんいただいた。

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私自身、高齢者を相手に
仕事をしているが、
慣れすぎていないか、
私にとっての今回の若者のような
役割をできているのかふりかえった。


フェアトレードのネパールコーヒーの味が
苦くて美味しかった。

立石BACEは、
祖父のブリキのおもちゃ工場を
リノベーションして、
人が集まれるようにしたらしい。

刺激的な2時間だった。

2021年をふりかえる

とにかく無我夢中で駆け抜けた一年だった。

デイサービスの仕事の中で
利用者さんと演劇活動を
始めたのは大きかった。
勇気がいたけれど、
パートナーから背中を押されて、
エイヤっとやってみた。
「福原さんが『やる』っていうんだから
やってみようよ」と言ってくれた人もいて、
意気に感じてくれたのか、
6月には芝居を上演することができた。
認知症の人も障害のある人も立つ舞台。
実際に具合が悪い人も、
本人の意思で途中から合流した舞台。
コロナ禍でお客さんも10人ほどだったけど、
何だか夢のような時間だった。

大変だったけど、楽しかった。


10月には、次男が産まれた。
仕事では産休のパートナーに代わり、
施設長代行になり、
生活では長女の保育園への送り迎えを含む
ワンオペ家事を初めて体験した。
9月から11月の頭ぐらいまで
別次元の忙しさで、
毎日何をしていたのか
記憶にないぐらいだ。


こんな大変な一年、
私を勇気づけ鼓舞してくれたのは、
2019年から応援している
オリックスバファローズの活躍だ。
シーズン前は
5位とか6位とか順位予想をする
評論家がほとんどの中、
交流戦で優勝すると、
失速せずに25年ぶりのリーグ制覇。
ヤクルトスワローズとの日本シリーズも
一生懸命応援したけど、
惜しくも敗退してしまった。
でも、こんなに真剣になって
野球チームを応援したのは学生時代以来だ。
弱いと思われているチームが
下馬評を覆して優勝したのは何より気持ちよい。


「自分らしさ」とは何かも考えた。


成果はなかなか出ないけれど、
演劇と福祉と生活を横断した
自分らしい一年だったと思う。
来年は今年のオリックスバファローズのように
さらに人を驚かせるような一年にしたい。

関わってくれたみなさま、
本当にありがとうございました。

高齢者が演劇をやる意味

私がこひつじデイサービスわが家に
入職してから8年が経った。
自分としてはもっと短い間の
仕事のつもりだったけど、
自分の上の人たちがどんどん辞めて、
リーダーシップを取らざるを得なくなり、
役職がつき責任も重くなるにつれ、
途中で投げ出すことも
引き継ぐこともできなくなってしまった。

仕事も経営に管理に広報、
介護の現場仕事、送迎から排泄介助まで、
まさになんでもござれ。

人と接するのも、マネジメントも、
デザインも嫌いではないから、
時間さえあれば、どんどんとやれた。
ても、一つだけ心残りが、
自分の専門である「演劇」を
できていないことだった。


パートナーは私のそんな気持ちを
見透かしていたのだろうか。
「デイサービスで演劇活動をやらない?」
と言ってきた。

入ったばかりの頃、
一度だけプログラムの時間をもらって
利用者さんたちと
演劇ワークショップをやったことがある。
認知症や重度の障害を持つ方々を前に
結果は散々。
それ以来、自分の気持ちも臆病になり、
デイサービスで演劇をやることから
遠のいてしまった。


私の演劇に言葉と指針を与えてくれた
アウグスト・ボワールの『被抑圧者の演劇』の中に
こんな一節がある。

「真に革命的な演劇グループは、
民衆に、民衆じしんがつかうことのできる
演劇的な生産手段を手わたすべきだ」


高齢のみなさんの多くは、
年齢を重ねるに従い、
できることが少なくなり、
判断力が衰え、
生活を1人で維持することが難しくなり、
介護を受ける。
かつて主体性があった方も
家族が介護し、ケアマネが入り、
介護者が多数関わることで、
いつの間にか
主体性を放棄せざるを得ないような
システムができてしまっているのが現状だ。

わが家のビジョンは
「どんなに重い病気や障がいによって
要介護状態になったとしても
地域のつながりの中で
自分らしく暮らせる社会」だ。

高齢者が自分らしく暮らせるためには、
高齢者自身が使える
演劇的な生産手段を手わたすべきではないか、
とミッションを置き換えて、
デイサービスで演劇活動をすることにした。

2021年2月から、
毎週火曜日に30分から40分程度。

パートナーに背中を押されて、
とにかくやってみる、
続けることを自分に課した。

自分らしく生きられているか

仕事も楽しいです。子育ても楽しいです。

どちらもたくさんの問題がありますが、
パートナーにも恵まれ、家族や親戚にも恵まれ、
かつて抱えていたような大きな課題や切迫感はありません。

 

でも、時々思います。

これで自分らしく生きられているのか、と。

 

もともとは演劇で身をたてたいと思ってきました。

大学で如月小春さんの講義を受けてから、
その想いは強くなり、自分で劇団を立ち上げたり、
老舗の養成所に入って勉強をしたりしてきました。
現在は企業組合演劇デザインギルドにも所属して、
活動も細々とですが続いています。

 

次に世田谷と水俣での演劇活動や
ボランティアコーディネート体験をもとに、
地元の葛飾区のコミュニティづくりに興味を持ちました。

葛飾区市民活動支援センターという場所で、
区内のNPO支援の仕事もしてみました。
こちらも私のキャリアと能力のすべてが
問われるような多岐にわたる仕事でした。

 

2012年は自分で地域の事業を起こしたい
と一念発起しましたが、
さすがに一からは実力不足で断念しました。

 

そして現在は介護や福祉の経験を活かし、
葛飾区の通所介護施設で副施設長をしています。
小さな地域の事業所のため、
利用者さん集めや職員募集、
日々のマネジメントにも苦労していますが、
やりがいとそれなりの収入(多くはないですが)もあり、
楽しい生活を送れています。

 

今は毎日の仕事、
そして家族との生活・子育てに追われています。

家事が終わって、横になれば、すっと眠ってしまい、
休みの日でも子ども優先でまとまった時間がとれません。
自分の健康を維持するのがやっとです。

 

デイサービスのビジョンは
「どんなに重い病気や障害により要介護状態にあったとしても、
地域のつながりの中で自分らしく暮らせる社会」です。

 

私が入職当時にいた職員でワークショップをして作ったビジョンですが、
この中の「自分らしく」という部分がずっと気になっています。

 

利用者さん以前に私自身が「自分らしく」暮らせているのか、と。

 

私らしさとは何か、と。


 

演劇やワークショップを生き生きとする自分は、
確かに自分らしく思います。

仕事や生活に追われる自分は、
自分らしいのか・・・と言われると、自信が持てません。

たぶん、はたから見ると「私らしい」と言われそうですが、
自分はそれだけを「自分らしい」とは思えないでいるのです。

もちろん、それが書生的な悩みであると
言われることは覚悟しています。

 

2021年の冒頭にあたって。

コロナ禍で、子育てで時間は限られながらも
「自分らしさ」を追求する一年でありたいと思います。

♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
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