ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

April 2006

埋立地からの夕日

a096beaf.JPG水俣には夕方にある慰霊碑の落成式に合わせて戻ってきました。
この写真は落成式の会場の親水護岸から見える恋路島と夕日です。とても幻想的できれいでした。慰霊碑があるのは埋立地ですが、見る場所こそ違いますが、この風景は昔からあるものなのだろうと思いを馳せました。

原神社に人だかりが

c54da59d.JPG近所に住んでいる叔母に水俣からのお土産を渡しに行こうと、外へ出ると原神社のほうに人だかりが。お祭りでもなければこんなことはないので、行ってみるとバザーをやっており、近所のお年寄りでにぎわっていました。地元に活気があるのはいいことです。なにはともあれ楽しくなりました。原神社は小さいときの遊び場でした。だから、夏祭りやどじょう取り、映画会、初詣、節分などの地域のイベントがあると、朝からわくわくと心待ちにしたものです。そのあと、おばあちゃんを連れて行きました。おばあちゃんもこういうものは老人会でもやればいいと言っていました。積極的。場所に活気があると、人も元気になりますね。

水俣で仕事ができる理由

ひさびさに実家に帰りました。実家のある場所は葛飾区の東立石。帰るやいなや、父と祖母が激しく言い争いをしていました。なにが原因かわかりませんが、どちらも感情的になっており、気が強いふたりは一歩も引こうとしていません。苦笑をしながら仲裁に入ると、父親から一言。「お前が(人間関係の難しい)水俣で仕事ができるのもな、うちらのおかげだぞ」確かに、自己主張が激しい福原家でバランスをとりつつ、自分を表現していく術を学びました。父の思わぬユーモアはうれしかったです。

東京の特別講演会に

水俣からわざわざ日比谷公会堂で行われる特別講演会のために戻ってきました。でも、翌日の午後にはとんぼ返り。まさに商社の出張並みだと人に言われました。
講演会はとても豪華な顔ぶれで、東京にいたら絶対に行っているのになあと思っていた矢先に、「行ったほうがいい」と声をかけられたので、思わず飛びついてしまいました。
印象に残ったのはお二人。どちらも水俣病の患者で当事者です。
ひとり目は中原八重子さん。息子さんを守るために、ずっと水俣病であることを隠してきた経緯をお話していただきました。彼女の声は病気のため、とぎれとぎれでゆっくりですが、一言一言がとても重く、命がけで自身の経験を伝えようとしているように感じました。「本当のことを話すことが家族を守ることだ」とおっしゃっていました。
もうひとりは緒方正人さんです。お話の中に「(工場排水が原因で死んだたくさんの)水俣の魚や鳥、猫たちにどうすればいいのか」という言葉がありました。すごくわかりやすく、同時に切実な言葉でした。水俣病は水俣病の認定と補償の問題が一番前に出てきていて、その基準や補償の現実をめぐって実際に複雑な問題が起きているのですが、魚や鳥や猫の視点なしでは解決できず、だからこそ結果的に人間軽視の歴史が続いているのではないかと思いました。
東京に帰ってから、風邪を引いてしまいました。一瞬、緊張が解けて気が緩みましたね。

土本監督の映画会

もやい館のホールで、16時から土本監督の映画会がありました。土本監督は水俣のドキュメンタリー映画を数多く撮られている方で、水俣で一番初めに撮った「水俣病〜患者さんのその世界〜」と最後に撮った「みなまた日記」の二本を見ました。
どちらにも現在お付き合いさせてもらっている、胎児性の患者の人の歴史が切り取られており、現在車椅子の方が立ってふつうに歩いている姿を見るたびにドキドキしました。
「みなまた日記」は約10年前に土本監督が遺影を集める旅路の映像が映っているのですが、その中で「生きている人たちが遺影を見るのではなく、自分たちが遺影の中の死んだ人に見られている」という言葉が強く印象に残りました。

水俣-患者さんとその世界-〈完全版〉 [IF<INDEPENDENT FILMS > DVDシリーズ2 公害の原点・水俣から学ぶ]
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みなまた日記-甦える魂を訪ねて [IF<INDEPENDENT FILMS > DVDシリーズ2 公害の原点・水俣から学ぶ]
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福祉とは

前日、Yさんからのお誘いを受け、またもや自宅に遊びに行ってきました。対話を重ねるうち、地域福祉の話になりました。Yさんがおっしゃるには「町では福祉が叫ばれる。例えば、石があってつまずいたら、石を置いた人の責任が問われる。でも、山の中で石につまずいても誰も文句は言わない」そう言われて、自分が知っていたのは、町の福祉だったことに気づきました。今回、ワークショップをきっかけとして、胎児性や障害者の人たちを取り巻く環境が少しでもよくなればと思っていますが、自分がイメージしていたのは町の福祉であることに気づきました。水俣ではどのような福祉が求められているのか。そもそも水俣には都市部だけでなく、山もあります。さ、また新たな問いができました。
ありがたいです。

水俣車椅子散歩

deffff20.JPG今日は胎児性水俣病患者のNさんが昼間に寄ってくれ、いっしょに昼食を食べに行くことになりました。車椅子を押しながらの散歩。仕事で押すことは多かったのですが、こういうふうにプライベートで押すことはあまりなく、なんとも不思議な気分でした。
世田谷での介助のときは相手の意向を尊重するのが前提でしたから、自分のことはあまり言わないのですが、今回は対等な関係です。結局、二人の合意で回転寿司を食べることになりました。
自分の家から回転寿司までの距離はけっこうあって、3キロ弱といったところでしょうか。車社会の水俣では、その距離を歩くのは信じられないみたいです。Nさんもそこまで歩くのは二度目らしいです。途中、Nさんに「たまに歩くのも気持ちがいいね」と言われ、自分もNさんが散歩を楽しんでいるのが伝わってきたので、すごく楽しかったですね。お寿司屋さんでは自分だけ昼間から生ビールを頼みました。初めての休日らしい休日だったもので。
会計では自分が多めにお金を出しました。Nさんからは二度お金を出してもらったことがあり、なんかいやだなと感じていたので、今回は出すことに。Nさんはおごることはよくあるけれど、おごってもらったのは数えることしかないとおっしゃっていました。
水俣の道の具合もわかったし、かなり楽しい休日でした。

「ごめんね」と「ありがとう」

こちらに来て胎児性水俣病患者の人たちと接する機会がたくさんあります。当然、なにかを頼まれる機会も多くあるわけで。ものの片づけだったり、車椅子を押すことだったり、代筆だったり。でも、ちょっと気になることがありまして。
そう、個人的に頼む場合は必ずと言っていいほど、やった後に「ごめんね」という言葉が返ってくるのです。たぶん、人に物を頼むことの引け目からなのでしょうが、世田谷の障害者の人からはそんなことをあまり言われなかっただけにかなり抵抗がありました。そのたびに、「自分の場合は『ありがとう』にしてください」とお願いすることにしました。「ごめんね」って言葉はすごく後ろ向きな言葉で、テンションが下がるかんじがします。やってくれた相手を不幸にするというか。
逆にやってくれることに慣れている人もいるので、「ありがとう」運動をひとりでしようかなと思っています。

水俣を自転車で走る

23171109.JPG今日はこちらに来てからはじめての休みの予定だったのですが、午前中に成沢さんから電話があり、八月のプログラムの宣伝用の写真を撮ってきてほしいということで、一日自転車で走り回りました。
成沢さんの注文は海の写真。しかも最初はみかん山から撮った海の写真がほしいということで、住んでいるところから10キロ以上離れているところまで自転車で行き、中学生のU君の案内でみかん山を登りました。自分も健闘はしたのですが、なんなく登っていくU君に「あと10年たったら気持ちが分かるよ」とお礼とともに伝えておきました。
晴れていたから気持ちがよかった!この写真は茂道付近の海で、自分ではけっこう気に入っている一枚です。

第一回演劇ワークショップが始まった。でも・・・

場所は国立水俣病情報センター。会場が不便な場所にあるので心配していたのですが、晴天にも恵まれ、関係者・マスコミ含め、60人近くの人が集まってくれました。ところが、とても難しいワークショップでした。行政の事業でもあるため、冒頭から行政の人のあいさつがあったり、何社もマスコミの人が来ていたり。会場も天井が高いし、薄暗く、きれいだけど親近感がわきにくい場所。自分たちも東京から呼ばれた先生として紹介されたりして、とてもやりにくい始まり方でした。

いろいろな要因で大変だったものの、参加者の人も喜んでくれたみたいで、最後のふりかえりの感想も悪くはありませんでした。事実、当日は距離が離れていた人たちのいろいろな形の再会があり、涙を流した人もいたほどでした。

でもね、今回一番悪かったのは、見ている人が多かったこと。見ている人といっても参加するつもりで見ている場合ならいいのですが、背広を着た人たちが何人も遠巻きに見ていて、彼らはなんのためにいるのだろうなと思ってしまいました。一番初めのワークショップでは、参加者が緊張を解き、お互いがお互いのことを受容し、言いたいことを表現できる関係・場作りが求められます。特にここは水俣。過去に差別発言などで、地域の人間関係がずたずたに引き裂かれた場所です。事実、ここにいると、現在もその影響が色濃く残っていることを肌で感じます。だからこそのワークショップだと思っています。その場所で、ワークショップを見ながらメモをとっていたり、マスコミが無神経にいいカットを追って行ったりする中で、社会的にハンディを持った人たちが素直に自分を表現するのは難しいのではないでしょうか。

昔、自分の恩師である如月小春さんが中学生のワークショップのときに、会場に親を入れさせなかったことを思い出しました。なぜなら、親のいる前では子供の表現が萎縮してしまったり、いい子になってしまうことが多々あるからです。

最後に、マスコミの人から「これはどういうふうな舞台になるのですか?」と聞かれました。だから、逆に聞きたい。「あなたはどういうふうに見えたのですか?」「あなたはなにを伝えるつもりなのですか?」

とにもかくにも、初めて経験するであろうハードなワークショップが始まりました。
こういうこともアウェイの水俣で、自分たちが抱えていかなければいけない問題です。
♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
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