ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

June 2006

大変

ただ大変。弱音。
よしやるぞー!

3万分の2+2

さらにすごい出会いがもうひとつありました。

偶然、美術館でワークショップの企画に携わっているふたりの女性に出会いました。美術館ではアート系のワークショップをやっているらしいのですが、ひとりの人はカウンセラーの専門学校でサイコドラマの手法を経験したこともあるらしく、演劇のワークショップにも興味を持ってもらえました。ひとつのことを言うと、新しいことが返ってきて、久しぶりにワークショップについて、刺激的な対話ができました。

ひとりの人が次回のワークショップに来てくれるらしいです。本当に貴重な出会いです。最近、八方塞りの状態でなにをやったらいいかが見えてこず、能動的な仕事ができていなかったのですが、ちょっと元気が出てきました。

3万分の2

水俣でようやく演劇をやっている人に出会えました。

水俣高校の演劇部。なんと部員はふたりの女の子。顧問の先生を入れて3人。全員、前のワークショップには参加をしてくれていたのですが、改めて今後の参加と協力をお願いに行ってきました。
当初、自分たちは水俣で表現活動(演劇)をしている人やグループをさがしていました。ワークショップを進行していく中で、表現に一定の理解がある人がいると、進行のしやすさががぜん違ってくるのです。しかし、水俣では演劇がさかんではなく、その種の人はなかなか見つかりません。なので、このふたりは、人口が三万人しかいない水俣で演劇に興味があるとはっきりわかっている貴重なふたりなのです。
今回のワークショップには、ふたりではなかなかできない部活動の代わりに参加をしてくれたみたいです。演劇部としては現在予定もなく、全く活動をしていないということでした。(ふたりでもできることはたくさんあるのに!)
自分は今回のワークショップの説明をしてきたついでに、彼女たちのやりたいことを聞いてきました。すると「発声がやりたい」とのこと。やはり演劇部です。気持ちはわかります。自分たちがやっているのは、発声練習をやる演劇とはけっこう遠いところにあるワークショップですが。
そこで、花崎さんの滞在予定に合わせて、発声教室?を開くことになりました。いいですよね、花崎先生。自分もひそかに楽しみです。(実は水俣に戻ってきてから、毎朝一時間ほどストレッチを始めました。かなり体がなまっていました。グッドタイミングです。)

貝づくし

325b4482.jpg帰り道、暑さと誘惑に負けて、なじみのお店で一杯やってしまいました。今日はそこのお店で特別に貝を食べさせてもらいました。カメノテとビナという貝で、湯の児海岸で採ってきたそうです。カメノテなんかはグロテスクで最初に食べた人はよほど好奇心があったか、食いしん坊だったのだろうと思われる貝です。ビナは素直においしかったかな。カメノテは外見のわりに身が少なくて、あまり食べた気がしません。でも、どちらも身をとるのが楽しくて、気づいたら写真のような山を築いていました。食べた食べた。これも水俣ならではの経験です。おばさんは海がきれいになってから、採れる貝の種類も増えてきたとおっしゃっていました。今日は運よく恩恵に預かりました。

宮本市長の言葉

昨日書いた「水俣の人たちは水俣病のことを何度も聞かれているのだろう」ということについて考えることがありました。
というのも、今日づけの西日本新聞に、今月17日におこなわれた『地域を語ろう隊』という非公開の座談会の議事録を見て、次のような宮本市長の言葉に出会ったからです。

先日、沖縄の中学生から「水俣病という病名を変更してはどうか」という手紙をもらった。私は「水俣病という名前は水俣にとって財産なんですよ」とお答えした。水俣市は水俣病抜きにしては語れない。

以前、Yさんは「お前は葛飾病というのを考えられるか。そう考えればわかりやすいだろ。地名が病名になった悲劇だ」とおっしゃっていました。まさにその土地のアイデンティティの問題です。水俣以外の人は水俣をどう認識しているのか。また、市民は水俣をどう捉え、どう発信していくのか。この接点が幸福な出会いをすればいいわけで、具体的なことはわかりませんが、市長と沖縄の中学生のやり取りはその出会い方の一端です。
先月、大牟田に行ったときにも宮本市長の話を聞きました。その中で印象に残っているのが、修学旅行先で「水俣病」のことを揶揄された中学生?の話です。中学生は差別をされたこと以上に、差別された人に「水俣病」のことを説明できない自分に気づいたことが悔しかったそうです。だから、その中学生は「水俣病」のことをちゃんと知らなくてはいけないと勉強しだしたということでした。
市民が水俣病のことをちゃんと知っているのか、またどうとらえているのか。市民のひとりひとりが過去の歴史を受け止める覚悟を持ったとき、複雑な水俣病問題の解決へと近づくのではないかと思いました。

そう言えば、先日宮本市長がワークショップが始まる前に、会場をのぞいてくれました。あいさつをした程度ですが、政治家がこんなに身近に感じるのは東京では考えられないことで、なんとも不思議な感じです。でも、大事な感覚だと思いました。

水俣に戻って、かけられた言葉

「いつもいるから、いないと変だね」
→素直にありがたいですね。

「もう戻ってこないと思っていたよ(笑)」
→気持ちは戻りたくなくても、からだが。大人になったなあ。

「余計なお金を使わないでください」
→お土産を持っていってのこと。貧乏だと思われています。まあ、実際お金持ちではないですが。


※おまけ
「実家はどこにあるの?」
「葛飾区です」
「ああ、柴又(亀有)ね」
「はい、近いです」
「寅さん(両さん)だ」

葛飾区出身の人は全員、日本中のどこかで同じ会話をしているんだろうなと思ってしまいました。()は年代にもよりますが、やはりメインは柴又・寅さんですね。そのあとに、こち亀が続く場合は多々あります。

これと同じように、水俣の人たちは「水俣病」のことを何度も聞かれたのでしょうし、いまなお聞かれ続けているのでしょう。人や言われ方にもよるのでしょうが、そのつらさや悲しさは、外部の人には想像しがたいように思います。

東京で思うこと

いま東京に帰ってきています。
なんだかんだと言って、忙しい帰京ですが、緊張感からしばし解放されて、東京を満喫しています。しかし、水俣に戻ったら不安だらけで、逃げられない状況が。生活も環境も自分の思い通りにはなりません。現地のいろいろな事情で。

たぶん、胎児性の人たちも障がい者の人たちも程度の差こそあれ、そういう思いはあるのではないかと思っています。これまた現地のいろいろな事情で。

自分は10月が終われば、東京に帰れるけど、彼らは・・・。
ワークショップが少しでも解放できる場になるといいな。
10月まで少しでも力になれるようにあがきたいと思っています。

石けん工場

今日はワークショップの新聞を持って、いろいろなところをまわりました。
そのうちのひとつ、石けん工場では、Mさんから貴重なお話を聞くことができました。

石けん工場はその名の通り、石けんを作っているところです。しかし、ふつうの工場と違うのは、人のからだや環境に安全な石けんをこだわって作っているということでした。

例えば、うかがったとき、Mさんは茶色の石けんを作っていました。「この石けんはなんの油でできているか?」という質問に、考えた挙句、「馬油」というお粗末な答え。「馬油」の石けんがあることを知っていたのと、馬って茶色だよなとという印象だけで答えたのでした。答えは「お茶」。お茶は緑と勝手に思い込んでいたので、意外な答えでした。お茶はそのまま石けんに使うと、茶色に染まり、決して緑にはならないそうです。つまり、自然な色だということ。緑色になるのは、なにか色素を入れているからだそうです。また、いい香りも自然につけたものではないから、あまりよくないとのこと。
シンプルに作れば、人間の身体の酸を分解するアルカリ性があればいいそうで、大手のメーカーは売れるために、香料だとか色素だとか余分なものをつけており、結果的にそういう石けんは人体にも環境にもよくないということでした。
なるほど。聞けば聞くほど納得します。水俣に石けん工場がある理由もわかります。
水俣病を引き起こしたチッソがいまなおある一方で、石けん工場も存在する。この幅の広さが水俣のすごいところだと思います。

Mさんにワークショップの趣旨や現在の難しい状況を話しました。
「俺はお前を支持する」と言われました。
Mさんの立場でいただいた最大限の言葉だと思います。
あまりにもありがたい言葉で、心の中で涙が出ました。

一番の大きな成果

鹿児島空港行きのバスは水俣市のとなりの出水市の出水駅からたくさん出ています。そこで、本日東京に帰ることになっている花崎さんを出水駅まで送ってきました。二ヶ月前までペーパードライバーの自分もここまで運転できるようになりました。水俣に来て、一番の大きな成果は車の運転ができるようになったことかも・・・。
過去の自分が見たら、信じられないことだと思います。実際、東京にいる父親はまだ信じていません。たぶん。本当にすごい!

第四回ワークショップ終了。「このことを言わないで」

a890103e.JPG想像以上にむずかしいワークショップになってきました。一番の問題は参加者がうまく集まってきていないことです。それには現地のいろいろな事情があって。

障がい者の送迎サービスの問題、50年事業をはじめとする各種イベントが土日に集中しておこなわれること、そしてワークショップを運営するはずの各団体でしがらみがあること、などです。(難しい問題はまだまだたくさんあるのですが。)

「純粋に演劇をやりたい人がたくさん来てくれー」と声を大にして言いたい!

仕事の話ということで、前もってなにか仕事に関する道具やパンフレット、製品などを持ってきてもらう予定でアナウンスもしていたのですが、半数以上の参加者はなにも持ってきていません。そこで参加者に絵を描いてもらって、それを見ながら質問をする形をとることにしました。写真は花崎さんと自分がふたりで例をやってみせているところです。わかりやすいように、ホテルでウェイターのアルバイトをしていたときの話を選びました。ちなみに絵は両手で料理のお皿を4つ持っているところです。
(1,2分で描いたので、とてもひどい絵ですが(笑)。)

仕事の話は胎児性患者や障がい者にとって、切実な日常と地続きで、想像通り複雑なテーマだと思いました。時間がなかったこともあり、ひとり5分くらいしか聞けなかったのですが、みんなに話すのにどの話を選んだかというところにポイントがあったと思います。小さい頃にあこがれていた仕事、歩けていたときの仕事、健常者といっしょにやっていた仕事、そして現在やっている仕事の話といろいろな話が出てきました。中には「(全体での発表の前に)このことを言わないで」とおっしゃった参加者もいました。このこととは、現在の仕事で大変だと思っていることについて聞いた部分でした。

その後、ふたつのシーンを作りました。どちらもおもしろいシーンができました。でも、一番印象に残ったのは参加者の「このことを言わないで」という言葉です。この言葉を出した参加者の気持ちをみんなで共有できる芝居ができたらなにかが変わるきっかけになるのではないかと思っています。

ただの暴露にはならない演劇の力が試されています。
♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
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