ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

November 2006

おばあちゃんの庭

本日、午前中は代々木のオリンピックセンターでおこなわれた吉本さんの地元学の講義にお邪魔させていただいた。吉本さんの講演は水俣でも9月にあったのだが、相思社の南アの人たちの講演会と重なり行けなかったのだ。だから、ちゃんと吉本さんの講義を聞くのは今回がはじめてである。素直にうれしい。

東京に帰ってから地元学の本を読んだ。水俣に行く前に一度挑戦したのだけど、作家の癖のある文章のリズムが自分に合わず、読むのに苦労し、第一章でやめにしてしまった。今度は再挑戦。以前と違い、作家の強烈なキャラクターを知っているので、個性的な文章も楽しみながら読めた(笑)。想像通り内容はおもしろく、吉本さんの家や地元、地域を丁寧に調べていった結果が書かれていた。改めて自分の身のまわりをふりかえらなくてはと切に思った。以前から、自分は家族や地元のことで悩んできただけに、地元学には今回会うべくして会ったのかなとも思っている。これも前兆だ。生かさない手はない。

本日の講義は要石の地域丸ごと生活博物館の事例をもとに、吉本さんが地元学を解説していくという構成だった。5月に要石も行っているから、話の内容もよくわかる。
「なにもない」はずが村がどうして全国から人が集まるようになったかという話だ。

地元学の話全体や、吉本さんの話し方などとてもためになったのだが、ひとつだけどうしても書いておきたいことがある。吉本さんはこんなエピソードを紹介した。
「80や90になるおばあさんがなんで家庭菜園を作っているか。そんなことをしなくてもいいのに、わざわざ作る。それは健康で死にたいからだ。家族に迷惑をかけないで死にたいからだ」

自分にも90歳になる祖母がいる。いまいる実家にはそんなに広くはないけど、庭があり、そこで祖母は毎日庭いじりをする。父は「腰が痛いのに無理をするな」とよく言うが、祖母はいったんやり始めると止まらない。だから、我が家の庭はよく手入れがされており、年中いろんな花や植木でにぎわう。庭はおばあちゃんの表現なのだなと思った。そして、母は祖母が育てたひとつひとつの花・植木を熱心にカメラで撮る。それを十何年続けている。息子や父にバカにされてもやめない。家には花だけを写したアルバムが何十冊もある。母親は祖母の表現をわかっているのだなと思った。自分は庭を見ても、当たり前のことなので、ほとんどなにも言わない。いや、ちゃんと見すらしない。見ているようでなにも見ていなかった。
今度こそ、身の回りのことをひとつひとつ知っていこう、
ちゃんと向き合おう、と思っている。

今日、帰ってからおばあちゃんと散歩がてら花を買いに行った。
花の名前はヴィオラである。

なんの前兆だろう?

前兆を読む。
自分が人生の中で一番大事にしていることだ。前兆というのは事象に現れるサインのこと。前兆に従うと人からは突飛に見えても、結果的にいいことが多い。しかし、自分の気持ちに負け、前兆を読めないと失敗をする。そういう経験をたくさんしてきた。

今日も吉本さんから「泊まりに来ないか」と誘われ、翌日仕事が休みだったので、ひょいひょい着いて行くことにした。吉本さんの言葉になんかしらの狙いを感じ、素直にのってみた。こういうときはいい結果になることが多いと直感は判断したので。東京なのに、吉本さんの地元みたい。ふつうは逆なのだが・・・。

到着をしたのは23時すぎ。お邪魔したのは、日野にあるコーポラティブ住宅のお宅である。吉本さんの友人の方のお宅らしい。コーポラティブ住宅とは、何人かの人が集まって、設計の段階から、ひとりひとりの意思を尊重しながら、住空間を作り上げていく共同住宅のことだ。以前、本では読んだことはあったけど、実物を見るのははじめて。その方のお宅は、かなり広い空間を贅沢に使い、随所に遊びが見える。
一番目立つのは、中央にある囲炉裏だ。火を囲んでお酒を飲みながら、みんなで談笑する。「火を囲むと人は落ち着くんだ」と吉本さんはおっしゃる。確かに、囲炉裏の炭の赤い色を見ていると飽きない。日本人は人と面と向かうのではなく、なにかを見ながら話をする文化だと、ある本に書いてあったけれど、囲炉裏は日本人の文化に合っているものなのか。主役がテレビに取って代わられて久しい。随分日本人の精神性も変わったことだろう。鍋の時期だけ少し復活するのかな、などとつれづれ思う。

「下町は長屋だ。お前もこれを作れ」
吉本さんに言われる。
どこまで本気かわからないけど、けっこう真に受けている自分がいる。
これはなんの前兆だ?

吉本哲郎さん、大崎さん東京来訪

吉本さんが東京に来た。50年事務局の大崎さんもいっしょである。
一ヶ月ぶりの再会。東京ですら久しく会ってない人はたくさんいるのに、ふたりにはまたお会いできる。とても不思議なかんじである。しかも東京で。
三人で満員電車に揺られながらの移動は水俣ではありえず、なんだか変な感じだった。存在感のあるふたりと密着し、こっちが落ち着かない。

吉本哲郎さんは地元学の提唱者で、現在は水俣病資料館の館長をなさっている。水俣にいたときはよく相談にのってもらった。物事が好転していく契機となる出来事が何度かあったが、多くは吉本さんの「いいから食え」(←食事に招かれて)「いいからやれ」(←実際の問題)の二言で、理屈よりも現場での行動を奮いたたせてもらった。

今回も久々の飲み会に。
会うまでプレッシャーがあった。ふたりに東京を紹介しなければいけない。しかも相手は地元学で地元のことを調べている吉本さんである。外国人を喜ばせばいいというようなものとはわけが違う。自分は東京のなにを知っているのだろうと改めて問い返す。そもそも自分には自信を持って案内できる箇所はほとんどない。趣味は「町歩き」とは、よく言ったものだ。自分の知識の少なさに悲しくなる。二週間ちょこっとだけ勉強した。でも、にわか勉強のあらはすぐに出る。ふたりの興味はどこにあるのだろう。吉本さんはどこまで東京を知っているのだろう。ひとりの想像で物語を勝手に作る。

結局、お店の移動だけになってしまった・・・。

「(案内も)自分がやりたいことをやればいい」
ごもっともです。でもですね、吉本さん相手にそれをやるには調べなければいけないことがたくさんあることがわかりました。
「俺が東京を案内してやろうか」
・・・。
地元学では最初は、地元の人よりも外の人のほうが詳しいのですよね。

東京に帰っても、勉強させていただく。

成沢さん、花崎さん、港さんも合流。
とても愉快な飲み会だった。
なにはともあれ、水俣の人たちとこんな再会のし方ができるのは幸せだ。

ピラティスを体験した

水俣事業でお知り合いになった衣裳担当の山田珠実さんのお誘いである。
とは言うものの、ピラティスとはなんなのかわからない。
ダンスをやっている珠実さんのことだから、
体操の一種だろうというくらいの軽い気持ちで参加させてもらった。

マンツーマン。
珠実さんの指示でいろいろとからだを動かしていく。
呼気に合わせて、ゆっくり丁寧に。
ふだんあまり使っていないからだの内側の筋肉をのばす。
なかなか自分のイメージどおりにからだは動いてくれないものである。
力を抜きながらも、ある一定の体勢は保っていなければならず、
けっこう大変である。集中力もいる。
自分はなんとなく腹筋が弱い気がした。
でも、ひとつひとつの骨や筋肉を意識して、
からだが動かせるってことはすごいことだ。
今日珠実さんに会った瞬間、立ち姿がきれいだと思った。
自分も意識はしているんだけどな。かくありたい。むむむ。


立石様

a32d713f.jpgわが故郷葛飾区立石という地名の由来は「立石様」にある。立石には「立石様」という奇石があり、古くから信仰の対象になってきた。石をいくら掘っても根がつきず、掘ったものはたたりが起こると言われている。と、ここまではかつての自分が知っていた知識である。
しかし、いままで自分は立石様なるものを見たことがなかったし、どこにあるのかも知らなかった。地元でもいまや知っていたり、じかに見たりしている人は少ないと思う。これはいかんということで、本日思い切って見に行った。

立石様は中川沿いの児童遊園の片隅にある。近くは知り合いの家があり何度も通っている道だったが、住宅地に囲まれているため、また児童遊園の印象が強いため、気づかなかった。近くて遠いとはまさにこのこと。28年目にしてはじめての出会いである。鳥居や囲いは思い浮かべていたものよりも、ずっと存在感があった。児童遊園の片隅というわりにはちゃんと主張をしている。でも、石は地面にちょこっと出ているだけ。なにも知らずに見ると、石が祭られていることを気づかないくらいだと思う。

本で石のことを調べた。
「立石様は青砥駅までその根が続いている」
「中川が蛇行しているのは、立石様の根が知れないので、掘り出すことができずに避けたからだ」などなどの話がある。
これらはうわさらしい。では、学問的な説明を。
葛飾区はいくつもの川の下流にある沖積地で、岩や礫が存在しない。古墳時代に、この地に住んでいた豪族が千葉県の鋸山周辺の海岸部から古墳の石室を作るためにもってきたもので、古代、東海道の道しるべとして転用されたもの。それが奇石として地域の住民の信仰へとつながった。
ということである。

石の歴史に思いをはせる。
いろんな人を見てきたんだろうな。
何万回と使っていた地名にもこんな歴史が詰まっているなんて知らなかった。
なんだかとても感慨深い立石様訪問だった。

「重い」を「離す」

今日、水俣の報告会が日本大学芸術学部の江古田校舎であった。
日芸は久しぶり。KUSHIDA WORKING−JAMのとき以来だから三年ぶりである。授業の担当者は熊谷先生。約10年前に韓国に演劇をしに行ったときにもお世話になり、そのときから縁が続いている。本人は覚えていらっしゃないだろうが。

授業の名前は「応用演劇学」(と言っていたような気がする)。なるほど。民衆演劇は演劇を応用する学問なのか。そういう捉え方なのね。ふむふむ。
花崎さんが頼まれ、自分は誘われて。だから、メインを花崎さんが組み立て、自分はふられたときに補足をするというかんじである。時間は90分。やってみて思ったのは、伝えたいことが多すぎて、とても時間の尺が合わないということだ。

突然だが、自分は「話す」ことは経験を他人に向けて「離す」ことだと思っている。
さらに「思い」は「重い」だとも思っている。
単なる言葉遊びだけれど、あながち間違ってもいないのでないのではないだろうか。
だから、「思い」を「話す」は「重い」を「離す」だ。
重いものを離して、他人に受け取ってもらう。他人に離せば少しは軽くなる。
軽くなれば前に進める。
自分たちが水俣で感じてきたこと、体験してきたことはそうとう重い。
触れれば赤い血がしたたるような、生々しい経験をした。
人間のいいところ、悪いところを間近で見てきた。
何人もの人に目の前で泣かれ、自分も心の中でたくさん泣いた。
いまなお傷ついている人が数多くいた。
たぶん、いままで「離されなかった」いろいろな人の「重い」を受け取り、
それを演劇という形で昇華、表現したのだと思う。
でも、わずか二時間の舞台で表現できなかったものはたくさんある。
帰ってきてからそろそろ一ヶ月だが、
まだ言葉にできないものが残っている。

熊谷先生は「日本で(民衆演劇の)貴重な事例ができた」とおっしゃってくれた。
そして、学生も熱心に耳を傾けてくれたように思う。
現地ではとても離せないことを離し始めた。離すには、相手も重要である。
受け取ってくれる相手がいることが。それが循環し、次なるパワーへとなる。
いま自分も水俣の重いを離し、いい循環を作りたいなと思っている。

人は「重い」をちゃんと離せているかな。
水俣にかぎらず、それが心配である。

クイズ:水俣市と立石地区どちらの人口が多いでしょう?

いま自分が住んでいるのは、東京都葛飾区東立石。実家である。大学を卒業するまで約20年間をこの土地で過ごした。近年、地域の演劇を作るようになり、自分がどうしてこの土地に生まれたかということに興味を持つようになった。特に、今年は水俣で子どもたちが、外の人から偏見をうけたときに説明できるように水俣のことを必死で勉強している様子を見て、自分はどれくらい地元のことを説明できるのかと、わが身をふりかえった。水俣では、地元の「あるもの」を発見して行ったり、外と内の人の役割を規定していく地元学にも出会った。これから、いろんなところで地域の中に入ってワークショップをやることが多くなるだろう。その意味で、地元をどう捉えるかということは無視できない。水俣で地元を意識できたことはとても大きい。

そこで、帰ってから少しずつ葛飾区のことを勉強し始めている。当然のことながら、わかっているようで知らないことが多い。
例えば、人口。水俣市と葛飾区ではどちらが多いのか?
(ちなみに面積は水俣市162,87平方キロメートル、葛飾区34,84平方キロメートルである。ということは、水俣市の面積は葛飾区の5倍弱ある。)
もちろん、これは葛飾区。441,013人。圧倒的である。
では、水俣市と立石地区では・・・。
水俣市は約29,336人、立石地区では約33,023人。立石地区だけで4000人近く上回っている。立石地区、ひいては葛飾区の密集度がおわかりいただけよう。自分がワークショップをやっていたのは、自分の住んでいた地区よりも人口が少ないところだったなんて!統計的にこうして比べてみると、いろいろなことがリアルに見えてくる。

裏ブログを書きなさい

結婚をしている女友だちと5年ぶりにお店で飲んだ。
バイト先で知り合い、いまだに縁が続いている人だ。
1年間に何度か顔を合わして、毒をはきあう毒吐き仲間である。
毒舌の自分と対等に毒を言い合える数少ない人だ。
その人に「裏ブログを書きなさい」と言われた。
水俣はいいことばかりが書かれすぎていて、
その背後にあるどろどろしたことがわからないと、
おっしゃるのです。それはそうなのだけど・・・。

砂上の楼閣

ca98c5ba.JPG今日、水俣に行く前にお世話になった方に、水俣の報告をするために会いに行った。自分が頑張って仕事をやりとげたことや、お芝居が成功裡に終わったことを、すごく喜んでいただいた。と同時に、自分よりも上の年齢の人と話をすると、どうしても今後のことの話になる。大きな事業をやってきたものの、それが生活に結びついていない。この矛盾。どうするのかと、いつも問われる。

随分前から、東京での生活に疑問を抱いている。
もし災害にでもあったら、都市で暮らしている人たちは生きられるのだろうか。
食べ物の供給源はスーパー、水は水道、火はガス、
電気は電気会社、サービスは行政。
生活はどんどん便利になり、どんどんものの実態とはかけ離れていく。
お金を媒介に、自分の生活を他人に委ねていく。
一度覚えた欲望は誰も止めることはできない。
オイルショックのときのトイレットペーパー騒ぎを思い出すまでもなく、
一見豊かに見える暮らしは、ちょっとのことでもろく崩れ去る。
まさに砂上の楼閣だ。

人の心も無縁ではない。その方がおっしゃるには、
「あるとき、池袋駅で倒れている人がいた。たくさんの人がいたのに、
だれも助けず、むしろよけて通っていた。水俣では考えられない。」
都市の忙しい風景が、人を助けなくてもいいというような状況を作り出す。
自然の中だったら、人はそういうことはしないし、できない。
あたりまえではない風景が、あたりまえのことをあたりまえじゃなくする。
今回、水俣で自然の中で暮らしている人や、
自然を意識して暮らしてる人にたくさん会った。
そこには生きる知恵があった。
彼らのほうが東京の人たちよりも地に根を張っている。
だから、本当の意味で強く、たくましく思える。

「あなたは東京で地に根を張っていますか?」と自分はその方に聞いた。
「そうは思わない」と「でも、ねぎが買えないと困る」とおっしゃっていた。
東京に帰ってきて、正直言って、ねぎを買えない現状に困っている。
いやはや。

クレタ

大学4年生のときに『クレタ』という芝居を書いた。
現実的な芝居が好きな自分にしては、一番物語の形を借りた劇だった。

 クレタという王国。その国に盲目ゆえにちやほやされている王女がいる。
 しかし、ある日なにものかに世界の光を奪われ、
 すべての人の目が見えなくなってしまう。
 すると、王女の面倒を見られる人がいなくなって、王女は孤立し、
 唯一従ってくれる知的障害をもつ家来と光をさがす旅に出る。


光を奪われてからは劇場中を暗転にして、
暗闇の中でお客さんに劇を見てもらおう(聞いてもらおう)とした。
しかし、役者やスタッフの猛反対にあって、思い通りのことができず、
一時的に人間関係を失った、つらい思い出を持つ芝居である。

テーマは「衆人環視の中でしか持てない夢」。
当時、自分は大学4年生。当然のことながら、まわりは真面目な人も遊んでいた人も
通過儀礼のように就職活動をし始めている。
あなたはどうするの?就職するの?
いい学校を出たんだから、いい会社に行けるんじゃないの?
家族、友だち、先生、社会・・・・・。あんなに熱心だった演劇を続けるかどうか。
まわりの人から常に見られていて、試されている気がしていた。
迷っていた。
演劇を作ることは、いままでの人生の中で一番楽しいものだったし、
実際、人にたくさんの影響を与えられる自分を発見できた。
演劇は自分にとって、人並み以上に使いこなせる自信がある道具だった。
だから、その道具を捨てられるのか?自分の中でいつも葛藤していた。
そのことを演劇を使って考えようとした。
王女はまわりから「盲目」という役割を与えられ、
その役割に安住しようとしている人、すなわち自分である。

 旅の途中、王女と家来は
 功名心から光に向かう別のグループに会う。
 それはかつての王女の従者たちだった。
 闇の中では、建前と本音が逆転し完全に秩序は失われ、
 光を求める競争が繰り広げられる。
 結局、見つけた光は、かつて家を勘当された兄が盗んだものだった。


文字にしてみるとかなり暗い話だ。
王女を通して、人から与えられたものではない価値や自分を
見つけられるかという問いかけをしたのだと思う。
だから、自分は物語の結末にどうしても「救い」が欲しかった。
その結果、王女は自分の甘えを認め、兄と和解するという中途半端な結論にした。
そのこと自体が物語を未消化にし、
最後まで本に納得できず、現場を混乱させる自体になった。

いまだったら間違いなくそんな終わらせ方はしない。
結果よりも旅の過程を丁寧に描くだろうなと思う。
王女が闇の中でどんな経験をしたのか、どんな現実を見たのか。
いまならたくさんの経験をしているから、たくさんのことが書ける。
そして、旅はいつまでも途中で、結論をつける必要はないのだと思う。
実は、結論自体を求めていたのは、自分でなく、お客さんだったのだから。

思えば、この物語の枠は障害者の自立も扱っている。
障害者の自立と、衆人環視の社会はコインの裏と表だ。
現在の障害者のヘルパーの仕事がリンクしているのがおもしろい。

当時から、そんなことを考えている自分がいたことを
今日ふと思い出した。
♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
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ふっきー

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