ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

March 2007

一期崎さん、平生さん東京来訪

水俣から水俣病公式確認50年事業実行委員会事務局の一期崎さんと平生さんが東京にいらっしゃった。演劇デザインギルドの花崎さん、成沢さんといっしょに久しぶりの再会。一期崎さんは12月の相思社の東京活動の際、お会いしたが、平生さんとは帰京以来なので、約半年ぶりだ。水俣の人たちとこうした縁が続いていることがとてもうれしい。

今回は水俣の50年事業が終わったことのご報告。報告の冊子を見ると、こんなにもたくさんの事業があったのかというほどのボリューム。同時に批判もたくさんあったと思うが、とにもかくにも少人数のスタッフでやりきったことに素直に敬意を表したい。

さて、お二人からは現在の水俣の近況をお話いただいた。
特に、先日おこなわれた水俣市文化会館での産廃業者説明会の様子には驚かされた。相思社のメールやホームページである程度は知っていたのだけれど、現地の人から直接話を聞くと、俄然迫力が違う。当日は1300人ほどの市民が集まり、文化会館に入りきれない人はロビーでモニターを見たらしい。文化会館の収容人数は1000人で、10月の創作舞台のときは400人強だったから、これだけでも当日の会場の熱気が伝わってくるようである。しかも水俣市民は30000人弱なのだから、市民が産廃に関して当事者として問題意識を強く持っていることがわかる。感動したのは、説明不足・調査不足の企業とは違って、水俣病の経験をもとに市民が企業との戦い方をわかっていることだ。生活者の指摘から企業の調査不足を指摘する。野次が飛ぶと「感情的になるな」と市民の側から声が出る。さらに、休憩中のトイレでも「おもしろかね」と楽しむ余裕がある。まだまだ水俣病が残した問題は山積しているけれど、市民の当事者意識という、ほかの自治体にはない遺産があるように思う。
飛んで火にいる夏の虫ならぬ、IWD東亜と産廃問題を利用して、いままで溝があった市民が本当に対話をもてることを願う。そして、その成果が全国の地道な市民運動に波及してほしいと思う。

如月さんのこと9〜『家、世の果ての・・・』〜

2000年4月。大学4年次の如月さんの講義が始まった。
自分が専門の比較文芸思想コースと教育学科の講義2コマ約3時間。
如月さんの講義があった木曜は特別な日だった。
一週間頑張った自分へのご褒美とばかりに、木曜は演劇の稽古もなるべく入れずに、
講義のあと、誰かと飲みに行ったり、なにかできるように空けておいた。

比較文芸思想という、わけのわからない名前のコースは
ちょうど自分が入学した年にできた。
専門を自分で決めて、講義を文学部や他学部から自由に選ぶことができ、
それが単位になってしまうという学生の主体性に任せた画期的なコースだった。
演劇を仕事とすべく活動していた自分は、当然のようにそのコースを志望し、
専門を演劇にした。
でも、演劇の専科があるわけではない立教大学に
系統だった演劇の講義があるわけなく、
映画や音楽、小説、ジェンダーなどの講義を通じて、
別の専門をもつ学生と交流しながら自分の専門を深めることになった。
当時はいろいろと不満もあったが、演劇を越境しつつ活動する現在から考えると
違う専門の講師や学生から学んだことがだいぶ素養になっているように思う。
なので、現在でもわからないことはできるだけ体験してみることにしている。

比較文芸思想コースのテキストは前半はチェーホフの『三人姉妹』、
後半は如月さんが20代はじめに書いた『家、世の果ての・・・』。
『家、世の果ての・・・』は、如月さんが大学を卒業してから
どうやって社会に消費されずに生きていくか悩む、
20代の如月さんの切実な想いが伝わってくる戯曲である。
彼女はその戯曲をいままさに社会に出ようとしている
自分たちに持ってきたのである。
当時、自分は演劇をやっていくつもりで就職など考えたこともなかったが、
どういう形でやっていくかあてもなく、友達の前では平静を装いながら、
毎日自分になにができるかを自問自答していた。
自分の芝居も想いばかりが先行し、納得した台本が本番まで書けず、
失敗に終わり、劇団の人間関係がずたずたになったつらい時期だった。
そんなおり、人間の皮膚の薄皮を一枚一枚めくっていくような
如月さんの暗い戯曲に夢中になった。

『家、世の果ての・・・』は武蔵野市のある町を舞台に、
買い物に行く少女や商店街の店主たちが、スーパー不夜城の進出をきっかけに、
どんどん首をつっていき、自ら食肉になっていくという物語である。
2007年現在の日本は、スーパーどころではない超消費社会で、
さらに高齢化や若者の問題、格差の問題など複雑になっているが、
企業が個を囲い込むという構造自体はとてもリアリティがある。
読むたびに暗澹たる想いがする戯曲だった。
もちろん、戯曲の中に、その時代の閉塞感と如月さんの切実な表現があるだけで、
問題に対する答えはない。
あるとき、「そうか、如月さんでも答えはないのだな」と思った。
そう思うと気持ちがだいぶ楽になった。
いまでも時々読む大好きな戯曲である。

如月小春精選戯曲集
如月小春精選戯曲集

二毛作で飲む

立石の仲見世商店街に二毛作というお店がある。この商店街は昼間はにぎやかなのだが、夜はほとんどのお店が閉じてしまう。その中で、何年か前から、おでんのお惣菜屋さんが夜になるとおでんのネタを使いつつ、店頭に簡易のイスを並べ、お酒を出したり、料理をふるまったりということを始めたらしいのだ。その名の通り、二毛作である。夜に立石に帰ってくると、薄暗い仲見世の入り口に即席の「二毛作」の看板が立っており、常々行きたいと思っていたのだ。

本日、ようやくその夢が実現した。立教大学時代の友人を立石案内したついでに訪れた。だしがよく染み込んだおでんはもちろん、トマトなどの変り種もあり、友人もかなり満足してくれたようだ。値段も良心的である。お店の若いマスター?も気さくな方で「お兄さん、地元?」と声をかけてきてくれたので、ついついマスターの歳や出身校などを聞いてしまう。案の定、隣の小学校だった。また人に紹介したいお店がひとつ増えた。やっぱり地元はいいな〜立石。

トリのマーク『向島の音楽が聴こえる』を観る

2a69c696.jpgトリのマーク(通称)演劇公演『向島の音楽が聴こえてくる』を観に行った。トリのマークの芝居を観るのは、大学のとき以来6,7年ぶり。大学時代の演劇仲間が在籍?している劇団だ。去年の夏、自分たちが水俣50年のうたさがしをしていたころ、トリのマークも同じくアサヒ・アートフェスティバルに参加をしていて、おもしろそうだなと思っていたのだ。

向島と立石はかなり近い。駅にして3駅ほど。どちらも下町情緒あふれる町である。日本経済新聞が出している冊子に、向島に住み着いて演劇を作り始めたトリのマーク主宰の山中さんの記事が載っていた。その論旨は新東京タワーができる向島で、路地の町の魅力をどう残していくかということだったので、自分がやろうとしていることと近い匂いを感じ、ぜひ見に行こうと思いたったのだ。

お惣菜屋さんが並ぶ下町商店街を散策気分で歩いていると、今回の公演場所「こぐま」が自然なかんじであらわれる。権威的ではないかんじがとてもいい。絶好の場所にある。聞けば「こぐま」は戦前に建てられた建物。薬屋さんの後に、山中さんたちがカフェを始めたらしい。入ると、さっそく演劇仲間の彼を見かけ、あいさつ。久しぶりである。しばらくすると、演劇百貨店のエリカさんもやってきた。客席は20名だというのに、演劇の世界は広いようで狭い。こういうことがよくある。公演後には受付をやっていた女の子も知り合いというおまけつきだった。

芝居自体は・・・。もっと町の人との結びつきが見える芝居を期待していたのだが、それはこっちの勝手な期待。今回の芝居はカフェの日常やちょっとした事件などを並列しつつ、コミカルに表現したものだった。劇の内容と微妙にリンクして入ってきた猫ちゃんが印象的だった。出演者に抱かれたり、客席に乱入してきたり。休日の昼下がりらしい、とてもほのぼのとした芝居。自分には少々刺激不足。

でも、「こぐま」の空間はとてもいいなと思った。開演前でも、町の人が「なんだなんだ」と言わんばかりにちらりとのぞいていく。そりゃそうだろう。20人近くの人が店の中で同じ方向を向いて無言で座っているのだから。場所自体が異化効果の役割を果たしている。肩透かしを食らわせられる可能性を残しつつ、今後のトリのマークの取り組みに注目していきたいと思っている。

大学時代の友人と会う

大学時代の友人の家に遊びに行った。会うのは3年ぶりくらい。
今年、彼女は結婚を控えていて、出し物を頼まれている。まあ、大したことはやれないけれど、彼女たちが喜ぶようなことをしたいと思っている。
彼女とはお互いをフルネームで呼び合う変な仲である。だから、自分はフクハラタダヒコと呼ばれている。会うのが久しぶりだったので、ついつい長居をしてしまった。思えば、10年来のおつきあい。お互い、福祉関係の仕事をやっているので、福祉の話で大いに盛り上がった。大学時代は10年後に彼女の家でこんなふうに話をしているとは、夢にも思わなかったなぁ。楽しい1日だった。

立石様巡礼ツアーのおまけ

3a157b9b.JPG立石巡礼ツアーはひとりだったの気まぐれに立石とは逆の方向に歩き始めた。すると、小学校の前に児童書専門の本屋さんがある。開かれた雰囲気がなんだかとても気になり、つい足を踏み入れてしまった。気さくそうなおばさんが「今日は寒いですねぇ」と声をかけてくれる。
「そうですね。お店がめずらしかったので、つい入ってしまいました」
「ゆっくり見て行ってください」
お言葉に甘えて、1時間近く立ち読みをさせてもらう。本の種類が本当におもしろいのだ。幼児向けの絵本や児童書はもちろん、専門的な教育書、マニアックな冊子なども並ぶ。お店の人の趣味らしいちくま文庫や岩波文庫もあったし、水俣病を撮ったユージン・スミスの子ども向けの本まであった。
楽しい時間を過ごさせてもらったお礼に、一冊絵本を購入をした。『ふつうに学校にいくふつうの日』。自分が大好きな翻訳家の柴田元幸さんが訳した絵本だ。自分のことをふつうだと思っている男の子や子どもたちがひとりの先生に会ってから、ひとりひとりがふつうでないことの楽しさを知っていく話。先生に会ってから絵がカラーになるのだけど、自分としては前半のモノクロのふつうのシーンの絵や言葉が好きだったりする。つくづく、あまのじゃくだと思う。
「これはいい本ですよね」とお店のおばさん。そのあと、お店のことや立石のことについて、しばし歓談。またひとつ、立石に自分の行ける場所が増えた。最後の最後で大収穫だ。

立石様巡礼ツアー3

412f4af0.JPGいよいよお目当ての立石様。(立石様はその名の通り、立石の地名の起源となっている奇石である。古くから地域で信仰を集めてきた石らしい。)立石様は住宅地の児童遊園の一角にある。日曜日の昼下がりということで、子どもたちがわんさかと立石様そっちのけで遊んでいる。これが本来の公園という言うべき、とても健全な風景だ。立石様の脇にあるベンチに腰かけ、子どもたちと立石様を観察する。自分がいる間に立石様を見学しにきたおじさんもいるかと思えば、立石様と後ろにある祠の間を堂々と自転車で通り抜けるおばさんもいる。立石様のすぐ横にはシーソーで群れながら遊ぶ子どもたち。下町らしい雑多感がなんとも言えない。

本日はもうひとつあたらしいことを発見。
児童遊園の入り口にある石碑に「世々崇敬者 島田太郎」という文字を見つけた。見れば昭和16年とある。立石様を世々崇敬しているということは、いまも崇敬している子孫か、運がよければご自身もいらっしゃるかもしれないということで、島田さんさがしの旅を始めることにした。このあたりで自分のテンションは俄然高くなる。ツアーがひとりであることなど関係ない。(もっとも、巡礼ツアーにもかかわらず立石様にお参りすることを忘れたけど・・・。)児童遊園の近所の表札で「島田」がないか片っ端からさがしまわること20分。一軒もそれらしい家はない。近くで事件があれば、必ず不審者と間違われるだろうあやしさである。
簡単にはいかなそうなので、次なる目的地南蔵院と熊野神社へ。両方とも立派な建物で驚く。立石に住んでいても、行くのはどちらともはじめてだった。
なんとそこで、ひとつのオチが。熊野神社の石碑に「代々氏子 島田太郎」の文字を発見した。同じく昭和16年。どうやら島田さんは熊野神社の氏子で、立石様の崇敬者らしい。後で調べると、「氏子」は近所の人で、「崇敬者」は近所ではないが崇敬しているという意味らしい。ということは、島田さんは熊野神社の近くに住んでいる人か。立石の知識は日に日に増えていっている。

立石様巡礼ツアー2

4022d680.JPGやはり町歩きはおもしろい。思いがけないものを発見してしまう。
立石様に行く途中の裏道に、星の王子さまが立っている家があったり、住宅地の中に突如、大きなクスノキと大きな鳥居が現れたりもした。ふつうの家の隣にあるから、その存在感たるやすごい。当然、歴史が気になってくるところである。次回以降、ぜひ調べてみたいと思っている。
町を歩くことに専念すると、必ずなにかに出会う。このぜいたくさを人はなかなか知らないのだよなぁ。






立石様巡礼ツアー1

c71f0ee3.JPGと言っても、ほかのイベントやらなにやらで誘った人が全員来られず、結局、ひとりでのさびしいツアーとなった。でも、それはそれでいい。水俣も最初そんなかんじだったし、やればやった分なりの収穫があるのだ。そもそも、このこと自体、人のためにはやっていない。自分が一番楽しむためで、結果的にその他大勢の人のためになることがのぞましいというだけだ。

本日は立石の名前の由来になっている立石様に行くのがメイン。けれども、自分は水俣から帰ってきてから、もうすでに5,6回は行っている。行き過ぎである。だから、今日は立石様に至るまでの寺社仏閣めぐりをぜひともしてみたかった。立石は地図を見ると予想外に神社やお寺が多いのだ。立石駅を北口方面へとひとり歩く。
意識してみるといろいろなことに気づかされる。お寺が一角に固まっていたり、浄土宗が多かったり。あるお寺で井戸端会議をしていたおばさんたちに取材を試みる。ひとりのおばさんによると、一帯にお寺が密集しているのは、戦前に都が土地を買い取って集団で移ってきたらしい。ということは、震災後かな。誰も詳しくはわからないみたいだ。お彼岸間近でどこもあわただしかったのが残念だった。
そのひとつ、證願寺というお寺はプラネタリウムがあるので有名なのだが、入ってみると中にはトリケラトプスやライオンもいた。狛犬の役割を果たしているのだろうか。でも、お寺だし・・・。よほど変わった人が住職なのだろう。今度再び行って話を聞いてみようと思う。

最高の道楽

家を出るなり、玄関先で声をかけられた。
「フク!(小学校のときのニックネーム)久しぶり!」
見ると、ベビーカーを片手に見覚えのある女性がいたずらっぽく笑っている。
彼女は幼稚園から小学校までいっしょの幼なじみだ。
大学のときに同窓会で会ったきりだから、6、7年ぶりじゃないかと思う。
相手の仕事の関係で一時帰省をしている最中らしい。
赤ちゃんは4ヶ月。すやすやと眠っている。
天気がよかったので、近くの神社まで散歩とのこと。
さすがに長男の行く末を心配している家族がいる家の前で
子持ちの同級生との立ち話もどうかと思ったので、歩きはじめる。
お互い、近況報告。このパターンはいままでなかったので、説明に困る。
「いまも演劇をやっているんだけど・・・説明が難しいな・・・」
結局、ヘルパーのことやら、スタンディング・ストーンズのことやら
具体的に話をした。「フクらしい」と一言。
どういう意味かわからないけれど、
子どもの時分から自分のことを知っている人と話すのは照れくさい。
でも、とてもうれしい再会だった。

立石にいて、立石のことをやり、立石の人と出会っていく。
新たな人たちはもちろん、子どものとき会っていた人たちとの再会もある。
いったん完成したパズルを押入れから見つけて、
再びバラバラにして作り直しているみたい。
でも、1ピースぴったりはまったときの喜びが前よりも大きい。確実に大きい。
成沢さんの言葉じゃないけれど、「ノスタルジーは力がある」のだ。

地域の人と作る演劇と出会って以来、
自分が生まれた町での演劇ワークショップが一番やりたかったことである。
人や町と出会いなおしながら、自分の人生の足跡を検証していく作業。
これは最高の道楽だ。
♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
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ふっきー

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