ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

October 2007

再びものすごく忙しくなってきた

93df2ad4.JPG立石関係。水俣東京行き関係。そして地域の物語ワークショップの準備。しかも、新たな仕事も入れつつある。予定のやりくりがとても大変だ。どれも落ち着いて報告をしたいのだけれど…。まだ香港の報告も終わっていない。

そう言えば、昨日重大な疑問に気づいた。
自分が住んでいる町は東立石なのだけれど、区画的に立石の東にあるわけではない。場所的に考えれば、地名は南立石がふさわしいはずなのだ。なんでだろう。多くの人にはどうでもいいことだろうけど。きっと東立石に住んでいる多くの人もどうでもいいのだろうなぁ。でも、こんなことが気になってしまうのだ。

独り言ばかりで申し訳ないので、最近撮った立石の写真をのせておく。これは先日、あるマンションの屋上から駅前を撮らせてもらった。意外と高い建物が多く、駅がどこにあるのかもわかりづらい。こんな角度から自分の町を見たのは生まれてはじめてだ。



ウォイミン、ごめんなさい

eb3d8ab9.JPG7月20日つづき。ウォイミンの論文形式の報告が終わったあと、ウォイミンの報告に日本人の演劇関係者が多かったこともあり、みんなで夕食をいっしょすることになった。インプロ(即興演劇)を実践・研究しているドミンゴ(高尾さん)ともこういうところでないとじっくりと話せないので、とてもうれしい。道中、かねてからインプロについて思っていた疑問をぶつけさせていただいた。インプロの手法にどのような社会性・政治性があるのか。ドミンゴはコミュニケーションのひとつの方法として個人にとっては有用だが、社会の問題解決の手法にはなりづらいとのお答え。なるほど。

その後、ウォイミンのひとり芝居を見に行った。この日はウォイミン・デイだ。
朝、ウォイミンにひとつの頼まれごとをされた。芝居の最後で助けを求めて、客席からだれも出てこなかったら出てきて助けてほしいとのこと。前日の芝居ではだれも出てこなかったらしいのだ。まあ、断わる理由もなかったので、「いいよ」と答えた。

ウォイミンの芝居のタイトルは『Beyond the horizon』。彼女が日本で感じていた孤独を表現したものだった。日本の無機質な都市の映像や音がところどころに挿入され、彼女を人と見ない都市の流れが身体と精神を犯していく。描き方はオーソドックスで驚くようなことはないのだけれど、自分自身が彼女とかかわりがある当事者だっただけに痛々しい。最後は、彼女が手首を切って自殺をできず、横たわるというようなシーンだった。いきなり、「Help me!」という字幕がバックにあらわれる。
あ、これが例の「助けて」のサインなのか。わかりづらい…。10秒、20秒。だれも助けに行かない。いや、おそらく行けないのだ。この時点で無理だよと思ってしまった。なにせ観客が助けに行けるきっかけがなさ過ぎる。自分が行ってしまったら、劇の均衡を壊してしまう。しかも、「助ける」って舞台に出て行くことなのだろうか。手をさしのべることなのだろうか。考えて動くのはきっとうそだ。おのれの偽善にさらに偽善を重ねるようで出ていくことができない。そういう意味では自分を問われた瞬間だったのかもしれない。

終了後、ウォイミンに「フクちゃんに頼まなければよかった」と怒られた。だって、本当に無理だったのだよ。ウォイミン、ごめん。

花崎さん、ごめんなさい

4480f85f.JPG午後のプログラムはマレーシア人のウォイミンのpaper(論文形式の報告)があった。
実はウォイミンとはギルドの成沢さんや花崎さんよりも長いおつき合いで、かれこれ10年近くになる。大学生のとき、韓国に行って現地の学生たちとマダン劇を作ったことがあり、そのときに日芸に留学中だった彼女はオブザーバーで参加をしていたのだ。その後も数年に一度の割合で偶然出会う機会はあったのだが、成沢さんたちといっしょに活動をし始めて、再び会うことが多くなった。この業界はせまい。

一昨日、報告会が終わったあと、見に来てくれたウォイミンから「あたしのほうは準備(日本語論文の英訳)がまだ終わっていないよ」と言われたため、自分たちの報告が終わった高揚感も手伝って、「花崎さんとドミンゴ(高尾隆さん)はもう報告が終わったから手伝ってくれるかも」と言ってしまったのだ。ウォイミンは目を輝かせてふたりのもとにお願いに行き、結局、ふたりとも手伝うことになった。
7月20日昼。夜遅くまで頑張ったドミンゴとは対照的に、花崎さんはやっておらず、会場ロビーの一角でパソコンを打つ作業をしていた。買い物から戻った自分が声をかけると、かなり機嫌が悪い。こんな花崎さんは久しぶりで、とても自分が推薦したなどとは言い出せない。この場を借りて謝ります。ごめんなさい。(……しかも自分はほかのプログラムに参加をしていました。)

翻訳はウォイミンの報告時間にはなんとか間に合ったようだ。
ウォイミンの報告内容は『PETAと黒テントの活動について』。興味深いのだけれど、英語なのでほとんどわからない。まあ、論文は読んだことがあるのでよいか。ウォイミンから頼まれた写真記録を撮ることに終始する。

女人街で買い物をする

2bd01650.JPG午後は女人街で買い物をした。前日も通ったのだけれど、名前から推測して、香港の歌舞伎町に違いないと勘違いし、敬遠したのだ。花崎さんによると、女性用のお土産を売っているところらしい。再挑戦をする。
なにを隠そう、自分は人へのお土産やプレゼントを選ぶのはけっこう自信があるのだ。しかし、女人街ではなかなかいいものが見つからない。そうこうしているうちに時間がなくなってきたので、目をつけたあるモノでお店の人と高いテンションのまま値段交渉をした。後日、長友さんに相談すると「それをもらってもどうかと思う」とにべもなく言われる。いやはや、こんなに後悔した買い物は久しぶりだ。高校生のときにバレンタインの義理チョコのお返しに買ったハンカチ以来かもしれない。結局、帰国後、だれにも渡さなかった。いまもなお、そのあるモノは我が家の散らかった棚の中でさびしく眠っている。

香港の孤独で不真面目な日本人

再び、香港のことを書きます。忙しさと体調不良で更新が途絶えていました。

7月20日。8時起床。寝息をたてている成沢さんの傍らで簡単な朝食。隣の駅にある会場に向けて出発する。外へ出ると朝にもかかわらず、むっとした熱気に取り囲まれる。
電車には乗らずに歩く。交通量が多い大きな通りを道なりにゆけば、30分弱で会場に着く。道中、それにしても日本の大企業が多い。大通りであるせいか、日本の大きな車の会社のほとんどがあった。なんだか外国にいる気がしない。

会場に着くと、水俣の報告に来てくれた日本の高校教師のバークマンさんに会ったので、いっしょに9時から始まる香港の子どもたちのショーケースを見ることにする。
前半はワークショップ形式の授業。後半はお芝居だった。見世物的なワークショップはいかがなものかと思ったのだけれど、会場と子どもたちをつなぐ先生のうまい進行にのせられて、子どもたちがとても生き生きとしている。それもありか。途中、ペアになってモノを表現するゲーム(←SHAPE)のとき、ひとりあぶれる女の子が出てしまった。その途端、会場からラテン系の男性がすばやく手を上げて、相手役を買って出た。観客から大きな拍手が沸き起こる。子どもたちの中でいかにも不釣合いなペアはすごく目立ち、相手の女の子も大喜びだった。自由なワークショップではこういうハプニングも幸せな瞬間に変わる。
子どもの創造力はこういう環境で育てられるのだ。日本の大人のみなさん。

10時からはシンポジウムがあった。その中に、カナダの女性による「聞き書き」に似た方法の実践報告があったので、楽しみにしていたのだけれど、彼女の言語はフランス語でなにもわからず。おまけに英訳してくれるイヤホンを借り忘れ、なにもわからないので寝た。途中、会場で隣の人たちと感想を話し合う時間があったのだけれど、内容もわからないので、ひたすら寝たふりをする。孤独で不真面目な日本人だ。ああ恥ずかしい。このときほど切に英語を学ばなければと思ったことはない。が、10月5日現在、いまだ学べていない。

大学卒業後に書いた台本を発見

先日、ひょんなことから、大学を卒業した翌年に書いた台本を発見した。
当時アルバイト先で演劇をやっていた人に頼まれて書いたのだ。その人はセミプロ気取りで理屈っぽく、先輩風をふかすタイプ。若い女の子、新人にはつまらない意地悪をする子どもっぽい人で、職場のみんなから嫌われていた。真剣に演劇をやっていた自分にとっても、社会的に演劇のイメージを悪くしている迷惑極まりない人だった。そんな人からあまりにもしつこく頼まれ、しかたなく遊びで書いてみたのだった。だから、台本の登場人物のひとりは彼をあてがき、いやらしい口調や雰囲気、ずるい性格すべて彼を想像して書いた。彼にそのことが伝わったかどうかはわからないが、彼は自分に「ひねくれすぎだ。もっと明るい芝居を書け。お前は新しい可能性から逃げている」と感想を一方的に言ってきた。当時、自分も別の芝居にかかりきりだったし、彼に関わること自体がいやだったので、それっきりその台本のことを忘れてしまった。
今回改めて読んでみると、当時の暗い気持ちを表現していて、芝居としても意外とおもしろかった。その頃の自分は、芝居も恋愛も仕事も人間関係も呪いたくなるほどうまくいっていなかった。

台本のタイトルは『DOKU』。(ちなみに毒と動詞の「どく」と孤独をかけている。)
なぜか出口のない、すべてのものが白い密室が舞台である。
そこに閉じ込められた若い兄弟と女性のうち、ひとりが中央のテーブルに置かれた毒入りの赤い液体を飲まなければいけないという設定だ。だれかひとりが毒を飲んで犠牲になれば、ふたりは生きることができる。ちなみに三人は複雑な三角関係にある。
最初のシーンでは隠喩で、三人それぞれ死んだ場合、残ったペアのイメージが描かれる。このシーンではあらかじめ関係と本音を見せておきたかったのだ。
前半は三人がお互いのことを思っていて、全員が毒を飲みたがる気持ち悪い芝居を演じ始める。善意の応酬。途中、液体をぜんぶこぼしてしまったり、再度出てきた液体をこぼそうとしたりするが、神にあたる人が出てきたり、ものが落ちてきたりして、常に強引にだれかが飲まなければいけない設定に戻される。
後半は液体がもうひとつ増え、ふたりが死に、ひとりが生き残るという設定になる。
すると、全員が本気で液体を欲し始め、相手を思いやるセリフのまま、液体の奪い合いが始まるのだ。なかなか壮絶。
最後はしたたかな女性がふたつの液体を奪って飲み干してしまう。すると、部屋を突き破るほど身体が大きくなって、新たな巨人の男と愛し合い、兄弟は呆然と上を見上げたまま取り残されるというオチで終わる。(←どうやって演劇化するのだろう。でも、芝居にするつもりが全くなかったので、好き放題書いてしまったのだ。)

いまから読むと設定に甘い部分はあるが、人間に対する絶望感はとてもよく出ている。さらに、ほとんど一晩で書きあげただけに疾走感もある。思わぬ作品に出会えてかなりうれしかった。
♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
Profile

ふっきー

Recent Comments
「最新トラックバック」は提供を終了しました。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ