ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

November 2007

立石再開発をチョット学んでみよう!会

f6cc55e1.JPG地元立石でついにイベントをやります。
水俣から帰ってくるまでほとんど縁のなかった立石で
仲間たちと会を作り、演劇をやります。その名も「立石再開発物語」。
再開発関係の行政、賛成派、反対派を取材して、
文章に起こし、構成してみました。
最初なので演劇というよりはレポートに近いと思いますが、
地元の人と演劇をやるなんてことは自分にとって画期的なことです。
この一年、着実に町で知り合いと行ける場所を増やしてきました。
一年間の成果をぜひご覧になってください。
これからもどんどんおもしろいことをしかけていきます。

○立石再開発をチョット学んでみよう!会

立石に住んでいるのに、立石のことをなにも知らない。
では、どうすればいいのだろう?
疑問に思った老若男女たちが集まり、
とにかくイベントをやってみることにしました。
第一回目のテーマはなにかと噂の「再開発」です。

日時:平成19年12月9日(日)15:00〜17:00
会場:立石地区センター第一会議室
     (京成線立石駅下車 
     葛飾区役所方面出口の目の前です)
資料代:500円
主催:立石チョットどうする!?会
問い合わせ先:080−6767−8362

あたしのどこがおもしろい?

7月22日。シャルーとの長い長い夜は続く。
一刻も早く別れたい自分は「明日の早朝に香港を発つので、荷造りをしなくちゃいけない(←これは本当)」と言ったのだけれど、「お土産を買うのに付き合って」とか「女をひとりで行かせるなんて」とか言う。「女でもあなたなら大丈夫だ」と言いたかったけど言えない。ここらへんの会話に男女の機微といったものは全くない。こっちは一刻も早い解放を求めて、死に物狂いである。結局、交渉の末、近くの駅まで送ることになった。事務所から15分程度のところである。彼女の荷物が重そうなので持ってやる。別に他意はない。
ところが…。道中、シャルーから「インド料理の店があるから、中を見てみたい」と言われる。あらかじめ「自分はお金を持っていない。なぜなら、日本人の中でも演劇をやっている自分はもっとも貧乏だから」と念を押す。シャルーを前に遠慮をすることは無意味だと気づいたので、はっきりと言う。やりとりをする時間も無駄なので、行くだけ行ってお店の人にメニューを見せもらって、シャルーを連れて帰る。いくらひどいと言われようとこっちも犠牲者だ。ボランタリーの精神など微塵もない。次は「コンビニで飲み物を買いたい」とおっしゃる。さらに「二本買うと安くなるから、ふっきーも買って」と。一刻も早く帰りたい自分はここは譲歩。すぐさま買う。
シャルーはお店に入りたがっていた。どうやら、飲み物だけは持ち込みで済ませたかったらしい。当然のように「つきあえ」と言われる。これではサラリーマンの部下を無理やり誘う上司のように思えてくる。結局、食べ物が合わず、入れる店がなかった。不幸中の幸い。かわいそうとかなんとかのレベルではない。この時点で23時近く。15分の道を1時間近く歩き回っていたことになる。最後の砦、マックも23時で閉店。シャルーは食事を断念し、自分がすすめた最終日のパーティに行くことになった。無事解放された。シャルーは「つきあわせて、ごめんね」と一言。やれやれ。

途中、おもしろかったやりとりがひとつ。
シャルーのわがままに困って、苦笑いをしていると。
シャルー「あたしのどこがおもしろい?」
自分「日本人の多くは本当に困ったときは笑わざるにいられなくなる」
シャルーは大笑いしていた。
あいまいな日本人とわがままなインド人ならではのコンビだったのかもしれない。

わがまま娘シャルー

7月22日続き。ライトショー終了後、再びフェリー乗り場へと移動をした。ショーを見終わった人たちでごったがえしている。シャルーは知っている顔を見かけてご機嫌だけれど、対照的にスタッフはいらいらしている。このふたりの間にいるととても疲れる。いや訂正。シャルーの横にいるととても疲れる。
フェリーからは香港の夜景が見え、ライトアップされた看板やイルミネーションの多くは日本の企業が並んでいる。SHARP、EPSPON、SONY、PANASONIC、TOSHIBA、HITACHI…。きりがない。シャルーと日本の電化製品の話になる。彼女のパソコンはインドのもので性能があまりよくなく、日本のものがいいと言っていた。こちらに来てから言葉の壁に臆することが多く、外国の人と積極的に交流ができていなかったと反省していたので、こういう形でも外国の人と交流できているのはいいなぁと思った。でも、その考えが浅はかだったことを後で知る。
フェリーを降りるやいなや、シャルーが「おなかがすいたから、どこかで食べていこう」と言い出す。この3人の中でおそらく最年少でありながら、一番大人である女性スタッフは怒る気持ちをおさえつつ、近くのファーストフード店でテイクアウトをして事務所で食べることを提案してくれた。ところが、ここでもハプニングが起こる。ふたりは注文したのだが、シャルーは宗教上の理由で動物性のものが食べられず、そこお店のメニューは全部ダメということだった。結局、シャルーだけは途中のセブンイレブンでパンとコーラを買う。文句を聞く羽目になる。ただ本を取りに行くだけなのに、着実に体力を奪われていく。
事務所についてから、3人で余った本をさがした。これも一苦労だった。スタッフも場所を把握しておらず、ありそうなところを片っ端からあさるのだ。ダンボール、袋、棚。ようやく見つけて、3人で食事をする。この時点で21時は過ぎていたと思う。
この後、事務所でスタッフの女の子にお礼を言って別れ、当然のことながらシャルーとふたりで帰らなければいけなくなった。

長い長い夜の始まり

cbedf94a.JPG7月22日。この日は自分のミスのおかげで、夜にもうひとつ芝居を見るはずが見られなくなってしまった。なぜかというと。今回、水俣の演劇を報告するにあたり、水俣病のことを書いた本の英訳書を2種類10冊を持ってきて、期間中IDEAのスタッフに販売を委託していた。その売り上げ金と余った書籍の受け取りが21日だったのだが、すっかり勘違いをしていたのだ。気づいたのは22日当日。後の祭りだ。
午後、つたない英語でスタッフとやりとりをしたところ、閉会式終了後に事務所に取りに行くことになった。夜18時過ぎに約束通り、会場のロビーでひとり待っていると、そこにひとりの女性が現れた。32歳のインド人で名前はシャルー。職業はプロフェッサーと言っていた。どうやら彼女も本を預けっぱなしで同じ境遇らしい。彼女は英語が話せるので、事情がわかっているらしく、自分の腕をずんずんと引っ張っていく。結局、スタッフの女の子のところに連れて行かれ、3人で取りに行くことになった。これが長い長い夜の始まりだった。
事務所は閉会式の会場の対岸なので、フェリーを使う。ところが、フェリー乗り場に行ってみるとフェリーがたまたま出たばかり。次の便をおとなしく待っていると、シャルーから提案があった。「ライトショーを見たいの」シャルーによると、対岸の夜景をライトで演出するショーがあるらしい。自分はどっちでもよかったのだけれど、明らかに仕事で来ている香港のスタッフは行きたくない様子。でも、シャルーは負けない。ふたりともフェリー乗り場から半ば強引に展望スペースまで移動をさせられた。展望スペースはショーを待つ大勢の人だかりができている。シャルーはいつの間にかビデオカメラを用意。「ふっきーはカメラを撮って」と言われ、しかたなく撮影する羽目になった。スタッフはふくれっつらをしている。せこい自分はスタッフに「シャルーは困った奴だな、自分もしかたなくやっているのだよ」ということを懸命にアピールする。言葉が不自由だと意見も主張しにくい。
ライトショー自体はそんなにおもしろいものでもない。ビルの明かりがチカチカついたり、光線が空に向かってうつし出されたり。横でシャルーは大はしゃぎだ。スタッフは怖い顔をしたまま。一体、この人たちと香港でなにをしているんだろう、という気分になってくる。途中でシャルーが記念撮影を三人でしたいと言い出した。交互に記念撮影。「帰ったら写真をメールで送ってね」と言われる。どこまでずうずうしい奴なんだ。……とは言えない。

小人のお芝居

6692734b.JPG7月22日。前日、ウォイミンの友人のサフランから飲茶のお誘いがあり、お言葉に甘えて、成沢さんとふたりでお邪魔するにした。花崎さんはお疲れでキャンセル。香港では休日の朝に家族で飲茶を食べに行く習慣があるらしい。
午前中はウォイミンやサフランほか、ウォイミンのお芝居を手伝ったマレーシアの人たちと会食。お互い言葉を教えあったり、写真をとったり。ゆったりとした時間を過ごした。もちろん、いろいろな種類がある飲茶にも大満足だった。

午後はカンボジアの劇団のお芝居。これが予想外におもしろかった。主人公はなんと小人(こびと)の女性。彼女が村に受け入れられていくまでを描く。劇はフィジカルシアターでほとんど言葉を使わずに身体表現だけで表される。
冒頭。村人たちはみんな大道芸や飛んだりはねたりの超人的な技を持っていて、見ているだけでも楽しい。そこへ小人の女性が入ってきて接触を試みるが、だれも構ってくれない。彼女は「自分が小人でなかったら」と思い、神様にお願いして、美女(別の女性)に変身する。すると、一転、男たちは我先にと彼女を誘惑し始めるのだ。ここらあたりで、なんだ配役が変わるのかと少々興ざめの部分もあったのだが、劇の視点は彼女の変身願望と村人たち(社会)の外見に対する固執にある。自分にだってそういう部分はある。目が離せない。理想的な展開になればなるほど、小人である彼女のアイデンティティは引き裂かれるのだ。おそらく障害者であれば、だれもが感じたことがあるだろう。いや健常者だってコンプレックスがあれば、同じような気持ちになったことはあるのではないか。
結局、彼女が変身していたことはばれてしまい、再び差別・拒絶にあう。その後、彼女の思いを村人たちが理解して受け入れられるようになるのだけれど、その箇所はあまり記憶にない。最後は彼女もジャグリングなどの大道芸や超人的な身体表現に加わる。彼女がひとり小人であることのアクセントが、全体になんとも言えない調和を生み出していて、よい。とてもよい。この芝居を世田谷の障害者や水俣の人たちに見てもらいたかったなと思った。

ヴァギナ・モノローグ

ヴァギナ・モノローグ
ヴァギナ・モノローグ

d73f4c08.JPG7月21日の午後は、友人になった台湾の女性ジョセフィーヌのPAPER(論文)形式の発表があった。彼女がやってきた『ヴァギナ・モノローグ』という名前のお芝居。(ヴァギナとは女性器のこと。)このお芝居は日本でも翻訳され公演されたこともあるので、名前だけは知っていた。1996年にアメリカの劇作家イブ・エンスラーがあらゆる女性を取材して、ヴァギナについての記憶や思いを語ってもらったものを文字に起こしたものだ。
当日の発表は英語だったせいで、彼女たちの活動がどのようなものだったかは正確にわからない。でも、劇場の出入り口がヴァギナになっている写真(観客が男であっても女であっても、生まれてくるところはお母さんのヴァギナからという演出である。おもしろい!)や、ヴァギナの絵が描かれたTシャツを見せてもらい、この劇が中身だけでなく、劇をする過程自体が、彼女たちの表現になっている様子が伝わってきた。おそらく劇をやる中でいろいろな苦労や発見があったのだろう。それはそうだと思う、日本だって、公然と「おまんこ」と言うことはタブーなわけだから。
東京に帰ってからさっそく戯曲を読んでみた。戯曲の中に出てくるヴァギナの記憶は、年配の人から子どものものまでさまざま。だからこそ現代のアメリカ女性がヴァギナの言葉とともに抱える、性の抑圧の問題が浮かび上がってくる。自分は取材劇をやることが多いから、その取材がどのようになされたかまでが生々しく思い浮かんだ。作者はヴァギナのことを聞くことで、女性の当事者と貴重な出会いをしてきたのだと思う。年配の人は最初恥ずかしがっていたけれど、若い頃、男性に傷つけられた話を語っていた。そのことを話すのはじめてらしい。
自分は男性だけれど、この問題を自分にひきつけて考えたとき、日本に住む身近な女性はどのようなヴァギナの個人史を抱えているのだろうかと思った。例えば、日本語に訳すとしたら『おまんこは語る』だろう。『ヴァギナ・モノローグ』では知的すぎるきらいがある。アメリカの女性は語ってくれたけど、日本の女性はどうだろう。例えば、自分の祖母や母親は?女性の数だけ語られない物語があるのだろう。
先日、水俣の友だちから送られてきた、自宅出産のことを書いた家族新聞を読んだ。出産は家族や近所の友人たちでおこなうらしい。だから、赤ちゃんをとりあげるのも家族、へその緒を切るのも家族。(ちなみに、へその緒を切ったのは小学生の男の子だ。)なんだかうらやましかった。このような中で生活していれば、男性女性関係なく、きっとヴァギナの歴史も変わるのだろう。つれづれ書いた。この問題についてはまだ考えがまとまっていない。継続ありきだ。

町を散策するとこんなものもある

9b74f332.JPG7月21日香港のつづき。
お昼に無料公演があるというので、見に行くも会場を間違える。行った先のアートの専門学校の受付の人に聞くと、なにを寝ぼけているんだというような対応をされた。なんと会場はいままでいた場所だったのだ。
日本でも人には言えないような間違いを時々するけど、違った環境になると、それがなおさら顕著になる。たぶん、旅による開放感が、元来持っているいい加減な部分をひきだすのだろう。
帰りにマーケットを歩くと、こんな風景に出くわす。日本では見たことがない。人間も、動物も「死」からは遠ざけられているからな。でも、食べ物はこうやって生まれてくるのだ。こんな風景が生活の中にあるのは、都市民族である自分にとってうらやましい。

シンポジウムがわからないので

93e061d0.JPG11月なのに、まだ7月の香港の報告が続く。というのも、最終日がとても大変な日になったのに、まだだれにも正確に伝えられていないからだ。
7月21日。午前中は外国語でおこなわれるシンポジウムがあった。会場の外のイスで腰掛けていると、ウォイミンや長友さん、ドミンゴ、バークマンさんたちが通りかかり、集まってきた。会場で数少ない日本語がわかる方たち。この機会を利用しない手はない。そこで、彼らに前日のシンポジウムで興味があった部分の内容について説明してもらった。ありがたい。
みんながシンポジウムを聞きに行ってしまったあとは、堂々と海辺を観光しに行った。だって、背伸びをして会場にいても全く意味がわからないのだもの。こういうときは与えられた条件で、自分が楽しめることをしたほうがいい。お金だって払っているのだし。
海辺では中国が香港返還時に贈ったとされる記念碑を発見した。ガイドブックには、香港の人たちは迷惑がっているが、近年、中国から来た観光客にとってはメッカとなっているとのこと。確かにバスが数多く泊まっており、記念碑をバックに大勢の人が写真を撮っている。外国人の自分から見れば、中国政府の民衆へのプロパガンダの意図が露骨過ぎて、空々しく感じる。なんだかなぁと思いつつ、自分も写真を一枚撮っておく。
♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
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