ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

February 2008

長井さんとかわいいお店

3bdf79e4.JPG1月26日つづき。
下北沢駅ではすでにHands世田谷スタッフの南雲さんと坂本しのぶさん、史穂ちゃん、演劇デザインギルドの花崎さんが待っていた。今回の案内役の矢崎さんも来て、定刻どおり無事に全員集合。幸先はよい。
しのぶさんが「手袋を買いたい」と言うので、矢崎さんおすすめのお店に到着する。なんとそのお店はかわいいものだらけ。店に入ったとたん、ピンクの色に囲まれてしまった。ついつい調子にのって、車椅子に乗っている長井さんにうさぎの耳をつけてしまった。全身で拒絶反応を示す長井さん。とってもかわいいのに・・・。
「ここはダメ、ダメ」一番大喜びの女子高生の史穂ちゃんを筆頭に色めく女性陣を尻目に、長井さんはお店を脱出。仕方なく、長井さんの車椅子を押して近所を一周する。女性陣はまだ店内を楽しんでいた。さすが。

障害者の案内で世田谷まち歩き

8eebd573.JPG1月26日。快晴。半端ではない雨男の私。なのに、季節に関係なく、なぜか水俣関係のイベント当日は強い。この日は午前中から二グループに分かれて、世田谷の障害者に世田谷を案内してもらう。
一つ目のコースは荻野さん・横山さん・上田さんを中心にした世田谷ミニキャブ区民の会コース。こちらには徳富さん、大崎さん、福岡さんの水俣市役所の3人が参加。世田谷の当事者運動が濃縮されたようなコアな男たちと地方からの視察旅行然とした面々の、かなり珍しい組み合わせである。おもしろくないわけがない。
もうひとつのコースは矢崎さん・南雲さんを中心とした下北沢Y’sガーデンコース。こちらには水俣の長井勇さん、坂本しのぶさん、史穂ちゃんの三人が参加。女性が多く、ミニキャブコースとは対照的にさわやかで穏やかな散歩になりそうな予感。
自分としてはなにが起こるか予想がつかない一つ目のコースに同行したかったのだけれど、長井さんの車椅子を押す大崎さんがいないため、下北コースに行くことになった。
10時30分に下北沢駅改札で待ち合わせ。ところが、世田谷の障害者の間で悪評高い下北沢の駅。ホームにエレベーターがないのだ。だから、介助をやっている自分はこの駅にはたくさんの思い出がある。片方のエスカルが壊れていたため、逆の方向の電車に乗らなければいけなかったり、かつてホームの先端についていた昇降機が故障し持ち上げるのを手伝ったり。自分でも思い出がたくさんあるのだから、駅員さんたちはもっとたくさんあるのだろう。長井さんにもそんなことを説明して、エスカルに乗ってもらう。またしても下北沢で思い出ができてしまった。

柏木さんのコンサートを東京で

2d3c816f.JPG1月25日つづき。
漫才で笑わせてもらった後は、柏木さんのコンサート。
本当にメインがいくつも目白押しで申し訳ない。
今回の広報をしたとき、何人かに「柏木さんはプロの人なの?」って聞かれたけど、自分にとって柏木さんはプロとかアマとかそういう範疇ではない。なんというのだろうな。商業的ではないうたの楽しさや奥深さを感じさせてくれる人なんだよね。柏木さんは水俣やそこに住む人たちのことを題材にしていて、水俣で聴くと、うたを作った風景や息遣いまでが感じられる。それでいて、独特のユーモアもたっぷり入っていて。聴くとなんとも幸せな気持ちになれるのだ。

翌日の交流の準備や会計のお仕事があったため、全部は落ち着いて聴けなかったのだけれど、好きなうたのときはしっかり聴かせてもらった。やっぱりよいなぁ。冒頭の『汗で汚れたミノルタカメラは心の瞳』を聴いた瞬間、1ファンとして、準備の大変さを忘れてしまったくらいだ。東京で柏木さんのうたを聴ける贅沢。
そして、去年の夏に胎児性水俣病患者の人の言葉をもとにできた『恋路島から吹く風』から一節。

 嫌なおもいで特殊学級
 私をへんな目で見ないで
 どうしようもなく さびしい時は
 海の見えるあの丘で心癒される

 せつない恋胸しめつけるはかない恋
 いままでいろんな人を好きになった
 恋ができないなんて言わないで
 私は私そのまま生きてゆく


自分はこの箇所をHands世田谷の代表の横山さんの横で聴いていた。この歌詞の気持ち、世田谷の障害者の人たちもきっと感じたことがあるんだろうなと思った。横山さんが一言「重いね」と言った。柏木さんのうたはこの重い言葉をアコースティックギターにのっけて、感傷と受容、強さと誠実さ、とにかくいろいろ混じったぎりぎりのすごいバランスで切り取っていくのだ。この瞬間はただただ圧倒された。

スタッフとしてものすごくプレッシャーがあった一日だったけど、なんとか無事に終了。Hands世田谷の事務所をお借りしたお疲れ様会に顔を出した後、終電で帰路に着く。へとへと。

さすが!ゆうじーず漫才

0235faa0.JPG1月25日つづき。
休憩をはさんで後半。幾分落ち着いて見られるかと思いきや、性分なんでしょうね。こんなゆるーいイベントでも、なにかやることがないか、やらなかったら大変なことが起きるのではないか、常に心配をしまくってしまう。
そんな中で実行委員長の実方裕二さんと介助者”みきふるう"君の漫才が始まった。
基本のスタンスはまずは裕二さんが自らの障害をさらす。そのさらし方がすごい。ただでさえ、言語障害でわかりにくい言葉をさらにわかりづらく言ったり。奇声を発しながら車椅子で狭い会場内を暴走しまくったりするのだ。それを、ふるう君が一生懸命拾いまくる。言葉だけではないので、会場は必ずといっていいほど爆笑の渦。この日も調子にのって、操作バーがとれてしまうアクシデントがあったが、それも笑いに変えてしまうほど絶好調だった。世田谷のつわものの障害者も大笑いをするほどのはじけぶりだった。
一般の人になにより見てほしいのは、ふるう君との関係。障害者を必要以上に怖がったり、哀れんだりする人がいるけれど、お互いの信頼関係があれば、障害を笑ったり、ひどいことを言いあったりすることだってできるのだ。ぜひとも、障害者に過剰な善意を持っている方々に見てもらいたい。善意など簡単にふっとんでしまう、裕二さんの悪意も見られるのだから。

ウェルカムトークセッション

e2c7bb4f.JPG1月25日つづき。
水俣の報告のあとは、今度は世田谷の番。
世田谷の当事者運動の歴史をふりかえったあと、簡単に現在の世田谷の実行委員の職場などを、成沢さんと上田さんのふたりで紹介する。世田谷の障害者の歴史はすごい。自分の障害を武器にひとつひとつ具体的な成果を積み重ねてきた。例えば、報告者の上田さんがかつてバスの乗車拒否にあい、介助者といっしょにバスの前にたちふさがった話などなど。しかも彼らの当事者運動が世田谷線のバリアフリー化や介助システムの確立など、ありとあらゆる先駆的な成果を勝ち取ってきているのだ。ここらへんのことをもう少し整理して伝えられたらおもしろかったのだけれど、今回は時間が少なすぎた。少々残念。
その次は、世田谷ミニキャブ区民の会事務局長の荻野さんと水俣おれんじ館館長徳富さんによるウェルカムトークセッション。今回、実行委員会では必ずと言っていいほど毎回、みんなと反対の意見を言ってかきましてくれた荻野さんの提案である。はじめて会ったものがどう出会うかを実演しようという試み。などと言うと大げさだけれど、自分は見ていて『笑っていいとも』のテレホンショッキングのコーナーを思い出した。荻野さんがタモリで、徳富さんがゲスト。(でも、お土産を用意していたのは荻野さんで、徳富さんに世田谷ボロ市のハッピをプレゼントした。)荻野さんの挑発的なトークに徳富さんも応じる。しまいには自分でも聞きづらいような徳富さんの恋愛ネタまで飛び出す始末。さすが荻野さんである。お客さんもくだけたふたりの雰囲気にこのわけもわからないイベントの趣旨がわかったのだろう。このときには客席のほとんどが安心して笑い出していた。ちなみに当日、見に来てくれたうちの母が一番よかったとほめていたのは、このトークセッションである。

大事なこと

改めまして、東京都葛飾区立石に住んでいます。
生まれも育ちも立石。その町で再開発の計画が持ち上がり、
区域内の過半数近くの住民が反対運動をしています。
というのも、住民が中心になって決めたのではなく、
行政主導で起こった計画だったから。
自分もそんな行政の強引なやり方、面白くない再開発案に
疑問を覚えて、再開発の対案を出すべく、活動をしています。

賛成派も反対派も行政も一筋縄ではいかなくて、さぁ大変。
実はこの問題は複雑に見えて、いたってシンプル。
恥ずかしげもなく、ずばっと言ってしまえば、
要は立石のまちをどれくらい愛しているかということなのです。
言ってしまった!
自分の主義主張でなく、まちを愛しているかどうかということ。
これは表面上がどうであれ、理屈でなく、直接、他人に伝わります。
自分が水俣で学んだ大きなことのひとつです。
自戒の意味もこめて。

町の表現

596d7cde.jpg先日、立石を歩いていたらこんなことが書かれているお店のシャッターを見つけた。
「立石という街があるために人生どれだけ賑やかだべか」
再開発該当地区の居酒屋である。どんなつもりで書いたのかわからないが、地元が好きな自分にとって、心に残る言葉と表現だった。今度行ってみよう。
その後、駅前の居酒屋『呑てんき』で日曜だけのランチメニュー・キーマカレーを食べる。この日は店の前でフリマもやっていて、ふだんなら居酒屋によりつかないであろう年配の方々やおばちゃんたちが寄ってきたりしていた。おもしろい風景!でも、このフリマもいいかげんで、物置をひっくり返したガラクタのようなものが多い。中にはタイトルが手書きの私物の録画テープコーナーもあった。もちろん、ちょっと怪しげなエロビデオも・・・。チェーン店では真似できないうさんくささがいかにも立石に合う。さすがオーナー。彼と知り合ったのも、去年の年末にやったイベントがきっかけである。これだから地元での活動はやめられない。

水俣ば生きる会からのメッセージ

b40cceed.JPG一つ目のプログラムは水俣ば生きる会からのメッセージ。市役所の大崎さんが「東京は寒かですね〜。帰ろうかと思いました」と客席の笑いを誘う。大崎さんは水俣で活躍を期待されている若手のひとり。50年事業のときは事務局勤務で創作舞台の担当だった。この人が担当でなければ、創作舞台はできなかったのではないかと思えるほど、仕事の枠を超えて演劇ワークショップを支えてもらった方である。ユーモアのある話し方や謙虚さ、率直さ、実行力など学ぶことが多く、自分にとってはよき先輩である、と持ち上げておく。
当日は開演直後であわただしく、会場に出たり入ったりしていたので、ちゃんと水俣の報告は聞けなかった。気づいたら、いつの間にか創作舞台の報告になっていて、突然、大崎さんから「障害者のまゆかさんの告白のシーンで、まゆかさんを振った残酷な男が世田谷メンバーのふっきーです」と自分にふられてびっくりした。近くにいた知り合いのハンズ世田谷の障害者スタッフから「ひどい男やな〜」と言われる。ついつい「モデルはあなたですよ」と言い返した。冗談でしょうというような表情をしている。「ヘッヘッヘッ。信じられないかもしれませんが、残酷な男のモデルはあなたです。手首の曲がり方や歩き方を見てもらえばわかりますよ」とさらに残酷な男は心の中で言う。本当なんだもの。自分以外だれもわからず、自分自身も忘れかけていたことだった。こんなおまけも飛び出す。
女子高生の史穂ちゃんの報告も痛快だった。途中から創作舞台にかかわって、一番セリフが多い役をやって、その後、一ヵ月後のシンポジウムに呼ばれて、さらには水俣ば生きる会で東京に来てしまうという、劇的な展開。高校生らしい奇をてらわない等身大で正直な感想に会場が沸いた。体調不良の永本さんの代役を見事に勤めている。水俣側の人材の層の厚さたるやすごい。

裕二さんのあいさつは狙いどおり?

c6808782.JPG1月25日つづき。当日のお客さんの総数は60人程度。
会場のパークホールの収容人数が120人程度。水俣メンバーに世田谷の実行委員、お手伝いの方々などを含めたら、ちょうど90人から100人くらいだろうか。車椅子で身動きが取りやすい程度の混雑ぶり。制作側の自分としてはお客さんが入りきれなかったり、会場内が混雑で気分が悪くなる人が出たりと、常に最悪の事態を想定しながら準備をしてきたので、まずはほっとする。と同時に、もう少し積極的にお客さんを呼べばよかったかとも思ったりもする。
イベントは実行委員長実方裕二さんのあいさつで始まった。ところが、裕二さんの言語障害に慣れているはずの自分でも聞き取りづらい。介助者のくり返しもつかない。緊張しているのか?いきなり親切じゃないよなぁ。内容が聞き取れず、裕二さんはしゃべり続けるのだから、客席にも動揺が走るのがわかる。それでもちゃっかり自分のゆうじ屋の宣伝だけは聞き取れるのがずるい。狙っていたのか〜、裕二さん。さっそく笑わせてもらった。いままでだれも見たことがない水俣と世田谷のユニークな方々による前代未聞のイベントの始まりである。

出会うことで、ひとの可能性は無限のひろがりを見せる

e8869f75.JPG1月25日つづき。
水俣メンバーは16時ちょっと前に小田急線梅が丘駅に到着。そこから男女で宿泊先が別なので、男性メンバー、女性メンバー、パークホール準備組の3グループで別行動をしてもらった。思った以上にスムーズに移動できて、ひとまずほっとする。
18時以降はそれぞれ、メインのコンサート会場へ。本日は『春の汽車はおそいほうがいい。』と題した、トークセッションや漫才、そして柏木敏治さんのコンサートイベントがあるのだ。山口史穂ちゃんといっしょに、女性グループの重たい荷物を運び終えて会場に到着すると、すでに大方の準備が整っていた。ゴザに座布団、桟敷席。脇には今回の実行委員長の実方さんのゆうじ屋が出店。会場内に休憩スペースや受付も置くユニークなレイアウトである。(まぁ、ここに至るまでが大変だったのですが)真ん中のステージでは、柏木さんがパークホールのぬしのようにギターを演奏していて、早くも世田谷と水俣の空気が混ざり合っているような雰囲気を感じる。
開場15分前くらいに、自分のアナウンスで今回の水俣世田谷交流の実行委員会と水俣ば生きる会のメンバーに自己紹介してもらった。こんな日が来るなんて、水俣にいたときには夢にも思わなかった。でも、自分が水俣で創作舞台の製作のサポートをしていたとき、外野から「できない」「無理だ」「こうしろ」と意見を言われようとも、胎児性の人たちや障害者(当事者)の主体性を信じてへこたれなかったのは、世田谷の自立生活をしていた障害者の存在があったからだ。今回の当日パンフに「出会うことで、ひとの可能性は無限のひろがりを見せる」という言葉があるのだけれど、まさにそのとおり。アバンギャルドな世田谷の障害者と、これまた個性豊かな水俣の面々がつなげることができて、どんな展開になるか考えるだけでもワクワクする。
まぁ、当日は感動の余韻にひたっている暇もなく、お手伝いの人に動いてもらって観客を出迎える準備を再開する。毎度のことながらイベントでは常にせわしなく、楽しむ余裕が持てない。せっかく来てくださったたくさんのみなさま、ゆっくり話したり、人を紹介できなかったりしてすみません。地元立石の人たちも何人か来ていたのに。反省。
♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
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