ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

May 2009

地デジはいらない

昨日聞いた友人の言葉
「地デジになったらテレビをやめようと思っている。
 いまのテレビはレベルが低い。
いい番組は100本に3本くらいの割合。
 ラジオのほうがおもしろい」

なるほどなぁと思ってしまった。
確かにNHKの受信料支払騒動に巻き込まれることもないし、
テレビに無駄な時間を費やすこともない。
メディアリテラシーという言葉もあるように、
情報の選択能力が問われる時代、この考え方もありかなと思った。

彼は街頭テレビの復活も画策している。
みんなが見たいようなイベント時には
町角の大画面でテレビを見る。
昭和回帰かもしれないが、個人に解体されつつある現代、
地域の輪も復活するかもしれない。

ユニークなアイディア。備忘録として記しておこう。

今年の立石企画の打ち合わせがありました

今年も立石企画がいよいよ始まります。
本日、去年の参加者を中心に第一回目の打ち合わせがありました。
久しぶりに会ったメンバーは同窓会みたいで、
なんだかとっても気持ちが和みました。
全員が全員同じメンバーでやれるとは思いませんが、
今年もまた新たな出会いがたくさんあるはず。
ちゃんと落ち着いた出会いができるように、
いまはしっかりと準備をしていきたいと思います。

おととしは再開発関係の人たちに取材。
去年は呑んべ横丁。
今年はもう少しマクロに地域を
ちゃんと調べるということをやりたいと思っています。
もちろん、演劇も使います。

「考える力は調べる力の衰え」
地元学提唱者の吉本さんのお言葉。

まずは自分の足で調べること。
そして、丁寧に人と出会うこと。

また忙しい夏が始まります!

時間に追われている

8時10分起床。8時28分にタイムカード打刻。
別に寝坊をしたわけではない。
出勤時間を間違えていたのだ。
念のため、起床時に確認したら、
あと20分後にはついていなければいけない計算。
本当にいいタイミングで父親が
母親を仕事に送りに行っていて、
帰ってきたところをすかさず乗せて送ってもらった。

もちろん、髭もそり、顔も洗い、ちゃんと着替えての出勤。
そして、もちろん安全運転。
職場が地元と言えど、奇跡的だった。

こんなふうな凡ミスをしてしまうのも、
時間に追われているせいだ。
次から次へと仕事や用事が入ってくる。
いやいや、いかんなぁと思いつつ、
せわしない合間をぬってのお食事になってしまう。
味が全然しない。
仕事に生活にきちんとしたリズムを取り戻さなくちゃいけないなぁ。
適度の休息。適度の遊びもきちんといれなくては・・・。

永井荷風の講座終了

本日『荷風流かつしか散歩』という計3回の講座が終わった。
永井荷風が若い頃を過ごした新宿区余丁町と、
しばしば散歩で訪れた葛飾区の新小岩・東四ツ木をまち歩きをする講座。

とても人気があった講座で、大幅に定員を超える申し込みがあった。
平日の日中なので、ほとんどが年配の方。
荷風没後50年なので、新聞や雑誌でも特集記事が組まれ、
たまたまだったがタイムリーな企画であった。

もちろん、ただ歩くだけじゃなく、
新宿・葛飾の荷風ファンのおふたりのガイドつき。
自分も葛飾では町のあちこちで、
小説や随筆に描かれている風景を背に朗読をした。
屋外で荷風のような文体を声に出して読む機会は
そうそうない。
実際の風景を前にすると、言葉が生きてくるのだ。
ぞくぞくする体験だった。

前回の最後には『葛飾情話』という浅草オペラの一シーンもやった。
バスの運転手と女性の車掌さんのメロドラマである。
映画会社の幹部たちがヒロインの美貌に目をつけ、
荒川放水路の向こうに連れて行ってしまう。
ヒロインにとって川向うはネオンがきらめく憧れの地。
「東京へ東京へ」と言いながら、運転手を見捨てて川向うへ行ってしまう。

葛飾は「東京」ではなく、寂れた片田舎として描かれている。
荷風さんが愛着を持った点が、
現在の飾らない町並みや下町の人情味と重なり、
なんだか感慨深かった。
運転手を裏切ったヒロインは次の場面で
映画スターの夢破れる設定にも
山の手に対する荷風さんの怨念が感じられる。

そう言えば、こうしてブログで表現をしようと思ったのも、
荷風の書いた日記『断腸亭日乗』に触れたのとも無縁ではない。
荷風の厳格で簡潔な文章とはほど遠いが、
毎日なにがしかを書くことで、文章が鍛えられると思ったのだ。
気長に続けていきたい。

摘録 断腸亭日乗〈上〉 (岩波文庫)
摘録 断腸亭日乗〈上〉 (岩波文庫)


摘録 断腸亭日乗〈下〉 (岩波文庫)
摘録 断腸亭日乗〈下〉 (岩波文庫)

分厚いKJ法の本に挑戦!

KJ法―渾沌をして語らしめる

いま6月に担当している講座の関係で、
『KJ法 渾沌をして語らしめる』川喜多二郎 著
というのを読んでいる。600ページ弱の分厚い本だ。

いままでもKJ法はワークショップなんかで
ふつうに使う機会も多いにもかかわらず、名前も知らなかった。
最近になって、これがファシリテーター系の講座で
よく学ぶ技術のひとつらしいということがわかった。

いままでのイメージだと。
1.個人の意見をポストイットにいろいろと書く。
2.グループで順次発表していく。
3.模造紙に並べて、並べ方を工夫する。
4.全体で発表をして共有をする。
という程度のもの。
(これがあっているかどうかは定かではない。)

しかもKJ法の由来は川喜多二郎さんの
イニシャルだということも知り、
なんと傲慢な命名方法だと思っていた。

しかししかし、この本を読みだすと、とてもおもしろい。
まえがきにこんなことが書いてある。

「だれでも身につけられるということは、
何の努力も要しないということとは全く関係がない。
悪ぐせのない正道を踏んで、みずから実践をして、
鍛えた時にのみ、それは本格的にわかってくる。」

「この本をいかほど読んでも、
それだけではKJ法は体得できない。」

冒頭から安易なスキルアップを求める人に
警告を発するような厳しいお言葉。
演劇ワークショップにも通ずる部分があり、大いに共感する。

最初の部分はKJ法を創った背景や危機感が描かれているのだが、
思考停止で解体がすすむ現代社会への鋭い批判精神に貫かれていて、
非常に示唆に富んでいる。

また、彼が大事にしているのは「渾沌」という言葉。
時代の渾沌から逃げることなく、どう受け止めていくかということに
方法の重きが置かれている。
あくまで「まとめ」「合意形成」ではないのだ。

二日でようやく60ページ。久々に読書の実感を伴う本である。

表現すること

忙しさにかまけて、更新頻度が落ちていた。
このブログを始めたきっかけは、水俣での住み込みのお仕事。
胎児性水俣病患者・障害者の想いを彼らが届けたい人たちに
届ける環境づくりをした。
現地の福祉施設の政治的な駆け引きに翻弄されることなく、
可能な範囲で、現場や参加者に対する自分自身の率直な想いを
伝えたい・記録しておきたいと思ったからだ。
もちろん、誰が見ているかわからないネット上であるため、
書けないことも多かったが、東京や水俣で応援してくれている人に
きちんと情報を伝えられた効果はとても大きかった。

さて、あれから約2年半。
地元立石や葛飾でも仕事や演劇活動を続けているうちに、
知り合いがたくさんでき、町の中にある居場所も増えた。
しかし、町の人たち、特に再開発の関係者の中には、
賛成反対(←あえて派という言葉を使わず)を問わず
誤解をする人が多くいる。

自分の後ろに黒幕がいるとか、政党が関係あるとか、
宗教団体があるのじゃないかとか・・・噂が流れる。
これは立石に限ったことじゃないけれど、
自分はそんなに頼りなく見えるのかなぁ。
自尊心が大いに傷つく。

たぶん、人から見てわかりやすい得(お金)とか組織とかがないと
理解はされにくいんだろうなと思う。
30代の若者が個人的な想いを起点に
自分の住む町を楽しくしたいとか、住みやすくしたいとか思うことは
ふつうの感覚じゃあっちゃならないことなのだろうね。
最近は家族や周りの人たちにはそのことは伝わってきたんだけれど、
まだまだ町の人たちには届いていない。

町の知り合いにそんな話をしたら、
「それだけ名前を覚えられたんだからいいんだよ」と笑っていた。

ま、最近、自分の考えを表現することを怠っていたので、
ブログでまたいろいろと表現をしていきたいと思っております。








安藤医院の思い出

88ceff8e.jpgいま近所にある安藤医院という病院の解体工事が始まっています。
東立石のまち歩きをすると、必ず感嘆の声が上がる場所でした。

石を基調にした古風な建物の内部は寒々しく怖い感じがして、
実際に受診したことはありません。
しかし、受付が二階の高さにあり、左右が斜面になっている
不思議な入口は子ども時代の自分たちが放っておくはずもなく。
ここでしかできない様々な遊びを考えたものでした。

よくやったのは、病院側と道路側でのボール当てゲーム。
一種のドッジボールみたいなものでしょうか。
狭い道は車も人もふつうに通るのですが、
下町の子どもたちにとって、中断などという甘いルールはなく、
容赦なく、車を楯にゲームは続けられます。

高鬼もよくやりました。
左右が抜けられ、しかも病院の真ん中の隙間から
飛び降りるという荒業も使えるので、
ダイナミックな鬼ごっこが展開できます。

いまから考えれば、こんなにやりたい放題やっていて、
病院から一度も注意を受けたことがないのが不思議です。

しかし、同時に危険な場所でもあるわけで、
上級生からなんかのはずみで頭から落とされ、
流血を伴う怪我を負ったこともありました。
上級生が母親とうちまで謝りに来たのが記憶にあります。

父によれば、父が子どもの頃からあった病院だそうです。
前の通りは用水路が通っていた時代でした。
町の景色が変わるのはさびしいことですが、
また新しい建物が建てられ、新たな歴史が始まるのでしょう。

写真を撮っておいてよかったぁ。
この場所の思い出は大切にしていきたいです。
♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
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