ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

June 2009

立石演劇ワークショップ第二弾『立石散策劇場〜歩いて、探して、つくって、見せる〜』参加者募集中!

2141ca38.JPG2006年に実家のある葛飾区立石に帰ってきてから約二年半。
地元でいろいろな人に出会い、
いろいろなものを食べ、
いろいろなことを
発見してきました。
↓2008年『呑んべ横丁を物語る日』の記録などを参照。
http://blog.livedoor.jp/happyfield/archives/2008-11.html

モツ焼きをはじめとする安くて質が高い居酒屋街。
昭和の雰囲気が残る庶民的な立石仲見世商店街。
すれ違う人が声をかけてくれる路地。
身近な自然中川。川向うの下町の歴史。
そして、なにより人懐っこい人々。

学生時代、ただ寝に帰るだけの町はこんなにも豊かだったのか。
驚きの連続でした。

今回は水俣で出会った地元学と演劇の手法を組み合わせて、
地元の人とよその人が一緒に歩いて、立石の魅力探しをして、
過去がどのように現在になってきたか、
またどのような変化を求められているかを考え、
まち歩きをしながら演劇で発表してみたいと思っています。

ダイナミックな地域演劇を体験してみたい方、
ぜひご一報くださいませ。

もちろん、演劇がはじめて、
立石がはじめてという方でも大歓迎です。続きを読む

葛飾でゆうじ屋を紹介します。

51dcd774.jpg仕事をしている葛飾区の市民活動支援センターは公共施設です。

いろんな人たちがやってきます。
でも、やってこない人もたくさんいます。

去年、友人二人とと立石のトイレ探検ツアーをやりました。
そのとき、市民活動支援センターの「誰でもトイレ」には
背もたれがないことに気づきました。
これでは腹筋を使えない障害者が使いづらいそうです。

いろいろな人が来ることによって、
わからないことがわかってきます。


世田谷に実方ゆうじさんという友人がいます。
彼は生まれつきの脳性マヒ。
四肢が不自由で、言語障害もある重度の身体障害者です。
そんな彼が試行錯誤の末、
考えたのは大好きな料理で生計を立てる道。
すさまじく早い電動車いすを駆使して、
「ゆうじ屋」という宅配デリバリーを15年以上やっています。
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~yuujiya/
(※以前、彼とイベントをやったときに新聞に
 「ボランティアの協力」と書かれて、猛抗議をしましたが、
  彼がちゃんとスタッフを雇用をしているお店です。)

手足が使えないのにどうして料理ができるか。

彼は自分のことを「言葉でつくる料理人」と言います。
彼は料理をするスタッフに一言一言指示をします。
スタッフに課せられるのは、うまく料理をすることではありません。
ゆうじさんの言葉を正確に聞きとること。
言葉がわからなかったら、遠慮なく何度も聞き返すこと。
言葉のとおりのことをやることです。
そのとおりにやると、料理が苦手な人でも
おいしい料理ができてしまうんです。

現在、ゆうじ屋のメインメニューは
つくるのに多少時間がかかっても大丈夫な「ケーキ」。
自分が好きなのは、
バナナチョコシフォンと赤ワインのレアチーズケーキ、
最近ではりんごカスタードです。

去年まではランチカレーもやっていて、
二週間にメニューが変わるカレーは絶品でした。


多くの健常者は障害者の人と話をするとき、身構えてしまいます。
またなにか傷つけることを言ってしまうんじゃないかと
不安になったり、面倒くさくなったりして、
その結果、コミュニケーションを取ること自体をあきらめてしまう。

今回、市民活動支援センターで、
地元でピアカウンセラーをやっている方と
ゆうじさんを講師に招いて
コミュニケーションの講座を準備しています。
どんな講座になるかはふたを開けてみてのお楽しみです。


『言葉のバイキング「見て、聴いて、味わって。」
 色んな形で伝えるコミュニケーション』
7月19日(日)13:30〜16:30
「チェアウォーカーに聞く。
 〜色んな形で伝えるコミュニケーション」
7月26日 (日) 13:30〜16:30
「言葉で作る料理人と一緒に味わう。
 〜伝わる・伝えるお料理教室」


↓詳しくは
http://www.k-shimincenter.org/service.php?itemid=625


以前、水俣で「ゆうじ屋のお料理トーク」というイベントを
やったときには、このようなアンケートがありました。

「一生懸命聞いてるとだんだんゆうじさんの言葉が聞き取れてきた。
 ひとことひとことを力強く話してくれて何だか勇気がわいてきた、
 何でもできるんだと。
 コンプレックスを壊していこう、私も頑張っていこうと思った。
 介助者もゆうじさんの言葉を正確に伝えてくれて
 楽しくやっているようでよかった。」

障害者はもちろん、
健常者も勇気を持つコミュニケーション講座です。
お時間がある方はぜひいらしてくださいませ。

嫌いな劇場が変わる!?

3c1bbf8e.JPG昨日、用があって久しぶりに池袋に行きました。
せっかくなので母校立教大学に寄って、知り合いの教授に会おうと思いきや、あいにくどなたも不在。仕方なく学食で早めの食事をして、次なる打ち合わせに・・・。

西口公園を通ると、風景が一変していました。


劇場の前に劇場をつくっている!?
ええーっ!

一瞬、目を疑いました。
材木で組み立てられている客席と舞台。
この風景は人目を引くようで、
何人かの人が足を止めて作業を見ています。
外の柵に貼ってあるチラシを見ると
今年度から芸術劇場の芸術監督に就任した「野田秀樹」の
就任プロジェクトの一環みたいです。


実は、長い間、この劇場が大嫌いでした。

大学時代の通り道。
西口公園には雑多な人がたくさんいます。
ナンパコロシアムと呼ばれる一角には生きのいい若者たち。
その周辺には年配の人が昼間からお酒を飲みながら
囲碁や将棋なんかを打っています。
そこへ大学生も会社員も通る。
多少の緊張感があるものの、
人生の縮図のようなこの場所がとても好きでした。

そして、その背景に芸術劇場がそびえたちます。
昼間は入口に警備員が建っています。
中で食べ物を食べようものなら注意をされました。

夜は閉ざされた扉の前で、
お兄さんたちがスケボーやダンスに興じる。
彼らが使えない公共劇場とはなんだろう?
いつも思っていました。

おまけに劇場自体が広々として、空間的に寒々しい。
率直に言って、使い手泣かせの劇場だと思います。

以前、都の赤字公共施設ベストスリーに選ばれていたのを見て、
さもありなん・・・と思っていました。


今回の組み立て式の劇場でやる演目は、自分の記憶では
地方の劇団や大学生たちのパフォーマンスが中心。
どうなるか経過を見なければわかりませんが、
野田秀樹さんの取り組みは公共劇場の運営に一石を投じる
ワクワク感がありそうです。

ちょっと楽しみ。

野田秀樹 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)
野田秀樹 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)


野田秀樹 (日本の演劇人)
野田秀樹 (日本の演劇人)

ふっきーさんがファシリテーター講座!?

おととい、市民活動支援センターの受付業務を
担当しているお姉さんに
「今日、ふっきーさんはファシリテーターの講座なんですか?」
と言われた。

「そうですよ。どうかしましたか?」
「いや、Oさんとかが担当しているのかなぁって」

確かにOさんはNPOの運営関係にくわしく、
講座の司会進行をつとめるような若い男性である。
講座があるときは、服もかちっとしたものを着てくる。

「いやいや、自分が担当なんですよ。」

ちょこっといたずら心がわいてきて
「じゃあ、自分はどんな講座を担当しているイメージなんですか?」
とお姉さんに聞いてみた。

「そうですね〜。ふっきーさんは・・・ミニ交流会!」

いた職員みんなが笑っていたけど、
一般の人のファシリテーターのイメージって
意外としっかりしたものなのかなぁ。

でも、「ミニ交流会」のイメージは
「ファシリテーター講座」よりもなんだか楽しそうなかんじで
自分としてはすごくうれしかったりする。

ファシリテータ―講座の余波

本日、二日目の講座が終了した。
葛飾区でおこなうこの講座。
自分たちスタッフ側の意図と受講生の求めるものが
必ずしもマッチしているとは思えないのだが、
受講生の方々とちゃんと交流をさせてもらっている。

というのは・・・。
本日、3人の受講生から差し入れがあった。
おせんべい、さくらんぼ、
そして、自分の畑で作ったたくさんのきゅうり。
受講料を払ってもらっているにもかかわらず、
自発的にいろんなものを持ってきてもらう。
みんなでおいしくいただく。

また、帰りにもなにも言わないのに、
すすんで片づけを手伝ってくれる人たちがたくさん。

他の地域で演劇ワークショップをやっても、
なかなかこんなことはない。

たぶん、自分の地元だから色眼鏡もあるのかもしれないけど、
こういうことと下町の地域性のつながりを感じて、
うれしくなってしまう。

心からうれしい。

ファシリテーター講座って何?

3月以来ずっーと頭を悩ませていた
ファシリテーター講座というのが市民活動支援センターで始まった。

「市民活動支援センター」というわかりにくい場所でやる
「ファシリテーター」というわかりにくい講座。

自分たちは「会議のまとめ役」などとは考えない。
どうやったら「場を活性化させていくか。楽しい場に変えていくか」を
試される役割である。

今回はギルドの成沢さんと蟹谷さんにお願いしての講座。
ギルドのメンバーからニーズはどこにあるのかを常に問われ続けた。
事実、去年までやっていたこの講座の受講生は会社員が
スキルアップに通うことが多かったのだ。
こちらは企業研修のバックアップなど、さらさらするつもりはなく、
地に足をついた市民活動にどう結びつけるかが趣旨。
でも、いろいろな事情でこの講座が成立してしまっている実状があった。

今回のタイトルは「ファシリテーターって何?〜今の私ができること〜」。
単なるスキルアップではなく、社会におけるファシリテーターの役割や、
それぞれの活動でどんなことができるかを考えてもらいたかった。

厳しく突っ込まれたおかげで、
企画を大幅に変更したり、ニーズを調査したりするなど、
できるかぎり丁寧にやれる講座を準備できたと思う。

第一回目の内容は「安心して意見が言える場」
ふだん演劇ワークショップでやるようにゲームをしたり、
からだをほぐしたりしながら、徐々に場の雰囲気をやわらかにしていく。
スキルアップを目的に来ている人も楽しそう。
場が和み、初対面の人と自然に話したり、
笑ったりしている事実が積み重ねられる。、
演劇ワークショップの効果を身をもって理解してもらえたと思う。

しかし、冒頭で自分がはっきりと
「スキルアップする講座ではない」と言っているにもかかわらず、
ふりかえりでは「スキルアップをしたい」という言葉も・・・。

そこまで根強く、社会が強要する
「スキルアップ」ってなんなんだろう?
としばし考えてしまった。

後片づけを買って出てくれた何人かの受講生の存在がうれしい。
誰かがなにかを自発的にやり出す芽。
スキルアップよりも大切ななにかが隠れているように見えた。

演劇をやりたい衝動

昨日から、2006年の水俣のときのブログを読んでいる。
というのも、本日、市民活動支援センターでファシリテーターの講座があるため。
自分がどうやって、当事者の演劇をつくるための場づくりに
悪戦苦闘してきたのかを思い出してみようと思ったからだ。
我ながら、けっこうおもしろく、昨日は深夜まで読んでしまった。
中には「おばあちゃんの庭」なる項目もあり、あれぇ、いまとつながっている!
しかもしっかり有言実行している!とびっくりな日記もあった。

書いた自分が忘れていて、思い出すというのも楽しいものである。

と同時に、3年前の自分はいまよりも
けっこう演劇にこだわっていたのだなぁと思った。
そう思ったら、なんだか無性に「講座」とか、
「まちづくり」とかとは関係ない演劇をやりたくなってきて、
うさばらしに一度小さい企画を立ててみようかななんて夢想し始めてしまった。

あぁ、演劇をやりたい。
自分が書いてもいいし、人が書いたものでもいい。
ワークショップじゃない演劇をやりたい欲求なんていうのも、たまにはある。
なので、近いうちに合間をぬって絶対にやる。

かくも長き不在

演劇ワークショップとは
すっかり関係なくなってきていますが(笑)

昨晩のこと。
仕事が終えて深夜にお風呂に入る。これまた至福の時間。
今日はこのまま寝ようかなぁ、
そう言えば冷蔵庫に親戚が持って来たプリンがあったなぁ、
でもさっき歯を磨いちゃったしなんて・・・
たわいもないことを考えていると。

突然、目の前にあるものが気になってきた。
なんで、こんなものがあるんだ!?

あたりまえだけど、我が家のお風呂には
シャンプー・リンス・メイク落とし・石鹸などの洗面用具がある。
ここまではどの家もふつうだと思う。
なぜなら頭やからだを洗うための場所だから。
そして、これも許されると思うのだけど、
洗濯用具やらお風呂の掃除用具もある。

自分が把握しているのは自分が使っているものだけ。
お風呂掃除は父の仕事だけど、時々するので、
そのときに使うものはわかる。

謎なのは目の前にあった
古くからある入れ物とその中に入っている用具。

いまはどこにも売っていないような
紫がかったレトロな謎の入れ物。
串っぽいもの。軽石っぽいもの。
プラスチックっぽいもの。さらに謎のものたち。

なんだろう?誰がなんのために。
一度も使ったことがないものたち。
目の前にあるのに、毎日裸のお付き合いをしてきたはずなのに、
一度も存在を感じたことがなかった方々。

突然「・・・あ、こんばんは」
「いやいや、いつもいたんですけどね」
ってかんじでドギマギしてしまった。

たぶん、彼らは物心ついた頃からいたはずである。
だとすると、自分は昨日までずーっと気づかなかったのだ。
自分の家なのに知らないことがある!

庭を調べたとき思ったのだけど、
知らないことを知るっていうのは楽しい。

今日から彼らと新たに裸のお付きあいが始まります。

雨上がりに至福の時間

b9c4e5d1.jpg昨日、夕方に時間ができたので、庭木の剪定をしました。
冬はほとんど伸びないのでやりませんが、
春から秋にかけては時々チョキチョキやります。

自分はこの作業がかなり好き。
半分趣味と言ってもいいくらい。
モサモサっと伸びた葉っぱを無心になって
チョキチョキすること1時間。
見かけがだいぶすっきりしてきます。
その頃には、新聞紙を敷いた道路に大量の葉っぱ。

自分がこれをやり始めると、
昨日はおばあちゃんがいてもたっても
いられなくなったのか、
低い木をチョキチョキやり始めました(笑)

おまけは・・・いろんな人との会話。
道を通る人が声をかけてきます。

「ふっきーさんはこんなこともできるんだね」
とは小学校の同級生のお母さん。

「木のにおいがいいねぇ」
見知らぬおばあさん。

「気持ちよくなったね」
通りがかりのおじさん。

子どもづれはその様子が
めずらしいのか必ず見ていきます。

庭もきれいになるし、町の人と話せるし、
自分もすっきりするし。
一石四・五鳥のミニイベントでした(笑)

父の言葉と家族について考えること

いま、立石で祖母と両親の四人で暮らしています。

父親は「家を早く出てもらいたい」と言っています。
理由は自分を精神的にも物理的にも
頼りにするようになっているから・・・らしいです。
さらに歳をとったとき、
突然出ていく日のことが怖いのだそうです。


4年前、長野で知り合いの精神科医の方のご好意で
心理テストをしてもらったことがありました。

まずは絵を描きます。

一つ目のお題は「木の絵」。
自分は画用紙いっぱいに
あふれんばかりの大きな木の絵を描きました。
特に強調したのは根っこ。しっかり地面に這わせます。
葉っぱもいろんな色をまぜてカラフルにしました。
絵を描くのは好きなので、なかなか楽しい作業です。

もうひとつのお題は「道」。
自分はどうしても人とは違ったもの、凝ったものを描きたいタイプ。
どうしようか迷ったあげく、斜面にたくさんの道が交錯して、
さまざまな人や車が行きかう絵を描きました。

そして、先生からのお言葉。
一つ目の絵は自分の「母性」を表しているそうです。
母性とはあたたかさ・やさしさみたいなもの。
心理学のエゴグラムではNPであらわされる部分です。
「ふっきーさんはすごいですね〜。十分すぎるほど持っています」
と言われました。
まぁ、自分が本当にやさしいかどうかは置いておいて、
先生に実際に言われたことです。

二つ目の絵は自分の「父性」を表しているそう。
父性とは厳格さ・社会的なルールみたいなもの。
エゴグラムではCPであらわされます。
「こちらには迷いがありますね。父性に課題をかかえていますね」
と言われました。


実はその当時、自分の中で一番悩んでいたことが「家族」でした。

大学卒業後、一人暮らしをしたのも、家族から一時離れるためです。
自分の家はわりと古い家で、特に自分は長男だったため、
いろいろなことに「〜ねばならない」というような制約がありました。
また、両親が営む縫製業の工場での苦労も身近にあり、
「いい大学・いい会社・いい結婚・いい家族」という
強いプレッシャーを感じていました。もちろん、いまも強く感じます。

しかし、子どものときから父親の期待に応えようとして、
自分自身が満足する結果になったことはありません。
演劇と出会ってからは、自分の思った通りに行動すると、
努力をした分だけ、楽しんだ分だけ、
多くの人とつながれる、すごい結果を出せました。

父は、その父を戦争で亡くしているため、
祖母の手で育てられました。
なので、身近に父がいなかったので、
父性は一人で確立してきたのだと想像します。
何事もワンマンで怒りっぽい父。
それでいて仕事はこつこつと真面目にやる。
まさに家族の大黒柱と言うような存在でした。
その分、自分は学生時代までは委縮してきたように思います。
父性が薄いと言われた理由はそんなところにあるのかもしれません。

かと言って、冷たい家族だったわけではありません。
祖母にも両親にもたくさんの愛情を
かけられて育てられたと思っています。
特にユーモアが大好きな家風は
自分のバランス感覚に大きな影響を与えています。
そんなこともあって、「家族」の縁を切ることはできません。

自分の思いとは関係なく年月が過ぎ、じきに家族も老いてきます。
かつてはつながりが濃かったご近所も同様に年をとり、
若者は家を出て行き、
地域でお年寄りはどんどんと孤立している現状。
自分はどうすればいいのか。

先生は言いました。
「一度、家族と会えないくらい距離を取るか。
それとも中に入るかだね。
 君の話を聞いていると、いまは距離を取ったほうがいいと思う。」

その翌年、半年間ほど水俣で暮らし、
さまざまな家族と出会ってきました。
水俣病患者の杉本栄子さんの家族は
かつて水俣病で地域から孤立したとき、
家族の中で一人一人が出し物をやりお祭りをやったそうです。
この話を聞いたときは不覚にも涙が出ました。

そのほかにも世代間を通して
つながっているたくさんの家族と出会い、
よそ者の自分はあたたかく受け入れられてきました。
水俣に深くかかわればかかわるほど、
自分の家族と生まれ育った地域と
もう一度出会い直したいという思いが強くなりました。

それがいまの地元での活動につながっています。
経済的には安定せず、両親の心配もおさまりませんが、
自分がやろうとしていることを
徐々に理解をしてもらっているように思います。

家族にも地域の人たちにも伝わる言葉を持つこと。
他人ではなく、自分自身が地域で楽しく暮らせるモデルになること。
それがいまの課題です。

今日はまとめたいと思っていたことを、長々と書いてしまいました。
失礼。
♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
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ふっきー

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