ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

January 2013

自分自身が「善魔」にならないために

「善魔」という言葉を聞いたことがあるだろうか。


なじみがない人でも「悪魔」は聞いたことがあるだろう。
キリスト教のサタンを思い出す人もいるかもしれないし、
ひどいことをした人を「悪魔!」となじる場合に使う人もいる。
とにかく「悪い」「ひどい」イメージを持つ人が多いのではないだろうか。


しかし、「悪」ではなく、「善」にも「魔」が存在する。
少なくとも、私が関わる市民活動やNPOの業界には
一定数存在するように思う。


私は、この「善魔」が大嫌いだ。
「悪魔」よりたちが悪い。
なぜなら、本人は「いいこと」をやっていると
思っている場合が多いからだ。

もちろん、彼らが言う「いいこと」は
誰しも納得する「いいこと」である。
でも、その「いいこと」を盾に、
有無を言わせず、人を巻き込み、
権力的な立場につき、人を抑圧し始めることが多い。
「いいこと」のためなら、どんな犠牲をもいとわないのだ。



私自身も「善魔」にならないため、
「善魔」の特徴を書いておく。


‐錣房分が正しいと思っている。


自分が関心を持った問題については、
公私関係なく勉強し、考え続ける。
考えずにはいられない。
そのため、一定のスペシャリストになると、
その「正しさ」を武器に、周りの人たちを論破していく。
ちょっとでも、彼・彼女の「正しさ」を否定されると、
攻撃的になる傾向が強い。



⊃佑力辰鯤垢ない。

このタイプで「人が好き」な人はいない。
むしろ「人に関心がない」人が多い。
人は怖く、コンプレックスの源泉で、
「いいこと」を実現するための道具にすぎないからだ。
そのため、思い込みが激しく、
一度人のイメージを持つと、
その情報は更新されない。
また意見を聞いたとしても、
結局は自分の考えを実行するようになっている。


7覯未个りを追い求め、過程を大事にしない。

結果にとことんこだわる。
徹夜しようが、からだをこわそうが、
人間関係のひとつやふたつ崩れようが、
とにかく結果オーライ。
形だけ整えば、何とかなると思っている。
周りの人のフォローで
なんとか成りたっている場合が多いのだけれど、
本人は「いいことをやっているんだから当たり前」
とぐらいにしか思っていない。


じ⇔詫澆強い。


権力を持てば、わかりやすく、
自分の「正しさ」を表現でき、
思い通りに事が進むことを知っている。
だから、管理的な立場を希望し、
実際に管理者になることが多い。
なんかの拍子にこういう人が権力をもってしまうと、
それを排除するのは病気以外の要因では難しい。


タ佑里海箸鮃佑┐覆いら大胆なことができる。

周りの人たちが
どう思っているか考える力が麻痺している。
それでいて、自分自身が一番、
周りの人たちを理解していると思っている。
その結果、人の反応を顧みず、
短時間で自分自身の思ったことを
やってしまえる実行力がある。



とりあえずまとめてみた。
近くにこういうことにあてはまる人がいたら、気をつけてほしい。
特に巻き込まれることには。

私はこういう人に本当によく会うのだ。

演劇デザインギルドが『ネットワーク』に掲載されました

演劇をやってみませんか?

そう言うと

「いやいや、僕は学芸会でやったのが最後だから。」

「台詞なんて覚えられないよ」

「恥ずかしい!」


なんて言葉が返ってきます。
私も演劇に出会うまではそのひとりでした。


でも、ほんとは違います。

日本にも地域の人たちが演劇の手法を使って、
身の回りのことや、
悩んでいることを表現していく実践例があります。



東京ボランティア・市民活動センターの情報誌『ネットワーク』に
企業組合演劇デザインギルドが掲載されました。
「ひとと地域と演劇と〜演劇ワークショップの可能性〜」という、
なんとも壮大なタイトル。

私もメンバーの一人として、
水俣や葛飾での演劇のことを話しています。



さてさて、ここには私たち以外の演劇の可能性も紹介されていて、
同業者としてはビンビンと刺激を受けます。


特に興味を持ったのは、「てあとるみのり」
精神障害者の通所施設で職員と利用者が一緒になって
演劇をつくって公演をしてしまうのです。


これは絶対に面白いはず。一度見てみたいです。

悪の市民活動入門講座

突然だが、市民活動に携わる人は「悪」について学ぶべきだと思う。



市民活動は、地域や社会をよくするための活動である。

当然のことながら、
関わる人たちは、高い問題意識を持っているし、
「いいことをしたい」「社会のためになりたい」という善意にあふれている。


でも、いい人はだまされやすい。

「気持ちはイヤだ」とか、
「体力的に厳しい」とか思っていても、
「世のため」「人のため」と崇高な目標を掲げられると
巻き込まれしまい、
さらに問題をこじらせたり、
不満を抱えていったりするケースをたくさん見てきた。


事実、貧困ビジネスなど犯罪をしているような団体が
「NPO法人」を隠れ蓑をしているのもだましやすいからだ。

だからこそ、市民活動に携わる人たちは自らの身を守るために、
「悪」を学んだ方がいいと思うのだ。




私がこういうふうに考えるようになったのは、
仕事で滞在していた水俣での体験が大きい。


水俣には、とある福祉施設の経営をしていた人がいた。
患者や障害者が通える施設をつくり、
話題性があることをやり、マスコミにも取り上げられ、
事業を拡大させていた。
わかりやすく、「いいこと」をやっていた。

でも、肝心の施設の職員や利用者、地域の人たちから
その方の不満を聞かない日はなかった。

私自身、その人に目を輝かせて「○○のため」と言われて
仕事をしたことが何度かある。
(反面、議論や喧嘩をしたことの方が多かったが。)


当時、その人に
「あなたが死んだら(施設や利用者は)どうするんですか?」
と聞いたことがある。

「そのときはみんな終わりです」と返ってきた。


どっひゃー!と驚いた。

いくら一生懸命やっていても、
意味が全くないじゃないか!
問題解決につながってないのである。

トップがいざというときのリスクを考えていないのである。
下手をしたら本末転倒になっている可能性がある。

でも、本気で「いいこと」を語るその人に、
多くの人が動かされていた。
陰で「イヤだ」と言っている人たちが動いていく様子は
信じられなかった。



水俣には、地元学提唱者の吉本哲郎さんがいる。
当時、吉本さんに会うたびに口酸っぱく言われた。


「下心でつき合え」
「正しいことには気をつけろ。それは人を攻めるのに使われるから」と。


だまされないように注意を喚起する言葉である。


それ以来、私は「いいこと」を耳にすると、
この言葉を思ってしまう。
あえて、希望的観測ではなく、
無数の悪いことを思い浮かべてしまう。
私自身が不本意な形で、悪い結果に関与しないために。



市民活動に携わる人たちは
「悪」について学んでおいた方がいい。
「いいこと」は「悪いこと」以上に怖いのである。

面白いことを知っているのにブログに書けないジレンマ

う〜ん。難しい!!!


最近頭を悩ませているのが、
面白いことを知っているのに書けないことだ。



今週から、社会福祉法人葛飾福祉館が運営する、
こひつじデイサービスわがやというところで仕事をしている。


デイサービスの正式名称は「通所介護」。
介護保険の適用を受けた高齢者が
身体を動かしたり、交流をしたり、
日中を過ごすためのプログラムが組まれている場所だ。
超高齢社会の日本にとって、
欠かすことのできない多大なニーズが見込まれている。



今まで見たことのない業界だけに、
素人目線、初めて目線でいろいろなことに気づき、
すごく面白いのだ。


魅力的なレポートが書けそうなのだけれど、
個人情報や内部情報、問題提起なども含むため、
差し障りのないところしか書けないのが残念だ。




で、私はこの「素人目線」「初めて目線」をすごく大事にする。


前職の市民活動支援センターでも、
面接や研修を担当するときは、
「初めて来て目についたところはどこか」
「魅力的なところは何か?」
「問題点は何か?」などを質問していく。


閉館で新人が館内を見回りするときだって、
「あなたが夜中に不正侵入するとしたら、どこを狙うか」
を考えてもらうことをやっていた。


ここらへんは、
「よそ者」の視点を地域づくりに取り入れる
地元学から学んだことだ。



なので、旬は過ぎたけれど、
これからは時々、市民活動支援センターの中にいて
書けなかったことを書いてみようと思う。


もちろん、最低限の守秘義務は守った上でのことである。

「西の魔女と東のたぬき」ご報告

宣伝ばかりして報告をしていない!と思ったので、ご報告。


1月14日(月・祝)演劇デザインギルド主催
ギルドカフェvol.14「西の魔女と東のたぬき」が終了しました。
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左が「東のたぬき」こと成沢富雄さん。
右が「西の魔女」こと竹森茂子さん。
今回は冗談で誰かが言ったタイトルがそのまま採用に。


そして、当日は「葛飾の雨男」こと私のせいで、
大雪になりました。
新たな伝説をまた作ってしまいました(笑)

そんな中、13名の人たちが来てくれました。


おふたりの半生を事前に取材をして、
文章に起こした「聞き書き」を本人の特徴をイメージしながら読みます。


私が担当したのは竹森茂子さん。

劇団での複雑な人間関係から逃げたくての結婚、
出産、夫からの暴力と逃亡、離婚・・・。

彼女はその体験をもとに、
一般の女性たちの声を演劇にするお手伝いを全国各地でやっていきます。


客席にいた私と同世代の女性から
「(若い頃の体験を)聞いておいてよかった」との感想がありました。
本当にそう。

ふだんは忙しくて、仕事で議論をすることはあっても、
考え方の背景となるような半生を知る機会はなかなかありません。


意外と身近な人とでも世代間交流ができていないかも。

葛飾版社会起業塾「月〇万円、地域ビジネスをつくろう」の講師をやります

葛飾版社会起業塾「月〇万円、地域ビジネスをつくろう」
2年前は私自身が企画・運営を担当していた講座で、
初日の講師をやらせてもらうことになりました。


もちろん、私はなんら事業に成功をしているわけではありません!
むしろ不器用な形で悩んだ1年を過ごしてきたわけですが、
お話をさせてもらう機会をいただきました。


なので、1年前の私に伝えたいことを
率直にお話をしようかなぁと思っています。


こういう講座をきっかけに、副業みたいな形で、
地域をよくするビジネスを始める人が出ることを願っています。
そういう人が10人出れば、地域に活気が出てきます。


私がやった「葛飾散策劇場」もリスクが少ない形で始めました。
1コースだけであれば、
仕事をしながらでも可能であったと思います。

「あたしには無理!」と思っている方も冷やかし程度にどうぞ!


↓詳しくはこちら
http://www.k-shimincenter.org/service.php?itemid=1992

私が担当していた頃の講座の記事

2010年2月6日「企業組合あうん訪問」

2011年7月27日「百聞は一見に如かず〜葛飾版社会起業塾」



以下は、今回、お伝えしたいことの一部


●あなたが解決したい課題はなに?


●三つを満たしている?

やりたいこと/できること/社会から必要とされていること


●あなたの立場はなに?

 当事者/中間支援/渡り鳥


●あなたは課題に対して、どのようなアプローチをする?

 予防/セーフティネット


●すでに行われているサービスはある?

 代替/補完/強化

運動部の軍隊化

先日の大阪市桜宮高校のバスケ部の生徒の自殺事件が気になってならない。



私は、運動部はいつでも軍隊になる危険があると思っている。
だから、渦中にいる人は絶対に逃げてほしい。
または情報を発信してほしい。
とにかく、外部の世界とつながる術を持つことが大事なのだ。

「暴力にあっている学生のみなさん、マッチョな大人から早く逃げて」


さらに問題だと思うのは、
運動部が軍隊的でもいいと思う人が一定数いることだ。

これはニートや引きこもりの人たちに教育するのは、
徴兵制を導入するのがいいと同じような文脈で語られる。




以下の記事によると自衛隊の自殺率は民間の2倍以上だそうだ。
※自衛隊が軍隊かどうかは別の次元の話とする。
 でも、少なくとも、バスケ部が自衛隊だとは考えていない。


いじめ駆け込み寺 自殺について「自衛官の自殺率は民間の2倍以上」

不条理日記「自衛隊のいじめ→自殺者毎年100人」



例えば、いじめ駆け込み寺には、このようなコメントが載っている。
元県立大学長の石村善治氏は
「一般国民と違い、高齢者がおらず、
身分や給与も安定している自衛官の自殺率の高さは異常。
イラク特措法などを受けた海外派遣に伴う過酷な訓練、
心的負担も背景にあるのでは」と分析。
「密閉された職場では人権侵害、いじめも起きやすい。」



これを少し変えると、
「一般社会と違い、高齢者がおらず、
 学業に専念している生徒の自殺は異常。
 インターハイや国体などの出場に向けての過酷な訓練、
 心的負担も背景にあるのでは」
「密閉された練習場では人権侵害、いじめも起きやすい」



と簡単に先述の運動部の事例に置き換えることができる。



自衛隊と事件が起きた運動部の構造は酷似していないだろうか。
顧問がやっていたことは教育なのだろうか。



元県立大学長の石村善治氏はさらにこう指摘している。
「自衛官の権利を守るため、
ドイツなどのように軍事オンブズマン制度を設けるべきだ」



もし運動部での教育的な体罰に賛成をする人がいたとしたら、
生徒の権利を守るため、
運動部オンブスマン制度を設けることにも賛成してほしい。

如月小春さんが描いたビジョン

1999年4月、私は立教大学で如月小春さんに会った。

初めて受けた講義は「教育と表現」。


プロの演劇人である彼女が
教育にたずさわるであろう大学生たちを前に
なぜ子どもたちと演劇を作ることを始めたのかを1時間半語ってくれた。

↓詳しくは
如月さんのこと1〜命日〜


若かった私は火がつくのに時間がかからなった。
その日中に、
私も自分で演劇ワークショップをやりたいと思い、
仲間と実践をしていった。

如月さんはそんな私たちを面白がってくれたのか、
世田谷パブリックシアターでやろうとしていた
演劇百貨店「中学生のための演劇ワークショップ」に誘ってくれた。


↓詳しくは
如月さんのこと7〜「福ちゃん、台本書いてみない」

如月さんのこと8〜「人間しなくてもいい体験もあるのよ」〜

NPO法人演劇百貨店HPより中学生のためのワークショップ「演劇百貨店いらっしゃいませ」

そして、2000年12月、44歳のとき、
如月さんはくも膜下出血で亡くなられた。



なので、如月さんが将来どんなことを考えていたのか、
講義やワークショップ期間中のわずかばかりの対話、
著作からしか想像することはできない。



彼女が1年目に
演劇百貨店「中学生のための演劇ワークショップ」のビジョンについて
話をしてくれたことをできるかぎり思い出して表にしてみた。
*関係者のみなさん、もし違っていたら教えてください。

如月さんビジョン


ポイントは大学生が中学生の演劇をつくるサポートをすること。

当時、如月さんが講義をしていた三つの大学、

立教大学(教育&演劇)
東京大学(教育)
桐朋学園大学(演劇)から

私を含む大学生が10数名集められていた。


当然、お互いの専門分野を意識しつつ、
ライバル心を燃やしながら
中学生たちと演劇を作っていくことになる。

中学生 大学生 リーダー 劇場 如月さんと
演劇ワークショップを通じて、
二重、三重にも「教育」の要素が詰め込まれた実験だったのだ。


さらに4年がかりで、毎年新しいことに挑戦するため、
前年とは同じようにはいかない。
いい意味でも悪い意味でも誰も先輩面ができない。
そんな意欲的な1大プロジェクトだった。


しかし、2年目が始まろうとする矢先に如月さんが亡くなり、
それ以降は、現NPO法人演劇百貨店の柏木陽さんを中心に、
概ね、ここに書いた内容通りに演劇ワークショップが実施された。


つまり、柏木さんが「リーダー」から「如月さん」のポジションにうつり、
「大学生」が自然と「リーダー」のポジションにうつった。
*もちろん、役割が果たせていたかどうかはわからないが、
 とにかく無我夢中だった。


それしかない・・・というような移行だった。


私自身、4年間関わらせてもらったが、
如月さんが生きていたら、
どんなふうにプロジェクトになっていたのかと思う。


と同時に、如月さんが描いたビジョンのおかげで、
4年間の演劇ワークショップができたのだと思う。


大きなビジョンは人が亡くなってからも生き続けるのだ。
そんなことを学んだ。

暴力にあっている学生のみなさん、マッチョな大人から早く逃げて

暴力的な構造の中で悩んでいる人は、
勇気を出して、一刻も早く逃げてほしい。
そんなところにいる必要はない。



昨日、大阪の高校で、
バスケ部顧問の体罰により
1人の学生が自殺をした事件の報道があった。
http://mainichi.jp/feature/news/20130108dde041040007000c.html


教師、学校、教育委員会への過剰なバッシングとともに

「体罰なんて、昔はあたりまえだった」
「今の子どもは耐性がない」

と言うマッチョな大人が必ず出てくるだろう。


いつもそうだ。




私は中学のとき、剣道部に在籍していた。
サディスティックマシーンみたいな男が顧問だった。

言葉による暴力や荒っぽい稽古は日常茶飯時。
試合に負けたときは、防具をはぎ取られ、
竹刀で頭を殴られたこともあった。
中高一貫校で、中学で剣道部をやめるときも
「次の部に行かれないようにする」と脅された。


教育者、日本でも少ない有段者の品性のなさと
道場に飾られた「心技体」の額のギャップ。
寒々しかった。


仲間内でその顧問の悪口を言うことはあっても、
他の先生に言うことはなかった。
家族にさえも、心配されるのを気遣って、
ほとんど言えなかったと思う。
私だけでなく、仲間もそうだったのではないか。


脱落者は軽蔑され、仲間外れにされる
チキンレースみたいな状況があった。



子どもは一部の社会しか知らないから、
相談できる大人が少ない。
そして、感覚的に、
社会の多数派(友人、先生、学校/場合によっては家族も)が
「被害者が出たのはなぜか?」という構図に焦点を置かず、
「被害者が弱いからだ」
「被害者が我慢をすればよかった」という
責任転嫁がされることを知っている。

暴力教師がマッチョな大人や予備軍に
支えられていることを知っている。


だから孤立して、うつ状態になって、自殺を選んでしまう。
そして、悲劇はずっと繰り返される。



10代の自分に会ったら
「我慢せずに早く逃げて」と言いたい。


今ならば、
SNSでも、ブログでもいいから、
想いを発信してほしい。
絶対に誰かが拾ってくれる。


部活に出る必要もないし、
学校に行く必要もない。
もしかしたら家族からも逃げて、
役所に行く必要もあるかもしれない。


でも、絶対に死ぬことを選んだらダメだ。

※2007年に、私が小学5年生のときの体罰をもとに演劇をつくったこともあった。
「ゴールドスミス分校 ワークショップ二日目〜演劇はすごい!〜1」


死んでいたネコとコミュニティの問題

去年の年末、家の前の
車道のど真ん中にネコが倒れていた。


別に外傷があるわけでもない。
でも、目は宙を向いて、
近づこうとも、足でさわろうともびくともしない。


もちろん、どこのネコかもわからない。



死んでいる・・・。



このままでは、すぐに車が通るから、
轢かれてしまう可能性もある。
轢かないまでも運転する人はさぞかし困るだろう。
でも、おそらく誰もどうしようもない・・・。


そして、見知らぬネコを埋めるところなんて
近くにはない。


そもそも、車に轢かれたのでもなし、
なぜ死んでいるのか全くわからない。


約束の時間があったけれど、
そのままほおっておくわけにもいかないので、
ちりとりとほうきを使って、
道の端へと移動させた。
*感染症が怖かったのだ。



家から母親が出てきた。
近所の人も通りかかり、以上のような会話をする。


とりあえず、私が思いついたのは
葛飾区役所のすぐやる課に電話をすること。


蜂の巣の回収等をやってくれることを知っていたのだ。
とりあえず、私は先客があったので、
母親に連絡をお願いをして、その場を去った。

う〜ん、とても後味が悪い。



用事が終わってから母親に連絡したら、
役所が引き受けてくれたとのことだった。
そして、しばらくしたら、
すでにネコの死体はなくなっていたらしい。



ここで、めでたしめでたし・・・・・となるはずだが、
やっぱりなんか釈然としないのだ。



ネコが死んだ理由はなんだったのか。

誰かに毒を盛られた可能性はないのか。



はたまた死んだネコはノラ猫なのか、
それとも飼い猫なのか。
*いずれにせよ、私にとっては見知らぬネコだった。


もし役所が対応してくれなかったらどうしたのか。


そもそも自分が発見しなかったら、どうなったのだろうか。

ここらへんは
今後のコミュニティが抱える大きな問題のような気がする。




そんなとき、こんなサイトを見つけた。

道路緊急ダイヤル#9910

道路緊急ダイヤルとは国交省の管轄で道路の異状を発見した場合に通報するシステムです。

動物の遺体を見つけた時に『道路緊急ダイヤル#9910』へ電話すると清掃センター同様対応してくれます。

清掃センターとの違いはというとただ遺体を処分するのではなく、動物種や轢かれた位置などをデータ化して、新しく道路を造ったり動物柵を作ったりする時の参考資料にして次の世代への命を守る為に国が動いてくれます。

国交省が道路を造るのにも税金が使われますが、同時に動物の生命を守る事にも使われます。

皆さんも動物の遺体を見つけたら#9910に電話して下さい。
24時間対応
各道路への取り次ぎは対話型音声自動応答装置で行います。

宜しくお願い致します。




国交省の管轄なので、住宅街の車道はそれにあたらないかもしれない。
そして、ネコというよりはむしろ、
鹿とか、狸とかが出るような地方道を想定しているようだ。


この道路緊急ダイヤルはすばらしいけれど、
これではきっと解決はしなかった。


過剰な公共サービスと、どんどん衰えていくコミュニティ。


あぁ、今回は大きくならなくて済んだけれど、
本当に深刻な問題だと思う。

おそらく、遠回りでも、
身近なところで相談できるコミュニティ(ご近所づきあい)を
再生していかなければいけないのだ。

道は険しい・・・。
♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
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ふっきー

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