ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

April 2013

エンターテイメントとエンパワーメント

私は「演劇をやっています」とは
一度も言ったことがないのにすぐ誤解される。


「演技をしてみてください」とか
「台詞を言ってください」とかなんとか。


ひどいのは「役者を目指していたんだよねぇ」とか、
「将来テレビに出るんだから」とか、
勝手なイメージまでつけられる。


はぁ・・・、こういうことを言われると、
どっと疲れる。



かく言う可能性がある人には、
「福祉の人」とか「まちづくりの人」
と思われる紹介をするようにしている。
※これすら誤解がたくさんあるんだけれど、まだマシ!


それだけ、「演劇」って、
日本では変なイメージがついているめんどくさい言葉なのだ。



これはひとえに、
「演劇」=「エンターテイメント」
と思われているから生じる誤解なのではないか。
もちろん、そういう演劇もあるけれど、
それは全体の一部に過ぎない。

私は「演劇」を見せて、
人を楽しませようなんて思ったことはない。
むしろ、見せる演劇に関しては、
お客さんを挑発するようなことばかりをやってきた。


私がやりたいのは
「エンパワーメント」の演劇なのだ。

この言葉は、最近読んでいる
パウロ・フレイレが提唱した言葉だ。

私のイメージでは、
その人自身が本来持っている潜在的な能力を
働きかけによって呼び起こすかんじかなぁ。

「元気が出る」とか「行動したくなる」とかに近い。


細かい説明は、
フレイレの「被抑圧者の演劇」を
もう少し読んだら出てくるのかもしれないから割愛する。

で、もう一度言う。

私がやりたい演劇は、
見た人、関わった人をどんどん
当事者にしていくようなものだ。

楽しませてもらいたいと期待する輩は
ディズニーランドにでも行っておくれ。

「被抑圧者の教育学」効果

被抑圧者の教育学 (A.A.LA教育・文化叢書 4)
被抑圧者の教育学 (A.A.LA教育・文化叢書 4) [単行本]

あぁ、もうイヤ!と思うことが多くなった。

銀行型教育の現場に会うと、
トラウマのように「また亡霊か」と思うことが多い。



去年の12月から月に1回、スカイプを使って、
「被抑圧者の教育学」の読書会を開いている。

「被抑圧者の教育学」は、パウロ・フレイレ(1921〜1997)の著作。

「難しい本をみんなで読むのはいいよね」っていうかんじの
お手本のような会になっているのが嬉しい。


さてさて、弁護士になろうとしていたフレイレさんが、
なぜ教育に目をつけたかという点が大事。


彼は「伝える&伝わること」の大切さや、
人間誰でもが「変わること」の可能性を知っていた。
※人間誰でもってところがポイント。


一方、多くの人は、誰でもが変わることの
面倒くささや大変さを知っている。
だから、一部の人の知識や経験、考えにしぶしぶ従い、
沈黙を決め込むか、文句を言い続けるのだ。

いわゆる、詰め込み式&上意下達式の
銀行型教育とその弊害。

これは大きな政治の問題だけではなく、
身近なところでも例は多い。

家族、友人関係、仕事場、公共空間・・・。

日本だって、いまなおフレイレが言うところの
銀行型教育によって育ってきた人たちが中心なので、
それ以外のやり方を知らないまま、
続けていることが多いように思う。


だから、そういう現場に出くわすと、
オエッとなってしまう。


これからは変化が激しく、
グローバルな多様性についていかなければいけない時代。

自分自身の頭で考え、他者と対話をし、
新たな環境を築き、課題を解決する
「課題提起教育」が絶対に必要になってくる。

そんなとき、「被抑圧者の教育学」の中の言葉は
絶対に役に立つと思うのだ。
そんな想いで今読んでいる。

呑んべ横丁はしごツアーができたわけ

DSC_0788

当初、呑んべ横丁が怖かった。
どのくらい怖かったかというと、
できれば近寄りたくないくらい。


でも、なんで近寄ったかというと、
もっとも立石らしい場所のひとつだったから。
そして、京成立石駅が高架化になったとき、
仮線用地として一番初めになくなる場所だから。



2007年、初めて足を踏み入れた。
地元の私でも怖い場所だった。

驚いた。
アカカンバンの文字、
薄汚れた看板、ドアにたくさん付いたシール、
お店ごとに微妙に違う装飾・・・。
遺跡みたいだった。
どうして残っているのかわからないぐらい、
昭和の匂いであふれていた。

そして、よその人を案内するようになると、
みんなも仰天するぐらい驚いてくれた。


魅力的な場所だということはわかった。
だとすれば、
自分たちらしい方法できちんと知り、
記録するだけだ。
再開発に関わる人たちは賛成反対問わず、
この部分が弱いと思っていた。


だから、一緒に活動していた建築士の安井さんは、
実測調査という形で立面図に、
私はお店を取材をして
「聞き書き」+「演劇」にしようと決めた。

後者は山崎まどかさんの協力を得て、
全店舗のアンケート調査+5店舗の演劇を発表する
『呑んべ横丁を物語る日』として結実する。

↓参照
『呑んべ横丁を物語る日』御礼&当日レポート

でも、発表が市民活動支援センターだったため、
実際に取材をしたママたちは
半分ほどしか見に来てくれなかった。
*来てくれたママの中には泣いてくれた人もいたのに・・・。


「取材劇」の方法は、
取材者が一緒に見てくれることで、
二重三重の面白さを発揮する。

なので、翌2009年は、取材した場所で本人の目の前で
演じてしまおう!と呑んべ横丁だけでなく、
立石の町中を歩いて演劇をする
「立石散策劇場」をやった。

↓参照
『立石様万華鏡コース』その1〜駅の立石様〜

そして、2012年。
「葛飾散策劇場」のコースのひとつとして
「呑んべ横丁はしごツアー」をやった。
断トツの人気コースになった。


ツアーの演劇には、
長年、ママと自分がつくってきた関係が表現されている。
私が面白い、すごいと思ったママたち。

そんな人たちを私が得意な方法で表現をするのだから、
つまわないわけがない。(と言いきってしまおう!)


きっと将来、呑んべ横丁はなくなる。
ここでいろいろな伝説を残してきた、
一生懸命お店を営んできたママたちや店主もいなくなる。

そんなとき、この演劇やツアーの意味は
もっとはっきりわかることになると思う。


町は建物ではなく、人でできているのである。

IMG_5569











お時間ある方、これからも時々やるので、
見に来てくださいませ。

私がつながりたい人

最近「つながる」という言葉をよく聞く。

ググってみれば、
「つながり展」なるものもあったし、
「つながりプロジェクト」もあった。
「みんなのtsunagariフェスティバル」なんて、
「つながり」が「tsunagari」という国際語にまでなってそうな勢いだ。

「つながり」の大売り出し。大ブームだ。


現代社会で「つながり」を求める孤独な人が多いのである。


***


かく言う私の主催する葛飾まちづくり劇場のHPにも
「つながりをつくる」と書いてある。
恥ずかしくも・・・。


では、「つながり」って、いったい何?


広辞苑で調べると

,弔蕕覆蠡海。継続する。△劼れる。7襪个譴襦4慙△垢襦


と書いていある。


なるほど。


私のイメージからすると、
「つながる」は「結ばれる」とか「継続する」に近い。


私が「いい人」とつながれた!と思うときは、
「私はその人にこんなことができるんだろう」とか、
逆に「その人にこんなことをしてもらえるとありがたいなぁ」と思う。


でも、最近、「つながり」を求める人の中には、
「つながる」ために「つながり」を求めている人が多くいる。
いるように感じる。

それがちょっと気持ち悪い。



昔、ヘルパー2級研修の講義で
障害者の講師に教えてもらったエピソードがある。

障害者のグループホームで、
運営者が善意で
障害者の生活をサポートするボランティアを募集したら、
たくさんの人が集まった。
でも、障害者の人たちは自立できていたので、
ボランティアは必要なかった。
むしろ、彼らが求めていたのは、
自分たちがボランティアとして
誰かのために活動する機会だった。

彼らが町に出て、地域の清掃をやり始めたら、
地域が変わっていったという話。
*詳細が合っているかどうかは定かではないけれど、
 こんな内容だったと思う。


私はこの話が好きだ。


もちろん、障害者だって、いろいろな人がいて、
「自分で何かをできない人がいる」と言う人もいるだろう。


でも、本当に、本当に、本当にそうかな。

大変な障害を持っていれば持っているほど、
その人がたどった道は、
その後、同じ障害を経験する人のためにならないだろうか。

事実、『五体不満足』で有名な乙武さんに限らず、
水俣でも、世田谷でも、
新たなことにチャレンジする障害者の方を見てきた。


私が大好きなゆうじ屋の店長の実方ゆうじさんもそのひとり。
彼は脳性マヒで手足がつかえない身体障害者なのに、
「言葉で作る調理人」として、
cafeゆうじ屋を起業をしてしまった。

↓参照
「祝!祝!祝!嬉しい!Cafeゆうじ屋オープン」

彼は私に刺激をたくさん与えてくれるし、
いろろな人を紹介してくれる。
私もささやかではあるけれど、
いろいろな人を紹介させてもらっている。

「つながり」を求めるのではなく、
「つながり」を作れる人は貴重なのだ。
だから、私は「つながり」を作れる人とつながりたい。

長い「つながり」は
どちらかが一方的に寄りかかるのではなく、
お互いがお互いを助け合って生まれるものだと思う。


だから、私はついつい聞いてしまう。
「あなたは何ができますか?」と。
※自分が「何もできない」と思っている人のためには、
 また別のブログを書きたいと思います。

ブログを書くのは自分のため

ブログを書くのって誰のためだろう。
てなことを考えた。


ここ1,2カ月、ブログを書いていなかった。
最後に更新したのは3月30日。
それも「呑んべ横丁はしごツアー」のお知らせだ。
実際に文章を書いたのは3月18日。
1か月ほど前のことだ。
コメントまでしばし放置してしまった。
こんなことは久しぶりだった。


このブログは身近な人たちがたくさん読んでくれている。
ふだん出会う人たちから反応をもらうことも多く、
プロの方から「文章が面白い」と言われ、
にやにやすることもあれば、
ファンの方から「最近さぼっている」と叱られることもしばしば。

またブログをきっかけに出会う人が多いのも特徴で、
毎年数人から声をかけられたり、
自分の主催するイベントに出てもらえたりしている。


でもね、
このブログを書き出したきっかけは、
2006年にあった水俣での演劇ワークショップだ。

当時28歳の私は、半年間水俣に滞在し、
複雑な利害関係にある地域の人たち自身が
自分たちの想いをのせた
演劇を作るための環境をデザインする仕事をしていた。
事業名は「胎児性水俣病患者・障がい者の想いを伝える創作舞台」。

縁が何もない水俣での孤独な仕事だった。
しかも政治的に難しく、根回しや外交が必要で、
最初は自分自身の想いを表現できる場は限られていた。
だからこそ、自分がどんな想いで
水俣で活動しているか報告できる場がほしかった。


というのはカッコいい建前で、
本当は遠距離恋愛をしていた人のために書いていた。
水俣でも頑張っていることを彼女に伝えたかった。
だから、寝る時間がないような忙しい中でも、
ほぼ毎日日記を更新していくことができたのだ。
彼女に必ず読んでもらえる。安心してもらえる。
自分自身が考えていることをわかってもらえる。

そして、その安心感がブログを書くだけでなく、
仕事に打ち込める何よりのモチベーションになったものだ。

結局、自分自身のために書いていたのだ。


文章を書く行為は、
どんなに誰かを対象としていようと、
「自分のエゴ」であることがよくわかった。
実際、文章で人を傷つけたこともある。

でも、書くことは、
「整理好き」「そうじ好き」の自分にとって、
自分の気持ちを「整理」し「そうじ」することと同じ。
混沌としている自分の気持ちを言語化し、外へ出す。
これを意識してやることで、
自分の気持ちのバランスを保つことができる。

結論。

ブログは自分自身のためのもの。
だから、単に忙しいときは
無理に書かなくてもよいのだ。
♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
Profile

ふっきー

Recent Comments
「最新トラックバック」は提供を終了しました。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ