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「芸術村と芸術家」うそまこと氏のコラムを読んだ。
短い文章なのだけれど、
外から藤野を見ている人たちの芸術と生活の乖離を見事に言い当てていて、
非常におもしろかった。

論旨を簡単に書かせてもらうと。

・フジノは芸術村といわれるけど、別に芸術村があるわけでもない。
 イメージ先行では・・・。

・ホモサピエンスとネアンデルタール人の違いは、遺跡から
 壁画、工芸品、楽器などが出てきたこと。
 現在、我々が生き延びているのは、
 遊びや芸術を手に入れたからではないだろうか。

・芸術家は食える食えないとか、職業として成り立つとか
 低次元なものではない。


そして、最後のまとめ

「つまり芸術とは一個人の好みとか趣味で存在するものではなく、
 人類を絶滅から防ぐためにある。
 人生の目的は遊ぶことであり、芸術家とは人類そのものである。
 そして芸術村とは、この地球そのものであると私は思う。」



如月小春さんもこんな言葉を残しています。

「芝居なんかなくても生きていける」と言います。
しかし、例えば政治的に一番悲惨な状況に置かれている人たちが、
そうしたときにすがるものは何でしょうか。
共に歌うわけです。共に詩をつくるわけです。
人間にとって、そういう精神的な活動というのは、
生きていく上でどれほど大事か。
芸術というのは、ただの道楽ではないのです。
人間が生きていく上で、本来必要なことであるわけです。
(「文化の時代の理想と現実」”変革の時代を探る”第45回講演録)



以上、備忘録として。
今日は一日雨かな。