ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

立石

Happy Birthday!京成立石駅100歳おめでとう!

今日は京成立石駅の100歳のお誕生日。
100年って、すごいです。
雨の日も、晴れの日も、戦争も、幾多の災害も乗り越えて、
たくさんの駅員の人たちが頑張り、
たくさんのまちの人たちが利用をしてきたのか。

*写真は知り合いからご提供いただいた、
  現在地にうつった二代目の駅の写真です。
京成電鉄立石駅北側入口


2009年に出た葛飾区郷土と天文の博物館の
『かつしか街歩きアーカイブス』には、
学芸員の谷口榮さんがこう書いています。


京成立石駅 大正元(1912)年11月3日開業

開業当時の四つ木−立石間は道路併用軌道で、
今のバス通りを走っていた。
立石駅は西円寺北側の踏切辺りにあったが、
荒川放水路の開削に伴って向島−立石間の経路が変更になり、
四つ木駅同様大正12年に現在地に移転した。



この日は京成押上線も開通した日です。
同様にこうも書かれています。


京成電車が最初に営業を開始したのは大正元(1912)年11月3日、
その区間は押上−伊予田(現江戸川)間、
支線の曲金(現高砂)−柴又間の計11.5kmだった。




なので、100年前の今日は、京成立石駅のほかにも、
柴又駅、京成立石駅、四つ木駅が誕生した日です。

誕生日おめでとう。そして、今日からまた次の100年へ。
大変な時代になりますが、これかもよろしく!

*ちなみに祖母も今日で96歳です。
 戸籍上は明日ですが、本人は今日だと申しています。
 おめでと、おばあちゃん。

立石の排水場の位置

灯台もと暗しとはこのこと。

立石地区センターで昔の地図を発見。
NCM_0025


※光の関係で、斜めから撮ってしまったので、見づらいです。
 今度行ったときに改めて撮ってきます。

環7ができる前(1985年1月以前)のものなので、
相当古いものに修正・継ぎ足しをして使っていたようだ。

対岸にスポーツセンターもないし、
よく見ると税務署も清和小学校の隣にある。


30年近く前の中川の土手付近の様子が詳細にわかる。
また、用水路と排水場の場所もばっちり!

上から順番に。

・下の圦排水場
・藤倉前排水場
・新六前排水場
・勘助圦排水場


排水場の集積ポイントだ。
水の流れがよくわかる。

水は高いところから低いところに流れるのだけれど、
川岸はむしろ高いので、
これらの排水場はかなり強引なやり方をしないと
排水ができないと想像する。

当初は、地域の人たちが苦心して作り、
管理していたものだろうな。

こちらもおまけ。
NCM_0026


現在の本田第二公園のところに、
「本田労働出張所」がのっている。
昔、日雇専門の職業安定所があったところだ。

最盛期は、ここに数100人の労働者が朝から詰めかけていたそうだ。
地域の人も忘れかけている歴史。


「いらなくなったら、これをください」と言っておいた。

通勤電車と立石

最近、地元で働いているので、
通勤電車に乗る機会が少なくなった。
このことはからだにはかなりよい。
葛飾区内の移動はもっぱら自転車。

が、月に数回、世田谷で働いているときは
通勤電車に乗らざるをえない。
全くの他人に顔とからだを密着させ、
かぎたくもない香水や汗のにおいをかぐ。
不快なこと、この上ない。
もちろん、自分だって同じことを他人にしているわけだが、
多くの人たちにとって好ましい環境ではないだろう。

中には
一人言をぶつぶつ言っている人がいる。
すごく不機嫌そうな態度をとる人がいる。
i-podの大音量で耳をふさぐ人がいる。
今にも喧嘩をふっかけそうな人がいる。

非人間的な環境の中、当然だよなと思う。
彼ら、彼女らは電車を降りて、どこへ行くのだろうか。
そこに人間的な環境はあるのだろうか。

帰り際に立石駅の階段をのぼってくるとき、
つい振り向いていろんな人の顔を見てしまう。
生き生きしているかな・・・と。
疲れていないかな・・・と。

きっとこの人たちが町を形成しているのだ。
そう考えると、他人事ではない。

自分の家は婦人服縫製業。
家の隣が職場だった。
両親が生き生きと働いていたことは、自分にとって財産だ。
地域に仕事があるっていうことは
それだけですごいことなのだと改めて思う。

相思社遠藤さん立石来訪

4月2日。水俣から水俣病センター相思社の遠藤さんが
立石に来てくれました。約2年ぶりです。
先月、水俣のシンガーソングライターの柏木さんも立石に来訪。
地元での愉快な再会が続いています。

自分が住んでいる町で演劇をやりたいという思いは
ずっと前から持っていました。
路上演劇祭をやっていた千歳烏山の物件をさがしたこともあるし、
衣食住に理想的な環境が整っていた
安曇野への移住も考えたことがあります。
でも、決定打は半年間滞在した水俣での仕事。
このブログを立ち上げるきっかけにもなった大きな仕事で、
地域の人たちと一から芝居をつくりあげていく楽しさを知りました。
同時に、地域のために頑張っているたくさんの友人もできました。

この3年間で、たぶん、数百人の人を立石に案内してきました。
(実際に、数えたことはないのですが、イベント等を含めると、
 少なめに見積もっても200人くらいにはなると思います)
でも、水俣の人を案内するときは特別。
かつて水俣を案内をしてもらった人たちに
自分が生まれ育った町立石を紹介できる喜びは
何物にも代えがたく大きいです。

今回は遠藤さんや演劇デザインギルドの花崎さんほか
水俣関係者4人での飲み会。
大勢でも入れるモツ焼き屋さんのミツワがお目当てだったのですが、
混んでいたので、運よく空いていた鳥房にしました。
「相席でもいい?」「そこに靴脱がないで」「ここに荷物置かないで」
矢継ぎ早に鳥房のおばさんの下町流接客の洗礼(笑)
そして「今日は580円と600円だけど、どっちにする?」との質問。
初めてのお客さんだとわからないと思うのですが、
老若男女問わず、鳥の半身揚げはひとり1羽が原則です。
値段は時価なので、入るとまずその確認があります。
それもここ鳥房の一興。
揚げたての鳥の半身揚げにみんなで舌鼓をうちました。
「カニと同じで食べるのに夢中になっちゃうねぇ」と遠藤さん。

その後、立石の桜通りの夜桜を案内し、呑んべ横丁へ。
「知花子」さんに入りました。

遠藤さんの近況・水俣の近況などの話が中心。
23時閉会。美味しく贅沢なお酒でした。
相思社HPの4月7日の職員のつぶやきの欄で遠藤さんが
「個人的には立石の相思社みたいな飲み屋(「食べたらさっさと帰ってよ」)と、最後の日の東京芸大の美術館が良かったです。」
と書いてくれているのは何とも嬉しいです。

今年は自分も水俣に行きます。

贅沢な再会

縁は異なもの。
年明けからいろいろな人との再会が続いています。

先日、かなりご無沙汰していた呑んべ横丁のお店に行きました。
一昨年の『呑んべ横丁物語』のときはあんなに頻繁に通っていたのに・・・
怒っているかなぁ・・・。

こちらの心配をよそに、
常連のお客さんとママが歓迎してくれました。
とても居心地のいい時間。
「お帰りなさい」と言ってくれているみたいで、
二時間近く長居をしてしまいました。

カラオケなんかもあまりすすんですることはないのですが、
常連さんの気持ちのいい歌声に誘われ、
いつもは歌わないような歌を三曲も歌ってしまいました。

昨日は昨日で、『立石散策劇場』のときに
お世話になった方のお店にお邪魔しました。
すると、「あなたが来たら、話そうと思っていたのよ」と
昔の町の情報をいろいろ教えてくれました。
また、こんなことも。

「あなたたちがやってくれたことに刺激されて、
あたしもいろいろ調べたくなっちゃったの。
ああいうのがなかったら、あたしは死ぬまで
秘密にしておくつもりだったもの。」

いやぁ、なんとも嬉しいお言葉でした。
あたたかい人たちに囲まれています。

マブチモーター発見

201001101102000
おととい、久しぶりに母方の祖父母のお墓参りに行きました。
場所は千葉県松戸市にある八柱霊園です。

霊園の横には大きなビルが並んでいます。
どのビルにも霊園に向けて、
デカデカと「マブチモーター」の文字が描かれています。

ここ数年、立石のことを調べていたため、すぐにピンと来ました。
「マブチモーター」はもともと立石にあった企業なのです。
小型モーターは世界でもトップシェアを誇っています。
かつては玩具や模型を中心に、
現在はさまざまな電化製品の動力して利用されているそうです。
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立石で・・・すわ起業!?

本日は社会的企業家育成支援セミナー4日目でした。
今日のプログラムは、事業計画作成演習。
グループごとに実際起業するにあたって、
3年単位で計画を立ててきます。

自分が入ったのは「まちづくり」のグループ。全部で5人です。
知り合いがちょうど近々起業予定だったので、
彼がやればよいと思っていたのですが、あいにく遅刻。
(なにをやっているんだぁ!!!)
ほかのメンバーもはっきりとしたプランを
持っている方がいらっしゃらなかったので、
自分のプランをもとに
事業計画を立てることになってしまいました。
しかししかし・・・。
次回の発表は私が担当する「聞き方教室」があるため、お休みなのです。
それも言ったのですが、メンバーから了承されませんでした。

私のアイディアは・・・もちろん、地元立石で起業します。
具体的にはまだ申し上げられませんが、
やはり「演劇」がキーワードになります(笑)続きを読む

立石好きなものシリーズその4【仲見世の戦車】

8148edb8.jpg立石仲見世商店街。
たくさんの名店が軒を連ね、
通るだけでも楽しい場所なのですが。
(飲まずに通るには逆に忍耐がいるところです。)


立石のモツ焼きの名店のひとつ
ミツワさんの前の共同トイレのところに
不思議な物体があります。


四輪車。
窓とドアつき。
上にはサイレンもついています。


先日、郷土と天文の博物館の学芸員の方が
「戦車」と呼んでいました。


深夜になると仲見世内を出動!
不審者の見張りの車だそうですが、
誰がどのようにやっているのか、
詳しいところはまだわからず。
動いているところも見たことありません。


今度、飲みに行ったときでも聞いてみようっと。

東立石を歩きながら考える

最近、夜中に興がのると、家を通り過ぎて、
東立石地区を散歩に出かけることがある。
夏は暑いので、散歩は夜のほうが気持ちがいいのだ。

去年できたばかりの東立石緑地公園に向かって歩く。
昔は野球をやりに出かけた道。
当時は立石製薬という大きな工場があって、
地域の子どもたちのために野球場を貸してくれていたのだ。
東立石地区の大半は自分が通った本田小とは違う川端小学校の学区。
別の小学校の子どもたちが住む区域に一歩入ると
緊張感があり、なにかにつけて対抗心を燃やしたものだった。

東立石地区は中小工場が多い町だった。
自分のうちも下請けの縫製業。
同級生の友だちのうちの家業も
半分くらいがなんらかの中小工場だったように思う。

歩くと昔のままの工場の風景に出会う。
でも、実際やっているのかどうか。
やっていても年配のご両親が頑張っているのだろう。

同時に少し大きな工場の跡地のあちらこちらが
マンションになっている。
子どもの頃、東立石地区でマンションに
住んでいた子どもなんてほとんどいなかったから、
時の移ろいを感じてしまう。

工場が建ち並ぶこの町も、下流域の町。
葛飾自体がもともとは海で、
地盤は縄文時代の海退とともに
河川の沖積化でできているから、
コンクリートの下はやわらかい土である。
さらに現在は老朽化した木造住宅が多く、密集している地域。
防災公園とも呼ばれる緑地公園ができたのは
そんな背景もあるのだけれど、
地震になったら、大きな被害を受けることは想像に難くない。
また川に面した地域のため、洪水にも弱い地域。

戦前、おばあちゃんが来た当時は一面、
田んぼだらけの土地だったそうだ。
それが工業地区になり、
ゆるやかな住宅地区に移り変わっている。

自分と同世代の人、
あるいはマンションに住んでいる多くの人が
そんな歴史を知らないのだろうなぁと思う。
こんなふうに偉そうなことを言っている自分だって
つい最近までは興味を持たなかったし、持てなかった。

知ることは怖いことであると同時におもしろいことだと、
いまになって思う。

立石好きなものシリーズその3【お肉屋さんの看板猫】

b86ebdb0.jpg立石の駅を降りると、
一番はじめに目につくであろう行列店が愛知屋さんです。
ここはお肉屋さんですが、一般のお客さんのお目当てはコロッケ。

午前中から山積みされた80円のコロッケが飛ぶように売れていきます。
自分はハムカツとかレバカツも大好き。

小さい頃からなじんだ味なので、
しばらく食べないとさびしくなって、ついつい買ってしまいます。

まち歩き時に歩いて食べるのもおすすめ。
衣のサクサク感がその場で味わえます。

お店の前では人目をはばからず、
堂々と昼寝をする猫ちゃんがいます。

これは珍しく寝ていない写真。
彼?に会えるとラッキーってかんじがします。
♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
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