ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

立石−再開発

立石再開発をチョット学んでみよう!会〜上演〜

076057b4.JPG15時開始。賛成派、反対派の地権者だけでなく、下北沢の再開発に関係している人を始めとして、外部からも多数の参加者があった。全部で30人強くらいか。想像以上に知らない人が多いことがうれしい反面、プレッシャーでもある。
最初は自分のあいさつ。なぜ今回演劇をやったのか話をしようと思ったのだけれど、会の説明やら、それに至った経緯やらを誰も説明していないので話す。結局、準備してきた話はひっこめた。まぁ、話がそんなに得意ではない自分の話は短ければ短いほうがいいのだ。再開発のことも含め、地元にいる人が地元のことを知らないことに危機感を持っていることを簡単に話す。
そのあと、会のメンバーによる立石再開発の概略説明。京成線沿線の高架事業、バス通りの拡幅事業、駅前広場の三つの都市計画の決定事項を中心に説明する。特に、パソコンで用意してくれた現在の行政案の三つの高層ビルのイメージ図はとてもわかりやすかった。一週間前に聞いたときは準備不足で一番心配した部分だったのだけれど、だいぶわかりやすくなっていてほっとする。お客さんもなんとか集中力は保ってくれている。
次は演劇。まずは賛成派と反対派が分かれていく経緯を年表をスライドにうつしながら簡単におっていく。実際に行政、賛成派、反対派を演じる人たちが前に出てきて、話し合っていたころから、分裂し、心配する人の会(反対派の会)や、準備組合を結成していくまでを描いてみた。(←なぞってみたという程度)
そのあとは取材劇。実際に各所に取材をして、聞き書きという形でまとめたものを、そのときに聞いた雰囲気を大事に読んでいく。
最初は自分が演じるまちづくり事務所の人のお話だ。実際の取材ではお役所的でないおもしろい部分があったのだが、確認の段階で個人的な見解の部分は削られた。だから、自分としては内容は行政の広報を読んでいるようであまりおもしろくない。印象的だったのがワイシャツにネクタイ、さらに腕まくりをしていたことだったので、説明に慣れている様子できびきびと語っていく。要するに、再開発をするのは都市計画決定がかかった三事業が行われたまま、放置されれば立石の町が衰退していくという論調である。
二番手は賛成派の再開発の準備組合の理事長。とても堂々として落ち着いている方だった。演じる安井さんもコツを心得ていて、入場からコートを丁寧に脱ぐところなど細かいしぐさを大切にしてくれている。賛成派とはつながりがなかったのだが、理事長は立石の昔話をたくさんしてくださった。立石の町に対しての愛情が感じられたのは大収穫だった。安井さんもそのことを含めて、表現してくれたように思う。
三番手は反対派の代表者とメンバーの人の話。お客さんが少々疲れてきたように感じたので、代表者を演じる女性に実際に前にすわっている人に話しかけるようにとアドバイス。男性から女性に声が変わったのがよかった。さらに、メンバーを演じる年配の人と交互に聞き書きを読むので、全体の構成にアクセントがついた。反対派は論理的には弱かったと思うが、再開発に対する切実な気持ちは伝わったのではないか。
最後に全員で舞台に集まり、今回、演劇をやってみた感想をひとりずつ言う。これもよい意味でバラバラ。バラバラなのだけれど、全員でいっしょにやれたのがとてもいい。なにより感想を語るみんなの表情が明るかったのがうれしかった。

立石再開発をチョット学んでみよう!会〜世田谷からのお客様〜

660c7207.JPG12時30分会場入り。みんなで打ち合わせがてら昼食後に設定したのは正解だった。と言っても、大幅に遅れたのは自分だけだったが。
会場のセッティング、ライト、パソコン・プロジェクター、受付準備とてきぱきと進めていく。二度ほどやっているので、みなさんとても手際がよい。
そして、残すは光が差し込んでくる窓の処理。ひとりの方の提案でお店からダンボールをもらってきてふさぐことになった。これはこれでとても楽しい作業。実際に身体を動かしながらなので、冗談が飛び交ういい雰囲気である。不完全ながらもいびつに窓を隠すダンボールはあやうい我々の会を見ているようで、とてもいとおしい。おそらくみんなもそうだろう。災い転じて福となすとはこのことだ。
作業後は、急いで通し稽古。大した稽古ではないが、自分は当日フォローがしづらい役になってしまったため、段取りを入念に確認しておくことが大事だったのだ。あとはしっかり声を出しておくことも。本当に最低限のチェックだけをして、あとは間違ってもいいから堂々とやってもらうことを全員にお伝えした。

14時30分。開場。
前日、留守番電話に世田谷の下北沢で再開発の運動にかかわっている障害者の方から「行きます」という伝言があったのだ。彼女は車椅子。会場自体、2階にあったり、トイレがせまかったりと対応ができてない。夜中の印刷と同時に、パソコンで立石駅周辺の障害者用のトイレをさがしたり、駅の設備を調べたりし始めた。恥ずかしい話、世田谷で障害者の介助をやっていながら、地元に障害者が来る(いることも含めて)なんてことはイメージできていなかったのだ。予想通り、障害者用のトイレは見つからず。近くの病院や福祉施設まで検索をかけたがわからず。ああ、本当に恥ずかしい!こういうことも背景にある再開発なのだと改めて実感する。(とは言っても、行政だって障害者の立場から町を作っていくなんてことは少しも考えていないだろうけど。)会場となる地区センターも、聞けば裏口にエレベーターがあるということだったが、管理しているのが別の会社?で、前もって予約していない動かせないというお粗末さ。結局、若い人たちが車椅子を抱えて、2階まで上がってもらった。トイレのことを伝えると「大丈夫」と言われた。穴があったら入りたい。でも、勇気を持って遠方まで来ていただいた彼女のおかげで、会のメンバーや住民たちもちょっとは違う視点が持てたはずだ。彼女の存在は大きかった。

立石再開発をチョット学んでみよう!会〜ハプニング続出〜

9d9a7b1c.JPG12月8日。イベント前日。朝から晩まで仕事。
チラシにも広報にも資料代とあるのに、パンフは1部たりとも刷り上っていない。作業を始めたのは夜の12時を回っていた。資料自体はあらかた集まっており、若干の修正をすればよいだけ。当初予定していたものよりもボリュームが少ないが、いまは前日。しかたがない。手直しと同時に印刷を始める。ところが、表紙も刷り上らないうちにプリンターが故障。説明書を見ると、致命的な故障のようである。得てしてこういうことはよくあることなのだ。気を取り直して、もう一台ある父親のプリンターを稼動させることにした。インクが多めにあったのが、不幸中の幸いだ。
3時間ほどの睡眠をとりつつ、翌朝も続行。このときほど性能のいいプリンターがほしいと思ったことはない。なにしろ遅いのだ。集合時間を過ぎてまで印刷をする。
おまけにこの会のことは家族には内緒。駅前や商店街にも堂々とポスターが貼られているのに内緒。はじめての会なので、どうなるか予測がつかなかったからだ。自分の家族なら知らせれば必ず来るだろう。でも、余計なしがらみの中には入ってもらいたくないという思いもあり、結局、今回は知らせることを見送った。まぁ、それどころではないほど忙しかったということもあるのだけれど。自分は行政の人の役なので、ワイシャツにネクタイ姿、もちろん革靴を履く。年に数回しかない格好だ。いつもと変わらないふりを装って家を出た。
会場につくと、さらに新たなハプニングに遭遇。会場には高い位置に窓があり、電気を消しても暗くならないのである。明るいとスライドがほとんど見えない。いつもは夜に練習をしていたので、気づかなかったのだ。まだ、台本ができてから一度も通していないのに。さあ、どうしましょう。

『立石再開発物語』台本完成まで

0d7b600c.JPG立石チョット学んでみよう!会のチラシの中で『立石再開発物語上演』と銘打って、演劇の広報をしてみたものの、稽古はもちろん、一週間前に構成台本が完成していなかった。というのも、当初から取材が順調に進んでいたわけでなく、半ば会の進行をはかりながらだったためだ。会の中では、会の方針をめぐって考えに違いがあり、プログラムが定まったのは本番ほぼ2週間前。はっきりとしたプログラムを出して、実行にうつしたのが自分の演劇だけだったので、会のほかのメンバーにお願いをして演劇をすることになった。
当時、行政代表、賛成派代表と、反対派のひとりと再開発についての取材をすすめていた。なぜ反対派だけ代表ではないかというと、以前から接触があり、新鮮な気持ちで聞きづらかったからだ。しかし、台本の構成を考えるとなにぶんバランスが悪い。そこで、急きょ、本番の10日前に改めて反対派の代表者に取材をさせてもらった。その後、メンバーの人と死に物狂いで文章起こしをして、反対派の人と行政のところへ確認作業に飛び回る。
本番前々日の午前中。行政の人から、反対派だけ代表者とメンバーがいるのは不公平ではないかとクレームがついた。事情を説明した上、「この劇がすべてではないし、われわれにも限界はあるから、足りない部分は当日いらっしゃって意見を言ってほしい」と伝えるが、なかなかわかってもらえず。一時は行政の構成部分の全部をあきらめようとした。当日は行政が拒否した経緯を説明するつもりだった。その覚悟が伝わったのか、あっさり帰ろうとした自分は引き止められ、行政の人は一部分だけを使うことをしぶしぶ認めてくれた。
午後に構成台本をみんなに添付ファイルでメールをする。さらには、町の風景を写真に収め、当日劇とともに映す、テロップ&写真をパワーポイントで用意した。夕方からは世田谷でミーティングがあったため、ここまで。当日はぶっつけ本番。どうなるのか考えると恐ろしいが、新鮮な素材はなんとか準備できた。

立石再開発をチョット学んでみよう!会

f6cc55e1.JPG地元立石でついにイベントをやります。
水俣から帰ってくるまでほとんど縁のなかった立石で
仲間たちと会を作り、演劇をやります。その名も「立石再開発物語」。
再開発関係の行政、賛成派、反対派を取材して、
文章に起こし、構成してみました。
最初なので演劇というよりはレポートに近いと思いますが、
地元の人と演劇をやるなんてことは自分にとって画期的なことです。
この一年、着実に町で知り合いと行ける場所を増やしてきました。
一年間の成果をぜひご覧になってください。
これからもどんどんおもしろいことをしかけていきます。

○立石再開発をチョット学んでみよう!会

立石に住んでいるのに、立石のことをなにも知らない。
では、どうすればいいのだろう?
疑問に思った老若男女たちが集まり、
とにかくイベントをやってみることにしました。
第一回目のテーマはなにかと噂の「再開発」です。

日時:平成19年12月9日(日)15:00〜17:00
会場:立石地区センター第一会議室
     (京成線立石駅下車 
     葛飾区役所方面出口の目の前です)
資料代:500円
主催:立石チョットどうする!?会
問い合わせ先:080−6767−8362

宣戦布告

※この記事は過去のものですが、
私の地域での活動の経過をお伝えするため、あえて載せています。
現在は立石の再開発の一部の地権者の方と
個人的にお付き合いさせてもらっていますが、
2007年の春を最後に、いろいろな事情があり、
具体的な運動や会合には参加していません。

詳しくは2008年9月に書いた「中立まちづくり宣言」をご覧ください。



ac6db35c.JPG立石の再開発問題で自分の関わり方をちょっと変えてみた。
先日、演劇デザインギルドの成沢さんから「演劇だとかなんだとか言わず、やるならちゃんとやりなさい」とあおられたのがきっかけだ。もちろん、自分は行政主導の再開発には大反対の立場だ。現在、再開発反対の住民運動がいまいち盛り上がりに欠け、町歩きサークルStanding Stonesの後方支援だけではおっつかず、自分自身も反対派の中に入らないといけないなと思ったのだ。つまり、負けることを前提に柔軟に戦わなければいけないのだと・・・。(戦うという言い方はいまの時代に合わないかもしれないけど、再開発の計画が粛々と進められるということを前提に、作戦・対策をたてていくという意味である。)
幸い、自分は会の中で若いので、意見も聞いてもらいやすく、みなさんからとても大事にされてくれている。お茶や食事をおごってもらったり、会に行くともらいものをしたり・・・。ありがたい。
再開発の反対運動の青写真ははっきりとある。運動の中心となっている一部の人たちにも聞いてもらい、賛同を得た。立石のやり方にあわせ実行にうつすのみだ。
演劇が自分の考えや世界の見方を伝えて、人の気持ちを動かすものなら、再開発の運動はどうだろう。自分の計画を見て、ある人は「立石の運動に足りないのは『感動』だった」とまで言ってくれた。今回は町の人全体が相手。寺山修司の市街劇の復活を夢見て演劇をやってきた自分は、かなりやる気になっている。

本日、立石の駅で偶然会った、行政の方にはっきりと反対派に回ることを告げてきた。まあ、いずれ知られることだし、この方が戦いやすいと思ったので。相手はびっくりしていたけれど、受け止めてくれた。さあ、なにから手をつけようか。

いま思っていること

人に聞かれたので、整理の意味もこめて書いてみたい。

いま一番強く思っているのは、演劇を本当に必要なところに届けたいということ。
水が高いところから低いところに流れるように。砂漠がいくらでも水を吸うように。
かつて自分が演劇を吸収したように。
以前からその想いは強くあった。
だから、自分が活動する演劇のフィールドも自然とそうなっていった。
大学時代以来、自分が出会った、
演劇のプロを志向している多くの同世代の人たちに
本当に演劇が必要だと思えなかったし、
そういう人たちが演劇をする余裕がある、
問題多き日本社会という枠組みで見るならば、
一般の人たちのほうがむしろ演劇を専門にやるという自意識がない分、
想いの強い演劇を作れる磁場があるような気がしてならなかった。
そして、水俣での演劇を経験してからその想いはさらに強くなった。
確実に人に演劇は必要とされていた。
演劇を通じて、多くの人が楽しみながら出会い、対話し、情報を共有した。
そして、現地で新たに創造的な関係が作られた。
自分は花崎さんや成沢さんとともに
現地の人に自分の思う演劇のかけらを伝えられたという自負がある。
だから、東京でもいま一番必要な人たちに演劇がもつ可能性、魅力を届けたい。

現在、大学卒業以来戻ってきた故郷の立石は駅前の再開発をめぐって、
行政はもちろん、賛成と反対のはざまで住民同士の断絶が起こり始めている。
再開発地区の地権者とそれ以外の町の人とで情報の差も大きい。
行政の考えていること、やることはプロだけにしたたかである。
自分ははっきりとした反対派ではないが、
物事がよくない方向に進んでいるのだけははっきりとわかる。
自分が生まれ育った町が内部から崩壊しつつあるのを見て、傷つかないわけがない。
自分の家族(実家)は知ったとしてもそれを傍観せざるをえない立場にいる。
この町に住む多くの人が同じ。
年配の人も若者も自分のことに一生懸命で、町のことには無関心だ。
そして、あとになってから気づく。あのとき、ああすればよかったのだと。
たぶん、そこに不足しているのは、
他人に対する想像力と実際のコミュニケーションだと思う。
自分の足で町を歩き、人と会って話を聞き、
自分が考えている演劇はすごく効果的だという直感を持った。
だから、徐々にそれを行動に移しはじめている。
やることをやれば全国でもとてもめずらしい事例になるはずだ。
経済はあとから着いてくる。(←これについてはいろいろと考えはあるがと言い訳)
いままでの自分の演劇体験をフルに活用して立石を実験場にしてみたい。

新聞がはがされていた

先週、町内会の掲示板に張った新聞がはがされていた。
立石駅から線路沿いにあり、けっこう人目につくところである。
自分は町会長の許可まで取ったのに。

まあ、どんな理由であれ、はがしたいと思った人がいるのは事実。
それは受けとめる。
でも、自分はまだ新聞を発行し続けるし、
これからもそれだけじゃないしかけを用意している。
はがしたいと思った人、はがした人を実際の対話の場所まで
ぜひとも引きずりこみたいと思っている。

図書館においた新聞はほとんどなくなっていた。すぐに補充。
こっちもいろんな人が興味を持って取って行ってもらえているといいのだが。

立石も水俣と同じだった

本日、できたばかりの新聞を配りにいろんなところに行ってきた。
世田谷区で路上演劇祭のポスターはりをやったときに、区の掲示板を使わせてもらったので、葛飾区役所の広報課や地区センターに行ってみた。結果、どちらとも門前払い。職員の対応もそっけない。基本的に区のものしか広報しないのだと。まあ、町づくりの後進区だと思っていたが、予想以上である。さすが葛飾区。

そのため、あとは町内会の掲示板や、スーパーやお店の掲示板、仲見世商店街、個人店などを回った。回っていて思ったのは、どの人も「再開発」の問題に敏感になっているということ。自分が作った新聞には町歩きをして、印象に残ったところが書かれているだけなのだけど、「賛成」か「反対」かを勘ぐる人が多い。地域の人たちがあいまいな人も含めて、「賛成」と「反対」に分かれ、疑心暗鬼みたいな状況が起こりつつあるという感じがした。対話ができるような雰囲気がない。「再開発」そのものよりも、それがきっかけで地域のコミュニティが崩れてしまうことのほうが怖いと思う。程度の差こそあれ、地域の人たちがうまく表現できていない様子は水俣と近い。自分も疑われないように、表現の仕方を注意をしなければならないと強く思った。
幸い、みなさんに新聞をかなり熱心に読んでいただいた。はじめは警戒していた方も新聞を読んで、話をすると表情が緩やかになる。10何年ぶりにお会いした小学生の同級生の親御さんには「福ちゃんじゃないか」と声をかけられたし、立石の昔話をしていただいたおばあさんもある。とても実りが多い日だった。

ちなみに次回は2月16日(金)19:30〜
立石駅改札集合で夜の立石ツアーを敢行する予定である。
自分としてはいままで禁断の地であった「呑んべ横丁」に行きたい。
長期的な視野で、賛成、反対関係なくたくさんの人に参加をしてもらいたいものだ。
立石以外の人も大歓迎である。ぜひいらしてください。

スタンディング・ストーンズ結成

243c61dd.JPG本日、立石の町歩きをした。と言っても、ふたりだけ。お相手のK氏はいままでひとりで地図作りをやっていたそうで、協力者を求めていたところに、自分がひっかかった。二年間でひとり。あいかわらずマイナーなところに顔を出すのは得意である(笑)。ひとりというところが誇らしい。

本日はいろんな発見があった。
立石でも自分が行ったことのない場所がふたつある。昔、赤線(売春宿街)があったところと呑んべ横丁だ。前者はスナックが軒を連ね、後者はいまなお現役である。どちらも路地裏にあり、昭和のダーティな雰囲気が漂っている。わんぱくざかりの小学生のときでも子ども心にここには近づいてはいけないと思っていた。だから、足を踏み入れたのは今日がはじめて。昼間と言えどドキドキする。

スナック街は建物がおもしろかった。
K氏は二階の曲線の屋根が華やかだったころの名残だと言う。
そして、それを打ち消すように自己主張をする看板。細い道にたくさんの看板が並ぶ。夜になると、さらに迫力がある風景になるのだろう。
次に行った呑んべ横丁はまるで映画のセットに迷い込んできたかのようなレトロな雰囲気だ。アサヒビールの赤の文字と日章旗のようなアサヒのマークが書いてある
大きな看板が出迎えてくれる。横丁と言っても、わずか15メートル四方くらいのところに、十何件かの店があるから、長屋のようなかんじである。もちろん、すべて木造建築。人と生活の匂いが色濃くする場所である。昭和52年生まれの自分でさえ郷愁を誘う場所であるから、もっと大人の人たちにはたまらない町になるのではないか。

話を聞くと、どうやら、ここが行政の再開発が企画されている地区らしい。しかし、行政も住民もいいコミュニケーションがとれぬまま、再開発の計画が進められている気がする。自分がスタンディング・ストーンズを結成したのは純粋に町に対する興味を町づくりに結びつけられないかと考えたからだ。いろいろと思惑はある。立石を舞台に派手なロックをやろうと思う。手始めとして、次回は夜の立石ツアーを敢行する予定である。
♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
Profile
Recent Comments
Recent TrackBacks
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ