ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

立石−文学

立石備忘録ノート「無邪気な季節」より

NCM_0096

知り合いから石尾光之祐「無邪気な季節」という本を借りた。
なんと私家版30部!

作者ご本人の若い頃の体験をもとにした私小説の趣だ。


戦中から戦後にかけて、
立石、向島、熊本、種子島が舞台になっている。


正直言って申し訳ないが、
物語自体よりも立石の町や出来事、住民の心情の描写がすばらしい。
知人に返却するので、備忘録としてブログに抜粋しておこうと思う。


東京・葛飾の立石町は京成電車の立石駅を中心にして、
100米ぐらいの円周にすっぽり入るような小さな町である。
その駅を囲んだように4軒のミルクホールがある。


冒頭。ミルクホールなんて場所は見たことがないけれど、
なんとなく親近感がわく町がイメージできる。いい文章。



立石、四ツ木町にゴム屋は多い。が、このゴム会社だけが衛生部品を作っている。
民間用に『ハート美人』などの類似品、軍隊用に『突撃』を送り出している。


ゴム会社とコンドームの結びつき。
東立石に不二ラテックスがあったことも金杉忠男の「竹取物語」にのっている。




葛飾の立石町にも小さな世間の波が起こった。先年隣まちの渋江の貧民窟が評判になった。
小学校の綴方を編集した『綴方教室』が発表されて、映画化もされた。
世評が高くなるにつれて、ミルクホールの仲間たちは『綴方教室』の話をしなくなった。
はじめのうちは、身内の自慢をするように少年少女の家の近所とか、
おなじ小学校の先輩だとか喋っていた連中は、映画を観に押しかけもしたが、
ついぞそんな話を忘れてしまったそぶりになってきた。
身近な町の名を本や新聞で見つけるのは楽しいが、映画の中のそれらしい風景で、
自分たちとあまり変わらない貧乏に、自分たちも貧乏だと認識するのは愉快ではない。
渋江に対してわづかな優越感があっても、
そのわづかな紙一枚の差が紙一枚の差であるにすぎないからだろう。


ここもすごく切ない描写。
『綴方教室』は小学生の豊田正子が綴方(作文)で、
自らの貧しい家族の生活をなるべくありのままに描き、
全国的なベストセラーだ。
高峰秀子が主演で映画化もされた。
地元の人の熱狂が徐々に醒めていった様子がわかる。
当時の葛飾の地方性が表現されている。



立石のご縁日は葛飾随一をうたわれるスケールと人手を誇っている。
奥戸新橋袂の馬頭観音から延々数百米の大道橋の袂を越える
露天の電灯と幕のうねりと乗り合いバスの先導に、
提灯をふりかざした巡査が車道にまであふれた人波をはらいのけねばならない騒動である。


昔の立石を知る誰もが懐かしがる7のつく日の縁日。




葛飾区の立石町を通る京成電車の『京成立石』駅のホームの長さは40米もあったか、
その長さの分だけ、北側の家並みが5,60米も北に拡がって斜めに水道路とぶつかった一画が、
『立石新地』だった。家数は40軒かそこいら。
敗戦間際にこの一角が軍の慰安所になったと云う。
敗戦の後は日本人と黒人兵専用の私娼街に変ったと云う。しもたやを店に改造している。
もともとしもたやだから一軒一軒はだいたい似たような間数だとすぐわかる。
置いた妓の数もすぐわかる。100名程度だろう。


私娼街というのは誤りだと思うが、本人のご記憶なので、
そのままにしておく。(赤線なので、公娼街)
この本で、私は『立石新地』という言葉を知った。



焼け残ったせいか、立石の町にはやけに人が多くなった。
それも知らねえ顔ばかり。その人の流れも昔は小岩から向島へが、
こんどは西から東へだ。住まいと食い物につれて人の動きも変わった。


当時の住民の心情が伝わってくる文章。
今以上に新住民が増え、町自体のスケールが一気に広がっていったのだろう。




『新地』で心中未遂事件が発生した。事件には違いないが警察は介入していない。
例の『大統領』みたいな名の黒人兵が或る夜泥酔して彼女の店にやってきた。
彼女を抱きしめると、携帯して来た拳銃を振りまわし、『一緒に死んでほしい』旨を米語で叫んだ。


地元のおばあさんから「白と黒がドンパチやった」という話を聞いたことがる。
この話と関係があるのだろうか。
立石の人たちの話には、時々、黒人が登場する。




あぁ、すごく貴重な本だ。
年配の方、昔の記憶をこんなふうにどんどん文章を書いてください。
将来のまちづくりのヒントになります。
よろしくお願いします。

『綴方教室』を知らなかった私〜その2

さてさて、本題にうつります。
5月22日。市民活動支援センターで、
「『綴方教室』って何?〜昭和初期の葛飾を語ろう!〜」という
ミニ交流会を行いました。

新編 綴方教室 (岩波文庫)
新編 綴方教室 (岩波文庫)


実は私、企画者でありながら侮っていました。
葛飾区民に『綴方教室』を知っている人がいるのか。
そもそも、かなり昔の人の本に
現在興味がある人がどのくらいいるのか。
しかも、会のみなさんは好きなことになると
見境がなくなるくらいおしゃべり好きです。
専門的な話をする講演は慣れているものの、
この種の交流会ははじめてというようなかんじでした。
半信半疑、内心ドキドキしながら企画をたてました。
(その分、遊びも含めて、ポップなチラシを作ってみました。)

しかし、蓋をあけてみてびっくり!
申し込みも堅調で、締め切り日までコツコツと
定員に近づいていきました。
当日は展示の協力をしてくれた
町の文化と歴史をひもとく会のメンバーを含め、
定員の20名以上の人が参加。
中には30代、40代の人もいました。

最初は自己紹介の時間です。
グループになってもらい、参加動機をうかがうと、
「『綴方教室』の字を見て心が震えた」とか、
「子どものときに読んだことがある」とか、
かなり具体的な話が出てきて、
参加者の熱意が伝わってきます。
ここからは会場の参加者の熱気に押されるようなかんじで、
ジェットコースターのようにあっという間に時間がたっていきました。続きを読む

『綴方教室』を知らなかった私〜その1

5月22日。市民活動支援センターで
『綴方教室』をテーマにしたミニ交流会をおこないました。
協力してくれたのは、
町の文化と歴史をひもとく会の個性的なみなさん。
彼らの尋常ではない熱量(笑)に後押しされて実現した企画でした。
同時に一カ月余り、
『綴方教室』豊田正子のいた葛飾写真展もおこないました。

新編 綴方教室 (岩波文庫)
新編 綴方教室 (岩波文庫)


『綴方教室』は昭和初期の大ベストセラー。
大正11年生まれの豊田正子が本田小学校4年生のときに、
担任だった大木顕一郎の指導で書いた綴方(作文)が
掲載された『綴方教室』は70,80万部も売れたといいます。
その後、築地小劇場で『綴方教室』が舞台化され、
『夕鶴』のおつう役で有名な山本安英が正子役で主演しました。
また東宝でも山本嘉次郎監督、高峰秀子主演で映画化されました。
『綴方教室』によって、
葛飾の庶民の暮らしが全国的に注目されたのでした。


私は『綴方教室』の舞台となった本田小学校の卒業生ですが、
豊田正子のことも本のことも全く知りませんでした。
出会いは知り合いのブログによって。
そして、今回の企画で初めて本を購入し、読んでみたのでした。

続きを読む
♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
Profile

ふっきー

Recent Comments
Recent TrackBacks
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ