ふっきーの演劇ワークショップ日誌

演劇ワークショップと言ってもいろいろ。自分の考える「演劇」や「ワークショップ」を、現場だけでなく率直な言葉で発信していきたいと思い、このブログを作りました。が、最近は地元葛飾区立石の関係の発信が多くなってきております。

立石−思い出

生まれたときからの立石ツアー〜その2

その後、母校の本田小学校や
子どもの頃の遊び場や通学路を見学。
当時の写真を幾枚か用意して、
現在の場所と見比べてもらいました。

15時30分。私の実家に到着。
庭を眺めながら、おばあちゃんの話を聞きます。
戦死をしたおじいちゃんのこと、
引っ越してきた立石のこと、戦争中のこと・・・。
そして、時々、私と父を間違えるのもご愛嬌でしょうか。
そのたびにみんなが笑います。
帰り際、一人がおばあちゃんと握手をしていたので、
あとで「生気を吸い取られたよ」と言っておきました(笑)

最後はおばあちゃんの散歩コース、
東立石緑地公園まで中川沿いの道を散歩しました。IMGP2578
緑地公園は3人の人が初めて訪れたみたいで、
「立石にもこんな広い場所があったんですね」と驚いてもらいました。
以前、工場と空き地が点在していたこの場所は
私たち本田小学校の子どもたちにとってはアウェイで、
ホームとしていた川端小学校の子どもたちと
草野球の真剣勝負を繰り広げていました。
いまは学校同士の対決なんてあるのかなぁ。

子どもたちに混ざって、みんなですべり台にのりました。
「大人が乗っている!」とからかわれました(笑)

風が非常に気持ちよかったです。
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生まれたときからの立石ツアー〜その1

先月、人から
「そう言えば、ふっきーにちゃんと
『昼間の立石』を案内してもらったことないよね。」と言われ、
昼間の立石の案内をすることになりました。
しかし、その人も含めて案内をする人たちは
すでに立石に詳しい方々。
個人差はありますが、
立石の主だったところは一緒に歩いているので、
さぁどうしたものかと思案に暮れた1か月でした。

もし同じところを案内するなら、
さらに深く調べるか、
それとも案内の仕方を工夫するか。
違うところを案内するなら、
どこを案内すれば立石の新鮮な魅力を伝えられるか。

準備期間も少なく、
メンバーの人たちも
新しいことを旺盛に楽しんでくれる人たちばかりだったので、
今回は実験的に私のルーツめぐりをすることにしました。
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民家の隙間

今日はお休み。
天気がよいので、昼食後、祖母と散歩をした。
散歩コースは中川。
今日の目的地は本奥戸橋を渡って左側にある花壇である。
近所の住民がボランティアで川沿いにいろいろな花を植えて、
栽培しているような場所で、いまが一番見ごろの時期なのだ。
祖母は花が好きなので、花を見ると機嫌がよくなる。
「立石もいいところがいっぱいあるのねぇ」

以前は「立石はなにもない」を連発していた祖母も
最近はこんなことを言うようになってきた。
「そうだよ。いっぱいあるよ」と私は強く同調する。

帰りは、裏道を通って家に帰ってきた。201004291332000

「ここはお宮に出る道だね」と祖母が言う。
「お宮」という言葉が耳慣れず、心地よい。
「お宮」とは、地元の氏神様の原神社。
神社は子どもたちのかっこうの遊び場だった。
例えば、缶けりやドロケイ(泥棒と警察)なんかをやると、
神社がメインの場所、裏道が神社につながるメインストリート、
民家の隙間が鬼や相手とのかけひきを展開する場所になる。
自分たちは窓からテレビの音や話し声が聞こえる民家の脇を、
忍者のように通り抜けて、高い塀ものりこえ、
たくましく遊んでいたのだった。

自分は民家の隙間が大好きだった。
大人にも怒られないように注意をしながら、
誰にも見つからない隠れ方をし、味方と情報交換し、
鬼をあっと驚かすような作戦をたてる。
特に年齢が上のお兄さんたちを圧倒したときなんかは
なにものにも代えがたく気持ちよかった。

あのとき生き生きしていたみんなは元気にやっているかな。
あの頃のみんなは本当にすごかった!

大みそか冒険奇譚

201001031501000
12月31日。
地元の氏神さまの原神社に
年越しの参拝に行ってきました。
いつもは元旦の日中に行くのですが、
どのくらいの人がいるのか、
町会ではどんな人が頑張っているのかなども気になったので、
思い切って行ってみました。

一番最後に行ったのは小学6年生のときでした。
大みそかだけは親公認で夜遅くまで遊んでいていい日。
当時は中学受験を控えていて、
朝から夜まで電車で千葉県にあった
某大手の塾まで行き来していました。
しかし、31日は塾も休み。
家の大掃除も終わっていて、
本当につかの間の休日でした。
親もそのことがわかっていたのか、
その日はなにも言わずに、自由にさせてくれました。

子どもにとっては夜0時過ぎまで、
ひとりで外で遊べるというのはとても魅惑的なものです。
当日は朝からテンションが高く、
仲がいい友だちと遊びながら、
夜なにをするか思案していました。続きを読む

東立石を歩きながら考える

最近、夜中に興がのると、家を通り過ぎて、
東立石地区を散歩に出かけることがある。
夏は暑いので、散歩は夜のほうが気持ちがいいのだ。

去年できたばかりの東立石緑地公園に向かって歩く。
昔は野球をやりに出かけた道。
当時は立石製薬という大きな工場があって、
地域の子どもたちのために野球場を貸してくれていたのだ。
東立石地区の大半は自分が通った本田小とは違う川端小学校の学区。
別の小学校の子どもたちが住む区域に一歩入ると
緊張感があり、なにかにつけて対抗心を燃やしたものだった。

東立石地区は中小工場が多い町だった。
自分のうちも下請けの縫製業。
同級生の友だちのうちの家業も
半分くらいがなんらかの中小工場だったように思う。

歩くと昔のままの工場の風景に出会う。
でも、実際やっているのかどうか。
やっていても年配のご両親が頑張っているのだろう。

同時に少し大きな工場の跡地のあちらこちらが
マンションになっている。
子どもの頃、東立石地区でマンションに
住んでいた子どもなんてほとんどいなかったから、
時の移ろいを感じてしまう。

工場が建ち並ぶこの町も、下流域の町。
葛飾自体がもともとは海で、
地盤は縄文時代の海退とともに
河川の沖積化でできているから、
コンクリートの下はやわらかい土である。
さらに現在は老朽化した木造住宅が多く、密集している地域。
防災公園とも呼ばれる緑地公園ができたのは
そんな背景もあるのだけれど、
地震になったら、大きな被害を受けることは想像に難くない。
また川に面した地域のため、洪水にも弱い地域。

戦前、おばあちゃんが来た当時は一面、
田んぼだらけの土地だったそうだ。
それが工業地区になり、
ゆるやかな住宅地区に移り変わっている。

自分と同世代の人、
あるいはマンションに住んでいる多くの人が
そんな歴史を知らないのだろうなぁと思う。
こんなふうに偉そうなことを言っている自分だって
つい最近までは興味を持たなかったし、持てなかった。

知ることは怖いことであると同時におもしろいことだと、
いまになって思う。

安藤医院の思い出

88ceff8e.jpgいま近所にある安藤医院という病院の解体工事が始まっています。
東立石のまち歩きをすると、必ず感嘆の声が上がる場所でした。

石を基調にした古風な建物の内部は寒々しく怖い感じがして、
実際に受診したことはありません。
しかし、受付が二階の高さにあり、左右が斜面になっている
不思議な入口は子ども時代の自分たちが放っておくはずもなく。
ここでしかできない様々な遊びを考えたものでした。

よくやったのは、病院側と道路側でのボール当てゲーム。
一種のドッジボールみたいなものでしょうか。
狭い道は車も人もふつうに通るのですが、
下町の子どもたちにとって、中断などという甘いルールはなく、
容赦なく、車を楯にゲームは続けられます。

高鬼もよくやりました。
左右が抜けられ、しかも病院の真ん中の隙間から
飛び降りるという荒業も使えるので、
ダイナミックな鬼ごっこが展開できます。

いまから考えれば、こんなにやりたい放題やっていて、
病院から一度も注意を受けたことがないのが不思議です。

しかし、同時に危険な場所でもあるわけで、
上級生からなんかのはずみで頭から落とされ、
流血を伴う怪我を負ったこともありました。
上級生が母親とうちまで謝りに来たのが記憶にあります。

父によれば、父が子どもの頃からあった病院だそうです。
前の通りは用水路が通っていた時代でした。
町の景色が変わるのはさびしいことですが、
また新しい建物が建てられ、新たな歴史が始まるのでしょう。

写真を撮っておいてよかったぁ。
この場所の思い出は大切にしていきたいです。
♪ラブ・ユー立石(先輩&友人柳田さんの人気ブログ)
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