今、地方へと向かう若者が増えている。


先日知り合った若者は企業の内定を断わって、
震災後、宮城県の被災地に行ったそうだ。
現在も現地でNPOとして活動しているらしい。


彼のように、
都会での働き方に疑問を抱いたり、
地方の困窮ぶりに胸を痛めた若者が
地方へと向かう例は増えていくだろう。


しかし、どの地域も厳しく、問題は複雑だ。
もらえる給料だって多くないし、
逆に持ち出しで活動をする場合も少なくない。
現地の人から傷つく言葉を投げかけられることもある。
当初の熱い想いを
そのまま持ち続けられるタフな人間はまれではないか。


私は心配する。
多くの若者が志半ばで傷ついて都市に戻ることにならないかと。
そして、さらに地方や若者の問題が深刻化しないかと。


なぜなら、2006年に熊本県水俣市に半年間滞在して、
現地の人たちと演劇をつくる仕事をしたとき、
とても大変だったからだ。
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「水俣へ行く」
「大きな拍手のカーテンコール」
「負けなかったよ〜!」

なので、当時の私が勇気づけられた三つの言葉を紹介したい。


 崟長しなくてもいい。経験しなさい」


自慢ではないが、私は水俣について何にも知らなかった。
でも、仕事では水俣病の患者の人たちと接したり、
関係者と交渉したりしなければならない。
引っ越し直前、
手当たりしだいに
水俣関係の本を積み上げていったものの、
時間が足りない。
きっと切羽詰まっていたのだろう。
そんな姿を見た友人から
「成長しなくてもいいから、経験をしなさい」
と言われた。
気持ちが随分と楽になった。

もちろん、最低限の知識と勉強は必要である。
でも、現地の人たちは、20代の若者に対して、
始めからスペシャリストであることは期待していない。
むしろ現地で若者らしく謙虚に学び、
等身大で経験していく姿勢が求められているはずだ。



◆屬△覆燭了纏は1日1人の人と出会うこと」


水俣の仕事は膨大だった。
演劇ワークショップの企画・運営、広報、
ネットワーク作り、渉外・・・その他沢山の仕事を
すべて一人でおこなわなければならない。
起きてから寝るまで休みなく働いていた。

私は頑張れちゃうほうだから、
休みも関係なく動いてしまう。
当然、からだも気持ちも疲れてくる。
そんなときに、
東京の演劇デザインギルドの仲間から
メールでこの言葉をもらった。
「あ、これなら私が得意なことだ」と思った。
人好きの私にとっては、高いノルマでは決してないし、
自分の中での成果も見えやすい。

大変な仕事ではあったが、何かと口実をつけて、
人に会うのは楽しみになった。

知り合いが全くいない地方では、
人の協力なくして大きな仕事はできない。
事務作業以上に、1人の人ときちんと
出会えているかどうかは大事である。



「いい聞き役となる」


これは自分の言葉。

私の仕事は水俣病患者や障害者、市民の人たちが
生き生きと表現する場を作ることだった。
長年の差別により人間関係が複雑な水俣では、
地域の中で本音を言うことは勇気がいる。

私はよそ者だったから、
地元の人にはない気楽さで本音を話してもらえた。
最初はよかったのだけれど、半年間は実にしんどい。
真夜中に電話があったり、
愚痴や誰かの悪口を一方的に聞き続けたり。
どんなに無理!と思っても、(無理!になることもあったけれど、)
舞台本番の日をイメージして、気持ちを切らさなかった。


都会から来た若者は元気があるし、目立つ。
少し気に入ってもらえれば、本音を話してもらえるし、
頼りにしてもらえる。大変嬉しいことだ。

でも、甘い誘惑にのって、
自分自身が主人公だと勘違いをしてはいけない。
前に出るときがあっても、表現の主体は常に地元の人なのだ。
だから、話すよりも聞く。しかも最良の受け手になる。
最良の受け手は、地元の人はなりえない最良の鏡である。
それでこそ、よそから来た若者の存在意義がある。
若者は現地に住まう覚悟ができるまで、前に出てはいけないのだ。


東京にかつての勢いはない。
今後もIターンやUターンで、
地方を目指す若者は増えるだろう。
でも、こんな時代は今までなかったから、作法が確立していない。
参考にしていただければ幸いである。