2012年02月03日

1月の支えられ状況報告(Amazon経由)

2012年1月の
ぼくの人生の大体の感じをお伝えします。

2012年1月の
ぼくの人生を一文で要約すると、
「手根管症候群・ノート・継母(はは)の四十九日」です。

2012年1月以前の出来事について、
芋づる式に、以下の記事から辿ることもできます。
≪参照記事:「12月の支えられ状況報告(Amazon経由)」

まず、年が明けて手根管症候群の症状が悪化しました。

医学的に手根管症候群のボーダーに達していなかった
右手の症状が急激に進行して、左手の症状を越しました。

おそらく、昨年末に、両手ともに
電気を使った検査を受けたことが主な原因だと思います。

右手に現れた手根管症候群の症状と
症状による日常的な困難の主なものを、
箇条書きで、お伝えします。

・片手(右手)でボタンを取り付けられなくなった。
・特に、親指が酷い。
・親指が、思ったとおりに動いてくれない。
・書く時に、まるで親指がバカネジになった感じだ。
・糸くずや細かいものが掴めない(特に床にあるもの)。
・とにかく、親指が、変。

・母指球部分の神経機能が極端に低下している。
 もしかして、停止している??

(手根管症候群が重症になった時の症状と、よく似ている)と、
各所から仕入れた知識と見比べて、当時も今も、思います。

手根管症候群の症状が、日常生活に困難を来たしている。

そんな状態の中、病院は、正月休み。

日常生活に困難を来たしていて、痛くて辛くいのだけど、
「生命に危険のある状態ではない」ので、
数日様子を見ることにしました。

・ペンがまともに持てねぇ。
・親指が上がらねぇ。
・手の平を天井に向けて
 親指を立てようとしても立たない。
・親指の先を天上に向けることができない。

こんな感じの
手根管症候群(右手)の症状に
ヤキモキした日々が数日続き、
正月休みも終わって、いざ、病院へ。

自分にとって
あまりにも症状が激しいので
「手術をして欲しい」と申し出たところ、
「手術をするには昨年末に計った
 データの数値が足りない」そうで、却下されました。

「当事者の体感の症状がどれだけ酷くても、神経の状態は、
 数日や数週間の短期間で急激には変わらない」のだそうです。

「昨年末に取った右手のデータは
 手根管症候群と判断されるボーダーに達していなかった」ので、
「次にデータを取れるようになる半年後まで、基本的に、
 手術をすることはない」という医者としての判断とのことでした。

診察をしてみて得た現状を鑑みて、
医者として患者であるぼくの症状を緩和するために打てる手は、
「腱鞘内注射」とのことだったので、

(なるほど確かに、
 手根管症候群の中程度の症状への対処に、
 「ステロイド注射」ってのがあった。
 今の状態が少しでも快方に向かう手があるなら)と思い、

右手の手首の中に、
「デカトロン注射液3、3mg 1ml
 キシロカイン注射液 ポリアンプ1% 5ml」を
注射器で入れてもらいました。

ぐぉぉぉぉ〜と、圧がきて
「お、おっ、おぉぉ〜…」と声を上げたら、
担当医の後ろで看護師さんが耐え切れずに
ちょっと吹いていたのを憶えています。

(おっ!おれの素がウケてる!
 …てか、この先生、注射上手すぎっ!
 え?わたしの年収、低すぎっ!?)など思えたので、
精神的な余裕があることも分かり、良かったです。

この「腱鞘内注射」が、おれ歴史における
歴代「注射痛くないランキング」トップ3に入り
ここで一気に担当医のことを「医師として尊敬」しました。

注射をしてもらい
病院を後にして一週間くらいしたら
右手親指の機能がメキメキ回復し、

「イメージとほぼ同じように
 右手親指が機能することのありがたさ」を

何度も何度も感じたことを憶えています。

「手先や指先に痺れや違和感があるものの、
 右手が親指が日常生活を送るには充分の機能をする」という

「重症から軽症へ」という
手根管症候群の範囲内でのメキメキとした回復に、

(痺れや違和感はあっても、
 右手親指がほぼイメージ通りに動く…ステキ!)と、
心が躍り、うれしくなりました。

注射でなのか自然治癒力でなのか
とにかく症状が緩和された頃に、

「経過を診るため・薬の処方のため」

診察を受けるタイミングになったので、
月の半ばくらいに、再び病院へ。

担当の医師が
「手を専門的に診ている先生」ということで
ガングリオンについて尋ねてみたところ、

「これ、ガングリオンではないのでは?」という返答に、

(え…?!
 なっ!なにぃ!!?
 ガングリオンではないだとぉぉ!!)と、

フリーザ様が変身を残している事実を知った時に
ピッコロさんが受けたみたいな衝撃が
心の中を貫いていたためか、

「おそらく※⊆жЙБ炎ですね」

肝心な症状名が分からず仕舞いとなりました。

(え?なに?関節炎??…まぁ、関節炎だろうな)

ハッキリとした症状名を知ることよりも
半年以上ガングリオンだと思っていた症状が
ガングリオンではなかったことに対する驚きが自分の心を掴み、
その場では、名前については(関節炎だろう)ということで、
特に引っ掛かりもなくスーッと流していたようです。

ガングリオンかそうでないかを確かめるための
エコーみたいな診察を受けた後
「手を専門的に診ている医者」の見立てで
正式に「ガングリオンではない」と分かった時も

(へぇ〜、ガングリオンじゃないんだ。
 ガングリオンじゃないんだ…ガングリオンじゃないんだ…)と

『ガングリオンではなかった事実』に心を奪われていて

「病院を出て部屋に戻った後で、
 正式名称が何なのか、気になりだす」という、
ある種お決まりのパターンの一つに陥りました。

この
「気になりだしたら、止まらない」
「細部への注意(に敏感)、注意の切り替え(が困難)」という
生まれつきで一生治らない自閉症状のコンボを、

時間をかけてノートを使って考えて
『次に診てもらう時に正式な症状名を確認する』と決めて
次の診察までという期限付きで「0」「1」の
「1」を心に立てて自分に納得して対処する手法を取りました。

ノートをつけ始めてから、

「時間をかけてノートを使って考えて、
 当面は、気にならないようにする」

この解決策を、ちょくちょく用いるようになりました。

手根管症候群については、以上の出来事に、
「1月の中旬に予約および発注してもらった
 『手根管症候群用のサポーター』を、
 1月の下旬に、手に入れた」ことを足したくらいです。

手根管症候群とノートとの
橋渡し的なエピソードがあるので、
この記事の中に、残します。

【「手根管症候群」と「ノート」を
 「自閉症」で繋ぐ橋渡し的なエピソード】
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

手根管症候群用のサポーターの受け取る時に、店頭で、
ぼくの自閉症状に密接に直結する形で、一悶着ありました。

メンドクサイ症状と30年以上付き合う中
経験を通じて得た方法で、対処しました。

思い出しながら、残します。

手根管症候群用のサポーターを
予約した際に受け取った伝票を
レジのあるカウンターに載せて、

「これ、届いてますか?」

と、伝票を指差しながら、店員さんに、尋ねました。

すると、
若い店員さんは伝票に目を通していたかと思うと、
内容を理解されたのか、部活みたいにダッシュ!して
カウンターから離れていきました。

(え?何?…たぶん、
 バックヤードに品物を取りに行くんだろうけど、
 届いているか届いていないのか、何をしにいくのか、
 いろいろと明らかにしてから…じゃないか?

 もしくは
 「少々お待ち下さい」の一言伝えてから、とか。
 その場合も「5分ほど」とか時間を明示して欲しいけど。

 もしかして
 言ったのかもしれないけど、
 おれ、聞き取れなかったなぁ…。

 見通しの立たないことに
 極端にストレスを感じる人間としては
 とっても困るんだけど…。

 でもまぁ、
 「2分くらいまでなら」待たされてもいいか。
 他の商品見とけば気も紛れるだろう)

こんなことを思った後、
店内を眺めて歩きながらも、思考は続きます。

(適切・誠実な対応ができていないのって、
 一つ一つの動作が流れていて
 「なぁなぁ」になっているからだからだろうな。

 「迅速である」ってのは、ちょっとズレると
 「雑である」になってしまうからなぁ…。

 動く前の一言を
 「言った」「言わない」論争になりそうな感じだな。

 どういうことだろう?
 …正対せずに移動し始めながら言った…と仮定するなら、
 相手の意識としては「言った」
 こちらの意識としては「言ってない」
 ってのが成り立つ。まぁ、そういうことか。

 でも、一つ一つの動作を丁寧に行えば済む話だもんなぁ。

 日常的におれにできるか?って言われたらできないけど、
 だからこそ、おれ、FaceToFaceの店員側に
 極力立たないようにしているワケだし。

 この場合、おれは客で相手は店員で、
 お客様は神様は…三波春夫さんが言ったことが
 捻じ曲がって伝わっているから
 おれは自分のことを神様だとは思わないけど、

 それでも「資本主義社会」の中で 
 お金…つまりは、みんなが主義にしている資本を
 提供する側の立場のわけだから、
 「一番大事」を渡してくれた人
 …という態度ではいて欲しいな)

陳列された商品を前に
こんなことを考えていました。

傍から見たら
「ぼぉー」っとしているように見えると思います。

今、当時のことを書き起こしていて、
こんなにゴチャゴチャゴチャゴチャ考える自分のことを、
やっぱり「メンドクサイ」と、本人ながら、思います。

そうこう思考していましたが、
ダッシュでカウンターを去っていった
若い店員さんは、5分ほどしても、帰ってこず。

結局、ぼくは、溜まりかねて
他の店員さんに声を掛けました。

会話を通じて、
若い店員よりも立場が上の人だと分かったので、
IQの力を借りて、状況を、事細かに話します。

納得行かない対応をしている
若い店員に対して、なぜ腹を立てているのかを

(正確には症状が暴走し始めている…なのだが、
 症状が暴走といってもワケ分からないだろうからなぁ)

定型の人に分かるよう、
定型の人に合わせた表現で、一生懸命、伝えます。

若い店員の一連の対応について憤りを感じていることを
上の立場にある店員さん(既婚者男性)に伝える過程で、
若い店員も戻ってきたので、熱を帯びて、伝えました。

ぼくが一連のことを伝える中で、対応を通じて、

「若い店員の分かってなさ」
「上役の人の分かってらっしゃること」

これらがビシビシと伝わってきました。

若い店員は
(え?何がいけないの?)というような感じで
キョトンとしています。当事者意識が感じられません。

一方、上役の人は、
若い店員の後方で目を涙で潤ませて、
ぼくの言うことを、聞いていらっしゃいます。

(当事者じゃないのに、
 こんなメンドクサイことに巻き込んでしまって、
 申し訳ないなぁ…でも、これが「仕事」なんだろうな)

こんなことを思いながらも、
「納得できないことは譲れない」自分がいます。

一生治らない症状とのことで、どーにかこーにか、
その場その場で折り合いを付けていく必要があります。

なので、

「申し訳ございません。
 おっしゃることはごもっともです。
 今後、このようなことが無いように、指導しますので」

と言われても、

「えーっと…、
 ぼくは、このお店の
 今後の話をしているのではなくて、
 ぼくの『今』や『未来』の話をしています。

 今、この商品をこのまま受け取って帰ると、
 この商品を使う度、この商品を見る度に、

 (嫌な思いしたなぁ。
  クソな対応だったなぁ。
  この商品にもクソな気分が移っちゃうなぁ)

 と、日常的に思うことになります。

 生存本能が危険を避けるためなのか、
 嫌なことって、良いことの30倍くらい
 人の記憶に残りやすいそうなんで。
 
 なので、未来のぼくが、
 フラッシュバックして嫌な思いをしないで済むように、
 今、何ができるか考えています。
 
 『今後、このようなことが無いように、指導』では、
 ぼくの未来は変わりません。

 解決案、解決策を、お伝え下さい」

IQや知識や理屈の力を借りて、
このような対応になってしまいます。

そこから
症状がガーッと暴走しつつも、
今までの経験から解決策を模索し続けます。

喋ることで
アウトプットしながら、
解決方法を探します。

「こういうことが人生で何度もあって、
 いろいろ考えた結果、結局のところ、
 突き詰めると人って商品を買いに来ているのではなく

 『今や未来の気分を買いに来ている』

 ってところに落ち着いています。

 ぼくがこのサポーターを買いに来たのも、
 サポーターが欲しいんじゃなくて、

 ・サポーターによって症状が緩和される未来。
 ・緩和されている日常。
 ・手の痺れや痛みで目覚めなくても良いということ。

 そういうことのため、
 そういう気分の実現のため、
 商品を求めて来店しているんです。

 で、今、ぼくはものすごく気分が荒れています。

 荒れた気分を0にする、
 できれば朗らかにする解決策を提示してください。

 『今後、このようなことが無いように、指導』
 という、お店側の当人へのことではなく、
 今のぼくの気分を元通りにする解決策を提示してください。

 ぼくには(まだ)その解決策は分かりません。

 何でこうなったのかは分かります。
 解決する責任はどちらにあるかと言ったら、
 そちらにあると思います。

 なので、できれば、そちらの側から、
 今のぼくの荒れた気分を解決する策を提示してください」

今の自分と未来の自分を救うために、何度も何度も尋ねます。

尋ねながら、
自分でも解決策を模索して考えながら、続けます。

『解決策を出すのは難しい』

このことは、
当事者として何度も関わっているので、知っています。
何度も何度も経験しているから、骨身に染みて、知っています。

今回も、結局、自分で導き出しました。
自分のこと、自分を救うことなんで、必死こいて辿り着きました。

「予約した時に対応していただいた
 店員さんの接客は良く、
 (良いお店だなぁ)と思ったので、
 今回のことは、お店の対応ではなく、
 『そこにいる個人がクソだった』という認識にします。

 この商品を、一度、お店に返品します。
 これで、一旦、気分を0にします。
 その後、そちらで梱包…
 というか別の袋に入れ直してください。

 新たに資源を使って申し訳ないと思いますが、
 今回使った袋は、別の形でお店側で使用していただけると
 とても助かります。

 そして、改めて、今、
 目を潤ませて対応していただいている
 ぼくが(誠実な人だなぁ)感じている
 貴方から買い直します…これ、できますか?」

「…できます。ありがとうございます(深々と頭を下げられて)」

レジに移動して、一連の、
傍から見たら「メンドクサイ」手続きを済ませます。

「メンドクサイ」手続きの後、カウンター越しに、
店員さん(既婚者男性)と、やり取りします。

「メンドクサイことに巻き込ませてしまってすみません」

「いえいえ、こちらこそ、申し訳ございません!」

「これで、この商品を見た時や使う時、
 (誠実な方だったよなぁ。
  誠実な方に渡してもらったよなぁ)と思うことができます。
 ありがとうございます」

「そんな、滅相もない…」

「そのうち時間が経つにつれて、
 今回の出来事がエピソードになって、
 人に話せるようになると思います。
 それも、ありがとうございます」

「こちらこそ、この度は、
 大変申し訳ございませんでした」

お互い、深々と頭を下げて解決。

おかげさまで、
日常的(主に睡眠時)に、
受け取った手根管症候群用のサポーターを、
気分良く使うことができるようになりました。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

以上、
(あー、マジでメンドクサイな、おれ)と、
自分で自分のことをメンドクサイと思うエピソードでした。

ノートを見直していて、
手根管症候群用のサポーターを受け取る際の
一連の出来事について詳しくは残していなかったので、
この記事内に書き残して補完する形を取りました。

出来事を記録にすると、
記憶を思い出しながら記録しているうちに
やがて心が出来事を租借する効果もあるようなので、

「心の負担が減り、落ち着いてきて、楽になる」

こんな風な、精神的作用があるようです。

さらに自分の感情が
紙面上に移る感覚があるため、日々、
楽しみながらノートに記録しています。

というわけで、
次は、ノートについて、お伝えします。

「一人でできること」
「面白い人になりたい」
「日々のことをノートに移して心を楽にしたい」

およそ
この3点を理由に、
日々、ノートをつけています。

そんな中、
2012年の元旦、
ノートを使って、今年の抱負を決めました。

【今年の抱負】
『コツコツ、地道に、丁寧に。』

1月のノートと繋がっているので、
2011年末のことから話を残します。

昨年末、ぼくは、ははを亡くしました。
ははの通夜や葬儀や告別式などで、親類各位から、
意見や指摘や糾弾や、いろいろ受けました。

親類各位の言いたいことを要約すると、

「稼げ」
「経済的・社会的に自立しろ」

およそ、こういうことです。

一方、20代前半で、一度
心がブッ壊れた身としては、
自分の心がブッ壊れることになった原因である、

『理不尽』
『絶対的な支配者に
 意に反して服従しなければならないこと』

これらの外で生きたいという切実な願いがあります。

現実世界で
ぼくの願いを満たすためには、およそ、
「自分が絶対的な支配者になる」か、
「人と関わらずに生きる」か、
この2点だと思っています。

理想は『みんな、対等な関係』です。

ここで、ぼくは考えます。

1.働くということは社会に出るというと。
2.社会は理不尽で溢れている。
3.組織に入ると組織のルール(および人)に支配される。
4.理不尽と支配に心を壊された。

1.2.3.4.を解くと、
『働くと、基本的に、おれの心は壊れる』ということになります。

心が壊れる理由は、
資本主義社会だからです。
資本側に心が支配されるからです。

反面、
今の世の中、生きるために
お金が必要であることも事実です。

そんな中、
自分に合った形で、
生きる術を探してきました。

happyneetってコトバに可能性を感じたので、
(happyneetとはどういうことなのか?)について
このブログを通じて3年ほど探った結果、

【happyneetの概念】
「楽しく生きて、お金も生み出す」

こういうことだと分かりました。
この形だと、自分も社会もハッピーで、
ぼくはニートのままいられます。

でも、
今の自分のハッピーニート具合だと、
家族や親族は納得してくれません。

ぼくは、
自分のことも
家族のことも親族のことも
友だちのことも読者さんのことも大事です。

ぼくは頭が変なのか、
(ぼくが働くと、
 読者さんを裏切ることになる)と
思っている部分があります。

理由は、現代の日本で、
「働く」と「苦しむ」が
近い関係にあるように見えるからです。

正確には、
『「苦しんで、お金を得た時点で、
  happyneetの概念に反することになり、
  読者さんにウソをつくことになる」ということを、
 「読者さんを裏切ること」だと思っている』と、なります。

ぼくの心が
「理不尽を一切感じず、他者に支配されずに、
 アッケラカンと仕事を楽しむことができる」
このようになれば理想です。ただ、現実的ではありません。

なので、
(happyneet条件内で、
 家族・親類各位の指令内容を満たすには?)について考え、

「読者さんに対して、
 2011年いっぱい
 オープンな場で意見を求める」

という方法に辿りつきました。
※詳しいことは、参照記事をご覧下さい。
 ≪参照記事:「12月のBBS」

結果、

1.このブログの中に広告を増やすこと。
2.クエスト記事が停滞する確率を上げて、
 自分と家族と親族と友だちの求めることを満たすために、
 「経済的な収益を優先する活動」を新たに始めること。

この2点について
「行っても良い」ということになりました。

ここからは、
新しいことを始めることに対する
ぼくの心の問題です。

体に人それぞれに応じた
「新陳代謝速度」があるように、
心にも人それぞれに応じた
「新陳代謝速度」があります。

心の急激な変化に対応できる人は、
鬱になりにくいことから分かります。

ぼくの場合、
2012年1月中に新たに
「経済的な収益を優先する活動」を始めるには、
ノートの力が必要でした。

ノートを使って
一つ一つじっくりと時間を掛けて考えて、
日々少しずつ自分の心にできる範囲の約束をして、
「決意して実行する」ことを繰り返し積み重ねて、やっと
「経済的な収益を優先する活動」に着手することができました。

それこそ【今年の抱負】である
『コツコツ、地道に、丁寧に』です。

「コツコツ、地道に、丁寧に」
ノートを使って手探りで心を進め、
オフラインでもオンラインでも、
「経済的な収益を優先する活動」を始めました。

ぼくの中での
happyneetを守りながら、
周りから見て「働く」ってことを
少ないですけど、オフラインで始めました。

自分の心が許す限り
資本主義に寄った形で、
これまた、ぼくの中での
happyneetを守りながら、
新たにオンラインでの活動を始めました。

以上が、ノートについて、です。

ここからは、
継母(はは)の四十九日について、書き残します。

2012年1月の下旬に、
継母(はは)の四十九日の法要が行われました。

継母(はは)の四十九日を通じて、
人の心は、本来「0」「1」のように
一気に白黒がハッキリとつくようなものではなくて、
緩やかなグラデーションのようになっていると感じました。

継母(はは)の四十九日を迎えるまでの間、

(「いっぺんに抱えるのが精神的に大変なことに対して、
  いきなり白黒を付けると心の負担が大きすぎる」
 ということを、人は、昔から感覚的に知っていたんだなぁ。

 人が亡くなってから四十九日の間は、
 現世への余韻や名残だったり、
 人が先祖になるまでの
 人が神様・仏様になるまでの
 サナギのような期間なんだなぁ)

こんな風に想いながら過ごしたことを思い出します。

四十九日の法要を終えて
継母(はは)の遺骨を納骨したので、
継母(はは)は、先祖になりました。

(これからは、毎年、
 特に、お盆に会うんだろうなぁ。
 お盆を迎えると、心の中で会うんだろうなぁ)と、
思っています。

以上、
心の一つの区切りとして、
このブログ、この記事にも、
「継母(はは)の四十九日」について、
書き残させていただきました。

「手根管症候群・ノート・継母(はは)の四十九日」と、

2012年1月の
ぼくの人生の大体の感じを
お伝えさせていただきました。

それでは、
Amazonから発送された商品を、
出来る限りで報告させていただきます。

【2012年1月Aamazon紹介料】
−−−−−−−−−−−−−−−−−
 発送済みの商品数:6点
(紹介率 3、50% 一定個数を増えるとUP&1ヵ月ごとにリセット)
 総売上:¥20,275-
 紹介料:¥710-
−−−−−−−−−−−−−−−−−

ぼくに「¥710-」入ります。
(入金されるのは数ヶ月後みたいです。
 「¥5,000-」を越えるごとに入金されるようです。)

ぼくに紹介料が入る形でのWebショッピング、

「MHP2やこのブログなどを通じて
 お互いの人生がクロスしている時で、
 気が向いたら…、タイミングが合ったら。」

後腐れナッシングな距離感だと、
お互い気ラクで自然かと思います。

このブログを通じてのAmazonでの買い物、
「どちらさまが購入されたか分からない」
この仕様にも助けられています。

2012年1月中に
ぼくに紹介料が入る形で品物を購入いただいた方へ、商品を通じて、
「happyneet selection(仮題):2012年1月」
計1ページでリアクションしています。

以前、
このブログ経由で注文された後で
このブログ経由以外で購入&発送した形になった品、
あるみたいです。

セレクトショップでのリアクションコメント、
「happyneet selection(仮題)」

「このブログ経由で
 購入がなされたのかをチェックするスペース」

この形としても活用していただけると幸いです。

PCでこのブログの内容を確認された時に、
『「右カテゴリ欄の最上段にある」リンクで
 1.Amazonを開く。
 2.欲しい商品を注文。
 3.購入。』
この流れを一括で行うとO.K.みたいです。
(その他にもO.K.な方法もあるかもしれません)

それでは、
「2012年1月の
 ぼくの人生の大体の感じ」を
書き残してから日を置いて(「注意の切り替え」をし)、
入っていきますベストショットコメントのコーナー!

ベストショットコメントとは、
「その場・その時・その瞬間で
 ファーストインプレッションを重視した
 リアクション群から書き手独自の感覚で
 (ベストだ!)と感じた対象コメント」のことです。

行っている理由は、主に「ぼくが楽しいから」です。

と、いうわけで、以前、
自分で書いたリアクションコメントを読み返してきますっ!

<自分で書いたリアクションコメント(1月分)を読み返し中>

5分ほどで読み返し完了っ!!

(意味不明だ、この人)

全体を通じて思ったことです。
(何この過去の自分に対して持つ意味不明感…)。

っと、
話を戻して
ベストショットコメントを発表しますっ!

…ドロロロロロロロロ…
(劇場のような閉鎖空間が突如暗闇になり、
 会場内に響くティンパニ音を聞く感じで)

「Canon フラッドベッドスキャナー CanoScan LiDE210 A4対応 CISセンサー 4800dpi RGB3色LED搭載 USBバスパワー対応」

コチラっ!!(ババァン!!)

選定理由は、
「『どんなスタンドだよ!!?』と
 リアクションコメントに対して
 時を越えて鼻で笑いながら
 セルフツッコミをしたから」です。

セルフツッコミ繋がりで、

「HELLY HANSEN(ヘリーハンセン) ネックウォーマー HY91819 BR/ブラウン」

『ネックだよ!!
 レッグだと足になっちゃうよ!
 おれは草食動物じゃないよっ!!』

この場を借りて、
過去の自分のリアクションコメントに対して
ツッコミを入れさせていただきました。

「草食動物じゃないよ!」が
ツッコミではなくボケ寄りの意味不明発言であることは、
(良いかどうかは別として)ぼくの個性によるものです。

以上、
『選ばれたからと言って、
 特に何があるというワケではない』
ベストショットコメントのコーナーでした。

っと、
ぼくのリアクションコメント、
当たり外れ(幅やタイミングも含めて)あると思うので
「期待すること自体を控えて」いただけると、
お互い平和でいられると思います。

日頃から暖かく放置していただき、ありがとうございます。

このブログを通じ、
商品を購入していただき、ありがとうございました。
お読みいただき、ありがとうございました。

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はじめに読んでおくと平和です
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