本日はとっても分かりづらい話。

自分自身の劣等感が分かり、
クリア出来たとしても、実は、
自我の再生は終わりじゃないんだよね。
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次に対策を打つのは、
自分のこころの中に存在を許している「擬似裁判官」

ジャッジする仕組みが、こころにこびりついている。
心の中心に「劣等感が満足するようにジャッジする」存在を置いている限り、
また行動が元の通りになってしまう。

最初のコンプレックスになった出来事は、
その時点だけで、取るに足らないことだった可能性もある。

そこから、その基準に沿って生きようと
自分で勝手に自分の人生の運転席に「擬似裁判官」をおいて
善悪をジャッジをさせている。
つまり、出来事の判断を怠けている状態になっている。

これは、己の劣等感を満たすためだけにいる存在で
本当の自我じゃない。

自分が自分でなく、「擬似裁判官」を置いた理由は
嫌われたくないという「恐れ」。
間違ったらどうしようという「恐れ」。

幸せになる人生の邪魔を実は、擬似裁判官はしている。
最初の基準のジャッジはそれでも、それ以後は全部判断が間違えてる可能性があるから。

だから、
こころの中に、その劣等感の基準に基づいた裁判官がいる状態では、
幸せでない、さみしい状態になる。
なぜなら関係する人すべて、
自己の劣等感を満たす、本来の自分ではない擬似裁判官に
すべてのジャッジを手渡してしまっているから。

だから、裁判官には退出していただいて、
そこに、元々いたはずの怠けた自分を座らせる。

「ありがとう」「愛しています」「許します」「うれしい」「愉しい」
「ついてる」「幸せ」「感謝します」

そうした時に、こうした呪文を唱えます。
感情は入らなくていいので、何度も何度も。

逆のケースもあります。
今の自分に納得いかなければ、呪文で真の自我を強くする。

いくらか唱えてくると、涙が出てくるかもしれません。
でもそれが、自我が帰ってきたところ。
定着するように、精一杯抱きしめてあげてください。
もう、大人なんですから、きちんとガードができますね。
だから、傷つくことはないんです。
自分を好きになってください。

そうすると呪文の言葉がそのうち溢れてきます。
周りに使います。いろんな人との関係性に変化が現れます。

私は、そのころのあなたに会ってみたいです。