演じない心

〜演技取扱説明書〜

30.役の感情 (エチュード「罪悪感と怒り」その1)

前回までに説明した練習法「感情の解放」はきわめてプライベートな感情を扱った訓練だが、俳優は「役」の感情についても自分の感情として扱えるようになる必要がある。

それを学ぶ為の短いストーリーを用意した。強い感情が必要になるワンシーンだ。何回かに分けてこのエチュードを考察していく事にしよう。

エチュード 「罪悪感と怒り」

Aは二日前に、交通事故で恋人を失った。原因は恋人のバイト先の先輩であるBの運転ミスによるものだった。Aも、かつてそこでアルバイトをしたことがあり、Bのことは良く知っていた。当時のBは、やたらといばるイヤなタイプの男だった。しかしBは事故に対する罪悪感とやむにやまれぬ思いから、なんとかAに謝りたいと思っていた。

Aのアパート。Aはテーブルに向かい、恋人との思い出の写真を眺め、何かを思い詰めている。突然、チャイムが鳴る。ドアを開けると、Bが立っている。Bは何かを言いたいのだが、言葉が出てこない。やがて深々と頭を下げる。

           短い間

A/……悪いけど……帰ってもらえませんか………

           短い間

Bはさらに深く頭を下げる。

A/…聞こえねえかな………帰れっていったんだよ…… !

           短い間

Bはいたたまれぬ思いで顔を上げ、何かを言おうとする。

A/(相手の言葉をさえぎり)出てけっていってんだよ!!

Bは再び頭を下げ、力なく帰っていく。

短いが緊張感の強いシーンだ。1分50秒から2分ほどで演じると良いだろう。初心者用のシーンなので細かい役作りはいらない。登場人物の性格や話し方、クセなどは演者自身のままで良い。

A、B、どちらの役も強い感情が必要だ。中途半端な感情で、雰囲気だけそれらしく演じる事は簡単だが、それではこのシーンに必要な生活感、緊迫感は実現しない。俳優の役目はシーンの筋書きを伝える事だけではない。登場人物の生々しい心の動きが観客に伝わる事で、初めてシーンはリアリティを持ち、観客の記憶に焼き付くものとなる。その為には演者は役の感情を理解し、それを自分の感情として感じていく事が必要になる。

しかし、初心者の多くは確かな実感のないまま、セリフや行動のうわべをなぞるような軽い表現をしてしまう。演技がうまくいかないのは、このなぞり方が悪いのだと誤解する者も多い。だが、表情や間のタイミング、セリフの言い方をいくら工夫しても問題の解決にはならないだろう。問題はシーンを信じていない事にあるからだ。
信じるという事は、表層の意識で「そのつもり」になるという事とは違う。信じるとは潜在意識も含め、意識全体でシーンを現実の様に捉えるという事だ。
しかし、この短い場面のみにいくら意識を集中させても、シーンを信じる事は出来ないだろう。シーンの背景にある、過去の様々な出来事 ( 登場人物の記憶 )が、潜在意識に存在しないからだ。
わかりやすく言えば、このシーンで表現される感情は、このシーンのみによって生まれた訳では無く、過去の様々な経験に影響されているという事だ。したがって、演者はこのシーンに到るまでの登場人物の過去の出来事に集中する必要があるのだ。
とはいえ、登場人物の過去の人生すべてを把握する事は不可能だ。このシーンに関係の深い記憶をいくつか選り分ける必要がある。
例えば、Aを演じるのであれば、
「恋人との出会い」「恋の始まり」「二人の楽しかった思い出」「死んだ恋人との対面」等の記憶があれば良いだろう。
これらは台本には書かれていない物語だ。そして、それを創造するのは作家ではなく俳優なのだ。シーンのクオリティはこの創造にかかっていると言っても過言ではない。
演じるシーンに関係の深い「役」の記憶を明確にし、そこに集中する事は役の心の理解を容易にするだろう。そして、その記憶の中で一番感情の強い思い出を実際に稽古場で再現する事も重要な稽古となる。つまり、「役」としての「感情の解放」を行うのだ。
例えばAの場合、死んだ恋人と対面する場面を実際に演じてみよう。そのシーンの中で本当の感情を感じ、表現する事が出来れば、演者の役に対する理解と自信は飛躍的に向上する筈だ。このような作業を経て、俳優は「役」に魂を吹き込んでいくのだ。
こうして初めて、俳優は役の人生を自分の人生のように感じる事が可能になる。そして、その実感と共に本シーンに挑んだとき、演者は自分の心の流れが自然で無理のない状態になっている事に驚くだろう。
このようにして、シーンはリアリティのあるものとなるのだ。

シーンをいかに上手く演技するかという事にばかり気を取られ、シーンの背景に潜む、より重要な事柄をおろそかにしてしまい、その為にシーンのリアリティを実現出来ないという事は、演技に於いてよく起こる間違いだ。
俳優は与えられたセリフを読むだけの受け身の存在ではなく、台本に書かれていない広大な物語を自分のイマジネーションで創造していく、クリエイティブな存在であるという事は覚えておくべき事だろう。

次回もこのエチュードを考察していく。

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29.勇気 ( 感情の解放 その2 )

人に演技を教えていると、「十年以上、涙を流した事が無い」という人が多い事に驚かされる。これは男性に多い。
一方、ほんの少し意見されただけで、すぐに泣きべそをかくといった、幼児的な感情に執着している人もいる。こちらは女性に多い。
感情を完全に無いもののようにしたり、屈折した利己的な感情に執着する事は、どちらも感情を抑圧している事がもたらす現象と言える。自然で素直な感情のあり方を忘れてしまっている人が多いのだ。
男女に違いがあるのは、社会が女性の感情表現に対して比較的、寛容である為だろう。

このような心を抱えている人は、自分の心のあり方がどこか間違っていると感じている場合が多い。しかし、なす術を知らない為に諦めているのだ。

自分の感情を抑圧しているという事は、あるがままの自分を隠し続けているという事だ。それは自身に潜在する力を発揮出来ないという事でもある。
「感情の解放」の訓練は、習慣化された抑圧を解き、本当の自分自身を表現する為の第一歩だ。
この訓練を通して、自身の表現力、演技への理解を飛躍的に深める者は多い。感情と共に起こった自分の振る舞いが、何かをなぞったものではなく、真に自分の内面から沸き上がったものである事を実感する為だ。それは表現の本質に触れた事を意味する。
しかし、一方で「感情の解放」の訓練をなかなかクリア出来ず、成長を足踏みさせてしまう者も少なくはない。
そういった人は、自分が何故出来ないのかを冷静に解析する必要があるだろう。

この訓練を困難にする要因を挙げていこう。

まず、自分が選んだ過去の思い出が題材として適切では無い可能性もあるだろう。思い出しやすい題材を選んだつもりで、かえってその事が訓練を困難にしている事はあり得るのだ。
思い出す事に抵抗を感じるような題材の方が功を奏す場合は多い。そういった記憶は心に圧力を生み、本当は解放されたがっているからだ。
題材はよく吟味して選ぶべきだ。演技教師についている場合はアドバイスをもらい、適切な題材を選ぶと良いだろう。

「緊張」が訓練の弊害となっている場合もある。
「感情の解放」の訓練の際、心身の緊張は取り除いておく必要がある。緊張が感情の通路を狭めてしまう為だ。訓練の前に十分なチューニングを行い、心身をリラックスさせておこう。また、この訓練に特別な心持ちはいらない。遊び半分では良くないが、そうでないなら出来るだけ平常心で行う事が望ましい。深刻にならず、失敗を恐れずに挑む心が必要だ。

感情を直接的に操作しようとして失敗する者も多い。
「感情の解放」の訓練の目的は真の感情の実現だ。身体の反応で言えば、表情や発声の変化、溢れる涙がその証明となる。その為、なんとか感情的になろうと身体を力ませたり、心の状態を変える事にやっきになりがちだ。
しかし、感情が生まれる為には、その理由が必要だ。ただ泣こうとしても泣けるものではない。もし泣けたとしても、その感情は作為に満ちており、自然な感情とはほど遠いものだ。この訓練で集中すべきは感情ではなく、感情の理由の方だ。
その為に「感情の解放」の訓練では、思い出す事に重点が置かれている。まずは環境から思い出し、最終的にはその時の感情の訳、理由を心に蘇らせるのだ。
感情の記憶は環境の記憶、つまり「五感の記憶」と深く結びついている。思い出の音楽を聴くと当時の感情が蘇るといった体験がある人は多いだろう。それは過去の「感覚の記憶」が再び感情を刺激する為だ。「感情の解放」の訓練では、記憶の持つそのような性質を利用するのだ。
したがって訓練の間、感情に気をとらわれる事無く、純粋に環境を思い出す事が良い結果につながるだろう。当時見た、小さな壁のシミひとつを思い出す事で感情が沸き上がるという事はあり得る事だ。
思い出す行程の中で、感情に刺激が起こっても、まだ感情に集中するべきではない。他にも思い出せる事柄が残っているかも知れないからだ。涙が流れたなら流れるにまかせ、感傷的にならずに冷静にその現象を受け止めれば良い。それよりも数多くの記憶の断片を掘り起こし、心の圧力を高めていく事の方が重要だ。感情の実現を目的とした訓練で、矛盾した考え方に思えるかも知れないが、記憶を明確に出来れば、感情は起こっても起こらなくても良いといった姿勢で訓練に臨むべきだ。そうすれば感情は必ずやって来る。
思い出せる限りを思い出し、内面の圧力が高まりきったところで一気に感情を解放する事が、この訓練のコツとも言えるのだ。

上記した要因が引き起こす問題は、理解さえすれば解決は難しいものではない。やっかいなのは次に記す要因だ。

それは心の奥の強い感情を解放する事に対する恐怖心だ。
心に仕舞い込んだ強い感情を蘇らせる事に恐怖を覚えるのは異常な事ではない。むしろ自然な反応だ。なぜなら、それは未知の体験だからだ。この訓練のような感情に対するアプローチの結果、自分にどのような変化が生まれるのか予想がつかない為に恐怖は起こる。
まして、稽古場のような人に見られている環境で、極めてプライベートな心の奥をさらけ出す事は日常的な行為ではない。我々はそのような取り組みに慣れていない。
感情の抑圧が感情の成長を阻んでいる事はこれまでに説明してきた。その理屈を理解したとしても、それは思考上の理解であり、いざ体験するとなると、恐怖が完全には消えていない事を実感するだろう。
それは高飛び込みの感覚に似ている。飛び込み台から10メートル下のプールに向かって飛び込もうとする時、それが初めての体験なら恐怖を感じない人はいない筈だ。身体を真っすぐにして足から着水すれば安全な事は頭では理解出来る。だが、恐怖が消える事は無い。
この問題を解決出来るのは意志の力だけだ。絶対に飛び込んでみせるという強い意志だけが恐怖に打ち勝つ。
演技の場合も同じだ。
恐怖がささやく弱音に耳を貸し、心が折れてしまう事を阻止出来るのは、絶対にやり遂げようとする意志の力だけだ。
逆に言えば、強い意志があれば「感情の解放」は必ず達成出来るとも言える。それは難しい事ではなく、誰でも実現出来る事なのだ。強い意志、つまり「勇気」があれば。

感情を抑圧したまま、感情を成長させる事無く生きる事はたやすい。しかし、そのままでは演技の成長も無い。俳優の訓練は、その人の勇気が試される事の連続とも言える。だが、それは人間なら誰しも持っている心の力だ。
演技に特別な能力はいらない。「才能」という概念すら、持つ必要も無い。必要なのは「意志」の力なのだ。

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28.感情の解放

子供の頃の強い感情の体験はその後の人間性の形成に大きな影響を与える。特に心の痛みを伴ったネガティブな感情体験は、その人の考え方に偏見や決めつけを生み、偏らせる大きな要因の一つとなる。

例えば、ある子供が道端に捨てられている子猫を見つけたとしよう。子供は一目で子猫を好きになり、拾って家に持って帰る。しかし親に見つかり、再び捨ててくるように言われる。子供は泣きながら子猫を捨てに行くといったことはあり得る話だ。
この時、子供の心は傷を追う。その痛みは感情の記憶として潜在意識に刻まれる。
このような体験があと数回続けば、その子が他者を愛する事を恐れはじめるのに充分だろう。愛する事は心に苦しみを生むという事を無意識に学習してしまう為だ。そうして、その時感じた苦しみまでも鈍感にし、封印してしまう。
こうした人は大人になっても他者を愛する事に躊躇を示すだろう。車や服など、モノを愛する事は出来るが、意識を持つ者に対しては愛を開放出来ないのだ。そして、本人はその事に気づいていない。

これは「感情の抑圧」が起こる過程の一例だ。これに似た事は多くの人に起こっている。ネガティブな感情の体験により、人は少なからず自分の感情を抑え込んでいる。
この「感情の抑圧」が演技の大きな敵の一つである事はこれまでに説明してきた。
感情は俳優が使いこなすべき主要な道具だ。俳優は自己の感情の縛りを解き、抑圧を知る前の子供のような自由な感情を取り戻す必要があるだろう。

その為に行う、重要な訓練がある。「感情の解放」と呼ばれている訓練だ。
これは、子供の頃のつらい感情の記憶を元に、そのストーリーの中でも最も感情の強いワンシーンを稽古場で再現するという練習課題だ。
今回はこの訓練について説明していく。

この訓練を行う者は、まず訓練の材料である子供時代の思い出を決める。怒りや悲しみ、孤独感などの、強いネガティブな感情が伴った体験の記憶だ。ポジティブな感情体験はすでに解放されているので、この訓練の材料にはふさわしくない。
なるべく昔の思い出が良いだろう。少なくとも、成人してからの記憶は避けるべきだ。その出来事があってから、自分の中で何かが変わったというような、感情形成の分岐点と言えるような記憶が望ましい。また、その感情が自分の利己心から引き起こされた、わがままな感情ではない事も重要だ。
思い出が決まったら、次にそのストーリーの中から最も感情の強いワンシーンを抜き出す。先ほどの子猫を拾った子供の例であれば、泣きながら子猫を捨て、別れを告げるシーンがそれにあたるだろう。

この訓練の肝心な点は、上手く演技する事ではない。それよりも、どれだけ詳細に思い出せるかが鍵になる。

訓練を始める前にチューニングを行うと良いだろう。( 11.12.チューニング )心身をリラックスさせ、感情の流れをスムーズにする為だ。
チューニングを終えたら、眼を閉じたまま、記憶を順を追って思い出していく。思い出していく行程では、まだ感情に集中する必要は無い。

思い出す手順はこうだ。

記憶の中の自分が座っているなら座り、立っているなら立つ。
思い出の自分と同じ姿勢、ポーズをとろう。
その時の身体の大きさを感じていく。
その時着ていた服装を思い出す。柄、デザイン等、詳細に思い出す。そして、その服を着ている感触を感じていこう。
季節を思い出し、感じていく。
次に音に集中する。その時、どんな音を聞いていたか、落ち着いて集中し、思い出す。そして聞いていく。
匂いの記憶があるなら、匂いも感じていこう。
前方に何が見えていたか、眼を閉じたまま詳細に思い出し、見ていく。次に右、左、後方と実際に顔を向けながら思い出し,見ていく。
相対している人物等( 先ほどの例では子猫 )がいる場合は、その人物の服装や髪型等も丁寧に見ていく。相手の表情や振る舞い、何か喋っているなら声や言葉を明確にイメージしていく。
ここから、その時の自分の心を感じていく。何を感じ、何を我慢していたのか。何を望み、何を訴えたかったのか。悲しかったのか。怒っていたのか。寂しかったのか。その時の感情を強く感じていく。
眼を開け、その時と同じように行動し、喋り、感情と共にシーンを再現していく。
シーンを終えても、集中は解かず、再びシーンを繰り返す。しかし,今度はその時に本当に訴えたかった事、その時の本音を、相手の人物や動物、あるいは自分に向かって吐き出していく。
全てを訴えきったら、残っている感情を感じながら泣いていく。声を出して、子供のように泣きながら、ありったけの涙を流していく。
感情を出し切ったら、深いゆっくりとした呼吸と共にリラックスしながら集中を切ろう。以上で訓練は終了となる。
心の底から湧き出た本物の感情、本当の涙の実現が、この訓練の成功の証明となる。

この訓練は、知識を持った教師の指示の元で行うのが望ましい。そういった環境が無い人は、少なくとも訓練を冷静に観察している第三者が必要だ。演技初心者はまだ感情に慣れていない為、異常に身体を緊張させてしまうことが多い。その影響でまれに起こる身体の異変等、不測の事態に対処する為だ。

なかなか上手くいかない人もいるだろう。強い感情に対する無意識な抵抗が緊張を呼び、涙を阻む為だ。だが、成功を望む意思があるのなら、諦めずに訓練を続けるべきだ。無意識な抵抗は最後には必ず根負けするからだ。
「感情の開放」は、上手くいった時は俳優の演技観、人生観までもより良く変えてしまうパワフルな訓練とも言える。
そういった者にとってはこの訓練以前、以後では違う自分を感じるだろう。
感情に対する偏見や執着、過去の出来事によるトラウマが消滅した事を感じる為だ。
注意深い人は過去の出来事で感じた感情と、訓練で感じた感情の質の違いに気付くだろう。子供のとき、とても苦しかった感情を再現した筈なのに、何故かそこに苦しみは無く、ある種の爽やかさを感じるからだ。それはその感情が「他者に対する共感」という形をとる為だ。
例えば、子供の頃の悲しみの感情を俳優が再現するとき、それは「過去の自分に対する共感」という形になる。悲しみの感情は質を変え、「他者への悲しみ」すなわち「哀れみ」に変わる。過去、誰にも理解される事が無かった感情を、現在の自分が理解し、共感する事こそ、この訓練の真の意義だ。

大人の自分が、タイムマシンに乗って過去に戻り、子供の自分を励まし、理解してあげられたらどんなに良いだろう。
「感情の解放」は、まさにそのような意味を持つ訓練だ。

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27.俳優的感情 その2

前回に続いて、俳優と感情の関わりについて考察していく。

人間的感情は、「喜び」等のポジティブなものだけではなく、「怒り」や「哀しみ」等、我々の悩みの元となるものも多い。
感情を自我の発達とともに生まれた、自己中心的なエゴイズムの産物と捉える事も出来る。また、多くの者は、程度の違いはあれ、辛い感情の体験をトラウマとして抱えている。
それにもかかわらず、本能的感情 ( 情動 ) は、やがて人間的感情へと成長していく。そこにはどんな意味があるのだろう。

この問題を考える時、考察の仕方としてアンビバレントなものの捉え方が役に立つ。アンビバレントとは「両極性」を意味する。
性に男と女があるように、世界に昼と夜があるように、どんな事柄にも両極のあり方が存在する。感情に自己中心的というネガティブな一面があるのなら、その対極のポジティブな面もあるはずだ。
ここで感情の代表格でもある、「喜怒哀楽」を例に感情の両極を考えてみよう。

まず、「喜怒哀楽」の否定的な側面を書き出してみる。

最初の感情は「喜び」だ。
この感情に関しては、誰も否定的には受け取らないのではないだろうか。「喜び」は誰もが望む感情だからだ。しかし、この感情にもネガティブな側面がある。「喜び」を「優越感を満足させる為の感情」と捉える事も出来るからだ。それは、エゴイズムを助長し、「自惚れ」を誘発する。感情の根幹に「利己心」がある時、「喜び」は他者と共有出来ない自己中心的な感情となる。

次の感情は「怒り」だ。
この感情に対して、「悪い感情」として抵抗感を持つ者は多いだろう。「怒り」は「憎しみ」を呼び、「暴力」につながる感情だからだ。だが、誰もが内面に抱え「我慢」している感情とも言える。「感情は抑えるべきもの」という観念が生まれる原因となる感情の一つでもある。感情の元に「正義感」が欠落している時、「怒り」は最も危険な感情となるだろう。

次は「哀しみ」だ。
この感情もまた、誰もが持ちたくない感情ではないだろうか。「哀しみ」は心の痛みであり、「苦しみ」へと続く。それは「惨めさ」「敗北感」「孤独」とも関連し、「鬱」の要因となる感情だ。

最後の感情は「楽しみ」だ。
誰もが求めている感情だ。しかし、規制されやすい感情でもある。「楽しみ」は非生産的な感情であり、時には堕落につながる。
「快楽」は「背徳」や「倒錯」へと到る可能性を持っている。
我々は「楽しみ」を強く望みながらも、その反面「楽しみ」に危険を感じ、恐れている。消費社会は人々を「楽しみ」で誘惑し、生産社会は人々の「楽しみ」を規制する。人はその間に挟まれ、この感情を全面的に解放出来ずにいる。

「喜怒哀楽」を、上記のように捉える事も出来る。感情をこのように解釈するという事は、感情を「利己心が生み出す、負のエネルギー」として捉える事であり、このような感情を「利己的感情」と呼ぶ事も出来るだろう。そして、これは特殊な考え方ではなく、感情に対する無意識的な一般通念と言っても良いのではないだろうか。それが「感情は抑えるべきもの」という観念を生む。
この観念が俳優の演技の足かせとなる。感情は「弱み」であり、「見せてはならないもの」「恥ずかしいもの」であるという深層心理が俳優の表現から「自由」を奪ってしまうのだ。俳優は自分の感情に対する観念を見つめ直す必要がある。

ここで発想を切り替え「喜怒哀楽」の肯定的な側面を考えていこう。それは感情の本来のあり方を考察する事でもある。

まず「喜び」だ。
「喜び」という感情が無かったら、人は死を望むようになるだろう。「喜び」こそ、生きる意味であり、生きる力そのものだからだ。「喜び」が成長し、開花する時、それは「歓喜」となる。「歓喜」がわき上がる時、そこには全面的な「生」の実感があり、「生」を否定する心は存在出来なくなる。
「喜び」とは「生きる力」の事だ。

次は「怒り」だ。
「怒り」という感情を知らなければ、人は逆境に立ち向かえない。それはくじけそうな心に必要な感情であり、人は人生につまずき、転んだ時、この感情と共に再び立ち上がる。また、「怒り」という感情が無ければ、世の不正とも、自分の弱さとも戦えないだろう。
「怒り」とは「立ち向かう力」の事だ。

そして「哀しみ」だ。
「哀しみ」を知らない人は人の心が理解出来ないだろう。「哀しみ」は「心の痛み」だ。自分の痛みを知るからこそ、他人の痛みが計れるのだ。人は「哀しみ」を受け入れた時、自分を見つめる眼と、心の深みを知る。命のはかなさを知るのも、笑顔の尊さがわかるのも「哀しみ」という感情があってこそだ。「哀しみ」が成長し、成熟すると、それは「優しさ」へと姿を変える。
「哀しみ」とは「生を慈しむ力」の事だ。

最後は「楽」「楽しみ」だ。
「楽」という感情は俳優にとって特別な意味を持つ。「楽」とは「喜怒哀」をはじめとする全ての感情を楽しむ事の出来る、ひとつの境地の事だ。自分の心から「選り好み」を無くし、経験の全てをポジティブに受け入れる心。喜びのみに固執する事無く、怒りも哀しみも大事な感情として「楽しむ」心。
それは俳優が目指すべき到達点であり、俳優に限らず全ての人の「幸福」のヒントになり得る心のあり方とも言えるだろう。

以上のように感情を理解した時、初めて感情が「力」である事に気が付くはずだ。感情は「弱み」では無く、人間に無くてはならないパワーなのだ。感情は理解の仕方、扱い方によって「弱さ」にも「強さ」にも変わる。感情を肯定的に受け入れ、それを正しく使う意思を持った時、「利己的感情」は質を変え、再び成長を開始する。その感情を、ここでは「俳優的感情」と呼ぼう。そして、全ての感情は成長し続け、最終的には「愛」に至るのだと筆者は信じる。

「経験」とは「感情の記憶」の事だ。そして全ての経験は財産になり得る。良い事も悪い事も、思い出したくないような事さえ、俳優にとっては大事な学びであり、真の財産だ。そして俳優は「台本」を通じ、自分の人生だけでは知り得ない、新たな感情さえも学んでいく。豊かになった心から感情は溢れ出すだろう。豊かな表現はそうして生まれるのだ。

版画家の棟方志功は、自らの仕事「版画」を評して、こう記した。 棟方3
 


驚いてもオドロキきれない      
喜んでもヨロコビきれない
悲しんでもカナシミきれない
愛してもアイシきれない
それが版画です。





最後の一行、「版画」の文字を「演技」に変えた時、それはまさに俳優の銘となる。

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26.俳優的感情 その1


引き続き、感情について考察していく。

前回でも説明したが、我々の感情の元にあるものは本能と直結した「情動」と呼ばれるエネルギーだ。
赤ん坊が泣くのも、春先に聞こえる猫の鳴き声も、フラミンゴのダンスも、オオカミの遠吠えも、すべて情動の為せる表現だ。
この情動と呼ばれるエネルギーは、人間の大人でも感じる事が出来る。ダンスミュージックのビートを聞いて身体を動かしたくなったり、祭りに興奮したりするのは、情動が活性化する為だ。その時、自分に起こっているエネルギーに注意を向ければ、喜怒哀楽といった種類分けされる前の、原始的な感情に気付く事が出来る筈だ。
情動は「本能的感情」と言い換えても良いだろう。

我々の情動、つまり本能的感情は知性の成長に伴う形で、喜怒哀楽、その他多くの感情へと種類分けされていく。動物にも喜怒哀といった感情はあるが、種類の多さでは人間の比では無い。したがって、そういった感情をここでは「人間的感情」と呼ぶ事にする。
「人間的感情」は知性によって作り出される。知性が自分に起こったストーリーに応じて、「これは喜ぶ事」「これは悔しがる事」「これは怒る事」と解釈する事で「本能的感情」のエネルギーは「人間的感情」へと変化していく。
この時,重要なのは知性が何を「基準」にして感情を解釈するかだ。ここで言う「基準」とは、解釈の元となる、ものの考え方、捉え方の事だ。具体的に言えば、その人の持つ「利己心」「劣等感」「自尊心」「倫理観」「正義感」「死生観」「宗教観」等が解釈の基準となり、感情を決めるという事だ。これらは「情動」と「感情」の間に置かれたフィルターのようなものだ。
例えば、人生に起こったストーリーの解釈に「利己心」を基準にするか「正義感」を基準にするかで、その後に生まれる感情の種類は違ってくる。また、感情の種類が同じだったとしても、感情の持つパワー、人に対する影響力等、質が大きく違ってくるだろう。

感情は本来、パワーを持っている。何かを人に訴えかける時、真心を込めてものを言う場合と、原稿を棒読みする場合では、その影響力は天と地の差が出るだろう。「真心を込める」とは「真の感情を込める」という事であり、それは表現を飛躍的にパワフルに変える。俳優はそのパワーを使うのだ。
ところが未熟な感情はパワーを持たない。それどころかマイナスのパワーとして演技に逆効果をもたらす。これは感情を扱う俳優にとって、やっかいな問題だ。

「利己心」「劣等感」「優越感」等、自分中心の基準が基本となっている人の感情は未熟な感情だ。そういった感情は、その人の人間性の成長の助けになり難いばかりか、人からも共感を得られない。それは、「間違った正義感」「間違った哲学」等を基準にしているときも同じだ。
そういった感情は俳優の演技の助けにならない。それらの感情のベクトルは自分へと向かい、観客の心に届く事は無いだろう。
しかしながら、そういった感情を抱えている者は多く、「感情とは自己中心的な心」と無意識に定義してしまっている人も多い。
そういった感情に対する捉え方が「感情は抑えるべきもの」という観念を生み出し、自分や他人の感情に振り回された人生経験も手伝い「感情」=「悪いもの」という決めつけにつながっていく。特に「怒り」や「悲しみ」といった感情に対して、その傾向は強いだろう。
また、感情を人間にとって大事なものと思っている人も、心のどこかで「感情は抑えるべきもの」という観念が同時に存在し、二つの観念が対立を作っている可能性は十分にあるだろう。

そもそも、なぜ人間には感情というものがあるのだろう。

生命は不思議な現象だ。成長する肉体、成長する知性、成長する感情。自然は我々にこの三つを与えてくれた。肉体と知性の重要性はわかりやすい。しかし、感情の重要性となると雲をつかむようで、実感として捉えにくい事であるのも確かだ。本能的感情である情動が重要である事は、理解しやすい。それは危険を感知したり、食欲や性欲等を減退させない為等、本能と生活をつなぎ止める役割として大事なものだ。
それが人間的感情へと成長する事にも、何か重要な意味があるのだろうか。
そして、俳優は感情をどのように捉えていくべきなのだろう。

次回はこの問題に関して考察していく。

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