2013年07月: 医の言為るや意なり  − 心と技の医療を求めて −

2013年07月

2013年07月02日

  昨年から息子はK式の教材で英語を学びだした。
  英語は中学からでよい。先ずは日本語をしっかり学べという両親の意志は、小学校で始まった外国語指導助手 (ALT)による授業中、ついていけなくて呆けた顔をしている息子の様子を観て簡単になえてしまった。しかも、習い事嫌いの息子が、なぜか英語は学びたいと言う。
  学びたがった理由は教材を見て納得した。ペン型の再生機は、教材のプリントにあてるだけでネイティブイングリッシュを喋ってくれるのだ。機械好きの息子にはたまらないだろう。プリントを見て、発音をまねるの繰り返しだが、数か月もすると発音もきれいになり、聞き取り能力もアップしているのが、傍目にもあきらかだった。
  羨ましい!
  俺の子供時代にはこんな教材なかったし、せいぜいリンガホンくらいだったよなぁ。と、感心することしきりである。だがちょっと待てよ。本当にこれでいいのだろうか?便利で効率的に学習できるのはありがたいことだと思うけど、大切なことが抜けてる気がする。


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  そんなことを考えていると、苦労した先人のことが思い浮かんだ。
  江戸時代の杉田玄白である。
  ドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスの医学書"Anatomische Tabellen"のオランダ語訳『ターヘル・アナトミア』を江戸時代の日本で翻訳した人である。
  1771年、蘭方医の杉田玄白・前野良沢・中川淳庵らは、小塚原の刑場において罪人の解剖を見学した。玄白と良沢の2人はオランダ渡りの解剖学書『ターヘル・アナトミア』をそれぞれ所持していた。実際の解剖と見比べて『ターヘル・アナトミア』の正確さに驚嘆した玄白は、これを翻訳しようと良沢に提案する。かねてから蘭書翻訳の志を抱いていた良沢はこれに賛同。淳庵も加えて、翌日の3月5日から前野良沢邸に集まり、翻訳を開始した。
  当初、玄白と淳庵はオランダ語を読めず、オランダ語の知識のある良沢も、翻訳を行うには不十分な語彙しかなかった。オランダ語の通詞は長崎にいるので質問することも難しく、当然ながら辞書も無かった。そこで、暗号解読ともいえる方法により、翻訳作業を進めた。そして、1774年『解体新書』を刊行するのである。


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  語学の知識も少なく、辞書もない、教師もいない、難解な専門書。これだけ悪条件が揃うなか、よく翻訳して出版しようなどと考えられたものである。お仕着せの語学教材で指示通りにこなすだけで楽々学習できてしまう今とは大違いである。しかも勉強が即、実用書の翻訳である。ハロー、ハウアーユーを繰り返すのとはわけが違う。
  逆に言えば、なんにもないからこそ、少ない情報に食らいついていくしかなかったのだろう。その未知のものに挑む勇気と創意工夫する力は感嘆に値するものがある。

  そう、今の学習に抜け落ちてる大切なこととは、まさに未知のものに挑む勇気とか
創意工夫する力なのだ。息子の英語は数年もすれば、かなりのものとなり、TOFELで何点とったなんて自慢するようになるかもしれない。でも世の中に出て必要なのは、未知のものに挑む勇気や創意工夫する力であり、そのための補助として語学能力があったほうがいいということなのだ。

  だがさて、未知のものに挑む勇気や創意工夫する力を教育することはできるだろうか?
私が不安を覚えたお仕着せ教材では、すくなくとも創意工夫する力は必要ない。それは英語でなくても他の経験や勉強で苦労すればとも思えるが、すべてが益々楽に勉強ができる方向になるものばかりなのだ。学生たちは辞書も引かず、計算もせず、文章も考えず、スマホから情報をとるのばかり早くなる。能力はあるけれど、未知のものには興味を示さず、臨機応変に欠き、機転が利かない。楽々学習の弊害として、そんな若者が増えていくのだろう。便利さとは人間の進化にとってはもろ刃の剣なのだ。

  さて、うちの息子はどう教育していくか。いろいろ考えさせられる。
でも杉田玄白・前野良沢と比肩するなんて、ちょっと親ばかか・・・。



hariqinhariqin at 13:49│コメント(0)トラックバック(0)院長のひとり言 │