鍼禅の集い

特定の団体や所属に捉われず、 東洋医学や禅に興味を持つ者が横田観風先生の元に集い、 それぞれの学びを深めてゆく。 その活動を紹介いたします。

平成30年4月 「機輪無阻」(きりんむそ)

桜の花びらがチラチラと、風に誘われて大地へと帰ってゆきます。
それに替わり、青々とした葉が出てきました。
春爛漫のつくば研修所です。

この集いにご興味のある方は、参加要項を参照の上、ご連絡を下さい。
また横田先生の講話を『鍼禅茶話』として冊子化したものがありますので、ご覧になりたい方はご連絡ください。

[ 集合 ~ 準備 ]

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今月は12名が横田先生の下に集いました。
先生を始め、古参の方、新しい方、皆さんの協力で成り立っています。

今月から係の変更があるので、皆さん事前練習をしています。

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師から弟子に直に技が伝えられます。

[ 坐禅 ]

直日がたいたお香が匂ってきます。
その中で3炷、計一時間半ほど座りました。

「時々に自分の姿勢が正しいか、力みが無いか確認をすること」と横田先生のアドバイスです。
なかなか自分では姿勢の崩れに気が付きません。

ブログ用に写真を撮らせて頂いていますが、そこに写る自分の姿を見て気付かれた、と言う方もいらっしゃいました。
疲れてくるとどうしても腰が引け、背が丸まり、肩甲骨が前方に出て、顎も突き出してきます。
呼吸は浅く、気は上へ昇ってゆくようです。
そんな時は、一度肩をグッと上げて、ストンと落とすと、姿勢が正せるようです。

しかし、グッと腰を立てても、上腹が固く張って、下腹が膨らまないのも事実です。
それこそ体質が変わるまで、意識的に呼吸をしてゆく必要があります。
何事も継続ですね~。

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[ 茶礼 ]

語らいの時間です。

4月は横田先生の誕生日月ということで典座が特別なスウィーツを準備されました。
しかも手作り。


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見た目はちょっと大人のビターといった様ですが、なんとそば粉を主として作られたそうです。
そこにチョコでメッセージを書かれています。
かわいいロウソクといい、手が込んでいますね~。

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先に発刊された『いやしの道(機関紙)第18号』では横田先生の記事が100ページほど載っているようです。
貴重な臨床録もありますので、先生の世界の一端を垣間見ることができます。
しかし、そこは読み手の力量が問われるところですが、皆さんはいかがでしょうか?
書籍は日本の医学社のホームページで購入することができます。

色々な書物を読み、諸流派の勉強会に参加して広く学んだとして、そこで得られることは真理を言語などで置き換えた、表面的な世界です。
それはそれで必要ですが、理論などを学び尽した上で更に真理の世界へ踏み込み、掻き分けて、奥に広がる世界を体験して欲しいとのことです。
そうすると横田先生(を始め名人と呼ばれる方々)が見ている世界と近しい視点で身体や病を見ることができる、とのお話でした。
表面的な先生のマネ、見える部分のマネをして満足していてはいけませんね!

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風邪の方の治療です。
体調が悪くても研修所まで来て頂ければ、誰かしらの治療が受けられます。
こういった場で得られる知識は、臨床の場ですぐに活用できるものばかりです。

後、日付が変わるまで語らいは続いていたようです。
皆さん工夫の毎日を過ごしてらっしゃいますので、色々な話を聞くことができますよ~。
ただ…飲み過ぎには注意しましょう(:-p

[ 起床 ~ 掃除 ]

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美しい日の出です。

[ 読経 ~ 坐禅 ]

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読経の声は勇ましく、木魚も頑張っています。
まわりもそれにつられてノリノリでお経を唱えます。
…という理想に向かって、練習ですね!

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澄んだ空気の中、板木の音がこだまします。
皆さん上達されたようです。
後は自分で満足する音が出せるように工夫あるのみですね。

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その後約二時間座りました。
疲れた時は自分の姿勢をチェック、です。

[ 粥座 ]

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美味しい粥を頂きました。
感謝です。

[ 作務 ]

枝切りや草刈などをしました。

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電線にかかってしまう枝を切り落とします。
ロープで枝を落とす方向に牽引しつつ、チェーンソーで切り込みを入れてゆきます。
完全に切れなかった枝は皆で引っ張ります。
不思議と皆童心に帰るようです。。。

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いろいろなスキルを持った方がいます。
木を切る、それをサポートする。
他に黙々と枯れ木や草をまとめたり、畑を整備したりして、全体が進行してゆきます。
それぞれが得意なところを伸ばし、不得意な点を他人に学ばせて頂く。
誰に言われるでもなく、自然とそうなってゆくように思えます。

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冬の間にたまった枯れ枝もきれいになりました。

[ 講話 ]

今月は『碧巌録』七十九則から「機輪無阻」という語を引いてお話くださいました。
意味は書籍の注に「回転する車輪のような禅機のはたらきをさえぎるものは何も無い」とあるようです。
「機」は織物を織る機械の意味があり、転じて禅の働きを示すようです。

人生にはいろいろな障壁があると思います。
上手く壁を越えることが出来ずに深く悩み、歩みが停滞していしまうことも多いと思います。
禅はこのような壁を突破するための力を身につける良いき方法かもしれません。

【本則】
 僧、投子(とうす)に問う、「一切の声は是れ仏の声と、是(ぜ)なり否(や)」。
 投子云く、「是なり」。
 僧云く、「和尚、㞘沸碗鳴声(とくふつわんみょうしょう)すること莫れ」。
 投子、便ち打つ。
 又た問う、「麤言及び細語、皆な第一義に帰すと、是なり否(や)」。
 投子云く、「是なり」。
 僧云く、「和尚を喚(よ)んで一頭の驢(ろば)と作(な)して得(よろ)しきや」。
 投子、便ち打つ。
【頌】
 投子、投子、機輪阻(はば)むもの無し。
 一を放って二を得たり、彼(かしこ)に同じく此(ここ)に同じ。
 憐むべし限り無き潮を弄する人、畢竟還(ま)た潮の中に落ちて死す。
 忽然(もし)活せば、百川倒(さかしま)に流れて閙(どう)𣽅𣽅(かつかつ)たらん。

僧は『涅槃経』に書いてある語が真実であるか、投子禅師に質問します。
その度に禅師は「そのとおりだ!」と答えます。
僧はその真意を知ってか知らずか、禅師を小ばかにするようなことを言いますが、禅師はピシャリと一叩きする、という問答です。
僧はまた同じような質問をしますが、最終的には禅師にまた一叩きされて問答は終わります。

禅師はどんな相手が来ても、どんなことを言われても、サラリサラリとそれに応じます。
その働きが「機輪無阻」と賞されます。

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我々の日常ではどうでしょうか。
臨床の中で、軽症の方、重症の方、若き方、高齢の方、初診の方、常連の方、などといろいろな患者さんがいらっしゃいますが、上手く治る場合もあり、なかなか手こずる場合もあると想います。
そんな時、想い悩みを引きずらず、禅師のようにサラサラとやってゆくことができるでしょうか。

鍼でも禅でも、漫然と練習をやっていては、大きな安心に至ることは難しいようです。
ただ症状を軽減すれば良いと考えず、相手の人生にも資するような活動が出来るようになりたいものです。

ちなみに、投子禅師に難癖をつける僧も、悪意があるのではなく、おそらく自身の力量を試し、投子禅師から禅機を学ぶために、意図的にやっているのだろうというお話でした。
境涯の高い者同士の問答なのでしょうね。

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椿と貝母。

[ 斉座 ]

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豪華な斉座です。
コンセプトは「春を食す!」とのことで、テーブルの上が春爛漫となりました。

[ 稽古 ]

少しの休憩を挟んで実技稽古となります。

まずは横田先生の模範実技です。

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モデルは一週間ほど前から発作的に咳き込むようになった、という方です。
昨晩茶礼後にも少々治療がありましたが、再度、皆で診てみようというところです。
特徴的な点として、舌が湿潤して苔が少なく、歯痕があり、舌尖は赤味を帯びています。
膻中付近に邪熱と動悸が見られます。

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先生は淡々と施術をされます。

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手に引き、ノドあたりを捌く。
咳の出所によって、ノドのスジが痛む場所も異なるとか。

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ポイントとなる膻中あたりも鍼をします。
散鍼が非常に気持ちよいとのことです。
場(身体の状態)にピッタリ合った手技なんだと思います。

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季肋や上腹、下腹。

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項や背。

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そして足に引きます。

その後、膻中あたりから二箇所刺絡をしました。

治後、脈がゆったり伸びやかになりました。
また日の光が明るく感じるようになったとのことです。
全身的に邪が去り、気の流れが良くなったことと思います。

先生の施術を頭にイメージしたまま、数人でペアになって稽古をしました。
時間が許せば、横田先生に直接質問をすることが出来る貴重な時です。


[ 反省会 ]

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なんといっても典座さんが頑張りました。
与えられた役割を一生懸命務めるというのはすばらしいことですね。

また三ヶ月ブランクがあると、やはり作法などを忘れ、身体もなまってしまいます。
日々稽古をするということが大事だと強く感じました。

次回は5月5日(土)、5月6日(日)となります。
よろしくお願いいたします。

ご質問などは、こちらまでどうぞ。
harizennomichi@gmail.com

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(文責・石水)

平成30年3月 「超仏越祖」(ちょうぶつおっそ)

研修場所への道すがら、白や薄紅の花が多く見られます。
昔から人々に愛されてきた梅の花が咲く季節になりました。

今月もミニ接心となりました。

[ 坐禅 ]

静かに30分ほど座ります。
正座でも腰を立てれば腹に力が入ります。

[ 稽古 ]

今月も円陣となって総稽古をやりました。

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皆さんのいろいろな課題から多くのコツを学ぶことができました。
学んだことを全てマスターすれば患者さんに非常に喜ばれるところですが、そう簡単にはいきません。
しっかりと復習し、臨床の中で試し、自分のもとのしなければなりません。
また、そうしないと後進の方に、技をお伝えする事もできませんね。

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どうにも人にはそれぞれのクセがあります。
技が上手くゆかない時は、身体のどこかしらに余分な力が入っていたり、姿勢が崩れていたり、スジの位置にズレがあったり、何かしらの理由があるようです。

自分自身を良く観察して、その理由を見出さないと上達は難しいです。
それを気付かせてもらうためにも、この総稽古は非常に有効な方法ですね。

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皆の前で緊張しますが、いつもと違った力が出るように思います。

[ 講話 ]

今月は『碧巌録』七十七則から「超仏越祖」という語を引いてお話くださいました。
【本則】
 僧、雲門に問う、「如何(いか)なるか是れ超仏越祖(ちょうぶつおっそ)の談」。
 門云く、「餬餅(こびょう)」。
【頌】
 超談の禅客問うこと偏(ひとえ)に多し、
 縫罅(ほうか)披離(ひり)たるを見るや。
 餬餅𡎺来(つめこ)みて猶お住(や)めず、
 今に至るも天下に誵訛(ごうか)有り。
とある僧が雲門禅師に「シャカや歴代の祖師達を越えた気高いはたらきとはどんなものか?」 と問いました。
それに対して雲門禅師は「餬餅だ」とだけ答えました。
餬餅とはモチの一種のようです。
さて、サッパリわかりませんね。

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頌の冒頭にあるように、この「超仏越祖」を問う僧はどこにでも大勢いるようです。
そして相対的な区別、優劣や、高低などに囚われて抜け出すことに苦労します。
雲門禅師はワザと、問に関係のありそうな、無さそう答を発して、修行僧を迷わせ、言葉の奥の真理に気づく様、導くのが得意であったとのことです。
ありがたいことですね。

我々であっても生死や病気、虚実や補瀉など囚われのネタには事欠きません。
何か難しい病状に遭遇したとして、何とか理解しようと努めるにあたって、人は自分のメガネ、自分の専門分野や流派、自分が好む考え方に相手を当てはめることが多いと思います。
もっと全体的、全身的、全人的に診た方が良い様です。

時代的な背景はあると思いますが、現代に名を残すような方々は非常に良く勉強をされていたようです。
我々も多くの方を治し、世の中の役に立てるように頑張りましょう、とのことでした。


横田先生の講話を『鍼禅茶話』として冊子化したものがありますので、ご覧になりたい方はご連絡ください。

次回は3月31日(土)、4月1日(日)で通常の接心を行います。
お楽しみに!

ご質問などは、こちらまでどうぞ。
harizennomichi@gmail.com

(文責・石水)

平成30年2月(聞こう会) 「天上人間同陸沈」(てんじょうじんかんおなじくりくちんす)

本日は、『鍼禅茶話』第10巻「113、天上人間同陸沈」(『碧巌録』第七十六則「丹霞、甚霞よりか来たると問う」)についてお話いただきました。

本日の掛軸。
「天上人間同陸沈」
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本日の茶菓子はT先生がご用意くださいました。
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【本則】
 丹霞(たんか)、僧に問う、「甚処(いずこ)よりか来たる」。
 僧云く、「山の下(ふもと)より来たる」。
 霞云く、「飯を喫し了る也未(や)」。
 僧云く、「飯を喫し了れり」。
 霞云く、「飯を将(も)ち来たりて汝に喫せしめし底(てい)の人、還(は)た眼を具せしや」。
 僧、語無し。
 長慶(ちょうけい)、保福(ほふく)に問う、「飯を人に喫せしむるは、恩(ぶつおん)に報ゆるに分有り。為什麼(なにゆえ)にか眼を具せざる」。
 福云く、「施す者と受くる者と、二(ふた)り倶(とも)に瞎漢(かつかん)なり」。
 長慶云く、「其の機を尽し来たるに、還(は)た瞎(かつ)と成る否(や)」。
 福云く、「我は瞎す、と道(い)いて得(よろ)しきや」。
丹霞老師が修行僧に質問をした。「どっから、来たんじゃ?」と。
すると修行僧は素直に「山の麓より来ました。」と答えた。
これは結構上手い言い方。足元を見られないように。
すると丹霞老師は「お前さん、飯を食ってきたか?」と引っ掛けで聞いてきた。
これは油断ならない。ただ飯を食ったのか聞いている訳ではない。
それに対し修行僧は「もうすでに腹一杯食べて来ました」と答えた。
すると丹霞老師は「飯を持って来てお前さんに食わせた人は、見る目があるのかい?」と聞いた。何で飯を食わせただけで見る目があるのか、ここもまた問題。
そしたら、修行僧は何も言わなかった。

これはいろんな風に受けとれる。
本当に飯を食ったかどうかという事は、答える人によってレベルがいろいろある。
修行僧はただ、飯を食ったのかを答えた訳ではなく、修行上の事を聞かれているので、いわゆる「仏飯」と言って、仏の教えをいろいろ教わって悟りを開いていますよ、という事を答えた。

これも問題。だいたい悟りを開いた、と言ったら真理をわかりきっているので、禅の場合は言葉では言わない。言葉にすると違ったものになってしまうので。
普通は言葉を使わないで表現しなくてはいけない。「喝」とかいろんな表現の仕方で悟ったということをわからせる。

この修行僧はそういう事をせず、「飯を食い終わった」と言葉で表現してしまった。一応悟ってはいるけれども、こいつはまだ出来てはいないと見たのか、丹霞老師は、「(修行僧に)禅の指導をした人物は、いったい目があるのかないのか」と聞いた。
この「目」があるかないかも、禅では非常に問題で、認識の世界で見る目があるかないのかというのと、意識しなくても本能的にわかる「眼」というものもある。だからややこしい。どの次元で物を言っているのか。
修行僧が悟ったとお師匠さんが証明したために「飯を食い終わった」のだと言ったと思うが、だがそのお師匠さんが果たして、しっかりした「眼」がある人だったら、修行僧をまだ出来ていないとか、出来ているとかいろいろあると思う。その事を聞かれたこの修行僧だって、答えられなかったのか、あえて言わなかったのか、その辺の問題がある。

口で喋れないものを伝えるというのはある。

その話の後、百年後に長慶が弟弟子の保福に「仏の教えを弟子に指導していくというのは、お釈迦様や達磨の恩に報いる事だが、どういう理由で『眼』が無いと言うのだ?」と聞いた。すると保福は「教える方も弟子も、両方共に盲目だ」と答えた。これは一言で答えを出せないような答え方をしている。
禅の方では、「盲目になれ」と言う事もある。目で見るとか耳で聞くとか、意識をしないでも感じる世界がある。そういうもので感じろと言うこと。
すると長慶は「師匠がいろいろなはたらきを尽くしたのにどうして盲目になるのか?」と言った。これは悟れば本当の「盲目」になるし、悟らなければ物のわからない「盲目」になる訳で両方二通りある。
保福は「自分は盲目と言って良いか」と言った。これは良いとも悪いとも言えない。本当に第三の目が開いている人なら言ってもよいが、「勝手にしろ」と言うのが一番良い答えかもしれない。
大事なのは、禅は人間の認識の世界と、認識を超えた世界の問題だということ。
【頌】
 機を尽さば瞎(かつ)と成らずと、牛の頭を按(おさ)えて草を喫せしむ。
 四七二三の諸祖師、宝器を持ち来たりて過咎(とが)を成す。
 過咎深く、尋ぬるに処無し。
 天上人間(じんかん)同じく陸沈す。
いろいろなはたらきをやり切らないと盲目にならない。つまり第三の目が付かない。そのために牛の頭を押さえて無理やり餌を食わせているようなものだ。
代々、法を継いできた人達が、証明になる物をあげるから咎をなす事になるのだ。
その咎の影響は深くて、尋ねまわったところで実体は微塵も無い。本当の所は言葉で表現できない。
悟りに引っかかって生きている人やまだ悟れないでいる人も皆この生きている世界で沈没している。
本当に自由に生きるとは、そんな所に引っ掛からないで生きているという事。

(以上)

内容の詳細は冊子『鍼禅茶話』をご覧ください。

本文の内容や、会に関する詳細はこちらまでご連絡ください。
 harizennomichi@gmail.com
 
(文責・高橋、石水)
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