最近よく遊んでいる大学時代の友人に断捨離を手伝って欲しいと言われ、気軽に承諾し、炎天下を15分くらい歩いて彼女の住むマンションへ行ってきた。
一人暮らしで、仕事でもプライベートでも忙しい彼女の家は、一見すごくすっきりと片付いていたのだが、チェストやクローゼットの中のルールが非常に曖昧。収納のロジックがないので使い勝手が悪い上に、どこに何があるのかパッと見て分からない状態になっている。
それをどうしたらいいか分からないのでとりあえず物を処分しようと思い、どれを捨てたらいいのか判断が難しいので意見を聞きたいということだった。

整理整頓・収納が大好きな(しかも自分のではなく人の持ち物でそれをするのが好き)私としては、楽勝なお願いに思えたのだったけど、結果的に二人して一日がかりで取り組んだら思いのほかぐったり疲れてしまった。 それでも衣類の半分と大量にあった化粧品(これは彼女の仕事柄どうしても増えてしまうもの)しか手をつけられず。断捨離の予定が、問題はモノの量よりも収納方法にあると判明したので、整理整頓に終始した。

たかがモノ、されどモノ。モノの配置ひとつとっても、モノがひとりでに動くわけではないのだから、持ち主の考えのもとにその場所に置かれているのだ。全てのモノがそうやって持ち主の思考回路、価値観、生活スタイルを反映している。そもそも持ち主であるところの友人に店頭で選ばれ買われた時点で、あるいは貰い物だとしても、それを捨てずにとっておくという選択をされた時点で、友人の内面と強烈に結びついたアイテムになる。一人暮らしゆえに彼女以外にそれに触れる人はほぼおらず、従って彼女の感性と導線に沿ってしまい込まれるモノたち。

それらを全部引っ張り出してカテゴライズし直してしかるべき(と私が判断した)場所へ入れ直していくというのは、彼女の頭の中に入って自分から見て無駄だと思う部分を削ったり、より良いと自分が思う方向へ修正していくような作業。私の主観がものすごく入ってしまうし、数日もすればまた彼女流に戻っていくのだろう、と思いながら作業していた。でもコツを伝授したので、少しは前と違う様子になるかもしれない。

それにしても、誰もが普段からかなり無意識に扱っているであろうモノたちがこんなにも意味を持っているとは。自分だってさほど深く考えず手に入れ、使って、しまって、また出して、場所を移動させているけど、自分がそれを選んで持ってこなければ、家にはないわけで。それほど大事な思い出とつながっているわけでもないモノだって、自分の考え方を見事に表している。モノってそういう意味で重いな~としみじみしてしまった。

実際に重いものを持ち上げたりしたわけでもないのに、すごい重労働をしたような気分になった。思いがけず友人の無意識に持っているであろう考え方や価値観にも、モノとその扱い方を通して触れてしまったわけだし。人を知りたかったら持ち物だけじゃなくその扱い方を、できれば自宅で見ればいいとうことを、今更ながら再認識した。

おもしろいことに家族や元旦那、恋人は、一緒に住んでいるからなのか、改めてそう感じるきっかけにはならず。普段自宅を行き来する関係じゃない人のところへある日行って、チェストからクローゼットから全部開けて中身を出してくるくらいのことをしないと得られない実感なのかもしれない。インパクトの強い体験だった。

自分の持っているモノたちもきっとくどいくらいに自分の考え方や感性を反映しているのだろう。捨てられないとか、このジャンルにはこだわりがあるけど、こっちのジャンルではとことん無頓着だとか。機能性重視とか、色が大事とか、色々。自分では気づいていない自分の一面を、モノを通して言外に周りに発している可能性も大いにあり、モノの棚卸をすることでそれに気づけるかもしれない。そんな風に思った。

副題は「スキャンダルにまみれたオリーブオイルの世界」。
著者はトム・ミューラー。

オリーブオイルがいかに偽装されたり低品質なものと混ぜられたりしているかという話は色々なルートから聞いたことがあるが、まあそうだろうな~くらいにしか受け止めてこなかった。一応日頃からあまりにも安い価格のものは買わないようにしていた。とりあえず中価格帯以上なら大丈夫だろう(体に悪いものは入っていないだろう)、くらいの気持ちで。これはもちろんオリーブオイルに限らず、他のどんな調味料でも一緒。極端な低価格には絶対裏がある。

ところがこの本を読んで驚愕。実際は想像していた以上にひどかった。オリーブ由来じゃないオイルをベースにしたものまで横行していたなんて。エキストラバージンじゃなくても一応オリーブのかすからとったオイルを使っているんだと、安いものに関しては勝手に想像していたのだが、甘かった。

読みながら、思い出したことがある。
2013年晩夏に訪れたイタリアで、食事のあまりの美味しさにやられたのだが、最初のものすごく大きな感動はバルの住むアスコリ・ピチェーノの割と高級なレストランで出された料理だった。彼女のとっても素敵なお母様と、個性的な仲間たちとで一緒に食事をした。あのときオリーブオイルがすごく効いた料理をいくつも味わううちに、なんだかわからないうちに感動の波が押し寄せて、思わず「旅の一番の醍醐味は、その土地に自分の足で行って、その土地のものを味わうことだ」と言ったのだった。それはほぼ考える前に出てきた言葉で、自分でもそんな食いしん坊発言に驚いた。でもそれくらい強い感銘を受けた。

これが大人の味、本当の味、本物のイタリアの味なんだ!と思ったのは、そこで使われていたオリーブオイルに負うところが大きいのではないか。オリーブオイルは料理の味の格を決めてしまうくらいのインパクトを持っている。もちろん製造されて間もないフレッシュなものだったのだろう。質より量を重視した製造過程を経て瓶詰めされてからコンテナで神戸あたりの港に送られ、 何ヶ月なのか知らないが店の棚にずっと鎮座していたようなものとは違う。

当時はのんきに、地産地消っていいな、空気と水が料理を決めるのね、なんて思っていたが。

これと似た話が鶏肉である。トリニダード・トバゴで食べた鶏料理がものすごく美味しくて、こんな美味しい鶏肉料理はあとにも先にもないよ!というくらいの感動だった。すべての調理法をあわせても、未だにこのトリニダード・トバゴで食べたものがナンバーワンなのだ。当時は空腹こそ最大の調味料ね、くらいに思っていたが、あとあと食用にされている鶏の飼育環境について知るにつけ、あの肉のトリは生前太陽の下を走り回っていたのではないかと思うようになった。確認する術もないが。

またこの本で度々引き合いに出されるマーガリンとバターの話も気になる。実際マーガリンを何の抵抗もなく食べている人も多いと思う。でもこの本によると、偽装オリーブオイルと同列で論じられるくらい、マーガリン=バターのまがい物なのだ。本来の栄養がないばかりでなく、体にいいかどうかかなり疑問。そんなものつけるくらいならトーストそのまま食べた方がいい。これはそのまま食べても美味しいような本物のパンをそもそも口にしていないという問題にもつながるのだけど・・・。食品にお金をかけるとキリがないし、体がそれでも悲鳴を上げないから大量生産のわけのわからない食品も口にする人がいるんだろうと思うけど、私はヤマザキパンとか食べると即下痢するので、あれだけは絶対無理。1斤200円切る食パンは怪しいと思ってしまう・・・。

おかしなものを食べ続けて40代くらいから病気がちになって最終的に治療費がかさむより、可能であれば若いうちから質のいいものを食べて体を作っておくほうが、長い目で見れば経済的だ。もちろん質のいいものを食べたくても冷凍や缶詰、インスタントの輸入食材に頼らざるを得ないツバルのような国にも行ったので、そういう状況であればまた話は違ってくると思うけれど・・・。でもツバルをはじめ南太平洋の島々の住民は、変化した食生活のせいでかなりの割合で糖尿病などを患っており大変な問題になっていることを付け加えておく。結局最後は自分の身体で責任を取らざるを得ないのだ。

話をオリーブに戻すと、この本の中では日本のにの字もなく、小豆島をはじめ日本でもオリーブは生産されているのだが、世界的に見てどういう位置づけなんだろう?と疑問に思った。オリーブオイルは海外で受賞しているようだが、日本で育つ品種にも限りがある中、日本ならではのオリーブがどう成長していくのか、非常に興味がある。 

まずはとりあえず、ちゃんとしたオリーブオイルの味を自分の舌で覚えるために、本物のオイルを買わなければ。 

上野駅の改札を出る前にPASMOにチャージしておこうと、精算機へ。既に二人の男性がそれぞれ精算機を占領していたので二人と三角形を作るように後ろに立った。まだ眠くてぼーっとしていた。
右の男性は非常におしゃれで、中性的で、モノトーンの細身のシルエット。青山あたりにいそうな感じだった。その彼が先にどいたので、そこに立つ私。
そのとき何とも言えない明るい感じがした。何か分からないけど「あ」と思い、それから、さっきの男性の香水のいい香りが残っているのだと理解した。そこで一気に目が覚めた。
その男性は服装にこだわっているだけではなく、仕上げに香水をつけて彼のスタイルを完成させていたのだった。
顔も見ていないのに、もしかしたら見てないからこそ、強烈な印象を残す。
香水ってこうやって使うんだなと思った。
その香りも勿論おっさん臭くなく、メンズっぽさも強くなく、あくまで中性的。安っぽさは微塵もなく、俺すごいんだぜ、おしゃれだろ?という押しの強い自己主張もない。上手いチョイスだった。 やるなあ、としばらく感心していた。こうやって効かせるものなのか。
最近人の香水が気になってしょうがない。目に見えず、自分の鼻でしか確かめられない上に、鼻の悪い人とは共感もしあえない。その上好みも分かれる。つける人によっても香りは変わる。あまりにもディープな世界で興味が尽きない。 

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