今日、これから真央ちゃんの引退会見がありますね。
以前、真央に関して他サイトで書いた記事をアップします。

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ー2010/2/26(金)ー

今日は仕事だったので、ナマで観れない不幸を味わったクシナダです。でも、職場でチラ見していました(笑)

まずは浅田選手、銀メダルおめでとうございます。
そしてキム・ヨナ選手、金メダルおめでとうございます。

結果について言いたいことは山ほどあります。が、それは既に言っているので置いておくとしましょう。
オリンピックという舞台は、そもそも「スポーツの祭典」というフェアな本質を持ち合わせていない。
これは前提であるのですが、「だから」浅田真央選手が目指したものには価値があると思います。
何故ならそこに「日本」の伝統的なクオリティーと精神文化を垣間見ることが出来るからです。浅田真央選手のスタイルこそ、国際的な通念、即ちこの場合「オリンピックはルールを作るところから勝負が始まっている」ことに対抗しうる、日本唯一のオリジナリティーだと考えています。

それが競技ルールにおもねらない浅田選手の演技スタイルに反映されており、頑なに3A(トリプルアクセル)にこだわる態度が各方面において「首をかしげられる」状態であったとしても、トリノの金メダリストである荒川選手から受け継がれた、「自分の演技を完璧にやり遂げること」を自己目的とした浅田選手のひたむきさは、それ故、賞賛に値すると私は思っています。(荒川選手はNHKのインタビューで「トリノの金は浅田選手のおかげ(で自分の演技をすることの素晴らしさを知った)」と言っており、選手間でもこのことが影響しあっていることの証明となっています。)

今日の演技は残念ながら2ミスと、浅田選手にとっても不本意であったかも知れませんが、公式大会で、ショートプログラム、フリープログラム含めて世界初となる女子の3Aを3回も見事に決めてくれたことは、メダルの色にも勝る快挙であったと思います。特定の者が有利になり得るルールに粛々と従い、効率良く効果的にメダルを狙う。それがダメだとは言っていません。ただ、国際的なベクトルがそちらに向かう中で、そのルールとの整合性を模索しながら、それでも3Aへのこだわりを、例え不利になるとわかっていながらも捨てず、「世界初」なるものの殆どが粗雑なものになりがちであるフィギュアにおいて、文句なしの完璧さまで仕上げたこと。これは、何ものにも変えられない、「誰も手にする事が出来ない」価値のあるものだと、日本人なら理解出来るでしょう。

「日本人は元々個人主義的である。」
あるブロ友さんがおっしゃっていました。私としてはその言葉に若干の抵抗を覚えたのですが、考え直してみると、この定義は何も間違ってはいないのです。
「個人の意識や能力の底上げを図り、それによって社会全体の底上げを目指す」個人主義と、「究道精神に基づき自己を高める努力を惜しまない」日本人の美徳というのは、その哲学的領域においては全く差異がない。寧ろ合理的な「個人の能力の底上げ」なるものに精神的な背景が見出されることで、より確固たる概念であるのが「究道精神」であるとさえ言えるでしょう。

リベラル垂涎のこの論理はひとまず彼らには内緒にしておくとして、世界に通用する日本人アスリートは皆、この「究道精神」を持ち合わせています。先述のトリノ五輪金メダリストの荒川選手や、野球ではイチロー選手、サッカーでは中田選手など、既存のルールの中にあって整合性を模索しつつ究道精神に基づき「自己」を体現してきた共通項があるのですね。このバンクーバー五輪の舞台で、浅田選手もそんな偉大な彼らの横に名を連ねることになったのです。「世界を相手に喧嘩を売る」というのは日本にとってはそういうことではないかと考えています。

更にもう一点加えるなら、「究道精神の体現」には日本人にとって(或いは国際社会にとっても)好ましい影響が見出せます。それが「感化」。「意識的な感染」と言い換えても良いと思うのですが、「凄い人」や「凄いこと」の前に、人は憧憬を抱き「自分もそうありたい」「自分もそうしたい」と願うことが通常起こります。特にオリンピックの舞台で注目されるアスリート達はその役を担うのに相応しい。
それは日本人にとっては「メダルという結果」に左右されない、努力などの「過程」まで含めて作用するものであり、今回の3Aに対する浅田選手のひたむきな挑戦とは、それを見守った(あたかもごく近しい社会関係を持つ対象者をドキドキしながら応援する気分で見ていた)日本人にとって、成功を導いた背景を含めて最高のプレゼントになったと私は思います。

演技直後のインタビューで悔し泣きした浅田選手への感情同化も勿論あるのですが、私達は彼女から元気を分けてもらえたんですよ。「彼女の影響」で人気のある日本フィギュア界ばかりでなく、日本社会における観客個々の生活に、「彼女の挑戦」をリスペクトすることが可能なのです。
「価値多元的社会」を言い訳として、或いは「不況」を煽る政府やメディアのせいで、現在はユル目無気力で意気消沈気味な日本社会ですが、寧ろ私は若干19歳の女性でもある浅田真央選手の真っ直ぐでひたむきな挑戦を見ろ、と言いたいですね。いや見ることを強制したいです(笑)
鳩山首相の「日本を元気付ける」嘘くさい美辞麗句ごときには決して存在しない、「本物の凄さ」がそこにはあるのです。正直「日本人をマッオマオにしてやんよ」とさえ思っています。

オリンピックは「国と国の勝負」です。従って、「スポーツの祭典」という表題からは想像もつかないような、各国の利害を巡る活動が裏では展開されており、影響力がないとは言え、日本もその参加国である以上は定められたルールに従うべきだと思います。しかし「メダル獲得競争」も結構ですが、日本人の美意識は「何としてでも(ルールを変えてでも)メダルを獲る」というオリンピックの不文律を肯定することには抵抗があるんですよね。
寧ろ「それはそれ」と認めた上で、「究道」における目的達成を称えることが日本社会のあるべくしてある姿だと考えています。「他者との勝負」ではなく「自己との勝負」の結果がメダルであるならとても素晴らしいことですね。
今日の浅田真央選手の銀メダル獲得は、このことを再認識する上でとても有意義なのです。

ネットの一部ではルール、ジャッジ、ライバルのキム・ヨナ選手に対して「不満爆発」だったりもします。キモチはわかりますが、そんなことよりも「浅田選手の挑戦」に価値を見出せるのは、一部競技フィギュア関係者と私達日本人だけなのです。ましてや「世界を相手に喧嘩を売った」浅田真央選手に対する誹謗中傷などは論外でしかない。
そもそも「国威高揚」の意識の低い日本国のオリンピック参加において、「国の威信を選手に背負わせる」土壌は無いに等しい(選手に対する国の後援も限定的)のですから、日本は国内のみに通用する別規定、「究道精神」に基づく「凄さ」を社会が享受することをもって評価すべきかと思います。オリンピックの現状が日本人の美意識から乖離している以上、日本のオリンピック参加による勝負は「他国との勝負」ではなく本来「自己との勝負」であるべきかと思うんですよね。

何にしても、浅田真央選手にはとびっきりのありがとうを言いたいです。
今後どのくらいの期間、一試合二回の3A達成者が出ないかはわかりませんが、「先駆者」の偉業は歴史に残るものであり、その期間の長さも浅田選手の偉大さの証明になるでしょう。
まだまだ現在進行形で成長を続けている浅田選手の今後にも期待しています。本当にありがとうございました。


pochiっとよろしくお願い致しますm(_ _m)