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2013年11月

理論考古学の勧め、邪馬台国にせまるぅ〜v(^0^)/

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おはようございま〜す。

先日から魏志倭人伝の南・東の方向問題を片付けぇ〜
今まで不明だった水行十日陸行一月の解釈問題もバッサバサとなぎ倒しぃ〜
畿内説を否定しぃ〜
と、頑張ってますがぁ〜

やっぱり方向の間違えだけで畿内が有力と思われている人も少なからずいらっしゃるかもなのでぇ〜
その後の説明。

↓の簡単魏志倭人伝亜崕王國の東海渡る千余里また國あり皆倭種なり」
魏志倭人伝で使われている水行は沿岸沿いの航行ですが、海渡るは陸沿いには行けない航行を表しています。
そう、畿内説をとると渡る島が無いぃ〜
またまた方向を間違って西に行って四国に行かないとダメェ〜

それに九州北部の國の説明から一気に奈良の大和に行っちゃあ途中で迷子になっちゃうでしょう〜

ならば、奴國や不彌國は四国や山陰・山陽方面だったかも、なんて言ったら今度は距離まて大幅に間違ってるってしないといけないもん。

欧覆鵑討泙薪貽遒捻麒の裸國が出てくるよ。

間違いの泥沼に入っちゃいますぅ〜


おバカのharuさんはこれらを素直に読みましてぇ〜
当時の状況からも判断してぇ〜
魏志倭人伝を「魏時代以前の漢時代にも、漢とも交流のあった奴國をはじめそれらの國々をまとめ統括している女王國の行程や人口などの情報を後に続く人に残したもの」であろうと思っています。

当時は魏が漢を滅ぼして道教から儒教に入れかわった時期です。
滅ぼした漢とも親交のあった女王國をどうしたものかと考えていた時期でもありますね。

だから阿砲發△襪茲Δ法⊇王國以外にも遠方に倭種の國があってもあまり興味が無かった様子。
言い換えれば魏から考えた時に、奈良の大和は倭国侵攻作戦上意味が無く、やはり水際の九州北部をまず押さえるって言うのが常識的考えかと。

魏の目的は「魏からの交友・侵攻にもっとも適する地である倭国の窓口的な女王國の情勢と魏に対する態度を知りたい」ってところでしょうか。



その全てからやはり九州だと言えますぅ〜。


続きまして〜

魏志倭人伝では卑弥呼って言うのと女王って言う表現の2通りが出てまいります。
これも問題視されている1つなんですが。

卑弥呼=女王ですね。

でもぅ〜
邪馬台国=卑弥呼=女王=女王國ではありません。
もう1度簡単魏志倭人伝を見ていただきますとぅ〜


どの國にも「官」はいるが「王」は居ない。
王が居るのはの女王國に属していない狗奴國だけです。
これはにあるように倭国が乱れた後に卑弥呼をたてて王としたのです。

結論として鬼道を行う卑弥呼は邪馬台国在住で、周りの國全ての王として女王國を治めていたと思われます。

邪馬台国もその周辺の國も全てが集まっての女王國なんですね。

この際、北部九州一帯を女王國と言っても過言ではないかと思えます。
爆弾発言だもんねぇ〜笑

国語能力と感情移入の勝利は近いぃ〜笑


ではでは〜またまた〜


   A  倭人在帯方東南大海之中依山島爲國邑舊百余國
 
・・・・・・・・・・変換するの面倒だわぁ〜以下省略〜〜〜
 
    倭人は帯方の東南大海の中にあって山や島に居て百余国あるってぇ〜
 
 
‖喨郡より倭に至るには循海岸水行(海岸に沿って水行)韓国をへて南し東し、その北岸、狗邪韓国に至る七千余里
    (中国の帯方郡から南や東にクネクネ、船で韓国の狗邪韓国至るは七千余里)
 
⊇蕕瓩動豎い鯏呂襪海叛虱称ぁ對海國に至る
    大官は、卑狗、千余戸
    以下、絶海だとか険しいだとか森林が多いとか田の状態や道路や海産物を食べてる等の説明〜
K南に一海を渡ること千余里、一大國に至る
    官は、亦卑狗、家は三千ばかり
    以下、△隼たように詳しい説明文〜
に一海を渡ること千余里、末ら國に至る(「ら」が変換できないおバカなパソコン〜)
    官の名前は書いていません
    四千余戸有り
    以下、草木が茂って前が見えないとか、好んでお魚を潜って採ってるとかの説明文〜
ヅ貽遒里た陸行五百里、伊都國に至る
    官は、に支(「に」が変換できないぃ〜)
    千余戸
    説明文は徐々に短くなって〜
    皆、女王國に統属す。郡使の往来常に駐まる所なり、って程度
ε貽遏奴國に至る百里
    官は、じまこ(変換する気になれないぃ〜)
    二万余戸
    ほぼ、説明無しぃ〜
東行、不彌國に至る百里
    官は、多模
           千余戸
南のかた、投馬國に至る水行二十日
    官は彌彌
    五万余戸
南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る、女王の都する所、水行十日、陸行一月
    官は伊支馬
    七万余戸
女王國より以北は戸数、道里は得て略載
  その余の某國は遠絶にて得て詳らかにすべからず
次に・・・・・・・・・・・
  いっぱい〜
  21個の国名を列記しています
  最後に書かれている国名はΔ能颪れている奴國。
  此れ女王の境界尽くる所なり
その南、狗奴國有り、男子を王となす
  官は狗古智卑狗
  女王に属せず
郡より女王國に至る萬二千余里
以下風俗・物産・気候や生活様式など説明い〜っぱい
倭國が乱れたのちに卑弥呼をたてて王となす
  鬼道に事え、能く衆を惑わす
綾王國の東海を渡る千余里また國あり皆倭種なり
韻泙塵夕國ありその南にあり女王を去る四千余里
架舖◆黒歯國ありまたその東南にあり
  船行一年にして至るべし
  海中洲島の上に絶在しあるいは絶えあるいは連なり周施五千余里ばかり
 
ここからは今は省略〜


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ハーブなローズマリー豚さんとモクズ蟹の和風サラダ〜v(^0^)/

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こんばんは〜

今日は寒かったですねぇ〜
先週、天橋立に行っといて良かったぁ〜


今日もharuさんちのお野菜くんは元気ですよぅ〜

今日はねぇ〜

ローズマリー豚さん〜

ブタさん肩肉をねぇ〜
塩胡椒とニンニクとローズマリーでジュージュー

えへへ〜
リンゴジャムを添えました。

リンゴジャムをソース代わりにぃ〜
美味しいんですよぅ〜

ローズマリーが豚さんの匂いを消してくれま〜す。

続きまして〜

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モクズ蟹さんをホジホジ〜
カイワレと一緒に酢醤油で和えてま〜す。

モクズ蟹もすごく美味しいんです。

いくらでもいけちゃいますよぅ〜

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ね、ね〜

明日もみなさまにとって大切な1日になりますように〜

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魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く〜v(^0^)/

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こんにちは〜

まだ飽きもせずにやってま〜す。

先程アップしましたように、末ら國では詳しく解説されている風土・物産も伊都國では解説が短く、奴國や不彌國では解説が無くなっています。
この文章から筆者はこれ以降の行程を何処を中心に語っているものか、分かりにくくなってます。

不彌國からは〜
┐瞭遒里た投馬國に至る水行二十日
の南、邪馬壱國(邪馬台国)に至る水行十日陸行一月
に文章はつながるのですがぁ〜

これが末ら國以降の何処を視点に言ってるものだかぁ〜?


それに、の邪馬台国の所では〜
0 水行十日 or 陸行一月なのか
0 水行十日&陸行一月なのか

これも不明で〜す。

しかしぃ〜

この視点問題です。

それからの行程ですが〜

水行十日とすれば邪馬台国は海岸近くに位置することになりますよね。
陸行一月とすれば、海岸部または内陸部の両方が考えられます。
そしてぇ〜
水行十日&陸行一月とするならばぁ〜
当然内陸部ですね。
海岸部なら島国のこと、そのまんま船で行っちゃえば良いもん。

畿内で言うと奈良盆地、九州で言うと阿蘇山のカルデラ盆地かな。

でもぅ〜
畿内説を取ったらその後の行程も成り立ちません。

それにぃ〜
邪馬台国が阿蘇山のカルデラってのも没〜
またアップしますけど、産物からも暖かい海岸にも近い平和な農村な感じ。

結果的には水行十日または陸行一月と考えるのが妥当な線です。

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それから文章はにあるように邪馬台国の周りのたくさんの國。
そして邪馬台国の南に位置する女王に属さない國のお話になっています。

これで邪馬台国を取り巻く一応の國の説明が終わりぃ〜

次にの生活様式や機構なんかを詳しく書いてくれています。


そう、魏志倭人伝はまず、邪馬台国への行程と周囲の人口や産物を後世に残すものです。
その裏には友好か占領かです。
そのためには行程と人口と産物は重要だったでしょう〜

そしてぇ〜

文章構成としてはぁ〜

0まず行程と邪馬台国に行くまでの國の人口(抵抗されるかもだもんねぇ〜戦力調査と一緒)
01つの締めくくりとして
 郡より女王國に至る萬二千余里
0女王國の産物や風土

って構成になってるんです。

このの締めくくりが重要。
帯方郡から女王國までが一万二千余里って事です。

ここで引き算をしてみましょう〜

帯方郡から韓国の南まで七千里
対馬まで千里
壱岐まで千里
九州北岸まで千里

12000−7000−1000−1000−1000=2000里

伊都國からの計算だと
2000−500=1500里

不彌國からだと1300里

そうなんですねぇ〜
九州北岸から2000里以内の所だってちゃんと書いてくれています。


それに一致する平野部は佐賀県・熊本県で〜す。
ハイ〜

そう考えると投馬國は宮崎か天草あたりぃ〜

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魏志倭人伝から邪馬台国を読み解くぅ〜v(^0^)/

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おはようございま〜す。

おかたいお話が続いておりま〜す。
みなさま肩の力を抜いてお楽しみ下さいねぇ〜
絵文字がうまく入らないみたいなのですみません〜

さてさて〜

昨日アップしましたようにぃ〜
魏志倭人伝に無理なく解釈いたしましてぇ〜

末ら國と伊都國の想定地に行きつけました。

この想定地、現地の松浦と糸島には相応の弥生時代後期の遺跡や墳墓がありますのでぇ〜
お近くにお住まいの方は見に行っても面白いですよね。

これらの墳墓から出土しております後漢鏡ですが。
その中には卑弥呼の鏡が混じっていることでしょう。
そういう目でもう一度博物館見学すると夢が有って楽しいですよ。

卑弥呼が魏からもらった鏡。
100枚だと記述されているのですが・・・・・・
一種類だとは書かれていませんのでぇ〜
その点では今の研究者の方々もよく考えていただきたいものです。

梱包の都合上似たサイズが好ましいでしょうが、倭國を下げずんで対応していた当時です。
綺麗にそろった鏡とは言い切れません〜

さてさて〜

末ら國から伊都國までが約五百里ですよね。
続きました奴國までが東南百里。
そして不彌國までが東南百里

上のお写真で東南百里と言いますと、福岡市西区あたりになっちゃうのですがぁ〜
次の不彌國が戸数千戸と奴國の二万戸と比較しますと〜比較的小規模です。
写真では西区、東区に〇を付けていますが、この場合〜

福岡市平野部一体を奴國と想定したほうがよろしいかと思います。
そしてぇ〜
金印で有名な志賀島に向かう海の中道をはさんで北九州川の小平野部を不彌國と想定するのが人口の大きさから言っても妥当だと思われます。


福岡市平野部には数多くの弥生時代遺跡が発掘されています。
当時は環濠集落の時代、二万戸が一気な環濠集落はとてもとてもでしょう〜
各環濠集落には集落長が居て、集落が集まって一つの國を形成していたと考えるのが妥当と思えます。
そしてこの「國を形成している手段」が邪馬台国を考えるにいたっては重要な事の一つになってきます。


また、魏志倭人伝を読むにつれぇ〜
末ら國ではじっくりと風物を解説しているのに、伊都國ではわずかしか解説されていません。
奴國に至ってはまったくです。

ここからは国語や心理学の領域かもですがぁ〜
松ら國から先に行ってるんでしょうかねぇ〜
ひょっとすると後のは聞いて書いたのかもしれませんねぇ〜

これは次で問題になってきますぅ〜


ではでは〜


 A  倭人在帯方東南大海之中依山島爲國邑舊百余國
 
・・・・・・・・・・変換するの面倒だわぁ〜以下省略〜〜〜
 
    倭人は帯方の東南大海の中にあって山や島に居て百余国あるってぇ〜
 
 
‖喨郡より倭に至るには循海岸水行(海岸に沿って水行)韓国をへて南し東し、その北岸、狗邪韓国に至る七千余里
    (中国の帯方郡から南や東にクネクネ、船で韓国の狗邪韓国至るは七千余里)
 
⊇蕕瓩動豎い鯏呂襪海叛虱称ぁ對海國に至る
    大官は、卑狗、千余戸
    以下、絶海だとか険しいだとか森林が多いとか田の状態や道路や海産物を食べてる等の説明〜

K南に一海を渡ること千余里、一大國に至る
    官は、亦卑狗、家は三千ばかり
    以下、△隼たように詳しい説明文〜

に一海を渡ること千余里、末ら國に至る(「ら」が変換できないおバカなパソコン〜)
    官の名前は書いていません
    四千余戸有り
    以下、草木が茂って前が見えないとか、好んでお魚を潜って採ってるとかの説明文〜

ヅ貽遒里た陸行五百里、伊都國に至る
    官は、に支(「に」が変換できないぃ〜)
    千余戸
    説明文は徐々に短くなって〜
    皆、女王國に統属す。郡使の往来常に駐まる所なり、って程度

ε貽遏奴國に至る百里
    官は、じまこ(変換する気になれないぃ〜)
    二万余戸
    ほぼ、説明無しぃ〜

東行、不彌國に至る百里
    官は、多模
           千余戸

南のかた、投馬國に至る水行二十日
    官は彌彌
    五万余戸

南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る、女王の都する所、水行十日、陸行一月
    官は伊支馬
    七万余戸

女王國より以北は戸数、道里は得て略載
  その余の某國は遠絶にて得て詳らかにすべからず

次に・・・・・・・・・・・
  いっぱい〜
  21個の国名を列記しています
  最後に書かれている国名はΔ能颪れている奴國。
  此れ女王の境界尽くる所なり

その南、狗奴國有り、男子を王となす
  官は狗古智卑狗
  女王に属せず

郡より女王國に至る萬二千余里

以下風俗・物産・気候や生活様式など説明い〜っぱい

倭國が乱れたのちに卑弥呼をたてて王となす
  鬼道に事え、能く衆を惑わす

綾王國の東海を渡る千余里また國あり皆倭種なり

韻泙塵夕國ありその南にあり女王を去る四千余里

架舖◆黒歯國ありまたその東南にあり
  船行一年にして至るべし
  海中洲島の上に絶在しあるいは絶えあるいは連なり周施五千余里ばかり
 
ここからは今は省略〜

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安全無農薬タダ〜のサラダ&モクズ蟹くん〜v(^0^)/

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こんばんは〜

歴史でおバカな脳みそ使うと疲れるぅ〜
少ない脳みそも使うとエネルギー消費するのかなぁ〜



出ましたカニさん〜モクズ蟹〜
釜茹での戦いは勝利に終わりぃ〜
悔しそうなカニさんを食べちゃいま〜す。

見た目は怖いけど美味しいんですよぅ〜

続きましてぇ〜

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サラダ〜

シメジと小柱と赤ピーマン買ってきました。

後のお野菜はねぇ〜

haruさんち無農薬有機栽培無料キッチンガーデン産で〜す。

安全でタダが一番うれしいぃ〜笑

ほらねぇ〜

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色々葉っぱ作ってま〜す。

明日もみなさまにとって楽しい1日になりますように〜

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魏志倭人伝を読むぅ〜v(^0^)/

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こんにちは〜
ちょっと難しいお話でごめんなさいぃ〜

ちなみにぃ〜
魏志倭人伝で記載されてる方向は松浦半島までは南なんだけど、大体正しいですよね。

距離は韓国から対馬も壱岐も全部千余里なんですが。
壱岐から九州北岸の松浦半島まではちょっと短いですよね。

距離ってのは方角に比べて測定しにくいですもんね。
どうしても大体の距離になってしまっている様子です。


ところで九州説ですがぁ〜
こういう手法で読んでいきますと意外とぴったりあてはまっちゃうのよねぇ〜

前の記事のイ僚蠅任А

末ら國から陸行、南東五百里。

南東にまっすぐ五百里行っちゃうとぅ〜
山にぶつかるぅ〜

ここらへんが九州説の1つの弱みかもしれませんね。

しかし、魏志倭人伝の目的は何でしょうか?
そうそう〜
大陸から邪馬台国までの行程とその人口や産物が一番の重要項目ですね。
重要な所はきっちり書いてるものですよぅ〜

い僚蠅覗靆擇茂って前を行く人も見えないとあるのですが。
こういう場合みんなならどういう風に道を教えるでしょう?

下のお写真のようにぃ〜

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松浦の弥生後期の遺跡と糸島半島の遺跡を召靴泙靴拭
末ら國と伊都國の想定地です。

後から来る人に対して海にぶつかっちゃう方向を教えるでしょうか。
それは無いですよね。
特に草木がおいしげっていて前が見えないんだもん。
こんな方向教えたら怒られちゃうよ。

そうそう〜
この魏志倭人伝はナビと一緒なんですね。

「東南方向に獣道を道なりに五百里」なんです。

道なりだから途中で方向変わっちゃってもちゃんと到着するの。
ちゃんと松浦湾を迂回するコースを書いてるんですねぇ〜

問題1個クリアー

ではでは、またまたぁ〜


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理論考古学の勧め、畿内説の真偽を問う〜v(^0^)/

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おはようございま〜す。

さてさてぇ〜
魏志倭人伝の続きですがぁ〜
下↓の頑張って書いたの参照してくださいねぇ〜


今日は行程のイ帽圓海Δと思ったのですがぁ〜
最終的に畿内説か九州説かを先に書いておくと便利かなぁ〜って思いましてぇ〜

haruさん地方も畿内ですもんねぇ〜
できれば畿内に軍配をあげたいもんねぇ〜

最近の発掘成果によって畿内説は有力視されております。
箸墓古墳が卑弥呼のお墓だってうわさですねぇ。


ではでは〜
ぼつぼつぅ〜


邪馬台国が畿内、奈良県に存在していたとすればぁ〜

魏志倭人伝ではい痢嵋ら國」以降東にに行くって書いているのはわかるけど、それ以降も南って書いてるはを間違いとして、できるだけ東に行かなくっちゃです。
次にで女王國の北の國は戸数、里数を書けるってありますがぁ、これでは女王國より北に位置しているのは7つばかりの國ですしぃ〜
東を南と誤って記述されているのなら西が北になっちゃうわけであります。

ならば、奈良県以西、西日本はみんな北です。
そして西日本に当時7つしか國が無かったっていうのは現在の発掘成果から考えても矛盾いたします。

最初の文章では倭人は百余國って書いてるんだもんね。
これじゃあ奈良県より西には7個、東に90個以上の國の配分になっちゃうのだ。

そしてぇ〜
この魏志倭人伝には気候や風物などが記載されているが、奈良県から西が北ならば、何故、当時の大陸には珍しい「阿蘇山」や「桜島」などの活火山が記述されていないのか?
奈良県以西を詳しく書くならば火山や四国の記載が有っても不思議ではない。
って言うか記載しないと奈良県自体を特定しにくく、魏志倭人伝の意味がなくなってしまう。

また、南北はさておき、太陽が昇ってくる東を間違うだろうか?
少なくとも魏志倭人伝を書いた人物ないしその資料を作成した人物は命がけで正確に書こうとしてるんだから。


ついでぇ〜
卑弥呼の鏡だと説のある「三角縁神獣鏡」大陸では発見されておらず、日本ではもう100枚を超えていますよね。
それで「魏」が邪馬台国のために特別に作ったとも言われています。

でも、魏志倭人伝を読む限りでは倭の國や人の事を「奴」「卑」「邪」などと言う字で表しています。
自分たちより下げずんだ表現をしているくらいなのに、邪馬台国に媚びへつらい新しい鏡の鋳型を作ったとは思えません。
きっと「魏」は滅ぼした「漢」の鏡でも送っとけぇ〜だとおもいます。
近世においても探検家は原住民の喜ぶビーズなんかの安物を携えていたのです。
けっして原住民のために豪華な宝石のネックレスを持って行ったわけじゃあありません。


次に卑弥呼のお墓に関する記述もあるのですが。
卑弥呼のお墓は「冢」(ちょう)と記載されています。
冢とは盛り土したお墓を示し、決して箸墓のような古墳ではありません。



これらの事象から、魏志倭人伝に記載されている邪馬台国が奈良県に有ったとすると、魏志倭人伝は矛盾だらけの嘘だらけになっちゃいます。

結論としては〜

邪馬台国は奈良県大和ではないと言わざるを得ないです。

きっと先日書いたようにぃ〜
北部九州からはみ出したり、新天地を求めたりして神話のルートをたどりいくつもの集団がここ大和に定着、ほぼ同時期に初期国家を形成していたものと考える方が確率的にもより論理的かと思いますぅ〜


次は九州説の真偽だよねぇ〜

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   A  倭人在帯方東南大海之中依山島爲國邑舊百余國
 
・・・・・・・・・・変換するの面倒だわぁ〜以下省略〜〜〜
 
    倭人は帯方の東南大海の中にあって山や島に居て百余国あるってぇ〜
 
 
‖喨郡より倭に至るには循海岸水行(海岸に沿って水行)韓国をへて南し東し、その北岸、狗邪韓国に至る七千余里
    (中国の帯方郡から南や東にクネクネ、船で韓国の狗邪韓国至るは七千余里)
 
⊇蕕瓩動豎い鯏呂襪海叛虱称ぁ對海國に至る
    大官は、卑狗、千余戸
    以下、絶海だとか険しいだとか森林が多いとか田の状態や道路や海産物を食べてる等の説明〜

K南に一海を渡ること千余里、一大國に至る
    官は、亦卑狗、家は三千ばかり
    以下、△隼たように詳しい説明文〜

に一海を渡ること千余里、末ら國に至る(「ら」が変換できないおバカなパソコン〜)
    官の名前は書いていません
    四千余戸有り
    以下、草木が茂って前が見えないとか、好んでお魚を潜って採ってるとかの説明文〜

ヅ貽遒里た陸行五百里、伊都國に至る
    官は、に支(「に」が変換できないぃ〜)
    千余戸
    説明文は徐々に短くなって〜
    皆、女王國に統属す。郡使の往来常に駐まる所なり、って程度

ε貽遏奴國に至る百里
    官は、じまこ(変換する気になれないぃ〜)
    二万余戸
    ほぼ、説明無しぃ〜

東行、不彌國に至る百里
    官は、多模
           千余戸

南のかた、投馬國に至る水行二十日
    官は彌彌
    五万余戸

南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る、女王の都する所、水行十日、陸行一月
    官は伊支馬
    七万余戸

女王國より以北は戸数、道里は得て略載
  その余の某國は遠絶にて得て詳らかにすべからず

次に・・・・・・・・・・・
  いっぱい〜
  21個の国名を列記しています
  最後に書かれている国名はΔ能颪れている奴國。
  此れ女王の境界尽くる所なり

その南、狗奴國有り、男子を王となす
  官は狗古智卑狗
  女王に属せず

郡より女王國に至る萬二千余里

以下風俗・物産・気候や生活様式など説明い〜っぱい

倭國が乱れたのちに卑弥呼をたてて王となす
  鬼道に事え、能く衆を惑わす

綾王國の東海を渡る千余里また國あり皆倭種なり

韻泙塵夕國ありその南にあり女王を去る四千余里

架舖◆黒歯國ありまたその東南にあり
  船行一年にして至るべし
  海中洲島の上に絶在しあるいは絶えあるいは連なり周施五千余里ばかり
 
ここからは今は省略〜
 
 
 


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恐怖の頂き物〜モクズガニ〜v(^0^)/

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こんばんは〜

カニさんもらっちゃったぁ〜

モクズガニって言う淡水のカニさんで〜す。

上海蟹と同じ系統だから美味しいんだけどぅ〜
かな〜り怖いぃ〜


今晩はお料理どころじゃあ無いぃ〜汗
御免なさいねぇ〜

↓は怒ったカニ〜

もっと下のお写真はぁ〜

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恐怖のカニさんシャワ〜笑

気休めだけどぅ〜
綺麗に洗ったげてみましたぁ〜

今からお鍋に入れて茹でなくっちゃ〜
怖いぃ〜

明日もみなさまにとって楽しい1日になりますように〜

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理論考古学の勧め、魏志倭人伝から邪馬台国にせまるぅ〜v(^0^)/

こんにちは〜

これ↓書くの昨日から頑張ってましたぁ〜
魏志倭人伝の大まかな内容ねぇ〜

少しずつ説明していきますね。
図も書いた方が分かりやすいかなぁ〜
今後は´↓って引用して説明しますね。

,賄時の支配国「魏」の国の南の端っこから今の韓国の南の端っこに至る行程で〜す。
  七千余里ありますってぇ〜
△禄蕕瓩導い鯏呂辰涜佛呂忙蠅觜堋で〜す。
  千余里あるってぇ〜
は海を渡って壱岐に至る行程で〜す。
  千余里あるってぇ〜
い呂泙審い鯏呂辰萄寛豸の松浦(まつら)に至る行程で〜す。

ここまではほぼ、みなさまの定説となっておりま〜す。

ここからは方向の間違いだとか、距離の間違いだとか、色んな説に分かれています。
そのために九州説と畿内説が有力ですが、色んな所が邪馬台国の候補地になってますよね。

haruさんはおバカだもんねぇ〜
バカ正直に書いた人の気持ちになって読んじゃいま〜す。

まあ〜
魏志倭人伝を書いた人は後の事まで書いてるから報告書をまとめたものかもですが、最初に書いた人であれ写して書いた人にせよ、一緒の気持ちで書いていると思います。

まず、魏志倭人伝は当時の公文書的大事なものだったでしょう〜
この行程を足掛かりに交易したり喧嘩したりだもんね。

だから書いた人は、いい加減な事や間違いを知ってて書いたら自分の首が危なくなっちゃうよね。
まあ長い行程ですから多少の方角や距離の誤差は当然でしょうが、大まかに見ると間違いは無いつもりで書いているのが当然だと思います。
そしてできるだけ分かりやすく書いてるつもりだと思います。

おバカのharuさんは、この時点でお偉いさんとは視点が違うのよぅ〜笑

続くぅ〜
次は方向が間違ってるとよくいわれるイ世 





  A  倭人在帯方東南大海之中依山島爲國邑舊百余國
 
・・・・・・・・・・変換するの面倒だわぁ〜以下省略〜〜〜
 
    倭人は帯方の東南大海の中にあって山や島に居て百余国あるってぇ〜
 
 
‖喨郡より倭に至るには循海岸水行(海岸に沿って水行)韓国をへて南し東し、その北岸、狗邪韓国に至る七千余里
    (中国の帯方郡から南や東にクネクネ、船で韓国の狗邪韓国至るは七千余里)
 
⊇蕕瓩動豎い鯏呂襪海叛虱称ぁ對海國に至る
    大官は、卑狗、千余戸
    以下、絶海だとか険しいだとか森林が多いとか田の状態や道路や海産物を食べてる等の説明〜

K南に一海を渡ること千余里、一大國に至る
    官は、亦卑狗、家は三千ばかり
    以下、△隼たように詳しい説明文〜

に一海を渡ること千余里、末ら國に至る(「ら」が変換できないおバカなパソコン〜
    官の名前は書いていません
    四千余戸有り
    以下、草木が茂って前が見えないとか、好んでお魚を潜って採ってるとかの説明文〜

ヅ貽遒里た陸行五百里、伊都國に至る
    官は、に支(「に」が変換できないぃ〜
    千余戸
    説明文は徐々に短くなって〜
    皆、女王國に統属す。郡使の往来常に駐まる所なり、って程度

ε貽遏奴國に至る百里
    官は、じまこ(変換する気になれないぃ〜)
    二万余戸
    ほぼ、説明無しぃ〜

東行、不彌國に至る百里
    官は、多模
           千余戸

南のかた、投馬國に至る水行二十日
    官は彌彌
    五万余戸

南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る、女王の都する所、水行十日、陸行一月
    官は伊支馬
    七万余戸

女王國より以北は戸数、道里は得て略載
  その余の某國は遠絶にて得て詳らかにすべからず

次に・・・・・・・・・・・
  いっぱい〜
  21個の国名を列記しています
  最後に書かれている国名はΔ能颪れている奴國。
  此れ女王の境界尽くる所なり

その南、狗奴國有り、男子を王となす
  官は狗古智卑狗
  女王に属せず

郡より女王國に至る萬二千余里

以下風俗・物産・気候や生活様式など説明い〜っぱい

倭國が乱れたのちに卑弥呼をたてて王となす
  鬼道に事え、能く衆を惑わす
綾王國の東海を渡る千余里また國あり皆倭種なり

韻泙塵夕國ありその南にあり女王を去る四千余里

架舖◆黒歯國ありまたその東南にあり
  船行一年にして至るべし
  海中洲島の上に絶在しあるいは絶えあるいは連なり周施五千余里ばかり


 
ここからは今は省略〜


haru3343haru3343  at 12:36コメント(6)トラックバック(0) この記事をクリップ! 

霧の国から光の国へ〜v(^0^)/

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おはようございま〜す。

昨日は歴史の続きを書く用意をしていたのですが。
難しいぃ〜
漢字がみんな古くって変換できないのがあってぇ〜
パソコンと格闘していました。


お写真は続きで〜す。
朝、西舞鶴駅を出てぇ〜

霧の中〜

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いろんな風景も見えるのでしょうが。

霧の中〜

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おうちも見えるけど。

霧の中〜

水墨画か淡彩画の世界で〜す。

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自転車で走ってる人が居た。

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ようやく風景が見えてきました。
綺麗な紅葉ですねぇ〜

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ちなみにぃ〜
↓はharuさん地方の田舎。
車窓からの風景で〜す。

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やっぱ、どっか違うぅ〜

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色が鮮やかぁ〜

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今日もみなさまにとってニコニコな1日になりますように〜

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haru3343haru3343  at 07:42コメント(0)トラックバック(0) この記事をクリップ! 

西舞鶴とれとれセンターとプンプン田舎事情〜v(^0^)/

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こんばんは〜

西舞鶴の駅前のホテルにきましたぁ〜
お一人様だと今の時期は雰囲気の良い旅館は取れないのぅ〜
一人じゃあ気が引けちゃいますもんねぇ〜

ホテルの人に聞いてねぇ〜
「とれとれセンター」って所に行ってみました。

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カニさんも解禁で、い〜ぱい。

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後で町に戻って、どこかのお店で食べちゃおう〜っと。

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お昼食べるの忘れてたのでぇ〜

匂いに釣られて焼いてもらったぁ〜

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美味しかったですよぅ〜

カニさんは、まだまだ我慢。

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帰りは駅までバスの予定。
バス来ないぃ〜
時刻表から30分過ぎても来ないぃ〜

ま〜くらになっちゃったぁ。

タクシー呼んじゃいました。

運転手さんに聞いてみたら「あっ、バス滅多に来ないですよ」ってぇ〜


まあしょうがないです。
でね、聞いてみたらねぇ〜

今日は町の商店街でもお祭りやってるってぇ〜
ワ〜イ、賑やかぁ〜
屋台なんかも見て回っちゃおうぅ〜


ついでにカニさんだぁ〜





確かに屋台が出てるぅ〜
これってお祭りだよねぇ

人が居ないぃ〜

こんな雰囲気じゃあ一人でお店に入るの不安だよぅ〜

ぐるりと一周してぇ〜
晩ごはん抜き決定〜泣

ホテルで寝ちゃうぅ〜


やっぱり山陰新幹線作って欲しいのだぁ〜
都会に比べてこの格差はもぅ〜
きっと都会に住みなれてるとありがたみがなくなっちゃって、明るくって賑やかな都会が普通だとみんな思ってるんだろうなぁ。
haruさん地方も含めて田舎町は一歩大通りから脇にそれると月明かりだけが頼りなんだもんねぇ〜

都会と地方の便利差をできるだけなくすようにしなくっちゃ。
憲法違反に抵触しそうだぞ〜っとぅ。
ぶつぶつ、プンプン〜

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明日もみなさまが明るく楽しく過ごせますようにぃ〜

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haru3343haru3343  at 19:00コメント(4)トラックバック(0) この記事をクリップ! 

天橋立散策とプロペラ船〜v(^0^)/

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こんにちは〜

天橋立ですっかりお昼ご飯を食べるの忘れちゃってぇ〜
お昼抜きぃ〜

でも、散策はしましたよぅ〜

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綺麗な眺めでしょう〜

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向こうまで歩くと約1時間かかるって。

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お船が居たぁ〜

プロペラ船だぁ〜

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乗ってみたいなぁ〜

プロペラ船があるんだからぁ〜
だれかさぁ〜
うちわ船も作って欲しいねぇ〜

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haru3343haru3343  at 12:53コメント(6)トラックバック(0) この記事をクリップ!