HaruharaPのブログ

アイマスMADを作りたい人。メインツールはParaDrawとParaFlaです。

今年は劇場アニメが豊作でヨカッタヨカッタ
(2016/12/04)

花に染む(8) くらもちふさこ

 最終巻を読むにあたり、「駅から5分」全3巻と「花に染む」既刊を読み通してから臨んだわけだが、いま、心地よい疲労感と満足感に浸っている。万感胸に迫るってやつに浸っているので、このエントリも主旨がぼんやりふわふわしたものになるのも仕方が無いと思っている。

 くらもちふさこ先生が得意とする男子キャラの典型は次のようなものだ(と個人的に思っている)
 彼らは女主人公にとってミステリアスな存在であり、いつも思わせぶりな言動をとり、物語をかきまわす。しかし物語全般を見渡せば、ヒーローのアクションは常に女主人公に指向してい(ることが物語の最後の数ページで判明し)て、どこまでも誠実なのであることが分かる。全ての言動つまり伏線が、女主人公を思ってのことだったりする。一読、そうは思えないのだが、女主人公は実は太陽の如く物語の中心に位置し、男性キャラ・ヒーローは彼女を周回する一個の衛星に過ぎない。実は登場人物の相対関係は、だいたいいつもそんな感じなのだ。
「駅5」から登場するミステリアスヒーロー陽大は、要はそういう系列のキャラとして描かれ、くらもちファンである私もそういうものだと心底思いながら読んでいたのだ。
 最終章を読むまで私はてっきりそう思い込んでいたのだった。
 しかしくらもちふさこは恐るべきことに(見ようによっては)とんでもない結末を準備していたのである。
 ネタバレになるので多くは語るまい。陽大の思惑は、私の予想とは全然違うベクトルを向いていたのであった。彼は一人の女性を中心に廻る一個の衛星ではない。名前が示すとおり(!)、彼こそが物語の中心なのであった。
 花乃は彼の重力に囚われた衛星なのであり、雛も、水野さんも、要はそれだけの存在なのだ。

 こうした人物相対関係のコペルニクス展開は、もしかしたら時代がそうさせたのかもしれない。
「天コケ」「駅5」で重要なアイテムだったケータイは、本作後半ではとうとうスマホになってしまった。
 くらもちふさこがファンだというSMAPも解散することになった。
 現実世界の男たちは、現実世界の女性に「女性性」を求めないようになってしまっている。
 旧来の男性キャラの特性では、読者(もちろん女性を想定しているだろう)の期待に応えることが、非現実的になってしまっていて、物語を描くなくなってしまっているのかもしれない。

 そんなメタな事情は私の思い過ごしなのかもしれないし、深読みが過ぎてどツボに嵌っているだけなのかもしれない。典型的な痛い感想ってヤツだ。

 作画は、「天然コケッコー」後期から「asエリス」に至るスタイリッシュ性がやや落ち着き、少し読みやすくなっているものの、それでも読者には行間を読み解くセンスを強く求められる。だから、少年バトル漫画や萌え漫画のように口当たりはけっして良くない。漫画読みの玄人でも、かなり歯ごたえがあると思われる。だが、物語の深さや広がりを味わうために、是非老若男女問わず「挑戦」していただきたい漫画だと思う。

 ところで、「駅から5分」から続く「花染町」を舞台としたこれらエピソードは、やりようによっては永遠に続けることができる構造になっている。
 個人的には、売れない声優がどうなったかも知りたいし、花染中学の友人関係の変化も読んでみたい。
くらもちふさこ先生の新作が待ち望まれるところではあるが、「花染町サーガ」として、短編でもいい、続いて欲しいな、などと思っている次第であります。




 memo:過去の感想
 

【日記】 もう一度だけ「この世界の片隅に」を観に行ってきた

 ちょっと早めの帰省ということで仙台に居るわけだが、久々に会った両親、二人の叔母、そして弟と、なんの因果か(というか俺が誘導したのだが)「この世界の片隅に」を今一度観ることになった。主な感想は先日述べたので、だからこのエントリのカテゴリは「日記」である。
 家族と映画館に行くなんて小学生以来である。
 ちなみに、俺と弟以外は非オタであり、劇場でアニメーションを観るなんて経験はほとんど無いはずだ。父親は「ルパン対クローン人間」(これは彼の目当ての007の同時上映だったから、たまたまだ)、母親は小学生の俺ら兄弟のお目付役で「劇場版伝説巨人イデオン」に同伴したのが最後のはず。例の事件のせいで、アニメはキチガイが見るものという情報がインプットされた世代であり、だから、「キネマ旬報で最近評判の良い映画だよアニメだけど」という体でほとんど騙して連れ出したのだった。ちなみに昨日、監督の舞台挨拶が仙台であったようだが、生憎私の体調が悪く、タイミングが合わなかったのは残念であった。
 鑑賞後、所詮私の両親も戦後生まれ戦後育ちのせいか、すずさんの生きる世界はピンと来なかったようである。しかし、良い映画だという感想は抱いたようだ。父親の第一声は「この映画を作るのは、大変だったろうな(文献で調べたりいろいろ調査したのであろう、ということであった)」であり、母親は「悪人が誰も出てこないから良かったね」であって、両親ともに俺とほぼ同意見であったあたり、血は争えぬと思った次第である。

 ところで、親ですら知らない戦前戦中の日本社会を「いまここ」の俺が100%理解できるというのはやはり傲慢であると再確認した。いや、では、原作者や須藤監督がそれを完全に描けたのかと言えば、理屈的にはそれはどだい無理な話であって、要はこの映画の世界観は「よく出来たバーチャル」なわけだ。だからそこに悪人はいないし、風景はどこまでも美しい。
 しかし今回、仙台で観劇したせいか、劇中描写される「バーチャルな焼け野原」によって「津波でなぎ払われたリアルな宮城県沿岸」を想起されてしまった。初見で惹起されたおかしなデジャヴは、震災3か月後に見た石巻沿岸の風景なのであった。であれば、この映画の世界観は確かに今の俺と繋がっていると思わざるをえないのである。ここで注意すべきは、映画の世界観が俺と繋がっているのであって、あの戦争と俺とが直線で繋がっているわけではない、ということだ。

 俺の直線の戦争体験とは、1980年代、某市の桜の名所とされる場所で毎年春に見かけた、物乞いする複数の傷痍軍人であった。
 彼らはみな、白い病院服に帽垂布付きの戦斗帽を被り、義足であったり、眼帯をつけていたりした。たいてい、尺八やバイオリンやギターを物悲しい調子で奏でていて、目の前の箱に金銭を投げ入れるよう促すのである。
 今日の観劇後に一族で食事をし、その際、己の唯一の戦争体験としてこの経験を伸べた。
 親や叔母は怪訝な顔をし、要は、アタシらが子供の頃なら別だけど、お前が物心つくころはそんな人たちは居なかった、居たとすれば詐欺だよ、と指摘したのであった。
 なるほど、今、駅前で募金を叫んでいる一部のうさんくさい連中と同種なのであったか。うぐぐぐ、俺の純情を返せー! あー、知りたくなかったわー!

 また一歩真実に近づいてしまったのである。
 あの戦争の正しい姿を知りたい。
 俺の旅はまだまだ続きそうなのであった。 

【映画】 この世界の片隅に (監督 片渕須直 2016)

 評判通りの良作だったので、映画館からの岐路、書店に立ち寄りコミックを購入した。
 アクションで掲載されていたのは知っていたが、読んだことはなかった。絵柄がガロっぽく思えて・・・、つまり、食わず嫌いだったのだ。

 ともかく、まずは映画だ。

 悪人が誰も存在しない、淡い色彩の優しい優しい世界なのに、「いまここ」目線から見ると、貧困や戦争の気配がそこはかに漂い、空気は冷たい。「いまここ」の我々は、登場人物たちの行く末に困難が立ち塞がることが予感しているのだから、当然である。
 一方、劇中の登場人物たちにとってはそれが当たり前の「日常」なのであり、何の疑問もなく、思い思いに人生の楽しみを見つけては小さな幸福に浸っている。頻繁に差し挟まれるギャグや主演のんの演技に時折唇の端はほころぶものの、残酷な現実世界のとのギャップに私は打ちのめされ、とても幸せな映画だったのに、とても悲しくなってしまった。
「わたしはよく人からぼうっとしていると言われる」
 そう自覚している娘なのだから、周囲の社会状況や自分の置かれた立ち位置を理解などできないし、万事年長者や男性から言われるがまま、成すがままに流されて生きている。もちろん、それが「当たり前」の時代であり、まっとうな女性のあり方だったのだが(自意識が確立した義姉・徑子は作劇場対極のキャラクターになる)、それにしても(悪い意味で)ナイーブ過ぎて、見ているこちらが居たたまれなくなる。
 怒りや不安を覚えても、彼女はそれを口に出す術を知らないのだ。「タハハ」と頭をかくしかない。白痴一歩手前とも取られかねない(無論、そうではない事は承知だ。でなければ電化製品普及前の家政を切り盛りできるわけがない)彼女の言動に、「かわいそうな女なのだ」、あるいはもっと言ってしまえば「残念な時代に生まれた女なのだ」という感情、――もしかしたらこれは差別的感情なのかもしれないが――、ともかく、そうした微妙な感覚を微塵も抱くことなく、この映画を見つめることが、私は果たしてできただろうか。
 姉の徑子が勢いで口にした「あんた、広島に帰ったら?」の言葉は、実に実に、残酷に(俺の耳には)響く。無論、直後にはスレスレのギャグということで回避されはする。こうしたスレスレは、この映画、かなり多い。
 だから、玉音放送を聴いて「安定」が壊されたことを知り泣き叫ぶ彼女を見て、俺はとてもいたたまれなくなった。
 幸せに、平和に暮らすことって、なんて難しいのだろう。
 映画を見終えて、涙は流れなかった。深い悲しみにやりきれなくなって、涙腺がその機能を果たせなかったのかもしれない。
 満員の劇場では、終演後、拍手が起こった。
 俺は悲しすぎて、拍手する気にはなれなかった。
 悲しかったが、不思議に心温まるものもあったのも確か。
 だから、帰路、コミックを買う前に献血してきたのだった。 

 ところで、心配された(?)のんの演技は、幼少時代を除けばほぼ満点と言える。逆に言えば、幼少時の演技は下手であり、やはり声優ではなかったということだ。私は広島弁というものをよく知らないので、ネイティブが聞いて違和感があるかどうかはわからない。が、「あまちゃん」でも「カッコガキの『トウホク弁』」をそつなくこなせていたので、ちゃんと時代感や地域感を出していたのではないかと思う。

 さて、そしていま、漫画を読み終わったところだ。

 読後、漫画の方の「おもひでぽろぽろ」 に似たものを感じた。
 どこか遠い国の御伽噺のようだが、確かに現代日本とどこかで繋がっている。
 細く細く、切れそうな糸だが、現代日本の我々と確かに繋がっている。そのように感じました。
 一方、漫画を読み終わってこそ、スズさんの首をかしげつつ「タハハ」となる描写や、爆撃の様子など、映像表現の豊かさをかえって思い知らされる場面もありました。
 が、白木リンのエピソードが映画ではほぼカットされているなど(これは尺の都合上仕方が無いとは言え)、映画だけでは物語が完結できていない構造は、少々ずるいとも思いました。
 例えば、表紙の一部が切り取られているノートが、映画では一瞬映ります。アレ、漫画を読んでないと意味がわからないですよね。それに、エンディングに流れるイラストも、映画単体では「?」ですね。
 だから、原作漫画にあった「男女の機微」や「すれ違い」は、映画では「わかる人にはわかる」という仕様になっています。原作愛読者にはステキなボーナストラックかもしれませんが。

 ともあれ、原作漫画の良さを200%引き出し、きっちり劇場アニメに仕上げた作品であります。老若男女、誰にでもお勧めできますね。

 あー、ただ一点。
 一点だけ。
 キャラクターデザインに救われている部分はあると思うのだ。
 もしこの作品が世界名作劇場やジブリっぽいキャラデザだったら、多分、かなり悲惨な作品になったと思う。



 劇場アニメが盛り上がっているのは大変素晴らしい時代になったものです。
 この勢いが続きますように。

【映画】 トロピック・サンダー/史上最低の作戦 (監督 ベン・スティラー 2008)

 ベン・スティラー監督作品というと今まで「リアリティ・バイツ」しか見たことが無い。その映画ではスティラー自身が出演もしていた。彼がウィノナ・ライダーとキスをするというふざけた演出は若かりし頃の俺に怒りの感情をもよおさせ、だから良い思い出の無い人物である。

 本作が映画好事家たちに評判が良いのは前々から承知してはいたのだが、アメリカンブラックコメディという「ジャンル」が高い参入障壁となって観賞する機会を逸していた。私はもともとコメディでは笑えない体質であり、海の向こうの映画なら尚更なのである。
 しかし今日はたまたまhuluで見始めてしまったのだった。なんだかんだ冒頭のフェイクCMからエンディングのトム・クルーズのヒップホップなダンス(映画「マグノリア」でもパンツ一丁で変なダンス踊ってたよなw)まで見てしまったので、面白い映画ではあったと言えよう。映画好きであればあるほど「俺ならこの場面のパロディを使うのに!」と落ち着かない気持ちになるかもしれないが、一周半まわって、味わい深くもなってくる。
 徹頭徹尾おばかコメディであり、一部ゴアなフェイク表現が嫌悪感すらもよおさせるが、これもまたベン・スティラーの策謀なのであろう。もうそんな罠にかかるかってんだ。

 ところで、アメリカンコメディ映画において、上映時間の99%は日本人にはさほど笑えない時間だと思う。あちらさんのギャグがピンと来ないし、むこうの社会性や文化も表面的にしかわからない(今回の大統領選で、いかに我々がアメリカの上っ面しか知らなかったのか、皆様もよくご理解できたであろう)のだから、心底笑えるなんて、体を張ったギャグの場面くらいなのが正直なところだろ? 
 そのようにこうしたコメディ映画は日本人には本当のところで理解不能の笑いを提供しているのだが、上映時間の1%の部分に、人間誰しもが共感できる人生の真実や価値が描き出されていたりして、実は侮ってはならないのである。B級映画の矜持とも言える。だから「ショーン・オブ・ザ・デッド」や「ギャラクシー・クエスト」といった名作が生まれる余地があるのだ。
 そうしたガチ要素は本作にも含まれていて、ところどころにしこまれる俳優演技論はちょっと深いものがあり、うぅむと唸らざるを得ない。「役を演じる」ことの本質的意味と、現実と虚構の揺らぐ境界の不安定さなどがギャグの合間に隠されていて非常に小癪な作りなっている。
 
 というわけで、「見て損した」という類の映画では決して無く、むしろ映画好きの方にお勧めしたい。
 ・・・だが、やはりウィノナ・ライダーに職権でキスしたベン・スティラーを、未だに俺は許せないのである!w 

トロピック・サンダー/史上最低の作戦 [Blu-ray]
ベン・スティラー
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2014-09-10

 

通勤用ヘッドホンが壊れたので買いなおした話

 なにがなんでもワイヤレス。
 ここ数年、PCやテレビ周りはそんな感じなので、普段使いのヘッドホンもワイヤレスだし、通勤用ヘッドホンもワイヤレスなのだ。どっちもBluetoothである。ハイレゾが普及したら、今後Bluetoothでは厳しいであろうが、現状、俺の持ち物にはハイレゾ対応デバイスは無いので、問題ないのである。

 問題があるとすれば、通勤用ヘッドホンになかなかしっくりくるものが無い、ということだ。

 自宅で使用する分には没入感満点のオーバーヘッド一択なのだが、通勤用だとそれはいささか大仰である。5万円もするヘッドホンなら「おお!」と思われるかもしれないが、数千円のオーバーヘッドでヘッドバンギングしていたら、周りから人がいなくなりますね。満員電車ならそれでもいいか。いや、やっぱかさばるんですよ、通勤には。
 かといってイヤホンタイプはダメなのだ。皆様ももしかしたら高校の生物で勉強したかもしれないが、ワタクシの耳垢、湿性なのですね。耳垢の乾性・湿性は単に遺伝の問題なのであるが、イヤホンの清潔感という意味ではこれは別の問題で、どんなに耳を清潔に保っていても耳の穴にデバイスを突っ込むのはなんだかイヤなのです(earだけになッ!)。
 となると、耳介にかける、いわゆる「耳掛け型」しか選択肢が無いのが実情。
 でまぁ、今まではこれを使っていたのです。


 なんだかよくわからないメーカーのよくわからないデバイスで、「ノイズキャンセル機能搭載」とありますが、多分、気のせいでしょう。あるいは、一般の方が想像する「BOSEとかのノイズキャンセリング」とは全く別の何かなのかもしれません。だいたい、公式ホームページが見つからないというあたりチャイナの臭いがぷんぷん漂います。
 が、接続が早いのとプリセットされた人の声で接続や電源ON・OFFを(英語ですが)教えてくれるので、いちいち「繋がってるかな?」なんて確認しなくて済むのはありがたい。無愛想な「ピッ」とか「ピー」とかだけだと、分かりませんもんね。音質はまぁフツーですが、オープン型にしてはほとんど音漏れが無いのも通勤戦士には都合が良い。フィット感も硬くなく柔らかくもなく、そこそこしっかり耳にかかる。大変良い買い物だったのです。「だった」と過去形なのは、今は使っていないからです。
  というのは両耳のデバイスを繋ぐプラスチック部分が、破損してしまったから。amazonのレビューにもありますが、結構ポッキリ折れた、ネジがとれた、というケースが多いようです。ネジがとれるくらいならまぁ良いのですが、作りこみが甘いせいか、わずか半年くらいでソフトプラスチック部分にひびが入り始め、さらに半年経過したある日、ポッキリ折れてしまいました。うーん。中国製は耐久性がなぁ。
 せいぜい3千円程度なので、1年使えれば良いとも思いましたが、使い捨て感覚ならばもっと安い品物でも良いでしょう。
 そこで先日、新規購入したのがこちら。


 またも中華製ですw というか、こういうデジタルデバイスで安価に買えるものとなると、国産は絶望的という状態ですので、仕方ありません。
 こちらは、両耳デバイスをつなぐのは硬いプラスチックとなっていますので、それ自体にひびが入ったりということは無いと思います。その替わり、折畳み機構が脆そうで、しかも、折畳んでもさしてコンパクトにならないという謎設計。通勤鞄にしまっておくには少々かさばります。かさばる上に、ファンクションボタンがデカ過ぎて軽いので、いつのまにかスイッチがオンになって音楽が流れていたり。
 先日、満員の電車の中で音楽が聞こえてきて「お、誰かが真のTearを聞いている!」 と思ったのですが、実は鞄の中にしまっていたこいつから音が漏れ出ていたのでした。そう、こいつ、結構音漏れ酷いっす。電波ソングとか恥ずかしくて聴けないのはまぁいいとして、ちょっとビートの利いたトランスとかテクノとかそれなりの音量で聞いていると迷惑行為になりかねません。
 2千円少々とほとんど捨て値でそれ自体は文句は無いのですが、漂う残念感は偽ることができません。安かろう悪かろうは、甘んじて受け止めねばなりませんけどね。

 ちなみに両機種とも右耳部分にbluetoothデバイスが仕込んであるらしく、スマホを入れた鞄を左手に持っていると、時々、音楽が途切れ途切れになります。
 ご参考まで。 

Chromecastを買ってみた

 先月の中ごろまでは、リビングのテレビモニタでhuluを観る機会が多かった。
 PCのモニタよりでかいし、家族と見られるしで、なかなか良い塩梅なのだ。その際、PCからHDMIとか出力を引っ張っても良かったのだけれども、そういう有線ケーブルをテッテーテキに排除したい俺としては、wifiを介してネットと繋がっているXbox360のアプリで視聴していたのである。
 インタフェイスが使いづらくてとんでもないクソアプリではあったが、映画が始まればそんなことは関係が無いので、十分満足だったのだ。
「だったのだ」と過去形なのは、今日からはChromecastを経由して見ているからだ。というのも、huluが「Xbox360にアプリ提供を廃止するお。替わりにCromecastを半額で買えるクーポン渡すお」とおっしゃったからである。好き好んで使っているわけではなく、やむにやまれず、というヤツなのだ。
 Chromecastとテレビ・スマホの繋ぎ方、使い方はこうだ。
  1. まずChromecastをHDMIでテレビと繋ぐ。充電のためのケーブルをコンセントもしくはテレビのUSBから繋ぐ。
  2. スマホにGoogle Homeというアプリを入れる(あるいは、PCブラウザChromeにGoogle Castをアドオンする)。
  3. ガシガシ設定する。
  4. huluやyoutube等、Chromecastに対応しているアプリで見たい動画を探す。
  5. 「Cast」する。
 以上である。
 wifi環境とモニタにHDMIが必須なこと以外、必要なものは無い。wifiとの設定や接続も、アプリ側で勝手にやってくれるので、問題は無かった。テレビモニタとwifiルータは5mくらい離れているが、途切れたりすることもない。画質は1080Pまで対応している。どうせ我が家のテレビモニタは4Kに対応していないので、これで良いのである。
 早送りや音量などは、スマホ側で操作する。操作する必要が無ければ、スマホの電源を切ってしまってもストリーミングは途切れることは無い。動画自体はスマホやPCを介さずに、Chromecast自身が勝手にwifi経由でネットから拾ってくるからだ。
 あまりに簡単すぎて、なんでもっと早く買わなかったんだろう、と後悔した次第である。いやウソだな、半額だったからだなw
 スマホの画面や、ブラウザがChromeであればPCの画面をCastすることもできる。使い方によっては便利な機能かもしれない。特にスマホの「画面と音声のキャスト」はいろいろと重宝しそうだ。

 そしていま、PCで「何をCastできて何ができないのか、あるいはどういう現象が発生するか」、を検証しているところなのだ。
  • Youtubeで動画をCastすると、テレビモニタ側に動画が流れるかわり、PC側の動画は停止する。動画が終了すると、テレビモニタに「再生できます」あるいは「再生できません」という文字が表示され、PC側での次の操作を促される。あらかじめキューを入れておけば、動画が終われば自動的に次の動画が始まる。マイリス一気視聴なんてのもできる。ブラウザを閉じても動画は問題なく再生される。なかなか便利だ。ま、Googleだしな。PCにも対応していて当たり前とも言える。
  • huluはPCで動画をCastすると、Castした時点の静止画が映されるだけのようだ。ただし、音声だけは普通に流れる謎仕様。ブラウザの設定がなんか違うのかしら。もしかしたらwifiルータがショボイからなのか。PC側はとくに支障なく音も動画も流れている。ま、スマホアプリで問題なく視聴できるので構わないっちゃー構わないが。
  • ニコニコ動画はCastできる機能がない。仕方がないのでブラウザで「Cast」してみるが、テレビモニタには静止画しか映らない。うーん、ブラウザの設定なのかなぁ。スマホアプリ「Chrome Home」には「画面や音声のキャスト」という機能がある。だから、ニコニコの公式スマホアプリで映せば、不満なく見られるっちゃー見られる、というか、ストレスなく文字弾幕流れている。スマホを横に倒せば、画面の見たまま、テレビも横長になる。
 スマホにしろブラウザにしろ、配信側がCromecastに対応しているかどうかで全く快適度が違ってしまう。基本的にスマホとは相性が良いようだ。ま、とりたてて不満は無いのであるが。

 なお最近、amazonでは取り扱わなくなったようだ。amazonはamazonで動画配信してるし、Fire Stick TVとモロにバッティングするデバイスだしな。Googleによる囲い込みを阻止したいのだろうな。熾烈なビジネスが展開されているようですね。勝った者が総取りだもんな、えげつないビジネスしてでも、全力でいくしかないのでしょう。
 そうそう、4K対応版のChromecastが近々発売されるようですね。huluは4Kは未対応だし、今のところ我が家ではオーバースペックですね。

ニコラップ温故知新

 twitterのTLで見かけたので慌ててマイリスした。


 この動画自体はラップなのかというと微妙だが、かつてニコニコの「歌ってみた」や「ニコラップ」を席巻した沸かす動画がこうしてリファインされたうえでまた聞けるということは、大変喜ばしいのだ。
 ここ数年、ニコニコ動画は生配信に軸足が移ってしまい、何かをクリエイトしている人々になかなかスポットライトが当たっていないように(個人的には)思っている。世の中が変わってしまったのか、俺が変わらないままなのか。そしてそれが良いことなのか悪いことなのかは分からない。良し悪しで分別することに意味があるのかもわからない。
 だが、ニコラップという文化がどっこい生きていることを知り、懐かしくも嬉しくなったのだ。

 ニコラップって何よ、と問われてなかなか一口には答えられないのだが、ま、以下の動画をご覧いただきたい。
 で、「お、この曲、ちょっといいな」と思っていただければ幸いなのである。
 どの動画もだいたい50分前後。この50分という時間がニコマス動画を作る際に丁度よくて、BGMとしてよーくよーくよーく聞いたものである。
 各動画、俺一人で100回は回していると思うw
 一時期はマイリスから自動再生でず〜っと流してたわw





















 vol.9でらっぷびとが言うように、「受動的より能動的」。これは本当に間違いがない。
 俺もそうありたい。

もう一度だけ映画「聲の形」を観てきた

 公開して一ヶ月以上経つというのに劇場のシートは半分も埋まっている。劇場アニメは君名特需に沸いているのだろうか。いや、違うな。沸いているのは「君の名は。」と「聲の形」だけであって、アニメ界のシュリンクは留まるところを知らない・・・、ってのは別の機会に語るとして、ハロウィン企画とかでTOHOシネマズは現在1,100円で観られるっつーからまた観てきたのです。他に金払って観たい映画が上映されていなかったし。

 先日ここでも述べた公式の「答え合わせ」を念頭に観たのですが、繰り返して観れば観るほど、新しい発見がありますな、この映画は。
 そして一方、深まる謎も。

 本作最大の謎は、最初のカットと最後のカットで写される、玄関にある覗き穴から見ているような焦点の合わない映像だ。焦点が合っていないだけでなく、映像のサイズも小さいこともあり、人物二人が並んで歩いているように見えるのだが、ほとんど黒い影で誰なのか判別できない。
 いったい何を映していて、それがどういう意味を持っているのか、今回の視聴でも分からなかった。
 音の不自由と視覚の不自由を対比させたのだろうか。だがそうした解釈や意味付けにはほとんど無限の可能性があり、俺を悩ませる。山田監督の「答え合わせ」が欲しいところだ。

 今回気付いた演出もいくつか。

 冒頭、ショーヤが初めて手話教室に訪れたときショーコは逃げ出すのだが、階段を下りたところで物陰(というほどの陰ではない)にうずくまり隠れる。ショーヤはいったん通り過ぎてから気付き、振り向いて声をかける。当然、難聴のショーコには聞こえない一方、このとき観客にはショーヤが手すりに手を置く音がはっきりと聞こえている。と同時に、ある種の振動音のようなSEも入っている。
 このことで、耳が遠いショーコが、「手すりの振動でショーヤが近くに立っていることに気付く」ことを描写しているのである。
 ほんの一瞬のカットだ。
 ほんの一瞬のなにげないカットだが、実写映画と違ってアニメでは全てゼロから設計し、作画し、音を付けねばならないのだ。アニメの映像には全て監督の意図が込められているということでもある。だから、「すげぇ演出だな」ととても感心してしまいました。
 ちなみに漫画(連載版)では、追いかけているうちにこけてしまったショーヤにショーコが手を差し伸べる、というかたちになっている。
 だからこの追いかけっこの場面は、アニメオリジナルなのだ。

 この映画のこうした独特の「演出」は挙げていけばキリがない。

 例えば、本作における画面の奥行き感は、カメラレンズの焦点にある、というか、「カメラを模している」のだが、・・・果たして言いたいことが伝わっているだろうか。
 つまりこうだ。
 現在のアニメ映像は全てデジタル撮影であり、今世紀に入ってからは「セル画をカメラでフィルム撮影」という工程はほぼ絶滅している。
 だから、「背景がぼやけている」や、「ピントが合っていない」という描写は、現代アニメでは事実上、すべて「演出」なのだと言える。
 本作では「教室の奥」や「手前の草花」「置物」などの焦点が意図的にぼやかしてあり、アニメでありながらわざと奥行き感を持たせることで、「観客の目」が「カメラの目」であることを強く意識させる(もちろん、「強く意識させたい」という意図があるのだ)。アナログ時代は、こういう撮影は大変だったんだよ・・・って、オタクを自称するならば萌え絵でブヒブヒ言ってねーでこういう演出でブヒブヒするんだ!!(怒
 さらに言えば、スクリーンの四隅などは焦点が合っていないばかりか、色の彩度も分解されている。カメラのレンズにポマードやワセリンを塗ったような効果を模しているのだ・・・って、若い人は分かりますかね?
 ま、とにかく、そういう演出することで「表現したい何か」があるわけだ。そこに気付いて初めて映画の良し悪しを語れるのかもしれない。

 カメラについてもっと言えば、本作は全編、特に光のある場面では常に「紗がかかっている」のだが、皆様、どうお感じだろうか。まるでピンホールカメラで映写したような、チープカメラのレンズを通したような、色や輪郭に少し滲みが出るような、淡い映像になっているのだ。
 そのおかげで映像に優しい風合いをもたらしているのだが、同時に俺は、ふわふわとした、非現実的な居心地の悪さも感じてしまった(もちろん、懐かしさや、昔の記憶を呼び起こさせるような映像表現でもある。感じ方は人それぞれだ)。これも「演出」だ。観客に何かを訴えたいのだ。

 こうした「演出」がそれはもうこの映画は盛り込めるだけ盛り込まれている。オタ的に興味が尽きないのだが、挙げ出すとキリが無いので、ここらへんにしておく。

 で、物語の方だ。

 劇場公開後、あらためて漫画を読み直し、「公式ファンブック」で原作者の「公式解答」を読み、再び漫画を読み直し、伏線や意味に驚愕し、(というかほぼ全てのコマに何らかの意味があり、捨てコマなどない)、いじめられていた西宮ショーコがいじめっ子の石田ショーヤをなぜ好いたのか、いつ好いたのか、そしてどうして死のうと思ったのかが、今やほとんど明確になっている。漫画では、だ。
 そしてやっぱり、この映画は尺が足りなかったな、と思ってしまった。「ツキ」はどう好意的に解釈しても、唐突に思える。いや、俺が見逃した「演出」がどこかにあるのかもしれないのだが。
 ま、それくらい画面のあちこち、登場人物の表情、セリフの一つ一つに意味があり(ま、元々アニメーションはそういう映像芸術なのである)、油断も隙もない映画であるから、円盤が発売されたら速攻買い求めなければならないと固く決意した次第なのでありました。

 それにしてもやはりThe Who「my generation」を使った「入り」は最高だと思った。少年らしい、「無垢で暴力的な万能感」がよく表現されている。
 だがそれだけに、エンディングのaikoは「無いわー」と今回も思った。
「♪あー恋をしたのはー」
 うーん、そういう映画じゃないと思うんだ、俺は。
 少なくとも原作者はそういう漫画ではないと言っている。
 原作のテーマは徹頭徹尾「コミュニケーションギャップ」であり、恋がどーした好きだ嫌いだ愛してる、ではない。だから、エンディングの台無し感は俺にはハンパないダメージを与えるのである。映像も、何だかよくわからない蛍みたいなのが飛んでるだけで、意味不明だし。
 それともこれにも何か「意味」があるのだろうか。

 疑心暗鬼なのであるw



 今回の戦利品w
 いらねぇえええwww
 ご希望の方先着一名に、差し上げますw
 img008

円盤はよww
来年の春ころ?






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2016年夏アニメの感想

 シンゴジ君那覇声形と、この夏はジャンルとしてはマイナーなアニメ・特撮が大きな盛り上がりを見せ、もしかしたらそうしたコンテンツが今度こそ日本文化のメジャーになる時代が来るのかもしれない、と今度こそ今度こそ今度こそ期待している(しつこい)。
「いやいや、ジャパニメーション言われてるし、カワイイ文化もワールドワイドやし、クールジャパンは大成功やろ何言ってんだ今頃」、なーんて認識のあなた、ちょっと待って欲しい。その考えは、とても甘い。べったべたに甘々で稲妻なのである。
 日本のGDPは年度でざっくり500兆円。
 トヨタ自動車の売上が年間で28兆円。 日立10兆 、東京電力が6兆、三菱重工3兆。
 一方、君那覇の興収が現時点でざっくり120億円。シンゴジが80億くらいか。声形は20億行けば御の字。もちろんこれは「今だけ」の数字であって、毎年コンスタントに叩き出せる数字ではない。金満ジブリだって劇場映画は3年に一本程度だったのだ。
 そもそも映画業界全体でどう頑張っても年間1兆円行かない。せいぜい5〜6000億程度。どうだろう、だいたいの規模感を掴んでいただけただろうか。
 はっきり言って、象と蟻だ。
 確かに100億という規模は一つのメルクマールなのかもしれない。アニメ映画で100億というのは、驚愕の数字だ。だが、まだまだ全然足りないのである。一過性の話題に過ぎない。 「産業」とはとても認めてもらえない規模なのだ。いや、認められないは言いすぎだが、それでもやはり狭い世界の井戸の中、いやコップの中の話で、業界の人々はそこにあるアリンコみたいな数字の奪い合いをしているに過ぎない。
 だから俺はこの夏に劇場公開されたアニメ・特撮コンテンツの売上規模には全然満足していない。もっと、もっともっともっと数字を稼がない限りはクールジャパンの尖兵足りえず、ワールドスタンダードになりえないのだ。それが現実的な物の見方というものであろう。俺は日本のアニメが世界を席巻してほしいし、ハリウッドに怪獣映画のなんたるかを見せ付けて欲しいのだ。
 だが、翻って足元を見てほしい。
 制作が間に合わなくてパンクしたアニメ作品が今期も発生してしまった。
 放送はされたが、作画レベルが水準に達していない作品も多い。
 類型的ストーリーを背景にキャラの消費だけを目的とした作品も減らない。
 コンテンツ総体で稼がれたカネは末端のアニメスタジオや独立自営業者たちにはほとんど流れず、相変わらずの自転車操業という体たらく。業界全体が全然学習していないし、反省もしていないように見える。
 良い作品が必ずしも売れないし、売れた作品が必ずしも良い作品というわけでもない。
 それは分かる。
 が、最後まで完走できない作品は、論外と言ってよいと思う(ガルパンという希少な例外はあるにせよ)。そういう作品にかまけていられるほど、もはや業界に余裕は無いはずなのに。
 とまぁ、ここまで書いていったい俺は何様のつもりなんだと自戒しつつ、アニメの明日を思って感想を述べるとしよう。
 これはいわゆる、老婆心ってやつなんだよ、老婆心。
 だからウザイし、面倒くさいのだ。

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視聴完遂

クロムクロ

 逆風吹き荒れるロボ物の中では、ま、ロボ自体の造形やその能力とかに焦点があたっていないからこそ、かろうじて見ることができたポイントなのかな、と思いました。作画は昨今評価鰻上りのP.A.WORKSで、その点は安心です。
 昔あったスネークパズルっぽいロボの造形、多すぎる日常回と危機感・使命感の薄い主人公、日曜テレ朝みたいな敵キャラ、緊張感あるんだか無いんだか分からない研究所スタッフ、謎のSF設定、頭の悪い宇宙征服手段など、かなり脱力してしまう要素が大きい。ロボもポリゴンCGなのでアクションにデフォルメが利いておらず重厚感はありませんし、レーザーとかミサイルとか飛び道具を使わない肉弾戦主体ですので、画面でなんだかガチャガチャやってるだけのように見えます。わけがわかりません。
 サムライがカレー好きだとか、妹ちゃんの傍らにいつもいるオコジョとか、家は純和風の造りで爺さまが坊主だとか、なんだかどうでもいい設定は細々と充実しているものの、それらは特段ストーリーに影響はしないというのもこれまた脱力しますな。
 なんだか難点ばかりなのですが、地球の命運を語っている割にはそれら脱力感とのバランスが妙な按配でツボを押さえているのも事実。エヴァみたいな嘘くさい悲壮感や絶望感もなく、なんだかんだ言いつつも全話視聴してしまいました。
 主人公雪乃のほんわかフワフワ振り、いわゆる天然が、癒されるとは言わないまでも、本作の「和み空気」を醸成しているのだと思います。だから、「SF&ミリタリ&ロボ、どっからでもかかって来いやー!」って身構えて見る必要も無く、のんびりと見る事ができました。それが良いことか悪いことかはわかりませんが。
 そうそう、キャラクターのデザインで、口元がツンてしてるじゃないですか。男も女も。ちょっと新しいな、と思いました。 

クロムクロ ブルーレイ 第一集 [Blu-ray]
阿座上洋平
ポニーキャニオン
2016-10-19



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Re:ゼロから始まる異世界生活

 ループ物のインフレ加熱は著しく、市場はストップ高という気配でこちとらお腹一杯なのですが、いちおう、 1クール目は面白く拝見しました。でも王選が始まってからは後付け設定がガシガシ出てきて少々鼻白んだというのが正直なところ。しかもその設定というかキャラ、物語からどんどんフェードアウトしてゆく。加えて、スバルが絶望から回復する過程と、レムの無条件ラブについて、俺的に納得感が薄く、物語に入り込むのに難儀します。
 そうは言っても、やはり続きが気になったのと、ループ再開の「驚き」という気持ちをわりとクールに消化するなどわりかしテンポが良くて好感が持てました。ループのたびにいちいち驚かれたり悩まれたりされてもね。見てるこっちはそんなお話しをさんざ読んだり見たりしているのでね、面倒くさくなっちゃうんだよね。例えば、映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」はそのあたりの処理は完璧でしたね。そうなんですよ、ループなんてすぐに順応してもらわんと困るんだわ。エンタメ作品なんだから。それを承知の上で、その先の物語をこちらは期待しているのですよ。
 んで、本作の「その先の物語」が、「誰が自分を殺したか」ということに焦点をあてた第1クールは少しミステリっぽくて良かったのですね。ところが第2クールになって白鯨戦とかヴィルヘルムさんの思い出とかね、魔女教徒とかさ、うーん、どうなんだこれ。パワーダウンな感じです。俺の興味を惹く要素が無い。
 原作が完結していない以上、あれやこれやは全く未解決。ロズっちが「竜を殺す(ニヤリ」なんつっても、テレビシリーズでは何が何だかわかりません。そういや、魔女教徒が鬼の村を殲滅した理由もよく分かりませんなぁ。原作未読なので謎は謎のままなのは仕方がありませんが、最後の最後、スバルとエミリアがきっちりお互いを認め合っている様子は(見ているこちらがメチャクチャ恥ずかしくなりますが)良かったと思います。レム、どっか行っちゃったけど。

Re:ゼロから始める異世界生活 1 [Blu-ray]
小林裕介
KADOKAWA メディアファクトリー
2016-06-24

Re:ゼロから始める異世界生活1 (MF文庫J)
長月 達平
KADOKAWA/メディアファクトリー
2014-01-23



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orange

 またか! もう未来とか過去とかループとかおなか一杯やねん!!! 
 とはいえ、それでも、地方都市(松本市)の多感な高校生たちの心の機微を丹念に描いていたのは良かったですな。あんなもじもじしてる女子が現代社会に生息しているとは思いませんがね。
 にしても、悔いの無い人生なんてそんな欲しいですかね。後悔する生き物だから、人間は前へ進み続けることができると思うんですけど。
 俺的に感心の高いSF設定については、全く納得できませんでした。なんやそれおかしいやろ。でもま、広瀬正みたいな緻密な時空物を期待したこちらがアホだったということだろう。このキャラと舞台と人間関係で、ガチSFだったらかえっておかしい。煮え切らない少年少女たちの関係にもやもやしたり切なくなったりするのが、本作の醍醐味だと俺は思うのです。
 松本市はね、いい町っすよ。小ぢんまりしているのに、それなりに賑やかで、緑も豊か。駅前から蔵屋敷を通って松本城へ行く道なんて雰囲気あるし、駅前にアニメイトあるし、ちょっと歩けば文教堂のアニメ館あるしな。 





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91 days

 んんんー、おかしいなー、キービジュ見たときは今期最高にイケてるアニメと予想していたんだが・・・。
 まず作画がちょっとアレ。総集編入ったりしてるのに、話が進めば進むほどどんどんアレになってきて、ちょっと見るに耐えない。作画がアレなのに、お話も支離滅裂でいただけず、こちらも救いようがない。なんかもういろいろキツイ。
 アメリカの禁酒法時代を背景にしているわりには、時代考証も甘い感じがする。つーか、背景に時代感皆無。もうちょっとあの時代の資料を揃えておけ。というか、せめてマフィア映画とか見とけといいたい。
 つい先日、オペラのシチュが「終末のイゼッタ」でもあったのですが、なんかもう雲泥の差なんですよね・・・。 
 マフィアの血で血を洗う抗争・・・の割りにテンションが低く、いや、テンションが低い物語は結構なのだが、ボルテージが上がらない。主人公の復讐にかける情熱もこちらに伝わってこないし、マフィアの抗争も論理が大味過ぎて白ける。見ていてダレる。ファンゴって、このお話で必要なキャラだったんか?
「お前だったのか」「正解だ」の場面も良かったし、最終話の最後の数カットもちょっとカッコ良かったが、それを見るためだけに全部見なければならないというのは、はっきり言って苦痛である。うーん、2時間くらいだったらもうちょっと良かったのかもね。
 おっかしぃなーほんとキービジュとかPVとか良かったのになー。



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ダンガンロンパ3 the end of 希望ケ峰学園 未来編/絶望編/希望編

 放送スケジュールがややこしいっつーの!w
 普通に1時間枠で放送するか、絶望編⇒未来編にせぇや。なんで「3」なのかそもそもよくわからないのですが、あれでしょ、同時期放送で、絶望編で伏線ばらまいて未来編で回収して、両編ザッピングして全体像を浮かび上がらせておおーすげーとか言われたかってんでしょ。なんかあったなこういうの。そうそう、「バイオハザード2」は、本当はそういうのやりたかったんだよね。単なるアイテム受け渡しゲームになっちゃってたけど。
 ゲームをやっていない視聴者はほぼ置いてけぼりですが、過去編の惨殺回あたりから物語のボルテージはぐっと増し、同時期の未来編の死にまくりとも相まってそれなりに面白く拝見しました。霧切さんが死ぬ場面とかえええええってなるし。そう、だから、これは1話ずつ区切って相互に見る作品であって、絶望編視聴完了⇒未来編、という流れだと、面白さというか、ライブ感は無い感じがします。それはそれで面白い試みですが、しかし、一度だけの手段でありますな。成功したかどうかと言われれば、うーん、ギリギリ赤点を回避した、という感じかなぁ。
 それにしても希望編なぁ。ゲームやってないと意味わからへん。



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あまんちゅ!

 眠い! 眠すぎる! 
 ゴンチチサウンドが(いい意味で)眠気を誘うのです。ゴンチチがテレビアニメとがっつり組んだというのは、これが初めてかもしれません。いいなー、ゆったりするわー・・・ZZZzzz...
 ひらがなタイトルのアニメは身構えて見てしまうクセがついてしまっているのですが、えぇと、物語はさほど起伏なく、どちらかというと自分探し系かなとは思うのですが、「電車で見る風景に季節を感じる」とか「下駄箱にラブレターが入っていたよ」とか「皆で買い物に行ったよ」とか、結構バラエティに富んでいて、「スキューバ部」を舞台にしたまったり部活モノという私の予想とは微妙にずれていたのは、かえって良かったと思います。いつ海に潜るんだよ!と思って見てましたけどw 最終回なのかよ!w
 キャラのデザインがストーリーの起伏に応じてデフォルメされるのは面白い表現でしたが、体のサイズはそのままなのでちょっと怖いかな、とも思いましたw あ、あと、制服のデザインは最初から最後まで違和感しか無かったですな。


 
あまんちゅ!(1) (BLADE COMICS)
天野 こずえ
マッグガーデン
2009-08-10

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NEWGAME!

 一瞬、ゲーム版「SHIROBAKO」かと思いましたが原作に少しだけある厳しい人間関係の描写はほぼ無くゆるゆるフワフワな展開で、無闇に頑張っている作画にニヤつく場面はあるももの、何か飛びぬけたシーンや展開も無く、わりと淡々と12話を終えたという印象。最終話の八神さんの告白にはグッと来ないでもありませんでしたが、うーん、全然「SHIROBAKO」じゃなかった。
「淡々と」と言いましたが、このアニメ飽和時代に12話きっちり見せるだけのパワーはあります。キャラの可愛さと、ハメを外し過ぎないギャグと物語展開と、なにより一部鬼がかった作画が最後まで見る事ができた要因かなと思います。
 にしても、劇中明示されていないものの、女だらけのゲーム会社という設定はやはりファンタジーですよね・・・。ありえへんわ・・・。「ゲーム業界」が成立してせいぜい30年くらいでしょうか。まだまだ若い業界ですなー。羨ましいです。
 だがとにかく、青葉はハキハキしていて可愛いな! ウチの新入社員にも一匹欲しいわっ!


NEW GAME! Lv.1( イベントチケット優先販売申込券付 ) [Blu-ray]
高田憂希
KADOKAWA メディアファクトリー
2016-09-28



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甘々と稲妻

 作画が甘々なのでしょうか? おっと、辛口ですみません。タバスコとか七味とかドバドバ派です。
 JR関係や商社方面などが新規に組んだ企画「あにめのめ」第一作ということで、人気漫画のアニメ化というのはなかなか無難な攻め方です。つむぎというキャラの動作や声も良い演技してますし、食べ物も美味しそうだし、老若男女誰にでも楽しめる良心的アニメとなっていますが、ということはつまり、とんがったオタク向けではありません。また、漫画にはあった物語の起伏はほとんど捨て去ってしまい、毎回毎回同じシチュ同じ展開でシリーズとしてのヤマは無く、最終回もほぼなんの工夫もなくそのまま終わってしまったことは大変残念でした。つむぎ、全然成長しとらんやん(漫画では小学生になってます)。
 作画や演出も、あまり冒険できなかったのかなぁと思います。カット割りや絵コンテ段階でかなり工夫している様子が見られるのは、そうせざるをえないほどスケジュール的にきつかったのか、予算が無かったのか・・・、それくらい作画は苦戦していましたね。「あにめのめ」第2作に期待したいところです。

甘々と稲妻 Blu-ray BOX
中村悠一
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
2017-01-11



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バッテリー

 キャラデザは「アルドノア・ゼロ」と同じ志村貴子でありますな。でも、ロボSFにあった意外性はあまり無かったかもしれません。いや、ダメってわけでなくて、むしろ「らしい」くらいぴったりマッチしているのですが、意外性というのは無かったような気がします、と言ってしまうと贅沢か。とはいえ、こうした落ち着いた物語にキャラデザで意外性を出されても困ってしまいますので、これはこれで正解なのでしょう。なお、原作未読です。
 延々続く会話劇は物語としては大変興味深いのですが、絵的にはとても退屈でこれをアニメとして消化するには、見ているこちらはかなりのエネルギーが必要に感じました。最後のオチもややリドルな感じで、受け手の解釈次第というのも、やや乱暴かな、と。いや、繰り返しますが、原作未読なもので。
 それにしても、大ベストセラーにしては、このアニメ化はあまり話題になっていないような気がします。もともと中学生くらいを対象とした小説なのでありましょうから、大人の視聴選択肢に入らなかったのか。それとも、小中学生は深夜アニメを見る環境になからなのか。マーケティング的に、どうかとは思いますね。文科省あたりとタイアップした小規模ロードショーのアニメ映画としてなら、もう少し話題になったかもしれませんね。そういや俺が子供の頃は「文部省選定」とか「文部省推奨」なんて字面をそこここで見かけたものですが、今はどうなんでしょうか。(文科省の公式サイトを確認したら、今もやってるみたいですね。「日本のいちばん長い日」が選定されていたよw)

バッテリー (角川文庫)
あさの あつこ
KADOKAWA/角川書店
2003-12-25




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機動戦士ガンダムUC(テレビ放送版)

 なぜニチアサなのかと言えば、映画と円盤のおかげでとっくに採算分岐点を越えている(であろう)から、深夜で大きいお友達を相手にするよりも、小さい子供たちに見てもらいたいというバンダイ驚異のストラテジーなのでしょう。
 とにかく、その戦略に乗ってウチの男児にも見せましたが、お話は全く理解できていませんでしたね。小5ですけど。いちおう一年戦争は見せてはおるのです。でも、Z〜ZZ〜0080〜0083〜逆シャアはまだ予習復習が終わっていない状態です。意味不明なのは仕方ないですね。
 父はというと、円盤で何回も見ていたって、やっぱマリーダさんのとこで泣いちゃうんですよ。それに最終話付近の「ビギニング」でも自然と涙が出ちゃうんですよ。子供はキョトンとしておりましたけど。なんだかんだ、全部見てしまいましたよ。毎話、話のぶっちぎりも楽しかったですしねw
 副音声はGACKT呼ぶくらいのもっともっと濃いメンツを集めて欲しかったですね。そんなところかな。びっくりするくらいの作画修正も無かったし。あぁ、OPはともかく、EDはかっこいいぞ!! これだけでも繰りかえし見ていられますね。




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視聴継続断念(今期は面白い作品が多かったが、私に許された時間は多くはないのです)

  • B-PROJECT〜鼓動*アンビシャス〜
  • 不機嫌なモノノケ庵
  • 初恋モンスター
  • 魔装学園HxH
  • この美術部には問題がある!
  • タブー・タトゥー(これにはひとこと言いたい。CGIを駆使した格闘シーンは特筆すべきものがありますが、残念ながらお話は古典的少年バトル物で、おっさんの趣味には合わず、視聴継続断念となりました)
  • ラブライブ!サンシャイン

視聴継続中

【映画】 グラン・トリノ(監督クリント・イーストウッド 2008)

 今年(2016年)で86歳となるクリント・イーストウッドの、おそらく最後の主演作をhuluで見た。
 年を取ったなぁ、イーストウッド・・・。
 俺がクリント・イーストウッドを映画俳優として意識して見たのはTVで放送してた「ダーティー・ハリー」かな。でも、劇場で見たのはおそらく「ルーキー」が初めてだと思う。大好きな映画「許されざる者」が1992、「ザ・シークレット・サービス」と「パーフェクト・ワールド」が1993、「マディソン郡の橋」が1995、「スペース・カウボーイ」が2000年。だから俺の仲のイーストウッドは、1990年代以降の姿であり、マカロニ・ウェスタン時代の姿はよくわからない。長じて、彼の主演する映画はほぼ全て観賞済みだが、イメージできるのはせいぜい「ダーティー・ハリー」や「ペイルライダー」、「ファイヤー・フォックス」から。「夕陽のガンマン」とか見ていることは見ているのだが、なかなかイメージできない。中年以降のイーストウッドの姿が、俺の知っているイーストウッドだからだ。
そしていま俺は、老境に至る彼を見ている。

 本作のテーマはきっと複数あると思う。アメリカの人種問題、アメリカの移民問題、アメリカの格差社会、アメリカの老人問題、アメリカの戦争・・・、おっと、つまりこれは「アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のための」映画なのか。
 そしてザ・アメリカである頑固で偏屈な主人公もまたポーランドからの移民であることが、物語に厚みを与えている。
 あらすじは、異民族の少年との交流で心の澱を溶かすことができた老人による、復讐譚である、とだいたい要約できる。
 派手なアクションはないし、80になんなんとする老人が町のチンピラを鎧袖一触でいなすのも少々無理はある。が、死を覚悟した老人の「身の始末のありかた」を見てしまうと、しんみりしてしまう。最後のシーンなどは西部劇への別れの辞とも受け取れ、味わい深いのだ。
 「グラン・トリノ」は偏屈親父の愛車のことである。
 フォード自動車の職工であったことが劇中で言及され、息子がトヨタのセールスマンをやっていることを苦々しく思う場面など、これもユーモラスというよりは、変わり行くアメリカ社会への悲哀、そして、それを認めることができない老人の哀愁が見て取れる。

 様々なテーマを織り込みながら一本の映画としてきちんと成立しているのは、さすがの手腕ではあります。ちゃんと物語になっている。でも、イーストウッドの年老いた姿が、画面のそこここに寂しさの気配を感じさせてくれるのです。

グラン・トリノ(初回生産限定スペシャル・パッケージ) [Blu-ray]
クリント・イーストウッド
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2014-09-03

 
どうしても言いたいことがあるけれども、ネタバレになるので格納しておく。 
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ニコマス界隈の、辺境の住人。革命的国家社会主義真派の刺客、ペロリスト。真士。そして、映画と小説とアニメの愛好家。
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