HaruharaPのブログ

アイマスMADを作りたい人。メインツールはParaDrawとParaFlaです。

まだ花粉でグズグズです。早く梅雨来い。
(2017/05/28)

世界の終わりの七日間 ベン・H. ウィンタース

 と、いうわけでたったいま読了したとこ。
 三部作の最終巻であります。
 迫り繰る巨大隕石はとうとうあと一週間で落着確定という状況下で人間はいったいどういう行動を取るのか、私の興味はその一点にのみあるのでして、もはやミステリがどうとかSFがどうとか、そういうジャンルは問題ではなく、ただ、主人公パレス元刑事の道程遍歴にのみ関心が向くのです。
 世界の状況は、難民がどうとかコミュニティがどうとか、そういう次元をとっくに飛び越えています。
前作で良い塩梅だった先輩刑事は登場すらせず(行方もわからず)、溜まり場だったダイナーもどうなっているかわかりません。テレビ・ラジオやネットなんかはとっくに音信普通のこの終末世界。
ある者は武装し、ある者は暖かく分け与え、ある者は欲得で協力する。
 人類滅亡のラスト七日を、唯一に肉親である妹を追い、結果、そこで遭遇する事件の真相を解き明かすという物語。
 これ以上の感想はどうしたって真相に触れざるを得ないので差し控えますが、どうしたって真実を知りたい主人公の行動に涙を禁じえません。
「なんやこれ、俺妹やエロマンガ先生みたいな、妹萌え小説やろ」なんていったヤツの頭上に、どうか隕石が落ちますように。

 なお、アメリカにおけるアーミッシュの存在感というか文化というのを理解していないと、ちょっととっつきにくいかもしれません。「刑事ジョン・ブック目撃者」観たり、「ゴルゴ13」の某エピソードとか読んでおくと吉。



刑事ジョン・ブック 目撃者 [Blu-ray]
ハリソン・フォード
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2014-03-26



三部作の感想
地上最後の刑事
カウウンドダウン・シティ
世界の終わりの七日間

カウントダウン・シティ ベン・H. ウィンタース

 前作はSFを舞台にしたミステリでしたが、シリーズ第二部の本作はミステリをダシにしたSFでした。とうとうデッドエンドが数ヶ月後になってしまいましたので、もはや法執行機関は機能しないのです。
 隕石落下が多少動機に絡むのでその部分がミステリっぽくはあります。しかしやはり、政治経済コミュティが崩壊していく様子を描いたSFでしょう。加速度的に悪化してゆく人間社会は「霊長類南へ」といった無常感があります。一方で、たくましく・あざとく生きてゆく人間性も語られておりまして、SFとして実に楽しめる出来となっております。
 人間絶滅が確定した世界状況で、多生の縁があったというだけで無報酬で人探しをする主人公。食糧配給も滞った喫茶店でジョークを飛ばす仲間たちや、急進的共産コミュニティを樹立する若者たち、いまだ体制側に就く人間、司法機構が停止した検死局で働く医師、押し寄せる難民など、映画にしたらおいしそうなシチュエーションがテンコ盛りです。

 一人称視点のいわゆるハードボイルド形式で話は進むので、世の中の変化はどこまでも主人公目線です。だから文体上、終末世界を俯瞰できないのですが、それが息苦しさを感じさせる効果を上げています。それが良いのですけれども。ハードボイルドらしく、皮肉やパンチの聞いた文体も素敵で、しかもそれがエルロイほど難解でないのがなお宜しかったりします。
 地球滅亡という大状況のなか、主人公が振り返る人生や、唯一の血縁となってしまった妹への感情、顔見知りというだけの子供たちに振り向ける愛情、人生の良き先輩の協力など、泣ける要素もふんだんに盛り込まれ、サービス精神旺盛な本作。
 最終第三部はいよいよ隕石落着一週間が物語の舞台だそうです。これは読まずにおられまい!!
 物語の終着点はどこになるのでしょうか。BOOMSDAY前に終わるのか、その後も生き延びてしまうのか、はたまた妹が身を投じた(とされる)カルト集団が活躍して破滅は回避されるのか、藤子F先生の某作品のようなオチになるのか、無限に予想はできますが、はやる気持ちをおさえつつ、今日は寝ることにしますw


地上最後の刑事 ベン・H・ウィンタース

 シチュエーションミステリ、というジャンルがある(と個人的には思っている)。たいていはSFで、アシモフの「鋼鉄都市」を筆頭にしたロボットシリーズとか、ランドル・ギャレット「魔術師が多すぎる」とか、ハル・クレメント「20億の針」なんかが有名作だが、もっと定義を狭めるとなると、要は本格ミステリの密室・密閉モノはほとんどがそれに該当する、そういうジャンルだ。
「手段」「動機」「機会」の三すくみ関係にそのシチュエーションが絡んでくるのだが、その度合いは作品によって全然違ってくる。トリックとストーリーのどちらの比重にかかってくるかも関係してくるので、作品のベクトルは単純な2軸にプロットすることはできないものの、概ね、いわゆる「新本格」と呼ばれるここ30年の日本ミステリにおいては、「トリック」と「手段」に大きく依存しているように思われる(だから、大人になると物足りなくなる。話が薄っぺらだから)
 本作のシチュエーションは壮大稀有で、「半年後に落下する隕石で地球滅亡が確定」しているという恐るべきそそる状況がその「設定」となる。
 隕石落下が何かトリックに関与するわけではないので(←別にネタバレではないと思う。今のところ)、ジャンルとしては「サスペンス」に当たるとするのが順当なのであるが、やはりこれは「ミステリ」なのである。
 というのは「人類絶滅が確定している世界でなぜ殺人が起こったのか」という「謎」、つまり「動機」の解明がやはり「ミステリ」なのだから。
 その解答に至る道のりにおいて、その殺伐たる世界観が次第に浮かび上がる。結果的に本作の世界観は乾いたハードボイルド(逆説的に、ウェットな話にもなっている)になっていて、実に、実に今の私の気分に「はまっている」。崩壊する世界で職務に忠実であろうとする主人公。私には、多くの日本人の労働者の姿に重なって見えてしまいます。

 ところでこの作品は三部作の第1部になっているようです。
 第2部や最終巻で、地球壊滅という大状況がどうミステリとして消化されるのか、興味が尽きません。
 というわけで、仕事が落ち着いたら続刊に手を出そうと思っております。

地上最後の刑事 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ベン H ウィンタース
早川書房
2016-06-09





 ところで、私は「ポケミス」で読んだわけだが、いつのまにかフォントサイズは大きくなり、促音「っ」もちゃんと小さく印刷されていた。最近本当に目が悪くなってきたので、たいへん助かりますw

【日記】 「聲の形」ブルーレイが届いたのでまた観てみた

 正規の発売日前に届いてしまったので、また観た次第だ。
 オーディオコメンタリーはとりあえず後日にするとして、普通に本編を一回流してみた。
 今後は、5.1chで観る、DTS Headphone:Xで観る、新録のサントラで観る、オーコメで観る、と、修行僧のように見続ける日々になる予定である。
 
 しかしこの映画、見れば見るほど謎が深まるのでありまして、例えば冒頭とラストのショット、ピンホールカメラで覗いたような黒いアイリスの中に映っている映像はなんなのか、その演出意図は、とか、レンズ撮影のように画面のはしで色収差を見せている演出はなんなのか、とか、なんでエンディングが甘々なJ-POPなのか、とか公式回答が無いのは残念なのだ(そして楽しみでもる。だから、オーディオコメンタリーは最後にする予定)。いや、漫画の方には公式回答はちゃんとある。あくまで映像作品として、ということだ。
 あらゆる物語類型の根源にあるのは、「謎の解明」である。だから尽きることの無い興味で繰り返し見続ける羽目に陥っているという構造。
 そして劇場公開版から何か修正があったのかは、ネットの解析班の発表待ちである(?)。こちらも謎であるなw

 そんなわけで、良い物語と良い謎は不可分一体にあることをも再認識させてくれる映像作品なのである。ラノベアニメや萌えアニメに飽いた日常において、心地よいスパイスなのでした。

映画『聲の形』Blu-ray 通常版
入野自由
ポニーキャニオン
2017-05-17

 





 なお以前にも書いたように、この映画における「障害」は、誰もが必ず持っているディスコミュニケーションの暗喩であり、そしてそれは程度問題として捉えるのが正しい解釈だと思う。だから、その点を腐して本作を低評価にする姿勢は、個人的にはあまり感心しませんね。そして、やはり永束君こそが、この物語の非常に重要なパーツであることを再確認せねばなるまい。


聲の形」の感想もいろいろ溜まっていたので、ここらで整理しておこう。


うーむ。こんなに書いてたかw

百番目の男 ジャック・カーリィ

 たいていのミステリがストーリー中に放つジャブはそれ自体が華麗でなければならないのは(金を取るエンタテインメントなのだから)当然だとして、肝心な点は、優れたミステリにおいては全てのジャブが、綿密に計算された連携を持ち、最後のフィニッシュブローを放つための布石に徹するという役割を、しっかり果たしているということである。だからジャブとは、最後のストレートの為に計画的に放たれなければならず、それと知らない観客を沸かすための小道具に過ぎないのだ。従って目の肥えた観客は、死んでいるパンチと生きているパンチとの見極めが正確で、勝敗が決したあと、どのパンチやフットワークが試合の組み立てに貢献したのかで評価し、選手の才能を見る。俺はその審美眼が欲しい。
 
 で、本書を読み終えて、そうした観点から思い返すと、ずいぶんムダ弾が多く思えたし、みえみえのフェイントには苦笑いするしかなかった。いまさら「羊たちの沈黙」をやられても、なんだか懐かしい感覚すらある。それが偽らざる正直な感想だ。そんなパンチ、蠅が止まって見えるんだぜ。
 フィニッシュも、訳者あとがきで自賛するほどの内容とはとても思えない。手がかりが読者に提示されていない以上、まずもって、本作はミステリではないのだった。そのあたり、ガチンコのボクシングを見に言ったら、学生プロレスの脚本を見せられたような失望も覚えた。ま、これはこちらの準備不足だ。学生プロレスには学生プロレスの面白さがあるのはわかる。学園祭の花形イベントだったりもする。ただ、こちらは後楽園ホールまで見に行ったのに、というハズレ感。つまりはそいうことなのだ。
 真相が明らかになったのちのドタバタは明らかに蛇足で、もっとスマートに試合を締めくくる方法があったのでは、とも言いたくなる。見え透いたタイムリミットサスペンスは、手垢じみていただけない。そのあたりのページはさっくり省いて斜め読みしても、なんら影響がなかったりする。

 しかし新人ボクサーにしては試合運びは軽快で、観客を喜ばせるツボも心得ていることは確かであり、実際に目を引くエピソードやレトリックもあった。
 主人公とそのバディとの掛け合いが最たるもので、ウィットに富みスノッブな会話はなかなか読ませものがある。暗喩隠喩が巧みで、英語の原文で読んだら普通の日本人には理解できなかったかもしれない(うーん、変な日本語だ)
 登場人物達の過去が少しずつ浮かび上がり、それがなんとなく、人生の無情とか愛情とか表現される何かをイメージさせる場面がいくつもあり、興味をそそられる。
 だから繰り返すが、本書は決して本格ミステリではなく、サスペンス小説とかクライムノベルとか言われるジャンルであれば、なかなかの出来栄えであるように思う。
 結論からすれば、読ませる文体、そそる表現には感心したのは確かで、クオリティの高いエンタテインメントになっている。薄っぺらなネットの文章に飽いた我が日常においては、スパイスとパンチが利いた作品であったことは間違いない。
 しかしくれぐれも、ミステリとして読んではいけないと思いました。まる。

百番目の男 (文春文庫)
ジャック カーリイ
文藝春秋
2005-04

 

睡眠用ヘッドホンを新調した件

 ここ数年、寝しなにSomaFMでアンビエントなどを聞きながら入眠することにしているのである。その際、没入感を高めるよう、スピーカーではなくヘッドホンで聞いている。だからヘッドホンに必要な要件は、ワイヤレスであることと、イヤホンではなくヘッドホンであること、なのだ。睡眠用ヘッドホンと言ってもなにか特別な機械のことではなく、本当にただのヘッドホンのことなのだが、それを買い換えたよ、という話である。
 
買い換えたのはこの5年で3回目であり、結構な頻度である。その理由は簡単に言ってしまえば、壊れたからである。
しかもすべて、同じ壊れ方。
ここの部分の破損である。
2017041601
あぁもう、ポッキリ逝ってますね

 以前のエントリで通勤用ヘッドホンが壊れたことも書いたこともあったな。なんでか知らんが、壊れるのである。俺の頭がでかいのか、使い方が悪いのか。眠ったあと、(知らぬうちに)手で払いのけるように外してしまうせいか。
 つまりは、取り扱いが雑なせいだ。
 というわけで、新規に購入したのはこちら。

 もう少し待てば青や赤も発売されるようだが、我慢できなかった。
 今回の購入要件は、上述のとおりワイヤレスであることとヘッドホンであること。それに加えてコーデックはaptX対応にも対応すること。そしてなにより、壊れにくいことである。
 というわけで今回、この部分は金属だ。
 2017041602
パッと見、頑丈そうである

 肝心の音だが、ハイレゾ音源を聴くわけでもなし、そもそもプレイヤーがスマホという時点でお察しなのでさして追求はしていない。だから特段の不満は無い。音漏れもなく満足である。PC用の有線ヘッドホンは以前からオーディオテクニカを使用しており、安心感はある。わけのわからないアジア製ヘッドホンよりは信頼できるだろう(と思いたい)。
 オーバーイヤーではなくオンイヤーなのは少し没入感をそがれる。が、さほど締め付け感は無いので、寝苦しい思いをすることはない。
 問題があると言えば、スマホとのNFC接続がなんだか上手くいかないこと。結局、設定の方からbluetooth接続で済ませた。 ま、このスマホも夏には買い換えようと思っているので気にはならない、ということにしておこう。

 しかしこのあたりが弱そうなので、いずれ破損することになるだろうのだろうなぁ。何年持つだろう。
 2017041603

追伸:充電中はbluetooth接続はできないようだ。

2017年冬アニメの感想

 今年の桜は雨で台無しなのである。
 
 とかゆーといて、じゃあ毎年桜を見に行ってんのかよ、と問われると答えに窮してしまう。
 要は、冒頭の言はこのエントリの枕であって、さして意味は無いのだ。
 あるとすれば、こんなクソブログですらそれなりに文章に気を使っているんだぜ、という宣言か。せいぜいそんな程度だ。
 市井の一般人でさえ表現とはそのように気を使うものなのだから、金を取って放送されるアニメ作品なら、一定水準の「文法」を使うべきであろうと思って何が悪いか。ところが昨今では批評する点が「文法」以前の作品が多い。
 要は「仕事をこなしている」といった態度が赤裸々なアニメがある、ということだ。
 どこぞの銭ゲバが組んだ製作委員会が、いい加減なマーケティングで見つけてきたラノベや小説のアニメ化作品に、なにか志があるのだろうか。
 そうした焼畑ロジックが展開されて幾星霜、もはや界隈ではぺんぺん草も生えない。
 放送されるラインナップでオリジナルアニメは一体何本か。あったとしても、かなり製作に苦労している様子がうかがわれ、痛々しい。
 
 苦い花見なのだ。

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視聴完遂

  • 機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ
 最近テレビで放送されるガンダムに足りないのはミリタリズムであることは周知の事実であろう。ストーリーとミリタリズムのミックスこそがガンダムをして従来のロボットアニメから上部レベルへシフトさせた原動力なのであるから、制作者サイドが新作のたびに放言するマイ哲学の披露だけでは、話し半分なのである。
 ミリタリズムを廃してガンダム世界にヤクザやマフィアの論理を持ち込んだのは新機軸だったかもしれない。それが果たして2クール50話で語るべき内容であったかは謎だったが。
 そうしてミリタリズムを排除した結果、要所に起きる戦闘はただの能力バトルになってしまっていて、ウォー!だのドリャー!だの叫んでいるうちになんだか決してしまうのだ。無論、最前線の兵士にまつわるのであればそうしたよくわからない状況自体が物語性を持つ。だが、オルガ・イツカの語る未来はシンプル過ぎて深みがなく、戦場の霧があってもなくても前に突き進むだけであった。シンプルでわかりやすくはあったが、それが50話を費やして語る話だろうか。
 ネットで言われるように、登場人物のどいつもこいつもが頭がパーなのは本当に残念であって、だからそんな人物たちがもっともらしく語る理想やら理念やらは全然響いてこず、空虚で鼻白む。もっとマシな解決策は山ほどあるはずなのに、それを無視して(制作者サイドだけが満足する)エンディングへと突き進むのだ。誰か止める人はいなかったのか。
 恥ずかしげも無くぬけぬけと披露される他人(制作者)のオナニーほど幻滅させられるものはない。それも何故か当人たちは誇らしげなのだ。
 ガンダムというコンテンツですらこの体たらくとあっては、アニメ業界の明日は暗いと言わざるを得ない(ユニコーンもサンダーボルトも、小説界や漫画界からの越境だ)。
 三日月のクールなキャラクターはガンダム史上屈指の造形であった。要所要所の作画もハイレベルだったし、少年兵というテーマも斬新だった。これだけの素材があったのだから、もっとなんとかなったのではないか。残念でならないのである。
 まぁ、アトラさんは可愛いんですけどね。



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  • ろんぐらいだぁす!
 物語としても絵としてもそれなりの水準にありながら、ほぼ誰からも見放された悲しい作品。原因は制作スタジオの制御不全であって、要は人的ミスである。原作ファンはもとより原作者に対しても礼を失する態度であろう。猛省を求める。
 
ろんぐらいだぁす! 第1巻〈イベント優先販売申込券付き初回限定版〉 [Blu-ray]
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2016-12-21


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  • 幼女戦記
 空戦の作画が素晴らしく、タイトルで拒絶反応を示すと勿体ないです。とはいえ、やっぱ酷いタイトルだよね。自ら市場を閉ざしているのは残念な態度だ。
 軍オタならギリギリ納得できる程度の、要は俺ツエー戦略な架空戦記でありまして、そこをどう乗り越えるのかが興味の的でありました。俺ツエーのままならそこらの異世界転生のしょーもないラノベと大差く、物語に深みもなにもあったものではないのだから。で、神だなんだゆーといて、なんだか浅いというか。舌足らずなのか尺が足りないのか・・・。哲学も思想も、あまり感じられません。
 幼女の口からほとばしるハートマン先任軍曹ばりの罵詈雑言は面白くはあり、作画もかなり高度なのですが、ねぇ。
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2017-04-26

幼女戦記 (1) Deus lo vult
カルロ・ゼン
KADOKAWA/エンターブレイン
2013-10-31


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  • 3月のライオン
 ほぼ原作をなぞったストーリーにシャフト新房演出で、なかなか安心の展開でありました。ただ、この先かなり重苦しいエピソードが続くのは周知の事実なのでありまして、その辺りをどうクリアするかでこのアニメの評価が決まるのでしょうなぁ。
 残念ながらウチの子らにとって、将棋というテーマも、主人公と孤独、主人公と社会の折り合いの様子も面白みを感じなかったようで、将棋音頭の前の早々に視聴をやめてしまいましたことを併せて報告いたします。
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2017-01-25



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  • 昭和元禄落語心中―助六再び編―
 最終回で暗示される「回答」のあり方に、ミステリ愛好者として唸らされるとともに、そういやそのあたりを全く考えずに所与の条件として見ていた己の見識の低さに情け無い思いがしますなぁ。その驚くべき最終回を堪能するがために、2クール24話は絶対に見て損は無い。
 芸事の非情さは三代目助六をもってしても乗り越えるには難儀であるとした物語は、見た目の軽さに比してずしりと重く、こちらにおいては永遠に回答は得られそうもないという結論(最終回「死神」を語る助六の表情を見よ)にいち視聴者としては息苦しさ、重苦しさを感じざるをえない。
 だからこそ役者たち(ベテラン声優たち)の話芸の凄まじさ、そしてその「芸」の深みに目眩を覚えた次第である。

昭和元禄落語心中(1) (KCx)
雲田 はるこ
講談社
2011-07-07


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  • 亜人ちゃんは語りたい
 原作に忠実なまま終わってしまった、というか、原作がまだ終わっていないのに終わらねばならないテレビアニメシリーズの宿命か、さほど盛り上がらないまま淡々と淡々とエンディングを迎えます。
 基本、登場人物たちの会話劇でありますし、各デミの習性や人生観もわりと早期に明らかになるので、後半はもて余してる観がある。
 んー、原作に忠実過ぎるのも、だったらコミック読めばいいじゃんという身も蓋もない結論になってしまうのだなぁ。悪くは無い。だが、プラスアルファが無かった。



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  • ガヴリールドロップアウト
 第1話のサターニャ様の動きを見て視聴確定。なるほど、動画工房でしたか。
 要はギャグアニメなのだが、全体に漂うまったりとした空気は殺伐とした現実世界で疲れた私の癒しとなりました。いいのよ、その角笛、吹いても。
 ギャグに対するゆるい突っ込みはいささかテンポを外される。でもそのおかげで、なんだかかえってほっこりしてしまったのです。OP曲のサターニャ様、かわいいw

ガヴリールドロップアウト (1) (電撃コミックスNEXT)
うかみ
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
2014-12-19



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  • けものフレンズ
 1話切りしておきながらネットで話題になるとぬかりなく録画しておいたストックを一気に消化した不心得者なのですが、じゃあこのアニメが5年先10年先に残るレベルの作品かと言われると、それに賛成するのはなかなか難しいというのが正直な感想である。明らかに小学生を対象とした世界観にどっぷり首まで浸かるには、俺は世の中の酸いも甘いも知りすぎている。どうしてそこまでピュアになれるんだお前らは。見てるこっちが恥ずかしいわ。こちとら「なつみSTEP!」という懐かしいFLASHを思い出し、そんな闇落ちまで覚悟していたのに。
 クローンの自意識やクオリア、生命とは何なのかまで具体的に突っ込んでいれば、素晴らしいSFになっていたかもしれない。うーむ。


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視聴継続断念

  • AKIBAS TRIP
  • うらら迷惑帖
  • 正宗くんのリベンジ
  • ハンドシェイカー
  • スクールガールストライカーズ
  • セイレン
  • chaos;child
  • 南鎌倉高校女子自転車部
  • アイドル事変
  • バンドリ!
  • 鬼平

視聴継続中

鉄の夢 ノーマン・スピンラッド

 なんだかんだ言って今日も今日とて70年代SFを読んだのであった。

 非常にあらすじを説明しにくいのは、本作が階層構造になっているから。
 具体的に言うと、このSF小説「鉄の夢」は、「アドルフ・ヒトラーが書いて発売された1954年度ヒューゴ賞受賞作『鉤十字の帝王』の第二版を収めた本」という体で、1974年(日本では1980年)に発売されているのである。

 これだけじゃ、全然衝撃が伝わらないな。
 俺も本書カバー折り返しのあらすじを読んでもなんのこっちゃわからんかった。

 ページをめくると、逆卍をあしらった小説の表紙という体裁になっている。
 続く項にはSF作家アドルフ・ヒトラーの 作品一覧があり、 略歴の記載がある。そして小説「鉤十字の帝王」の本編が始まり、上下二段組みの約250ページを読み終えると、ニューヨーク大学教授による小説解説があり、さらにその次に「鉄の夢」を翻訳した荒俣宏の訳者解説があるのである。
 分かりやすく書くとこんなディレクトリ構造になっている。

  • 現実世界
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|小説「鉄の夢」表紙&カバー
|中表紙
|作者ノーマン・スピンラッドによる献辞

  • 虚構世界
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|小説「鉤十字の帝王」(アドルフ・ヒトラー)表紙
|本書の経緯
|アドルフ・ヒトラー著作一覧
|アドルフ・ヒトラー紹介

<更なる虚構世界>
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|小説「鉤十字の帝王」本編
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|第二版あとがき(ニューヨーク大学教授ホーマー・フィップルによる解説)
 
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|訳者(荒俣宏)あとがき
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 お分かりいただけたであろうか?

 アドルフ・ヒトラーが書いた小説「鉤十字の帝王」自体は――本書の大部分をそれで占めておきながら――ぶっちゃけて言えば退屈の一言である。退屈なのだが、本書「鉄の夢」のセンス・オブ・ワンダーはそんなところには無い。上の表をご覧いただければ理解できるだろう。この構造を楽しむことができるか否か、が、本作を受容できるかどうかの分岐点なのである!!w

 虚構世界では、ヨーロッパからの移民であるアドルフ・ヒトラーは、50年代のSF界隈においては同人活動に熱心なB級SF作家でしか無い。
 だから、なぜアドルフ・ヒトラーなる人物の小説が、現実世界のナチスの勃興から西部電撃戦や独ソ戦といった一連の歴史をなぞっているかのような鉄血グロ小説を書き上げたのか、全く説明が無い。
 虚構世界の人間にはそんな現実世界のことは関係無いのだから。
 だから、現実世界の我々視点では「鉤十字の帝王」が何のメタファーなのか概ね推察できる一方、虚構内にいる「ニューヨーク大学ホーマー・フィップル」氏には、そのこと自体は理解不能なのだ。

 しかし、現実世界のアドルフ・ヒトラーと虚構世界のアドルフ・ヒトラーとの精神構造がなにゆえ似ているのか、そのこと自体の説明を、本作は「あえて」放棄している。別に「なろう小説」ではないので、転生しているわけではないのだ。そんなツマラン構造なら俺はわざわざこんなエントリ書いたりしない。

 以下、ネタバレになるので、それを嫌う場合は、ブラウザをそっと閉じて欲しい。
 ネタバレしますよ?

(虚構の)第二版あとがきの(虚構の)ホーマー・フィップル教授は、(虚構の)SF作家アドルフ・ヒトラーの精神構造と(虚構の)世界情勢との関係を述べている。1974年の視点で、だ。
 ここにおいてようやく本書で最も、そして真に驚嘆すべき記載を読んで我々は驚愕する。
 この虚構世界では、全世界がソヴィエトによって赤化が完了され、米国と大日本帝国のみが細々と、その世界統一に反抗していたのだ! そしてそういう世界だからこそ、「鉤十字の帝王」という血生臭くグロテスクな小説が再評価され復刊されたのだ、と説明されているのである!
 虚構と現実を俯瞰しうる「高い城の男」は本作には登場しない。それはあなた自身なのだから。
 事前の解説など抜きに偶然この「鉄の夢」を手にとってしまった私の混乱を想像してくれたまえ。まさに、センス・オブ・ワンダー。この驚きの一撃を堪能したいがために、退屈極まり無い「鉤十字の帝王」を読み終えた甲斐があったとすら言えよう!

 ところが、この設定・この世界観・本書の構造について、現実世界の作者(ノーマン・スピンラッド)からはひとことの説明もない。
「鉄の夢」が発売された1974年は、一時緊張が緩和されていたとはいえ、冷戦という対立構造こそが地球上の全てを決定していた時代であることをもって、2017年の現実世界に棲む日本人としていろいろ妄想するしか無いのだが、だからこそ面白いのである!

 はっきりいってそうしたメタ構造を楽しめない限り、本書は1ミリの価値も無い小説だ。
 だがあなたが楽しめるかどうかは表紙をめくり訳者荒俣宏の解説を読み終えるまで判断できないという理屈でもある!
 このことは、少し大げさだが「娯楽小説の真のあり方」と言ってさしつかえないかもしれない。
 
 以上のように、読み手を非常に選ぶ小説だとは言えるので万人に薦めることはできないが、ここまで楽しく考察でき、じっさいこうして時間が過ぎるのを忘れて文章を打ったりしている私のような人間がいるのである。はまる人にははまるはず、とだけ言っておこう。そこらにある、歴史改変だとか、異世界転生だとか、一部の例外を除きほとんどしょーもないレベルの有象無象の作品とは、モノが違うことだけは確かである。俺ツエー系ではるけどな!www

 いやそれにしても、「訳者解説荒俣宏」が虚構でないと、誰に言えるだろうか?

ノーマン・スピンラッド
早川書房
1980-04


【映画】 セッション(監督 デミアン・チャゼル 2014)

 怨念と情念の相克の果てにある魂のサウンド。文字通り、正真正銘の血と汗と涙の物語。物語が終わっても互いの憎しみは消えないだろう。だがそれが偉大なアーティストへの道なのだ。

 アカデミー作品賞を獲り損ねた「ラ・ラ・ランド」の監督さんの、2014年の映画です。この映画、サンダンス映画祭で受賞しております。ですので、一筋縄ではいきません。
 音楽教室での教育モノ、自分探しモノ、アーティストの人生モノ、世代間ギャップ、孤独な青春ストーリー、ビルドゥングス、スポコン、師弟モノetc...
 観る人の立ち位置によって、これほど受け止め方や解釈の仕方に差が出る映画はそうは無いのですが、この映画は本当に百人百様の観られ方をする作品かもしれません。
 教師と生徒、どちらの感情移入するのか。そこが一つのポイントで、評価が変わってしまう分水嶺なのは間違いありません。と言っても、どちらもわりとどうしようも無いキャラクターだというのも面白いところで、先生も生徒も頭のネジがかなり外れているタイプ。
 スパルタ上等鉄拳制裁唯我独尊教師と、ドラム以外友達がいないニュータイプワナビーな若者。どっちもまともじゃない。
 私の立ち位置はどちらかというとフレッチャー先生の方に傾いていて、教育者としての氏の思考&志向の大変共感しました。けっしてハートマン先任軍曹ばりの罵倒&毒舌に感心したわけではありません。嘘です。聞く耳持たない分別のつかないガキに手をあげたい気持ちを、フレッチャー先生に託してカタルシスを得ていたのです。
 だって大事なコンテンストの日やろ。前乗り前泊するくらいの気配りせぇや!
 楽譜を無くしたり遅刻したり、挨拶もできなかったり、そのくせ自己主張は激しくプライドは高い。なんつーかこー、主人公の行動言動にイチイチ我慢ならんわけです。
「やればできる子」は、決して自分からやらないから、いつまでも、死ぬまでダメな子なのだという厳然とした真実。そこをあの手この手で何とかしようとする教師。
 やらなきゃいけないことをキチンとやるのも才能なのです。ダメな子に限ってできない理由を言うし、自己分析が甘い(もちろん、子供のスキルに合わせて教える側が準備するのは当然です)。だから、俺は主人公ニーマン君を平手打ちするフレッチャーに共感してしまったのです。
 そういう映画か、これ?ww 違うだろww

 最大の謎は、最後のコンテストにフレッチャー先生が準備した「罠」です。
 純粋な復讐なのか、これも一つのハードルだったのか、あるいはその両方だったのか。
 本作最大の謎について、明確な答えは準備されておりません。まさに見た人の受け止め方次第。

 ですが、ドラムソロを見ているうち、こちらも手や足に力が入り、歯を食いしばったのは確かな事実です。
 画面からほとばしるエネルギーと音の洪水。
 手にじっとり汗をかいてしまう緊張感が、確かにここにある。
 その源泉はなんなのか。怒りなのか、憎しみなのか、プライドなのか、リスペクトなのか。
 やはりサンダンス。分かり易い答えなんか、用意されているわけが無いのでした。 

へびつかい座ホットライン ジョン・ヴァーリィ

 70年代のSFは体質に合わないという話は何度かした。
 はっきり言って面白いと思う作品は過去読んだ中ではほとんど無かったわけだが、なぜだかSF界隈では「必読の書」とされている作品も多い。本書もその一冊で、だから手にとったのだが、実のところ、年配のSFオタにバカにされないため、というかなり消極的な理由が動機の大半を占めているので、尚更面白いと思えないのだ。なぜ俺にとって70年代SFはパッとしないのだろう。音楽なんか最高なのに。
まぁでも、タイトルはかっこいいよな、「へびつかい座ホットライン」。これが「射手座」とか「乙女座」だとメジャー感ありすぎるし、「コップ座」だとユーモア感が出ちゃうし、「エリダヌス座」だと狙い過ぎだ。黄道12星座になりそこねた、というか、ほぼ黄道上にあるというのも、「へびつかい座」の特徴なのだが、そうした点は物語で全く言及されない。冒頭で「Ophiuchusはオヒューカイって発音するんだよ、元々は医者を表現する言葉だったよ」なんてわざわざ注釈してるから、何か意味があるのかと思ってしまった。深読みしすぎ。ともかく、メジャーでもマイナーでもない、微妙な塩梅がかえって良いのかもしれない。
 と、タイトルでいつまでも引っ張るのもアレだし、そろそろ本題に入るが、一読、まず怒りに震えたのはその尻切れトンボっぷりで、ぶっちゃけ何の解決にも至っていないところ。問題だけ提示しといて、解決編は無い。この構造は「スタータイド・ライジング」も同じっちゃあ同じなのだが、ブリン先生の作品はワクワクドキドキの冒険SFだから、十分それだけで満腹なのだ。
 もちろん、「へびつかい座」ホットラインにも感心すべき点はある。
 クローンという設定を駆使して錯綜する物語は、今風で言えばリピート物の先駆けとも言え、特に前半、あっちこっちへ話が飛ぶあたりはドライブ感があって楽しい。楽しい? いや、翻弄された、という表現がより適切か。ブラックホールを介した時空超越などかなりグッとくるアイディアなのに、ほとんど顧みられていないのはかなり贅沢な作りと言える。
 身体文化や性の変容にポジティブなのも70年代ぽいっちゃあ、ぽいかもね。もっとも見方を変えると、生命科学の可能性が無限に広がっている時代だからこそのファンタジーなのかもしれないけれども。それに、そうした身体変化が「攻殻機動隊」ほど「人間性のありよう」に迫ってくるわけでもない。
 へびつかい座からの情報がどのように人間社会に影響を与えたのかいま一つはっきりしないのは少々もどかしい。つまり「人類」全体の問題なのに、主人公周辺はどこまでもインディビジュアルな視点に終始していて、エンタメ感が薄い原因になっている。アホみたいなセカイ系もうんざりだが、主人公に使命感みたいなのが無いのも盛り上がりに欠ける。
 この原因は、社会や政治、経済、歴史にほとんど無関心なまま物語が進むという点にあるかもしれないし、本作の特徴だとも思う。それはそれで良いのだが、主人公達が寄って立つ未来社会の描写がピンと来ないので、主人公らしさ、ヒーロー・ヒロイン像が掴みにくい。

 やっぱり、70年代SFはどーも合わないのだなぁ。あ、あとイーガン。イーガンも何作読んでも面白いと思えんのよ。困ったもんだ。

 
ニコマス界隈の、辺境の住人。革命的国家社会主義真派の刺客、ペロリスト。真士。そして、映画と小説とアニメの愛好家。
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