HaruharaPのブログ

アイマスMADを作りたい人。メインツールはParaDrawとParaFlaです。

30年前からMacユーザーの俺に言わせればですね、iPhoneなんてクソですよ
(2020/2/9)

沈黙 遠藤周作

 外出自粛なところにテレビモニタが壊れたので、ネットで情報漁ったあとは読書してネット将棋するくらいしか、やることが無い。しかし暇かといえば、やたら眠くてガッツリ8時間は睡眠時間を確保できたりしていて、わりと忙しい日々を送っております。
 で、テレビモニタが壊れる数日前、見たのがブラタモリの天草特集。私が興味を覚えたのは番組が紹介する地誌的側面より、隠れキリシタンという歴史ワードでありまして、そりゃ、wikipedia見りゃあらかたの情報を習得することはできるものの、なんとなく実感として響いてこない。ということで手に取ったのが本書。小説の感想は、きっとありきたりな物になると思うので割愛します(割愛するのかよw)。
 遠藤周作というと、かつての豚児が放送局の社長になったことくらいしか今は話題になっていないのですが(?)、私が子供のころは、雑誌や書店でよく見かけるお名前でした。でも、ブンガク最後の残党、というよりは、中学生でも笑って読めるエッセイを量産していたハゲに悩んでいたオジさん、というイメージがあります。佐藤愛子とか阿川弘之とか北杜夫なんかとの珍道中とかね、「明るい文壇」。そういうイメージがあったのですが、「はなきんデータランド」の文芸書のランキングでは、日本的宗教観に満ちた小説が常時ランキングしていたという、硬軟両面併せ持った不思議な小説家だったイメージが残ります。
 親の本棚にはそんな狐狸庵先生のエッセイ本がたくさんあったので、遠藤周作の日なた部分は経験済みなのですが、実は文学者としての闇の遠藤周作については、現代文の模擬テストに出てきたのを目にした程度、ちゃんと読んだのはもしかすると初めてかもしれない。
 とまぁ、ちょっと構えて読み始めたのですが、これが実に読みやすい。まるでシバリョーの通俗小説のような読みやすさ。歴史を題材に、かなりの取材を経て書かれた本作は、異国人の目で見た特異な日本社会を浮き彫りにしていて、しかもその「日本的沼」は今も、コロナ禍で打ちのめされている我々にずっと繋がっていると思うと、ゾッとするものがあります。そしてこの小説が50年も前に書かれていたという事実。ある種の予言書のように捉えることもでき、驚きます。
 もっとブンガク臭のする難解な小説を予想していたのですが、本当に読みやすい。歴史小説でもあり、社会批評でもありますし、「いびき」のシーンなどは恐怖すら覚えます。なるほど、上手く翻訳されれば外国人にも受けそうな小説で、スコセッシが映像化したがったのもよく分かりますね。まだ見てないけどw
 とまぁ、テレビが無いと読書がはかどる昨今なのでした。

沈黙 (新潮文庫)
遠藤 周作
新潮社
1981-10-19

沈黙-サイレンス- [Blu-ray]
リーアム・ニーソン
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2017-08-02

2020年冬アニメの感想

 普段、上にたてついてるやつに限って、イザとなると頼りにならない。

 日本でよく見かける光景だし、もしかしたら世界中そうなのかもしれず、だとすると、もしかしたら人間の普遍的在り方なのかもしれない。
 口は出すけどそのほとんどは中傷で建設的発言ではなく、ましてや賞賛しないし、カネなんて出す気もない。
 むしろ、カネも時間もかけずに、我々を生かせ、助けろ、笑わせろ。それも今すぐ直ちに。
 なんとまぁ醜い姿か。国民総モンスター。ゴジラもびっくりだ。
 人は危機的状況に陥るとその本質を表出させるというが、コロナ禍がまさにそれで、なんと低レベル・次元の低い言い争いに終始していることか。政治経済科学風俗、全部が所詮はそのレベルの社会なのだ。
 ・・・などと高みから下界を見下ろすような言い方も、不遜というか身の程を知らず、結局、そういう連中と大差無いことに気がつく。

 しかし、査読された学術論文でもない限り、医者だろうが社会学者だろうがネット上の発言は眉唾妄言だ。誰もその責任をとっていないし取る必要もない(刑事・民事に発展しない限りは)。
 であれば、言い方は偉そうだろうが謙虚だろうが、何を言ったって何者かからの誹りを受けても傷つく必要などないわけだ。そもそも、ネット上のアカの他人、どこの誰が何を言おうと、知るかってんだ。
 つまり、高い・低いなんてそもそも無い、同じ事象平面に立った話だってのは変わらないわけで、さかしらにコロナ禍を分析するツイートも、パリピのコロナアゲアゲツイートも、反アベ桜問題追求ツイートも、同じ穴の狢なのだ。

 そんなわけで、「最近のアニメクソつまらん」という発言に噛み付かれたところで、「お前、鏡に噛み付いてんの?」と嘯くだけなのだ。

 4月1日テレビモニタがぶっ壊れるという嘘みたいな事案が発生した結果、春アニメを一つも見れていない今、アニメと距離を置く丁度良いタイミングなのかもしれないと思っている昨今です。

 それでは、2020年冬アニメ、一本しか見ていないけど、感想を述べてみよう。

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  • 視聴完遂
映像研には手を出すな!

 漫画の方はいちおう4巻まではおさえております。吹き出しにパースかかってるのが面白いよね。
 アニメの方はといいますと、1話、2話くらいまでは基本に忠実なのですが、それ以降はほとんどユアサオリジナルというか、あれ、この流れ見たことある、そうだ、「ピンポン」やん、みたいな。
 要所要所で原作エピソードを押さえつつ、見せ方・言っている事は、完全にユアサです。本当にありがとうございました。それについては、原作者サイドと折り合いはついているように(客観的には)見えますので、そこらあたりがクリアできれいれば、我々第三者がどうこう言う話ではない。
 ポイントは主人公が完全に金森嬢になってしまっているという点で、彼女が歯噛みする日本社会というか、非合理的な社会システムにイラつくという姿勢には大変共感がもててしまう自分が居ます。なんという独立心。そうよ、「自分」を保つためには「カネ」が要るのだ。そこんとこ、他の二人はさっぱりわかっていない。
 NHKは資金潤沢なのか、作画はハイクオリティで見ていて楽しい。音楽もテクノ(死語)っぽさがあって、これがファンタジックな本作のデザインに(というかユアサ節に)たいへんマッチしていて心地よい。
 水彩ミヤザキ風のイラストボードが立体的に動くのも、正しいCGの使い方で、結構なお手前です。ポリゴンキャラとかね、そういう風に使うんじゃねーんですわ、CGは。さすがユアサ、よく分かっている。
 ただ、世間的に好評だった浅草氏のCVですが・・・。うーん、自分的にはイマイチでした・・・。水崎氏のキャピったハイトーンボイスも(たいへん上手でしたが)違うなぁ、と・・・。というわけで、やっぱ主人公は金森嬢だったのです。
 本作の最後は、妙なメタで無理矢理終わらせた感があり、若干知りきれトンボなような気がします。おそらく続編は無いでしょうが、うーん、もっと見ていたい気もしますが、きらら日常系みたいに永遠に続くのも違うと思いますので、これはこれでOKなのでしょうなぁ。知らんけど。


映像研には手を出すな! COMPLETE BOX (初回生産限定版/2枚組) [Blu-ray]
小松未可子
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2020-06-24


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視聴継続断念
  • マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝
  • 7SEEDS
  • 空挺ドラゴン
  • pet
  • ソマリと森の神様
  • 虚構推理
  • はてな☆イリュージョン
  • うちタマ?!
  • 痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います
  • 地縛少年花子くん

・・・死屍累々とはこういういことを言う。

劇場版SHIROBAKO (監督水島努 2020)

 コロナウイルス渦中にも関わらず、足を運んでしまいました、申し訳ありません。
 まさかの続編、それも劇場版なのですが、テレビシリーズの出来の良さを思えば、若干蛇足感も否めないのも事実。でも、宮森やムサニの仲間がどうなったか、気にならないと言えば嘘になる。そんなわけで、期待と、少々の不安を抱えつつスクリーンに向かったのであります。
 私のBRレコーダーには、初回放映時のものを消さずにそのまま残しております。いまだに年2ペースで全話見返している作品でありまして、キャラ消費だけのしょーもないアニメの多いなか、私の中ではなんとなくマイルストーンになっています。テレビだろうが劇場だろうが、この内容とクオリティを超えるアニメを最近見られないのが残念なのであります。
 結論から言うと、期待以上の水準でありました。少なくとも、ガッカリすることは絶対にありません。ただ、まったくSHIROBAKOを知らずに見るとなると、少々理解が追いつかない可能性はあります(しかしYoutubeで公式無料配信しておりましたので、それはさすがに客としては不勉強でありましょう)。劇中時間として、2019年2月からの約1年間という短いような長いようなそんな時間を、2時間という上映枠の中にキッチリ納めることができています。
 テレビシリーズのあの人この人が漏れなく出演しておりますが、予告で皆様が気にしているのは武蔵野アニメーションの凋落っぷり。ビルは煤け、オフィスは薄暗く、主役の宮森も覇気が失われております。身体的に疲れているというよりも、精神的に摩滅している感じ。それに、どうやらかつての「仲間」が散り散りになってしまっている様子。社長もいつのまにかナベPに交代している始末。いったい何が・・・。

 そこから先はネタバレになるのでここでは控えるとして。物語の結末は、私の目には「苦いハッピーエンド」のように見えます。なぜ「苦い」かは、今日ここに書くのは控えます。あと野亀先生だけは、救われませんでしたね・・・w

 予告にあるとおり、心機一転「劇場版」を製作することになった宮森一党の喜怒哀楽が、登場人物ごとに小気味よいテンポのエピソードに纏められたお話は、きっちり2時間、観客の目を離しません。これはキャラなのかストーリーなのか、映像なのか、何にに起因するかといえば、やはりアニメのチカラなのだと思うのですよ、素直に。すこし括りが大き過ぎるか。

というわけで間違いなく一流作品なのですが、気になる点が3点ばかり。

  1. 武蔵野アニメーションが凋落した理由は理解できました。しかし、そこで会社に残った人、去った人たちにどのような葛藤があったのか、とても知りたいと思いました。人の去就が激しい業界だと思いますが、そんなにあっさり他社へ移ったり、現場を去ったりできるものなのでしょうか。あのテレビシリーズがあったのに。
  2. ナベPというキャラクターの人物背景が、やはり謎なのです。皆、様々な理想や情熱があってアニメ業界で働いているわけですが、彼だけがなぜそこに居るのかが、劇場版でもよく見えてこない。テレビ版21話で、ボンズの南さんからも「お前が見えない」と言われております。この映画で何らかの解答があるかといえば・・・やっぱり見えません。続編への淡い伏線ということでよろしいでしょうか!?
  3. 宮森がプロデューサーとして働くのはストーリーの流れとしてよくわかります。ならばここで、「お金」の話をしないのは画竜点睛を欠く展開です。はっきり言って物語にならない要素なのではありますが、アニメの現場を語るうえで、SHIROBAKOほどの作品であるのならば、なんらかのメッセージを込めてほしかったなと思います。
 映画冒頭のラジオDJが語っていたとおり、アニメはビジネスとして成立しなくなっております。唯一希望があるとすればNETFLIXやアマプラをはじめ、別の資金源がきちんと「現場」に還流しつつある環境が整いつつあることです。そこでですね・・・。やっぱ2期見たいなぁって思うんですよね、変な話・・・。

 とりあえず、コロナがおさまったらあらためて観に行きたいですね。

↓今回の私の戦利品。実は家族で観に行ったので、太郎平岡を除き4種類ゲットしてしまいましたw
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アンドロメダ… (監督ロバート・ワイズ 1971)

 なんとまぁ、実に今から50年近く前の映画になりまして、たぶん、1980年前半の夏休みに、テレビで昼間に見たのが初めてのはずです。以後、テレビ再放送のたびに見ておって、のちに大学生くらいになって原作のクライトン「アンドロメダ病原体」を読んだという流れ。ちょどあの頃、「ジュラシック・パーク」をはじめ、軽いクライトンブームがあったのですね。そこで、「緊急の場合は」「ターミナルマン」「アンドロメダ病原体」「スフィア」「北人伝説」等々、一番脂が乗っていた時期で、手を替え品を替え、我々読者を楽しませてくれました。そして今回のコロナ禍のいろいろなまずい社会情勢を鑑み、わざわざブルーレイディスクを買ってあらためて「今ここ」目線で、「科学がもたらす危機と科学がもたらす解決」を見直そうと思った次第です。
 徹底的に合理的な隔離施設、サイエンスに基づいた科学者達の研究手順、非情なまでの軍事的社会背景等、今でも十分見ごたえのある映画であり、読み応えのある原作なのですが、いまさら私が何か言うまでもないほどの有名作なので、話の流れは適当にネットで検索してください。

 今回私が注目したのは絵作りというか、ロバート・ワイズの映像センスですね。
 ブラウン管の黒い画面に浮かぶ蛍光テキストや図表、シンプルでミニマムな研究室のデザイン、CGを模した(当時としては最先端の)ベクタスキャン、さまざまな情報を伝える文字のフォントはもちろん、カギの形にまでこだわっている。原作には研究室の合理的描写はあるものの、このあたりは「え? 『ウェスト・サイド・ストーリー』『サウンド・オブ・ミュージック』のロバート・ワイズ?」でありますな。「なんとなくサイエンティフィックでなんとなく合理的に見えるデザイン」が今でも十分通じていて、シンプルにかっこいいい。ロバート・ワイズというと、なんとなくミュージカル映画という先入観があるのですが、本作やのちに「スター・トレック」(劇場版第1作)を監督したりしていて、ゴリッゴリにイケてる映像クリエイターなのです。もっとも「地球の静止する日」や「キャット・ピープルの呪い」など、元はといえば、「そちら」畑の人間だったのかもしれず、「ミュージカル映画」なんてメシの種と思っていたのかもしれません。
 またデザインだけでなく、スプリット・フォーカスや画面内画面など、ちょっともうこのお父さんは、映像センスとかデザイン云々以上に、映画バカとか撮影オタクとかいう尊称の方がお似合いなのかもしれませんね。

 2時間たっぷりの映画のわりにはテンポが良いですし、シンプルな未来的デザインはちょっとしたサイケデリックな雰囲気もありまして、なんかもう映像ドラックといった塩梅。何言ってんだ、今日の俺は疲れているのか?w
 もっとも科学者が、自分でマニュピレータを操作したり、樹脂で固めた資料からプレパラート用切片を切り出したりするなどはちょっと現実離れはしており、本当に「危機に対処する専門チーム」なのであれば、彼らは考え続ける頭脳でなければならず、直接実験室で作業してしまうのはオペレーションとしてはまずいのかもしれません。
 また、これは昔から思っていたのですが、最終的に明らかになるアンドロメダ病原体の真の能力からして、前半、壊滅した街から帰還後、紫外線照射(?)で除菌を行う工程で特に何も無かったのは、少々矛盾を孕む場面だったかもしれません。

 そうは言っても、「科学者が合理的思考に基づいて最適な行動を取り」「試行錯誤の果てにギリギリのタイミングで謎を解明し」「合理的な解決を果たす」なんて話、面白くないわけないじゃないですか。まだ見てない人はほんと見てくれ。この映画が、後日、様々な映像や小説にパクられリスペクトされまくった事を知って欲しいものです。

 小説「アンドロメダ病原体」がなぜ映画の邦題が「アンドロメダ…」になったのかというと、劇場公開の宣伝にあたり「病原体」という文字がいささか問題アリとプロモーションサイドが勝手に忖度したため、という都市伝説がありますが・・・。どうなんですかね?

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NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2015-10-21

李陵 中島敦

 この年になって読み返してみた。何か新たな発見があるかもしれないと思って。
 初めて読んだのは高校の頃だったか。小中学校で漱石、龍之介、高校で鴎外、基次郎みたいな、なんかそんな流れのついでだった記憶がある。しかし「李陵」を読んだのは現文の時間ではなく、世界史で古代中国を学んだあとだった。武帝時代の対匈奴作戦の一環として、教師から衛青や霍去病の名とともに挙げられ、読むように薦められたのだった。いまは青空文庫やWikisourceで無料で読めるのね。

 李陵の男気は子供心にかっこよく、司馬遷の克己心にも感ずるところがあった。しかし、主要登場人物の中のひとり、蘇武についてどう思っていたのか、覚えて居ない。漢文調の文体は心地良いものの、一方でそれはいささか説教臭く読み取る原因にもなってしまい、登場人物たちから教訓めいた人生観を無理矢理読まされたような感覚を受けた。というわけで、面白かったは面白かったが、個人的には中島敦については「光と風と夢」のような南洋小説の方を興味深く読んだ高校生だった。

 そして今度はプロのサラリーマンとして読み通したのだが、李陵や司馬遷の不器用っぷり、世渡り下手さ、頑迷固陋な態度に反感を覚えたのは意外だった。
 彼らはなんと面倒くさい男たちなのか。
 そうか「男気」は面倒くさいのだ。矜持や自尊心は、他人にとって、特にビジネス社会においては一銭にもならない。といって組織にとっては人材としてそこそこ役に立つあたり、取り扱う側が気を使わねばならない。そういう意味で、とても面倒くさいのだ。黙って言う事聞け、と。
 盲目的に武帝に従う李陵に苛立ち、やがてその気持ちに揺れ動く姿に苛立つ。官僚でありながら上司の気持ちを汲むことを拒む(拒んでなんら損はないのだ)司馬遷に居心地の悪さを感じた。宮刑を経ることで自省し史記を著す、結果論としてというのは分かるし、史実のとおりなのでもあろうが、だからと言ってそんなナイフみたいにとがって触る者みな傷つけなければ遺すことができなかったのか、疑問なのである。もっと上手くヤレよな、と。
 記憶になかった「蘇武」という男にも、なんだか納得いかないものを感じた。時代がそうさせたのであろうが、武帝なる上司に卑屈にまで従わねばならないなんて、なんですか、幼少時にDV被害にでもあって正常な人間関係を築くことができない性癖なのでしょうか。俺のケツを舐めろと言われて、躊躇せず舐めるタイプ。俺だったら面従腹背で適当い受け流し、次の有能上司に代わるまでテキトーに仕事をこなすのに。
 三者三様の男たちの有り方は、確かにかっこいい。厨二病的かっこよさがある。そらぁ誰だって、己の人生を捧げる対象に尽くしたい、尽くしてみたいと思うものだ。でも、その対象が国だったり王様だったり、親からの遺言だったり、そういうのはゴメンこうむりたいと思う年頃になってしまったのである。
 理想の生き方は植木等。スーダラに生きたいと思う男にとっては、李陵・司馬遷・蘇武は重すぎるのだ。


この世界のさらにいくつもの片隅に(監督・片渕須直 2019)

 ほんとねぇ、事実上続編みたいなものじゃないですか。話のスジはそのままに、濃度は150%マシ。
 原作未読組でも、映画初見でも、もうこれで戸惑うことはありません。
 現代視点から見ると、「楽しさ」と「悲しさ」の温度差が全く違う薄ら寒い昭和初期の感覚にとまどうが、でもそれが常温であった世界に、どっぷりたっぷり、ひたりまくりの3時間。
 今回追加されたのはりんさんパートだけかと思ったら、見慣れぬカットがいくつもあり、旧作(?)を二度三度見た観客でも十分満足できます。周作さんとりんさんの関係解説を叔父夫婦がやってくれたりと、サービス精神旺盛過ぎる(りんさん視点では・・・と語ってしまうと、微妙にネタバレになりそうなので控えよう)。しかしその満足は単に「好きな映画を初見感覚で見られる」という意味ではない。知多さんが日傘をさして歩いている場面や、閨でのねっちょりしたシーンなど、追加されたのはやっぱり「楽」とは少しベクトルが違う「深み」がある箇所であり、少しゾッとしたりもした。
 良い映画であることは確かだし、三時間という長丁場ではあるが、「アッ」という間に見終わってしまうのも確実。
 老若男女全ての日本人に、是非見ていただきたい良作なのでした。
 本作品の出資者や企画者の慧眼には恐れ入るばかりだが、問題は、こうした劇場アニメを見てもなお、ビジネスと表現とのバランスがおかしい映画製作者たちだ。もういい加減、新海ジェネリックみたいな映画や、ラノベアニメにリソースを割く余裕なんて無いはずなのだが・・・。

2019秋アニメの感想

 2020年、令和2年と、なんとなく「2」が気になる年であります。
 今年はもっと小説を読みたいな、という抱負があることにはあります。要は時間をどう捻出するか、なのですが・・・。そのあたり、ノープラン・ノーアイディアなので、下手をすると、ただただ時間だけが過ぎてゆく一年になりそうで、あまり明るい兆しが見えにくいというのが正直なところ。
 そうだ、一つ大きな野望があったのだった。それを何とか実現したいというのはある・・・。去年はできなかったのでね。それが何なのかは、言わぬが花というところにはなりましょうが。
 それにしてもなんですか、「君の名は。」移行、ヒットを当て込んで雨後の筍のごとく製作された劇場アニメは、ことごとく討ち死にですな。あのーこういうの、やっぱ「ビジネス先行」でやるとダメだと思うんすよね。金になるんだったら、とっくにハリウッドが手をつけてるっつーの。所詮、ニッチなんですよ、アニメって。金になんかなるわけがない。そもそもそういうスタートで作って行かないと、心が折れてしまうどころか、業界全体が折れてしまいます。どこぞの広告代理店やらプロモーターの口車に乗ったって、現場が疲弊するだけなんですよ。要は「志」ですよね。テーマを描きたい・実現したいという熱意、温度が、低いのではないでしょうか。
 そうだ、そういえば俺にも「志」があった。
 今年こそはスプラトゥーンを上手くなりたいです。

 それでは、2019年秋アニメの感想を行ってみましょうか。行ってみましょうかったって、最後まで見たのはたったこれだけですけどね。

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視聴完遂
  • 放課後さいころ倶楽部
 ゲッサン連載を楽しみに読んでおりますので、期待度高めでした。結果的に言うと、まぁまぁ、及第点かなぁ、とは思います。作画が少々ぎこちなかったのが残念だったでしょうか。省エネと堅実なレイアウトでなんとか凌いだという感じ。
 しかしやはり物語の構造上、アニメやドラマにはやはり向かなかったよな、とは思いました。ゲームの説明が地味というか、うるさいというか、余計なのであります。原作はそのあたりのネームを大変工夫しており、登場人物の性格や人間関係がルール解説場面に散りばめられ、トータルとして物語の品質向上に役立っています。アニメも頑張ってはいるのですが、どうしたって絵に動きがなく、地味になるのは仕方がないところ。もちろん、アクションやゴアシーンが前面に出てくる漫画でもありませんので、本作においては、地味というのは悪罵ではないのですが・・・。原作の楽しさ、というか、物語の緻密さをアニメで味わうには、視聴者側に一定の要領というか、心構えが必要ではありました。




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  • 星合の空
 第1話のDVシーンで冷や汗が流れてしまいました。
 だってそんなアニメだと思わなかったんだもん!! 予期せぬ異常事態に身構える余裕すらなく、これはちょっとしたホラーです。それにしても登場人物の誰も彼もが闇を抱えていて、「いったい『普通』とはなんなのか」と視聴者に迫ってくるのです・・・それ以外はわりと分かりやすいスポコンアニメなのでありました。
 私も中学時代は軟式テニスをやっておったのですが、そうですか、今は「ソフトテニス」と呼ぶのですね。ラケットを振りかぶってからのフォロースルーが実に実に「軟式テニス」なのでありまして「そうそう、このアクションw」と実に微笑ましい。それくらいテニスシーンのキャラ作画は気合が入っております。もしかしたら、CGトレスかもしれませんが。
 しかしですね。
 問題はスポコンや作画やDVやテーマではなくて・・・。「2クールで作ったけど目処が立ちませんでした。あとはアンタらの脳内で補完願います」という姿勢は、噴飯を通り越して、語るべき舌を持てなくなってしまいます。金の算段がつかないのは業界が腐っているせいではありますが、だからといって「頑張ったけどクソでした」などとのたまうアニメに3ヶ月も付き合わされてしまった、私の立場がない。本作の失敗に限っては、その原因は視聴者には全くありません。まるで共犯者のような言い方はやめて欲しいものです。
 というわけで、よほどの好事家でもない限り見る必要が無いアニメです。
 同情の余地なし。

(「星合の空」はAmazonでは取り扱っていないようです)

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  • ヴィンランド・サガ
 漫画既読組としては、初っ端から関心は「どこまで描くのか」と言う点にありまして、序盤にオリジナルをブッこんでのもったりした話運びに「こりゃ2クールでもイングランド編までやな」と気付いてしまう作風。セリフも微妙に変えてあったりして「えぇ・・・俺ならこうするのに・・・」などという、俺の中の要らぬ製作意欲を刺激してしまう罪作りなアニメ化でした。
 しかし2クール目、アシェラッドが村人を皆殺しにするあたりから話のボルテージは一気に高まります。・・・高まります、ったって、漫画でとっくに承知しておきますので、なかなか「初見感」が薄いのが残念なのですが・・・。そのあたりの気分は、YouTubeのVinlandsaga reaction動画あたりで、間違いなく初見の外国人のトークや驚き顔を見て昇華することにします。
 2クール目のOP、Man with a missionはいいですね。バグパイプ風ののどかな音色からいきなりのギターリフ、黄金の十字架が戦列の戦闘を行く場面なんか一瞬ですがハッとするカット。ちょっと時代にそぐわない感じもしますが・・・とにかく、見ていて気持ちが良い。2019年アニメのOPの中ではなかなか良い出来だと思います。
 そんなわけで、漫画を知っている俺らにとっては少々物足りなく、最終回の最後でそうした漫画読了組に向けたかのようにヒルダさんたちがチラっと映ったりするのは、逆に媚びているみたいでうんざりしました。それをやるくらいだったら、第23話でトルフィンを奴隷に落とし、第24話のCパートに、農園で自分を見失っているトルフィンを映した方が物語として起承転結がついているように思いました。だってこれ、漫画読んでなかったらこのアニメ、何も解決してないですよね。アシェラッドがひたすらかっこいいだけで。
 というわけで本作を和食に例えるならば、刺身である漫画の素晴らしさを引き立たせるために皿に盛られた、ツマのようなアニメだったとしか受け止めることができなかったのです。ただ、大根の産地にこだわり、それをよく研いだ包丁で鋭く刻んではありますので、とても美味しくいただけます。




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視聴継続断念
  • アズール・レーン
  • 本好きの下克上
  • バビロン
  • 神田川JETGirls
  • 警視庁特務部特殊凶悪犯対策室第七係トクナナ
  • 歌舞伎町シャーロック
  • BEASTERS
視聴継続中

史上最大の作戦 コーネリアス・ライアン

「いちばん長い日」というと日本では1945年8月15日のことであるが、欧米人にとっては1944年6月6日の事なのである。

 と、いうわけで、「ヒトラー最後の戦闘」と同じく、軍事解説本、映画、小説、ドラマの元ネタシチュ満載、パクリ元・ネタ本となっているドキュメンタリーを読んでみた。「ヒトラー最後の戦闘」は高校生時分に読んだ記憶があるのだが、本作はついぞ読んだ記憶がない。というか、書店で見たことない。というのも、半世紀ほど前に筑摩書房の「現代ノンフィクション全集第11巻」に所収され、四半世紀ほど前に早川で出版されたきり、現在は入手困難となっているようです。私が読んだのは筑摩版。ミリオタか、現代政治史やジャーナリズム学の学徒、あるいは、ジョン・ウェインの熱烈なファンでもなければ、わざわざ古書店で買おうとまで思う人はそう多くはないだろう。が、古書店でわりと見かけるし、私のように図書館で借りることもできるので、単に「気合い」や「きっかけ」の問題とも言える。
 私はと言えば主な興味の対象が1945年の東部戦線であるため、陽気な西部の戦況(冗談ですよ)は大筋の戦況や作戦経緯を理解しているだけでもともとさして興味が無かったわけだが、先日、なぜか会社でオペレーションズリサーチやロジスティックスをプレゼンせねばならぬハメに陥ったため、わざわざ勉強し直し、それでもやはり自分の言葉で説明するのが面倒となりあちこちのビジネス本をパクりまくったのだ。だいたい、会社のアホども(特にバブル以前に入社した連中)にそんなモン説明しても理解できるわけがなかろう。

 いや、ちょっと待ってほしい。この話、そんなに長くないから。

 結局、勉強し直すにつれ、己の基礎的知識の不足や欠如を痛感するくらいには自分の未熟さを承知できたわけだ。別に仕事はどうなったって構わないので、プレゼン資料なんてやっつけ仕事でこなしたのだが、これが趣味の分野となると話が違う。ORやロジって、やっぱ軍事がそもそもの発端じゃないですか。だから会社関係は秒で片付けて、オーバーロード作戦の米軍のロジをネットで調べたりしていたのですね。そこで、あぁ、俺は西部戦線の基礎的知識が欠けているな、武装SSや降下猟兵に萌えてるだけじゃオタクとして未熟だな、と、そう思った次第なのです。オタクとしての矜持の問題なのです。

 そこでまず、1944年5月から6月の状況を俯瞰的観点から理解しなおそうではないか、というわけで本書を手にとってみたのでした。
 前置きが長すぎる。

 コーネリアス・ライアンはジャーナリストだけあって、まず文章が読ませるわけですね。資料的価値はほとんどゼロなのですが、第二次世界大戦を生き抜いた両軍の兵卒から将軍まで、幅広くインタビューを行っていることがよくわかります。そうして得られた様々なエピソードを丹念に、時に面白おかしく語ってくれるのです。
 オーバーロード作戦やそれに続く様々な軍事行動は、後世発売されたのミリタリムック本やWikipediaでおそらく皆さん承知のことでしょうが、映画「史上最大の作戦」で描写される妙なエピソードやシチュエーションが実は本当にあったのだとか、当初の予定日だった6月5日に先駆けて海岸に先行していた潜航艇乗組員の嘆き節だとか、アイゼンハワーの苦渋の決断だとか、6月6日深夜に奇跡的に風雨が治まっただとか、空襲のおかげで肝心な時に足止めを食らった反独レジスタンス・マキmaquisの幹部とか、混乱のさなかそれでもさっそく商店の看板を独語から仏語のものに戻す住民とか、とにかく物語として読んでいて面白い。
 軍事関係者だけではなく市民にもインタビューしているので、上陸作戦のシミュレーション・ゲームでよく出てくる村、サン・メール・レグリーズの住民の証言など、あの時代、確かに人々の生活があったのだ、とあらためて気付かされたりもします。
 ドイツ側のエピソードはあまり多くないのは残念ですが、それは「彼らは来た」で補完するとしましょう(真実性は置くとして)。それでも、不運の戦車指揮官オッペルンにセリフがあるあたり、今や貴重な(?)書物かもしれません。
 一番残念な点は、物語自体は上陸が済んだ直後で終わってしまっていて、その後のドイツ軍の反撃についてはほんのわずかに触れる程度(第21装甲師団や戦車教導師団について、やや言及があります)やSSヒトラー・ユーゲントのカーンでの死闘などには全く筆が及んでおりません。パンツァー・マイヤーがチラッと出てくる程度。連合軍にとって「奇跡的な成功のあとの混乱」(あるいはドイツ側から見て「混乱のあとの反撃」)にまで話が及んでいれば、もう少し読み応えがあったかと思います。
 また、訳語や文体が今の時代から見ると、かえって味があるといえばあるのですが、やはり古臭いのが正直なところ。

「俯瞰」が読むきっかけだったとはいえ、戦闘序列や戦力比、銃後の生産力や科学力についての記述は本書にはまったくないため、先ほど述べたとおり資料的価値はほとんどありません。
 ですので、読み物としては非常に面白く、文量も少なく一気に読めて読後感は良いのですが、この時代に興味を持つ者としては「かえってわからん! 謎が増えた!」ともなってしまうので、注意が必要です(それが面白いのですが)。



史上最大の作戦 (ハヤカワ文庫NF)
コーネリアス ライアン
早川書房
1995-01-01

ゾンビランド:ダブルタップ (監督ルーベン・フライシャー2019)

 公開初日に観てきたこの意識の高さよ。
 メジャーシーンでゾンビコメディというあらたなジャンルを開拓した前作(「ショーン・オブ・ザ・デッド」はブラックだと思う)が、スケールアップして帰って参りました。だいたいオープニングロゴ(トライスターのペガサスとか、パラマウントの山と星とか、松竹の富士山とか)がアレンジバージョンの映画が、つまらないわけ無いじゃないですか。タイトルもセンスある。
 コメディと言っても吉本新喜劇みたいなナンセンススラップスティックではなく、もう少し観客の理解度というか教養を試されるテイスト。タラハシーがファミリー向けミニバンにブチギレ金剛なあたりとか、頭軽すぎのマディソンの言動とか、アメリカの生活や文化、ポップカルチャーに造詣があるとなお楽しい。しかし、前作でタラハシーが何よりも求めていたトゥインキーは出てきませんw
 なんと言っても見所はウッディ・ハレルソンの悪ノリな演技(しかしフルスロットルではなくコントロールされた感じ)。他のキャラとは世代が一つ二つ上なので、吹きまくる父親風やプレスリーなど、ダディクールなアメリカンパパ的ウザキャラが本作品ではパワー全開なのですが、それが日本人の目で見ても滑っておらず、しかし一方で妙なジェネレーションギャップ・カルチャーギャップのズレに思わずクスりとしてしまう不思議な「笑い」の構造があるのです。だから大丈夫、日本人でもたっぷり笑えます。
 ゾンビ虐殺の新たなアイディアに実は感心仕切りです。ゾンビ愛好家界隈では最も優れた武器はスコップというのが共通見解というか常識となりつつありますが、本作に登場するモンスター兵器にはうならされました。そうか・・・、その手があったか!!!w
新登場のマディソンもあのキャラなのにかえって映画に馴染むというのも凄い。私に英語力があればもっと笑えたと思う。もっと英語鍛えよう。ちなみに、マディソンを演じた女優さんはリー・トンプソンの娘さんだそうで(今Wikipediaで調べた)、時の流れの早さを感じてしまいますな。
「続編映画に名作無し」というのは誰あろう私の言葉なのですが、本作については貴重な反例となったようです。あぁ、日本語吹き替えも出来が良さそうだし、どうしよう、子供連れて見に行こうかな。って、この程度でR15なのかよ!!!(怒) ワイが15歳のときゆーたら、ゾンビ映画ホラー映画バンバンテレビで流しとったやんけ!!!
 つーか観に行けよお前ら。その辺のYouTuber見てるよりずっとずっと楽しめるぞ!!!


荒野のホームズ、西へ行く スティーヴ・ホッケンスミス

 と言うわけで、前作が面白かったので続編も読んだのだ。
 証拠はおろか捜査なんて言葉が通じない荒野が広がるアメリカ西部において、文盲無学のカウボーイ兄弟がホームズ&ワトソンとなり、謎の牧場の秘密を暴いた前作。続編ではぐっと文明化された開拓期の鉄道が舞台。文明化ったって、設定は1893年ということなので日清戦争まであと1年。そしてちょうど10年後には飛行機が飛ぶという時代なので、アメリカを横断する鉄道はとっくに完成済みなのです。もちろんそうは言っても、西部は相変らず列車強盗が跋扈する無法地帯なことには変わりありません。
 ワトソン役である弟の記述(弟は年長の兄姉のおかげで最低限の教育を受けているのです)という体裁の物語なのですが、前作同様、一人称の語り口は軽妙でありながら人生経験に裏づけされた皮肉もしっかり効いていて、読んでいてまず楽しい。楽しい一方、ホームズに憧れながら、貧しい環境と資本主義経済のはざまで苦悩する様子や、それでもたった一人の肉親を信頼する兄弟愛が物語に自然に溶け込んでいて、ドラマとして上等なのですね。
 冒頭鉄道が舞台と言ったとおり、本編のほとんどは西海岸を目指す客車の中だけで成立していて、ある意味、雪の山荘、孤島の別荘という様相。つまり、フーダニットなんですね。客や乗務員など誰もが怪しく見えるなか、部外者であるアムリング兄弟は公的機関や周囲の助けも得られず、独自の捜査を始めるしかありません。
 無口で無愛想なホームズ役の兄によって、証拠や情報がピタピタと当てはまる推理はとても気持ちが良い一方、アクション満載でスピード感あふれるプロットにわくわくしながらページを繰る手が止まりません。わりとボリューミーな厚さの本書なのですが、実のところ物語内時間はわずか一泊二日。読み手である私も、ほぼ同期した状態で読み終えたのでした。
 前作ほど西部に生きる貧しく無学で、しかし未来と肉親を信じて歩き続ける男達の苦悩が描かれているわけではありませんが、スリリングな開拓期の鉄道ドラマとしてたいへん読み応えがあったのでした。
 あったのでした・・・、って、実は本国アメリカでは続編があと3冊発売されているのですよ。ところが本邦上陸は第二作である本作でストップしている状態。えぇぇえ・・・。ちょっと・・・。どうしてくれるんすか早川書房さん・・・。
 続き、絶対発売してくださいよ。
 発売せなんだら許しませんえ。


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ニコマス界隈の、辺境の住人。革命的国家社会主義真派の刺客、ペロリスト。真士。そして、映画と小説とアニメの愛好家。
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